第二十五話 魔獣狩りの夜の始まり
──悪夢は巡り、繰り返すものだろう?
頭の中でリフレインする呪文に引き寄せられて、意識が再浮上する。
番号なしのアレクトゥスは路地の石畳の上で目を覚ました。
空は暗く、雲間から覗く月が夜を主張している。
霧は濃く、街全体を覆い魔導灯の明かりをぼやけさせている。
どうやらあのままずっと意識を失っていたらしい。
血溜まりに寝そべったまま荒い呼吸を整えながら、彼は自身の怪我を確認する。傷がない。
しかし記憶の中の痛みは、まだ肩と喉に張りついている。噛まれた感触。引き倒された重み。それらは幻肢のように身体の芯へ食い込み、しばらく離れなかった。
そばに転がる仕込み杖を引き寄せる。血で滑る柄を握り直しながら、思考は困惑する。
死んだ。確かに自分は魔獣に殺された。
勘違いなどではない。奇跡的に助かったわけでもない。
あのとき確実に命は途絶えた。
ならば今生きている自分は何者なのかと考えて、彼はこみ上げる笑いを抑えきれなかった。
そもそも正体不明のクローンに、今さら謎が増えたところでそれがどうしたというのだ?
引きつる腹に力を入れて、杖を頼りに立ち上がった。
遠く、鐘の音が響く。
街の様子はさらに闇を色濃くしていた。
窓という窓は固く閉ざされ、灯りの漏れる隙間は一つもない。だが完全な無人ではない。時折、壁越しに啜り泣きのような声が漏れ、あるいは何かを引きずるような足音が石畳を這う。
魔獣の魔力はもはや匂い立つように霧のなかに全てを隠している。
そのどれが人で、どれがもう人でないのか、判別する術はアレクトゥスにはなかった。
遠くでまた、獣の遠吠えに似た声が重なる。一つではない。呼応するように、二つ、三つと連なっていく。
どこへ行こうとも魔獣の影がある。
安全な場所へ避難──と考えたところで、昼間の少女の言葉を思い出した。
──両親が教会に連れていかれた。
そのような話だったはずだ。
この街のアスト・ラナ教会はここから近かったと、オリジナルのアレクトゥスの記憶にある。
まずはそこを目指すことにした。
路地から路地へ、アレクトゥスは影を選んで歩いた。
正面から行けば魔獣の視界に晒される。ならば壁際を這うように進むしかない。仕込み杖の切っ先を下げ、呼吸の音すら殺しながら、彼は霧の帳を味方につけた。
途中、二度ほど大型の影とすれ違った。一度は屋根の上を這うように動く何か。もう一度は、路地の奥で何かを咀嚼するような湿った音だけが聞こえ、正体を確かめる気にはなれなかった。
幸い、獲物を選ぶだけの知性が向こうにも残っているのか、あるいは単に見つからなかっただけなのか、追われることなく進めた。
やがて、教会の尖塔が霧の切れ間に見えてくる。
同時に、それまでとは違う音が耳に届き始めた。
怒号。悲鳴。金属がぶつかる甲高い音。
アレクトゥスは足を早めた。
教会前の広場は、地獄の縮図だった。
バリケードの一部はすでに突き崩され、木材と土嚢が瓦礫のように散らばっている。その隙間を縫うようにして、魔獣の群れが押し寄せていた。
広場のあちこちに、兵士の死体が転がっている。テラソリスの軍服とノヴァ・ティダスの軍服、両方が入り混じっていた。誰と誰が戦い、誰が魔獣に喰われたのか、もはや見分けはつかない。折れた銃剣、破れた軍旗、持ち主を失った得物が、血だまりの中に沈んでいる。
教会の門扉の内側からは、松明を掲げた住民たちが必死に抵抗していた。手にしているのは鍬や薪割り斧、あるいは古い猟銃といった、およそ戦争向きではない得物ばかりだ。
それでも彼らは退かなかった。
退けば、その先に待つのは何かを、誰よりもよく理解しているのだろう。
「もうダメだ……! 誰か……助けてくれ!」
避難民の絶叫が霧を裂く。
アレクトゥスは瓦礫の陰から広場を見渡した。防衛線は薄い。あと数体押し込まれれば崩れる。
視線が、瓦礫の隙間に埋もれた奇妙な物体を捉えた。
多連装の銃身を束ねたマスケット砲……しかしこれはもはや魔法によるガトリングガンと言っていい改造がされている。台座には魔力伝導の紋様が刻まれ、装填部には見たこともない魔導機構が組み込まれている。
誰のものかは知らない。持ち主はおそらく、すぐ傍に倒れている兵士のうちの誰かだろう。
迷っている暇はなかった。
アレクトゥスは瓦礫を飛び越え、兵器に取りついた。台座に残った魔力の残滓が、まだかすかに脈打っている。使い方は直感でわかった。アレクトゥスの記憶か、あるいは別のクローンの経験が蓄積しているのか。
考える前に、彼は取っ手を握り、魔力を流し込んだ。
轟音。
連射される魔法弾が、束ねられた銃身から絶え間なく吐き出される。閃光が霧を切り裂き、押し寄せる魔獣の群れを次々と薙ぎ倒していった。
一体、二体、三体──数える余裕もなく、赤黒い肉塊と黒い泥が広場に散る。
悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちる魔獣たち。それは狩りというより、一方的な蹂躙に近かった。
銃身が焼けるような熱を帯び始めた頃、広場に群がっていた影は、もうほとんど残っていなかった。
最後の一体が、頭を撃ち抜かれて泥へと還る。
静寂が戻る。
荒い息を吐きながら、アレクトゥスは取っ手から手を離した。掌に痺れるような感覚が残っている。
その音は、教会の奥にも届いたのだろう。
しばらくの沈黙のあと、重々しい軋みとともに、固く閉ざされていたはずの門扉が、わずかに開かれた。
次回の更新は8月29日(土)です。




