第十九話 Veritas odium parit.
「大丈夫ですか?」
牢屋越しに、心配そうな表情でユイはエラクに声をかけた。
「ここは、何処だ?」
エラクは気だるげに身体を起こす。
「プラエトル議員の屋敷です。黄泉路歩きさんがあなたを連れてきました」
彼は大きく舌打ちする。だがユイは怯んでいられない。
「エラクさん。確かめなければならないことがあります。あなたにとって聞かれたくないことかもしれませんが」
「なんだと……?」
ほとんど殺意を向けるようなエラクの視線を真っ向から受け止めた。
「あなたがた悪魔の民族と、魔獣の関係についてです。──獣化魔法とは、つまり、人間が魔獣になる魔法ですね?」
「貴様……」
──なるほど。と言いながら水と着替えを盆に載せたスクリバが戻ってくる。
「半分は正解で、半分はまだ足りないでしょう」
「スクリバさん……」
「私見ですが、おそらく魔獣という種そのものが肉体改造魔法を使い続けた人間の祖先の末路なのではないでしょうか。──違いますか?」
エラクは沈黙したままだったが、それがなにより肯定を表していた。
……。
──一方その頃、疫病エリアへのゲートをくぐる前で、プラエトルとミヌキアの二人は無言でしばらく足を止めていた。
飢餓エリアの記憶が、まだ胃の奥に重く残っている。
あの区画には、実に多様な生態系が謳われていた。獣人系、ドラゴン系、スライム系、ゴーレム系、果ては植物系の魔獣までもが、一つの閉じた環の中で息づいていた。
だが、その豊かさを支えていたのは──共食いだった。
弱った個体が強い個体に捕食され、その死骸がまた別の個体の糧となる。他の種を一切介さず、魔獣だけで完結する食物連鎖。音声ガイドは「終末的飢餓への根本的解決」と誇らしげに語っていたが、実際に見せられたのは、絶え間ない共食いの光景だった。
「あれが、解決策だなんてぇ……」
ミヌキアが力なく呟く。声には、まだ拭いきれない吐き気が滲んでいた。
「食物連鎖を人間だけ切り離せば、人間の飢餓は消える。理屈だけで言えば、な」
プラエトルは杖を握る手に力を込めながら答えた。だが、その声にも疲労が色濃く滲んでいる。
──やはり魔獣の正体は元人間だったか。コルテス、これを知ったが故に狂ったのか……?
……。
「ということは、エラクさんは獣化魔法による人間の魔獣化を阻止することが目的なのですか……?」
血の暴走を思い出す。彼は心底その一族の血の宿命を憎んでいた。
あれは魔獣化した祖先と同じ轍を踏まないための戒めだったのだ。
「ふん。小賢しい探偵気取りめ。……だが我々の秘密などお前たちの歴史の中で禁忌とされているのではないか?」
今度は66号と83号が驚く番だった。
「どういう意味です?」
エラクは大声で嗤った。
「──そうか。奴らは完全な隠蔽に成功したらしい! これではあの魔女の努力も無駄だったな!」
心の底から愉しげに彼は語る。
「ならば教えてやろう! お前たちの祖先、大ティダス帝国と我々の民族で何が起きたのかを──」
……。
プラエトルとミヌキアの二人は逃げるように次のゲートへと向かった。
しかし疫病エリアに足を踏み入れた瞬間、二人は思わず顔を見合わせた。
──清潔だった。
これまでの区画とはまるで空気が違う。白い壁、磨き抜かれた床、整然と並ぶ硝子容器と精密な魔導機器。まるで病院か、あるいは大規模な製薬工場に迷い込んだかのようだった。案内板の書体すら他の区画より簡素で、余計な装飾が一切ない。
「ここは……ずいぶん、大人しいですねぇ」
ミヌキアが拍子抜けしたように呟く。プラエトルも警戒を緩めかけたが、すぐに眉をひそめた。
「いや……大人しすぎる。何かを隠すための清潔さ、かもしれん」
誘導路は緩やかに奥へと続いていた。壁には大きな絵画が立て掛けられている。
そこに描かれていたのは大ティダス帝国の勃興と衰退の歴史だ。
……。
エラクは語る。かつて軍事と技術によって繁栄した大ティダス帝国は内憂と外憂双方を抱えていた。
一つはエラクの先祖たる民族との戦争、もう一つは拡大しすぎた領地による権力の腐敗。
そしてそこに天災からくる不作が大飢餓を引き起こした。
街には死体が放置され、やがて疫病が流行り始める。
これに対し両者はそれぞれ別の解決策を図った。
大ティダス帝国は農作魔法による不作の解消を、エラクの祖先は肉体改造魔法による病気の克服を。
しかし両方すぐに結果が出るわけではない。対策を講じる間にも数百万人の死者が出たと言われる。
当然、市民からは不満の声が上がる。帝国は反乱を恐れ、ある噂を流す。
エラクたちの民族は病気の免疫を得るために死体を喰い漁る、と。
サルボ教と共謀し、彼らを悪魔の民族として北方へ追放したのだ。
……。
絵画の隣に並ぶ硝子容器の中には、様々な病原とおぼしき小さな魔獣──あるいは魔獣未満の何か──が個別に安置され、それぞれにラベルが貼られている。まるで博物館の標本棚のようだった。
「熱病、伝染性の腫れ物、視力を奪う病、内臓を蝕む病……。丁寧に分類されているな」
プラエトルが硝子越しに目を細める。だがそれ以上に、彼の意識を引いたのは通路の先だった。
奥まった一室、天井が高く、他とは明らかに造りが違う空間があった。
柔らかな金色の光が、まるで大聖堂のステンドグラスを通したかのように降り注いでいる。低く流れる荘厳な旋律。同時に音声ガイドが語りかける。
「永遠の命を手にしても、病気になっては意味がありません。そこで我々は、あらゆる病を克服するため、全ての病災を引き受ける役割を創り出しました」
その中央の祭壇上、透明な繭状の装置に安置されていたのは──
「──っ」
ミヌキアが息を呑み、思わず口元を手で覆った。
繭の中で蠢いていたのは、およそ生物の原型を留めていない肉塊だった。無数の腫瘍のような突起が絶え間なく膨らんでは萎み、表皮は幾重にも爛れ、その隙間からどろりとした体液が滲み出ている。それでいて、確かに脈打っていた。生きている。
金色の光と静かな旋律に包まれ、あたかも聖遺物のように祀られたその姿は、しかし直視するにはあまりに凄惨だった。
「これは……」
プラエトルの声が、掠れる。
音声ガイドには続きがあった。
「この尊き個体は、世に存在するあらゆる疫病を一身に受け入れ、なお生き永らえています。その血肉より抽出される叡智こそが、皆様の未来を疫病から守る楯となるのです」
「万病を、一つの個体に集約する……。そうして生かし続け、そこからワクチンを引き出す、というわけか」
プラエトルは思案するように、片手で口元を覆った。
「だが永遠の命などない。詐欺だ。恐らくこの個体もクローンを作り入れ替え続けているに過ぎないだろう。であれば──やはり、隠れるとすればこのあたりであろうな」
その言葉に呼応するように、カツカツという足音が近付いてくる。
「久しいな。51号」
「──21号」
背が曲がり、白衣を着た禿頭の老人。──21号ことコルテスがそこにいた。




