第二十話 遥かなるオリジナル
禿頭の老人は、杖も持たずゆっくりと歩み寄ってきた。
背は曲がり、白衣の裾は薬品の染みで黄ばんでいる。エントランスのホログラフィックで見たような、かつて研究に打ち込んでいた若々しい面影は、もうどこにも見当たらなかった。それでも、その双眸に宿る光だけは、記憶の中の21号と寸分違わなかった。
プラエトルは杖を握る手に力を込め、ミヌキアを背に庇うように半歩前へ出る。
「21号。同胞を実験に使ったな」
声に抑揚はなかった。だが、その平坦さの奥には、老いてなお消えない怒りが澱のように沈んでいる。
コルテスは繭の中で脈打つ肉塊へちらりと視線をやり、それから緩やかに口角を上げた。
「なにか問題があるかね? そもそも我々クローンは実験のために生まれた」
あまりに平然としたその答えに、プラエトルの眉間の皺が一段深くなる。
「それでヤケになったとでも? 見た目に違わず老いたな、21号。これは我々の存続に関わることだ。今すぐここを停止しろ」
「それはできない」
コルテスは即座に、しかしどこか穏やかな口調で返した。子供の我儘を諭すような、そんな響きすらあった。
「私の目的が果たせなくなる」
「目的? この大仰な詐欺がか?」
プラエトルが硝子容器の並ぶ通路を、祭壇上の繭の間を、そして音声ガイドの美辞麗句を、杖の先で示すように一瞥する。侮蔑を隠す気もなかった。
だがコルテスの表情は揺るがない。それどころか、わずかに眉根を寄せ、失望したような色さえ滲ませた。
「見くびるな、51号。それは手段に過ぎん。私は最初から同じ一点だけを目指してきた」
「それで?」
プラエトルの問いは短かった。答えを急かすようでいて、その実、恐れているようでもあった。
コルテスは一拍置いて、ゆっくりと両手を広げる。まるで、この地下の楽園そのものを差し出すかのような仕草だった。
「アレクトゥスだよ。我らが偉大なる原型。それを目指すことこそ我らが本懐、だろう?」
「なにを今さら」
プラエトルの声が、初めてわずかに荒くなった。
「何処ぞへ消えたオリジナルを見つけ出すだと? そのために同胞を犠牲にするのか」
その糾弾に、コルテスは──笑った。声は出さず、ただ口の端だけを歪めるようにして。
「お前らしい意見だ、プラエトル。やもすれば単独行動しがちな我々をまとめるために生まれた個体だけある」
「それが19号から引き継いだ儂の役目だからな」
プラエトルは短く応じ、それから杖を握る手を緩めることなく、真っ直ぐにコルテスを見据えた。
「そういう21号、コルテスよ。どうしてこうなったのだ?」
問いは静かだった。糾弾でも尋問でもない、もっと別の何か──かつて同じ地下工房で肩を並べていた者への、純粋な問いかけだった。
その一瞬だけ、コルテスの目に何かがよぎった。長い年月の底に沈んでいた、まだ何者でもなかった頃の色。だがそれもすぐに、深い研究者の色に塗り潰されていく。
「──もう少しなのだ」
コルテスは、ほとんど独り言のように呟いた。
「もう少しで魂の秘密を暴露できる。我々は、私はそのために生まれたのだ。今さら引き返すことはできない」
その声には、狂気とは違う、もっと澄んだ響きがあった。だからこそ、プラエトルの背筋に冷たいものが走る。
この男は、最早精神が彼岸に到達している。
ミヌキアが背後で息を呑む気配が伝わった。プラエトルは彼女を庇う位置を保ったまま、杖の先をわずかに持ち上げる。
「誰にも邪魔はさせん。──来たれ、タロス!」
その言葉を合図に通路が爆発した。
正確には、コルテスとプラエトルたちの間に巨大な剣が振り下ろされたのだ。
建物の外から繰り出された規格外の一撃。放ったのは高さ10メートル以上はあるであろう青銅色の巨人だった。
「鋼鉄の、巨大ゴーレム!?」
「わわっ、潰されちゃいますよぉ」
驚く二人に、コルテスは満足気に解説する。
「戦争エリアで作られた魔獣ドローンだよ。やはり最後には直接的な暴力に対抗せねばならない。そしてこれがその答え。さぁ、諦めて投降したまえ」
プラエトルは杖を振るい火球を放つ。しかしそれはゴーレムに当たる前に霧散した。
「対魔法装甲か──厄介なものを作りおって」
「物理的にも魔法的にも、現在の兵器ではコイツに傷一つつけられんぞ」
ふむ、と髭を一撫でする。そしてプラエトルとミヌキアは互いに目配せした。
「ここは──」
「──逃げますぅ!」
そして踵を返して同時に走り出した。




