第十五話 Welcome to Shambhala.
昇降機の扉が、静かに左右へ滑り開いた。
中に踏み込んだ瞬間、プラエトルは思わず息を止めた。
タウミエル魔獣研究所の第一実験棟も洗練された機能美を感じたが、ここは根本が違う。まして薄暗く継ぎ接ぎだらけだった第二実験棟とは、まるで別の場所だった。
磨き抜かれた白い床が、淡い光を反射している。壁には継ぎ目一つ見当たらず、まるで一枚岩から削り出したかのような滑らかさだった。天井には見慣れぬ光源が等間隔に埋め込まれ、影らしい影を作らない、均質で人工的な明るさが空間全体を満たしている。
魔導灯特有の揺らめきも、油や薬品の匂いも、ここにはなかった。
「……なんだ、ここは」
思わず漏れた呟きは、やけに大きく反響した。
エントランスと思しき広い空間に、人の姿は一つもない。だが荒らされた気配もなければ、争った痕跡もない。ただ、初めから誰もいなかったかのような、あるいは──最初から人間のために作られていないかのような、そんな居心地の悪さがあった。
「……ひ、広いですねぇ」
ミヌキアが震える声で呟き、プラエトルの上着をより強く握りしめる。
と、そのとき。
空間の中央に、ふわりと淡い光の粒子が集まり始めた。
魔力の気配。だが、これまで見てきたどの魔法とも質が違う。体系魔法特有の硬質な輝きでもなければ、呪術のように不安定で密やかな揺らぎでもない。もっと洗練された、計算し尽くされたような光の集束だった。
粒子はやがて人の輪郭を象り、そこに一人の男の姿が浮かび上がる。
白衣。整えられた髪。穏やかな微笑み。
プラエトルのよく知る顔だった。
「──コルテス」
誰何するまでもなかった。声も、姿も、間違いようがない。ただ現在はもっと歳をとっているはずだ。
だが目の前にいるはずのその男は、こちらの呼びかけに応えることなく、ただ用意された台詞をなぞるように、両手を広げてみせた。
「ようこそ、シャンバラへ」
そしてエントランスの床が動いた。魔力による駆動でエントランスの部屋ごと、さらに地下へ移動しているようだ。
「我々は皆様を未来へとお連れします。それは定命の定めではなく、また絶望の終末でもない。
全く新しい『種』としての未来です。
そこでは平和で幸福に満ちた生活が約束されています。
もちろん各個人の好みに合わせて、いくつかのモデルケースをご用意しました。
これからご覧いただくのは、絶望的終末論に対する処方箋。皆様の永遠の繁栄をお約束する展示会でございます」
今まで白一辺倒だった壁が抜けて景色が開ける。
巨大という言葉では到底足りない地下空間。
都市一つ入りそうなそこには、人工的に植えられたであろう木々が、模倣された自然環境を作り出していた。
地下内は不自然に明るい。壁や天井自体が発光しており、真昼の太陽光を再現していた。
よく見れば、森や平原も中に遊歩道と思われる道筋や見物施設と思われる建物が点在している。
やがてエントランス床は地下の拠点施設へと辿り着いた。
「ゲートにチケットをお見せください。音声ガイドが皆様を安全にご案内いたします。誘導路からは外れないでください。万が一の場合、係員が迎えるまで、その場を動かず待機してください。それでは、地下の楽園。シャンバラを心ゆくまでお楽しみください」
ホログラフィックが消える。
二人は無言で顔を見合わせた。どうやら虎穴に入るしかなさそうだ。
プラエトルは杖を握り締める。魔力は戻って来たようだ。ゲート脇の装置にチケットを通す。
一瞬の間を置いて、扉のロックが解除された。
大きな広場に出た。周囲にはベンチと土産屋らしき建物が見える。店は無人のようだ。
正面に案内板があったので地図を確認する。
シャンバラは大きく四つの区画に分けられており、それぞれが『権力』、『飢餓』、『疫病』、『戦争』による終末回避シミュレーションを展示しているらしい。
だが気になったのは職員以外立ち入り禁止のエリアだ。
地上のタウミエルからシャンバラへ研究員たちが降りたのならここまで出会わないのは不自然だ。
おそらくこの地下のどこかに潜んでいる。
そしてこのスタッフ専用施設が怪しいとプラエトルは睨んだ。
地図によると権力エリアを抜け、飢餓エリアから疫病エリアに隣接する一般立ち入り禁止地区がある。
まずはそこを目指そう。とミヌキアに伝えた。
「つまりはぁ、まず『権力』エリアですねぇ」
どんなアトラクションなんでしょう。と彼女は期待半分、不安半分といった面持ちで言った。
広場の東から権力エリアに繋がるゲートがあり、二人は逸る気持ちを抑え歩く。
「終末回避シミュレーション? コルテスめ、なんのつもりだ?」
そう言いながらプラエトルはゲートにチケットを通した。




