第七話 貪食者たちの笑み
ラティウスの息が上がる。全力で駆けているというのに、肺がまるで鉛を詰め込まれたように重い。
彼の背後から怒号が追いすがってくる。
「テラソリスの将校を確保しろ! 殺すな、生け捕りにせよ!」
ノヴァ・ティダス兵の統率された足音が、石畳の路地に反響していた。数の差は圧倒的だ。まともにやり合えば長くは持たない。
「クソが……! どいつもこいつも、話が通じねぇ!」
舌打ちしながら路地を折れると、視界が一気に開けた。
セリカリアの目抜き通りに、人だかりができている。荷車に家財を積み込む者、子どもの手を引いて走る者、怒鳴り合いながら方角を決めかねている者。誰もが一様に、切迫した顔をしていた。
──避難だ。
街の空気が変わったことを、ラティウスは肌で感じ取った。戦争の噂は本当に届いていたのだろう。戦火はもう、そこまで来ている。
この人混みに紛れれば、追っ手を撒ける。
そう判断したラティウスが雑踏へ足を踏み入れようとした、その時だった。
「……ラティウス?」
聞き覚えのある声が、雑踏の合間から届く。
振り返ったその先に立っていたのは、白衣を着た見知った顔であった。
クローン143号──スコリアとは同じ工房で生まれた同期だった。たしか今はタウミエル魔獣研究所に配属されていたはずだ。
「なぜスコリアがここに!? ──いや、今はそれどころじゃない。先に行くぞっ」
「待って! あたしは馬車でここに来たの。困ってるんでしょう? 案内するわ」
戦火を逃れようと避難する住民の人混みに紛れ、追っ手は二人を見失ったようだった。
スコリアの案内により通りを一本外れたところで曲がると、宿前に馬車が停車していた。
しかし車を引いているのは馬ではなく、半人半牛の魔獣だった。
「これは、魔獣ドローンか? どうやって軍事機密を──いや、28号。またあいつか?」
ラティウスの疑問にスコリアは肩をすくめるだけで、早く乗るように促した。
二人が馬車に乗り込むと、スコリアは魔鞭を振るった。
すると魔獣が走り出す。特に手綱を握らなくとも、自動で運転してくれるらしい。
「魔獣ドローンによる自動運転、か。流通が大きく変わるな。──そして、また科学の発展が遠退きそうだ」
ラティウスがポツリと呟く。それにスコリアは同意する。
「もともとこの世界じゃ呪術の存在もあって科学技術の発展が阻害されてる。アレクトゥスの知識がある分あたしたちは有利だけど、逆に記憶が発想の邪魔になってるところもあるんだ。ま、タウミエル所属のあたしには関係ないけど」
そう言いながら彼女はダッシュボードの中をまさぐった。
「ほら、これ食べな。疲れてるんだろう? 疲労は魔力の天敵だよ。それで、なんであんたが追われてたんだい? 部隊はどうしたのさ?」
ラティウスは渡されたパンとドリンクを食べながら、これまでの経緯を話した。
「──そりゃ災難だったねぇ。あのプラエトルに絡まれるとは。ユイ先輩は、相変わらずって感じ。そのパンとドリンクは魔力補給食だ。元気だしな」
ボフッ、とラティウスが口の中のものを吐き出す。そしてスコリアを睨みながら怒鳴った。
「スコリアてめぇ! なにしやがる! 軍人に魔法食品なんざ食わすんじゃねぇ!」
この世界では農業含め多くの食料調達がまだ技術的に不安定で、それが時折大規模な飢餓を引き起こしていた。そのため魔法使いたちは食産業の生産力強化を魔法で体系化して図った。これで不作はなくなり人口も増えていくと思われた。
しかし問題が発生した。
魔法食品を摂取したものが魔力を使い果たすと、摂取量の分だけ栄養不足になったのだ。
