第二話 増えるクローン
アレクトゥスは生まれたての幼い頃、よく原因不明の高熱にうなされていた。幸いにも彼はテラソリス王国の高い地位にいる貴族の次男として誕生したため、手厚い看護を受けて生き延びることができた。
しかし本人は高熱で朦朧とする中で夢を見るように、『ある意識』を覚醒させており、物心がつくころには朧気ながらそれがなんなのか理解しはじめていた。
それは前世の記憶。日本人として地球で暮らしていたかつての己自身の思い出。
アレクトゥスにとってそれははっきりとした自分の記憶であると認識しているにも関わらず、この世界で教育を受け学習するほど、そんなことはあり得ない、と理性がそれを否定しようとする。
彼はそんな不安定なアイデンティティのまま少年時代を過ごした。
だからこそ、貴族としての立場を利用して魔法を学び、魂と記憶の研究に没頭し、ついには秘密の工房で違法なホムンクルスの製造にまで手を出したのだった。
最初のホムンクルスを目覚めさせてから、まだ数年しか経っていない頃のことだ。
地下の秘密工房には、整然と並べられた錬金台、分厚い魔導書の山、そしてあらゆる魔術器具が雑然と広がっていた。魔力による人工照明がほの暗く揺れ、空気にはインクと薬品、そして魔力の焼けるような匂いが漂っている。
その空間で、十数人のクローンたちがそれぞれ研究装置に向かい、何やら黙々と作業に没頭していた。誰もが同じ知性、同じ声、同じ所作を持ちながらも、それぞれが少しずつ異なる癖を身につけている。
そんな中、一人のクローンが声を上げた。
「作業を一時停止! 集合せよ!」
クローン1号の号令に、カリカリとペンを走らせていた者や、魔力を注いでいた者たちが一斉に顔を上げる。軽く戸惑いながらも、彼らは次々に中央の黒板前に集まってくる。わずかに擦れる白衣の音が、沈黙を破って重なる。
「製造番号確認! 点呼開始! いちっ!」
「にっ!」
「さんっ!」
次々と番号が続き、まるで魔法陣のリズムのように響いていく。その整然とした様は、まるで軍隊のようでもあり、しかし不気味なほど滑稽でもあった。
「……じゅうにっ! 点呼完了! 全員います!」
クローン12号が声を張り上げると、1号はわずかに肩をすくめて見せた。
「……ではオリジナル。話とはなんですか」
どこか呆れたような口調だ。皮肉でもなく、軽蔑でもなく。ただ、自分のことをよく知っているがゆえの、諦め交じりの慣れ。
そして、なにやら複雑な数式や魔法陣が書かれた黒板前に並ぶクローンたちと向かい合っているのがオリジナル、アレクトゥスだった。
「うむ、ご苦労。我ながら統率が取れている。……いやおかしくない? なんで順調にクローンの量産ができてるの。普通こう、なんやかんやあって反乱する展開じゃない?」
その問いに、クローンたちが揃って顔を見合わせる。まるで「うん、それは確かに」と言いたげな空気が一瞬漂うが──
「だって俺だぞ?」
1号が平然と言い放つと、それに続くようにクローンたちは頷いた。その無言の連帯感が、かえって異様な迫力を生む。
「そうなんだけどさぁ……。みんな目覚めた瞬間は、マジかー。みたいなショック受けてたじゃん。大体いちばん最初の言葉は罵倒じゃん。いつか刺されるなー、って思ってたんだけど」
苦笑混じりのアレクトゥスの声に、幾人かがわずかに照れたような顔を見せる。
「とりあえず流れに身を任せるのが俺では?」
4号が気怠げに言うと、数人が「それな」「まったくだ」とうなずき、一部は「いやいやそれでいいのか」と難しい顔をする。
アレクトゥスは思わず額に手を当てた。
「やだなぁ、自分自身に第三者目線でそう言われるの。まぁいいか。それじゃ本題の前に聞きたいんだけど、現状の暮らしの不満点を挙げてくれ」
言い終わるや否や、数人の手が勢いよく挙がる。
「ベッドの寝心地が最悪」
即答したのはクローン2号。言い終える前に、ほぼ全員が大きく頷いていた。中には腰を軽く叩く者までいる。
「それなぁ。地下工房で暮らしてれば当然そうだよなぁ。他には?」
アレクトゥスが問うと、今度はクローンたちが考え込むように唸り出す。誰もが顎に手を当て、真剣な顔でうんうんと首を傾げ始める。
「は? それ以外ないの? ここ結構不自由な生活じゃない? 飯が不味いとか、もっと外に出たいとか──」
