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10-12 雷池

 孫季高そんきこう沈田子しんでんしを見送ったあと、寄奴ァ查浦さほに向かう。ここに繋がれてた船たちが焼かれなかったんなァ、僥倖って言うしかねェ。

 そこに響く、脳天気な声。

「おーぅ、将軍! 死んでねえのかよ、相変わらずの悪運だな!」

 胡藩こはんだ。

 こんな鉄火場にのうのうと現れて、しかも湯治でもしてんのか、みてェにその面ァ緩み切ってる。

 寄奴ァイラッとしかけるが、すぐに思い直す。なんでこの場に、こいつのにやけヅラがある?

穆之ぼくしぁ、なんて言ってた?」

 とりたてて顔つきを緩ませもしねェで聞きゃ、胡藩の野郎ァ、ちって舌打ちする。

「なんだよ、もうちょい驚いてみせろよ」

「穆之にお前の扱い投げたんだ、ならここにお前が来てんなぁ、そういうことだろうが」

「うっわキメぇ」

 おーおー、好き放題だ。

 つまり、こういうことだ。寄奴ァ建康けんこうに戻るに当たって、広固まわりのアレコレをのきなみ穆之に任せた。

 その穆之がはじめに徐逵之じょきしを投げときながら、すぐさまその守り役の胡藩まで投げてくる。そしたら、穆之ン中で気付いちまった事があったに違げェねェ。

「将軍、一応言っとくがよ、兄弟っつったって、あんま自分以外信じんなよ?」

「安心しろ、お前についちゃ信じてねえからよ」

 信じてるからこそ、信じてねェって突きつける。

 このへんの機微ァ、どうにも己の手にゃ負えねェ。くっそやべェやり取りを目の当たりにして、そんなもんなんだな、って思うしかねェ。

「あっそ。けど便利だろ? 今日も便利使いされに来てやったぜ。どうせこの感じなら、追撃だろ」

「――だったら何だってんだ」

「なら、こっからの戦場ぁ贛水かんすい、俺の庭だ。川の流れから風の向きまで、なんでもござれさね。いくらあんたでも予章よしょう周りの天気なんて詳しくねえだろ?」

 特に気負うわけでも、誇示しようってわけでもねェ。あえて言うなら――金儲けの匂いを感じた、ってどこか。

 寄奴ァため息を一つ、査甫につなげてあった、寄奴用の船を顎で示す。

「またお前に稼がせることになんのかよ」

「へへ、まいど」

 悪びれもせず言い切りやがる胡藩ァ、ある意味裏表もねェって言えるんかもしれねェやな。


五斗米道ごとべいどう)どもがこっちを防ごうとしてくんなら、雷池らいち竹里ちくりだろう。つったって――ええと、神弩しんどだったっけか? あいつがこの船に積まれてる以上、どんだけ盧循ろじゅんらを逃がせる暇を稼げるか、にしかなんねえだろうけどよ」

 胡藩がちら、と張綱ちょうこうを見りゃ、張綱ァ涼しい顔で拱手する。ちらと面倒臭せェ二人引き合わしちまったか、たァ思ったが、そいつァさておき。

 建康から長江ちょうこうを遡り、先生たちのいた潯陽じんようと霊峰廬山(ろざん)の間に横たわる、どでけェ水たまり、雷池。

 ただでさえくっそ広れェ長江を上回るデカさの水溜りだ、寄奴にしてみりゃ、そんなんちょっとした海みてェなもんだ。

 たァ言え、南から雷池に注ぐ川、贛水を遡ろうってんなら、べつだん雷池まるごとを守る必要もねェ。潯陽あたりに拠点を置いて、南に流れ込まねェで済むように守りを固めりゃ、それなりの日にちァ稼げるだろう。

 そう、潯陽だ。

 先生がそこにいながら、あっさり建康に進軍を許した町。そりゃ確かに贛水の上流にある予章があっさり堕ちちまったってんなら、予章よか守るのに向いてねェ町で抗うだけ莫迦ってモンだ。

 だからこそ、盧循どもにしたって、その潯陽で寄奴を迎え撃つための陣組みを邪魔されるのなんざ、考えもしなかったんだろうな。

 ――のちのち、雷池の戦いで働いたやつから聞いたんだがよ。

 あの(・・)檀道済だんどうさいだぜ? 確かに強えェ、寄奴にしたってまともにやりあや、どう転ぶかわかんねェって思うくれェのやつだ。その武幹を疑うとこなんざ、これっぽっちもねェ。たァ言え、やつがひとを率いて武勲を挙げんのを見出してたやつが、どんだけいた?

 雷池にうぞうぞする五斗米道どもに、檀道済が東からブン殴ってかかった。北東にばっか気を取られてた奴らが、いきなし真東から噛み付かれんだ。さぞ慌てふためいたこったろうぜ。

 寄奴が見たんなァ、檀道済にさんざっぱらぼてこかされまくった、残骸。

「こりゃあ……」

 あっけに取られんなァ、いっちゃん檀道済を知ってるはずの野郎、諸葛長民しょかつちょうみんだ。そりゃそうだ、そのありさまァ、人ひとりでどうにかなるもんでもねェ。

「おい、劉裕りゅうゆう。その陶潜とうせん先生、だったか? 武術の師範じゃなかったのかよ」

「うるせえよ、そんなんこっちが聞きてえわ」

 雷池の東岸にある港で、檀道済ァ後片付け(・・・・)の指示をあっちゃこっちゃに飛ばしてた。見ただけでわかった、ずっと丸まってたはずのやつの背筋が、ピンと伸びてやがった。

「変えてくるかよ、そういうとこ」

 諸葛長民ァ口元を引きつらせる。

「どういうこった?」

「あいつあよ、もともと桁外れの殺意抱えてやがったのさ。っが、どうしたことか、そいつが内向きにばっかなってた。で、剣を持たしてみりゃ、全部が剣にばっか乗る。剣を振るとき以外にゃ殺気の乗らねえ、静かな剛剣。そいつぁそいつで便利だと思ってたんだがな」

 へぇ、と感心しかける。

 なんだかんだで、諸葛長民とぶつかりあったこたァ何度かある。そのたびに檀道済がぬぼってしゃしゃって来やがったわけだが、いつだってあいつァ平然と寄奴の殺気を受け止めて、けど手前ェ自身からァまともに動こうともしなかった。

 諸葛長民の言ってることが十全にわかったかは、正直、怪しい。っが、こいつァ言えた。あの大木がいちどその気になりゃ、何が起こっまうか。

 船が潯陽の港に近づく。そいつに気付いた檀道済ァ、いくらかの手勢を連れて波止場に出、馬を降り、拱手きょうしゅで寄奴らを出迎えた。

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