調査の結果、魔法食品は普段は通常の食品と全く同じ性質を持つが、体内の魔力が枯渇すると同時に消失してしまうことが判明した。これは人間が摂取し血肉としたあとでも適用された。
つまり魔法食品を日頃から食べていると、魔力が枯渇した瞬間へたするとそのまま栄養失調で死ぬ危険性があった。
各国はこの問題に対し、国民に魔法食品の摂取量を抑えるように規制した。禁止までしなかったのは、血肉とした栄養素を使い切ってしまえば何も問題なかったことと、飢餓で死ぬよりはマシだという判断だった。
とは言え魔法を常用する軍人のような職業では、魔法食品の摂取は厳しく制限されていた。
「魔力を枯渇させなければいいんだろう?」
スコリアはあっけらかんと言う。実際一般的な認識はそんなものだった。
「ちっ、これだから研究者は。軍人はいつなんどきも魔法で応戦する可能性があるんだ。そのとき動けませんじゃどうしようもないだろうが」
純食品が恋しいぜ。とラティウスがボヤく。
ふと二人が同時に沈黙する。微かな魔力の乱れが空気を伝って肌を逆撫でた。
そして後方、セリカリアの街の入り口方面から轟音が響いた。
ついに戦火がこの街に届いたらしい。
スコリアは馬車に備え付けられた魔法無線を取り出す。
「ラティウス。あんたの部隊の周波数は?」
「551!」
「そりゃお腹がすくねぇ。……どうやらあんたの部下と悪魔の民族が交戦してるみたいだ。ノヴァ・ティダス軍は撤退したらしい」
スコリアが無線を耳に当てて傍受内容を伝える。
ラティウスはこちらから送信できないか聞いたが受信機のみだった。
「行くのかい?」
当たり前だろう、とラティウスは答える。
「俺の部下を見捨てるわけにはいかない。──出世に響くからな」
「いいけど。途中で戦線離脱した言い訳を考えておくんだよ!」
馬車から降りる準備をしていたラティウスは、苦い顔で「わかってる!」と返事をすると、そのまま走行中の馬車から飛び下りた。
再び戦闘へ向かいどんどん小さくなっていくラティウスの背をスコリアは眺めていた。
「ふうん。テクストールは間に合わなかったけど、これはこれで面白い」
そう呟いた瞬間。馬車の頭上から降ってくる黒い陰があった。
スコリアは辛うじて身を捩りその一撃を躱すが、馬車は真っ二つになりやがて道路脇にぶつかって停止した。
馬車から降りたスコリアは魔鞭を振るう。
態勢を立て直した魔獣ドローンが襲撃者を迎え撃つ。
しかし突進した魔獣ドローンを彼は鎧袖一触、刀の一振りで屠ってしまった。
「──黄泉路歩き。君も戦乱が好きだねぇ」
ユラリと、黄泉路歩きは刀を構えスコリアと対峙する。
「ふん。一体君がなにを考えているのか、興味がないわけじゃないけど、戦う相手を間違えてないかい?」
スコリアは白衣のポッケに手を入れ口振りでは余裕を見せながらも、額には汗が滲んでいた。
「我が敵は世を乱す悪鬼なり。そこに我が求める強者こそあれば」
スコリアはプッ、と吹き出し笑い始める。
「──それこそ人違いだ。あたしはしがない研究員だよ。あんたが求めてるのはあっちの悪魔の民族じゃないかい? リーダーと戦ったんだろう? 決着は着いたの?」
彼女の煽りにも彼は動じない。ただ戦闘態勢のまま、ジリジリと間合いを詰めていた。
「……冗談でしょ。本気であたしなんかと戦う気?」
さすがにスコリアも戸惑いを見せる。
その返答は曲がり上がっていく口角だった。
「下手芝居は辞めよ。うぬとてそこまで痴れ者ではあるまい。21号」
21号。
そう呼ばれた瞬間、全ての時間が凍った。
ゆっくりと、少しずつ143号──スコリアだった顔が、笑みで歪んでいく。