その問いかけは、まるで自身の思考を代弁しているようでもあり、どこか寂しげだった。研究に籠る日々。代わり映えしない同業者たちに囲まれ、自分の反響の中で生きるような時間。
前世での仕事漬けの日々が脳裏にチラついている。
しかしクローンたちは、その状況に案外というべきか当然というべきか、適応してしまっていたらしい。
魔法陣のような整然さ。鏡合わせのような集団。それはまさに、「自己」と「他者」の境界を見失いそうになる、奇妙で静かな狂気の空間だった。
静かな地下の秘密工房に、クローンたちの声がぽつぽつと響き始めた。さっきまで魔法式の計算に没頭していた者もいれば、魔力抽出の実験を途中で止めてきた者もいたが、今は皆が円になって座り込み、真剣な顔で話し合っている。
光のない地中を照らす魔光灯が、青白い光を投げてクローンたちの顔に陰影を落とす。全員が同じ顔、同じ声帯、同じ思考構造を持ちながら、微妙に異なる癖や表情を宿しているのが妙に人間的だった。
「食事については問題ないな。オリジナルが浮浪者に施すって建前で大量に買ってるあれ、ちょくちょく回してもらってるし」
「うむ。あれは助かってる」
「掃除は当番制でいいだろ。俺はむしろ性に合ってる。前世でもちょっと潔癖だったからな」
「洗濯も一緒だな。手間ではあるが不満ではない」
「トイレもオリジナルが最初から設計して設置してくれたし、そこまで不自由は感じない」
口々に上がる声はどれも冷静で、建設的だった。誰一人として感情的になることはなく、議論は淡々と進んでいく。
「風呂がないのはどうかと思ってたけど、蒸しタオルで拭き取れば十分。どうしてもって時はオリジナルと入れ替わって屋敷の浴室を借りられるしな」
「外の空気を吸いたいときも、入れ替われば庭に出られるし……」
語られる生活は、想像以上に整っていた。自由こそ限られているものの、研究に特化した生活という意味では驚くほど快適なのだ。何より、ここにいる誰もが「煩わしいものから逃れられている」という点に強い満足を覚えていた。
「貴族の社交場とか、正直うんざりだったしな……」
「わかる。あの空気は息が詰まる」
「そもそも人付き合いがめんどい」
「ここは……落ち着く」
静かに漏れる言葉の中には、過去の自分への諦めと、今の自分への肯定が入り混じっていた。
そんな空気を、アレクトゥスがぽつりと壊す。
「そりゃ俺だって、できるならずっと研究していたいよ? クローン作ったのも、それが理由のひとつだし」
彼は椅子に浅く腰かけ、頬杖をつきながら天井を見上げた。目の奥には疲れではない、しかしどこか曇ったような影がある。
「でもさぁ、さすがに地下に籠りっぱなしは良くないと思わない? 住環境としてはダメだよ、ここ。空気が澱んでるし、広さ的にももう限界だ。これ以上増やしたら作業台の取り合いになるよ」
その言葉に、ほとんどのクローンたちは静かに頷いた。しかし、ごくわずかに表情を曇らせた者もいた。
「いや、でも……なんか、ここ居心地いいし……」
そう呟いたのはクローン7号だった。彼の言葉に、2、3名が同意するように小さく頷いた。彼らにとってこの閉鎖空間は、外の世界から切り離された静謐な楽園のようなものだった。自分以外は自分。反論も裏切りもない。ただ粛々と、思索と研究に没頭できる場所。
その様子を見て、クローン1号がアレクトゥスに視線を向ける。
「……それで、本題ってのはなんだ? まぁ話の流れで察せられるが」
アレクトゥスはにやりと笑った。
「引っ越ししよう。そして、さらにクローンを増やそう」
その宣言は穏やかだったが、魔力の炸裂音よりも重く、工房の空気を震わせた。
驚きの声が上がるかと思われたが、クローンたちは静かだった。代わりに、誰もがゆっくりと目を細めて、それぞれの脳裏に新たな可能性を描いていた。
「今度は、ホムンクルスの姿を俺から変えてもいいな。そろそろ、"俺以外"のかたちで存在するクローンがいてもいいと思ってた頃だろ?」
アレクトゥスの言葉に、どこかに火が灯るような空気が流れる。
「それぞれ、作りたいクローンのテーマがあるだろ? まだ、いろいろやりたいことあるだろ?」
その問いかけに、1号が笑った。
「……ああ。俺たちは、まだまだ終わらない」
まるでそれが、長く封じられていた扉の鍵だったかのように。




