第十四話 探究心という魔物
──新人のミヌキアです。あ、それとクローン150号ですぅ。
と、彼女は自己紹介した。
ここに配属されるということは、少なくとも成人しているはずだが、小柄な身体にダボダボの白衣を腕まくりしても、裾が地面を擦れている様相は、とても子供じみていた。
「クローン150号──書類では確認している。タウミエルへの配属は最近ではなかったかな?」
自然と口調も穏やかになってしまうが、プラエトルにはしっかり確認しなければならないことがあった。
「はいぃ。今日が初出勤なんですよぉ」
間延びした喋り方だったが、事情を聞くとこうだ。
出勤後一通り歓迎され、今日は少しだけ実務について説明するからと、白衣を支給されたミヌキアは、更衣室で着替えようとして、支給の白衣のサイズが全く合っていないことに気が付いた。
どうしようかとそのまま更衣室でおろおろしていたところに、館内放送で全ての職員はシャンバラに向かうこと、と指示されたそうだ。
「慌てて更衣室を出てぇ、そうしたらぁ! 誰もいなくてぇ。なんか変な様子の人がうろついててぇ……。もう怖くて動けなくてぇ」
思わず眉間を押さえてしまうプラエトルだった。
「……シャンバラというのは、何か知っているかな?」
ミヌキアは、配属が決まったときの資料がぁ。と言いながらロッカーを漁る。
「これですぅ」
渡されたのはぺら紙一枚の案内だった。
──魔獣研究の最先端! 夢と希望を確かな技術で展示する地下複合施設! ようこそ、シャンバラへ。あなたの望み、叶えます──
そこに魔獣と人が手を取り合うイラストが添えてあったが、情報としてはそれだけだった。
「なんだこれは……」
「知りませんよぉ……」
プラエトルは呆れる。だが全く情報がないわけではない。
少なくともシャンバラなる施設は存在し、それもどうやら地下に大規模に作ったらしい。
そしてそれは館内放送を聞く限りタウミエルから直接行ける。ということは──
「……ここの地下、か」
そうだ、とプラエトルは机の上に置いたファイルをミヌキアに見せる。
「このアイデンティティ・コリジョンというものについては、何か知っているだろうか」
ああそれは、とミヌキアが口ごもる。
「なんかぁ、歓迎会でぇ、先輩が『ここの秘密を教えてあげるよ』とか言い寄ってきてぇ。目が血走っててキモかったんでぇ、断ったんですよぉ。そしたらこの鍵だけ渡してきてぇ」
多分ここのラボの資料棚の鍵ですよぉ。ということで、受け取った鍵をさっそく使う。
ざっと中のファイルを漁ったプラエトルが、ダンッ、と作業台を叩いた。
「ひぇっ」
ミヌキアが小さく悲鳴を上げるが、プラエトルの怒りは収まらなかった。
「すでに自我がハッキリしている人間に、記憶転写を行うだと? 被験体の自己崩壊。廃人化。スクリバが見つけた研究員記録の隠蔽はつまり……。あの115号は……そうか、クローンたちにまで施術を行ったのか──コルテス。いや21号。よもやここまでとは……」
シャンバラに行かねば。と言うプラエトルにミヌキアが追い縋る。
「一人にしないでくださぁい」
上着の端を掴まれ、プラエトルは嘆息する。
とにかく、応接室の前に見た研究室(案内板によると第一実験棟)に戻ろうと説得する。
安全を確保するにもシャンバラに行くにも、そうするしかなさそうだった。
ちょっと遠回りだけど渡り廊下がある、とミヌキアは教えてくれた。
渡り廊下は、思っていたよりも長かった。
背後の第二実験棟からは、時折くぐもった呻き声や、何かを引きずるような足音が漏れ聞こえてくる。徘徊する者たちを刺激しないよう、プラエトルは足音を殺し、ミヌキアの手を引いて壁際を這うように進んだ。
「……し、静かに、ですよねぇ」
声にならない声で、ミヌキアが囁く。プラエトルは指を立てて口元に添え、それだけで応えた。
硝子張りの通路は、外の光を取り込むよう設計されていたはずだった。しかし今、その硝子の向こうに見えるのは、荒れ果てた中庭だった。
踏み荒らされた花壇。倒れたベンチ。そして、何かを引きずったような跡が、土の上に幾筋も刻まれている。
その只中を、緩慢な足取りで彷徨う影がいくつか見えた。誰かを探しているのか、あるいは何も探していないのか、判然としない動きで、ただぐるぐると同じ場所を巡っている。
プラエトルとミヌキアは息を潜めたまま、その視界に入らぬよう慎重に歩を進めた。
長い長い渡り廊下を抜け、ようやく第一実験棟へと足を踏み入れる。
誰もいなかった。
先ほど窓ガラス越しに見えていた、忙しなく行き交う白衣の職員たちの姿は、跡形もなく消えている。作業台には書きかけの記録帳が放り出され、椅子は跳ね除けられたまま倒れている。魔導計器の明滅だけが、無人の室内に規則正しく光を落としていた。
無音が、施設全体を支配していた。
その静けさは、先ほどまでの緊張とはまた種類の違う不気味さを孕んでいた。慌てて逃げたのか、それとも──連れて行かれたのか。
プラエトルは杖を握る手に、じわりと汗が滲むのを感じた。
地下への入り口を探す。とりあえずプラエトルはミヌキアに、143号の個人デスクの場所を聞いた。
彼女はそれならば知っていますとはしゃぎ、老体を引っ張った。
無人の研究室に入り、当該のデスクを見つけると、その上には紙片が2枚置いてあった。
片方はメモの切れ端で、昇降機1312と書いてある。
もう片方は──
「シャンバラチケット?」
ミヌキアが首を傾げる。
「アミューズメントパークのチケットみたぁい。でもぉ」
「罠だな……。どう見ても」
「行くんですかぁ?」
涙目の彼女の頭を撫でる。
「君はこのまま外へ避難したまえ。儂は確かめねばならぬことがある」
「いえ、いいえぇ。わたしも手伝いますよぉ」
そうか、とプラエトルはわずかに微笑んだ。
メモに書いてある昇降機へと向かう。
中に入り、階層のボタンをメモの順番で押していく。
すると、本来表示にないはずの下、つまり地下へと昇降機は降りていった。
「さて、鬼がでるか蛇がでるか……」
二人は深い暗闇に沈んでいった。




