第十二話 予算と沈黙
ユイを牢に押し込めた鉄扉が閉まる音は、思いのほか軽かった。
プラエトルは踵を返し、地上へと続く階段を上る。老いた身体に鞭打つように急いた足取りだったが、それを表に出すほど彼は未熟ではなかった。
執務室に戻ると、机の上には書類の山が待っていた。ルーペス砦からの戦況報告、各拠点の会計書、そして戦時下における予算の再配分案。灯りは魔導ランプの控えめな光のみで、窓の外はすでに暮れかけている。
「──議員閣下。お戻りですか」
声をかけたのは、記録係の青年だった。ユイの尋問に同席していた男でもある。彼はクローン83号、そして表の名はスクリバ。羽根ペンを片手に、彼は積み上げられた書類の一角を手早く整えていた。
「83号か。……戦況報告に目を通す。至急のものから並べろ」
そもそも、今回ルーペス砦を失うに至った戦争は、本来ただの小競り合いになるはずだった。ノヴァ・ティダス共和国とテラソリス王国の宗教対立に根ざす、国境付近の漁業権の争い。
それは周辺諸侯の有力者とも調整し、小さな諍いで済ます計画が、悪魔の民族の横槍で台無しだ。
「はい。こちらが被害報告です。やはりエラクが率いる部隊を中心に、両国で手こずっています。しかし、他の戦力も無視するには危険かと」
「エラクに関しては45号が当たる。あれならば戦力として充分だろう。リーダーさえ抑えれば、他は正規の治安維持部隊でどうとでもなる」
スクリバは意外そうな表情をする。
「45号──黄泉路歩きがですか? 彼がエラクに興味を持ったと……。確かに、それならば……」
「まぁあれは儂の命で動く者ではないが、自ら望むなら利用するまで」
プラエトルはその地位と権力を利用して、クローンたちの研究予算の確保および分配を担当していた。そのためゆるい派閥の繋がりしかないクローンたちも、プラエトルだけには頭が上がらなかった。
その例外が45号だった。
「──さて、あとはテクストールの後始末と66号の取り扱いか。特にセディウスは隠蔽に巻き込んでしまった。錦を飾る勇退にせねば。ユイ君は反省を示せば解放してよかろう。……ああ、そうだ。先に魔獣ドローンの予算増額を議会に申請しなくては。
あれの有用性は直に味わった。今後の産業すべてに影響するだろう。その旨味を逃すわけにはいかん」
ひとりごちるプラエトルにスクリバは恐縮しながら具申する。
「慧眼でございます。これで我々の研究予算も安泰でしょう。ただ、閣下──魔獣ドローン関連については先にご確認いただきたいものが」
スクリバは一枚の紙片を差し出した。数字が几帳面に並んだ、無機質な会計報告だった。
「タウミエル魔獣研究所の、直近の予算執行状況です。……これを」
プラエトルは眉を寄せ、老眼鏡越しに紙面へ視線を落とす。
「……なんだ、これは」
黒い泥の調達費が、想定の数倍に膨れ上がっている。しかも記載されている用途は「研究用触媒」とあるだけで、詳細の内訳がない。
「予算だけではありません。人員配置の記録も、妙です。半年前から一部の区画が『改修中』として立ち入り記録が途絶えています。担当していた研究員も、いつの間にか名簿から消えていました」
スクリバの声は淡々としていたが、その手にはかすかな緊張が滲んでいた。
プラエトルは書類をめくる手を止めた。
「21号の管轄だな」
「はい」
しばらくの沈黙。魔導ランプの明滅する音だけが、部屋を満たしていた。
21号――コルテスが何かに没頭していることは、プラエトルも薄々察してはいた。研究への熱の入れようが、以前とは質を変えていたことも。だが、それを咎めるほどの確証はどこにもなかった。
いや、今、目の前にあるこの数字がその確証だとしたら。
「……儂としたことが」
乾いた呟きが、口の端から漏れた。戦争の後始末に気を取られ、足元の綻びを見落としていたということか。
プラエトルは書類を机に叩きつけるように置くと、椅子から立ち上がった。
「馬車を用意しろ。タウミエルへ向かう」
「今からですか? 閣下、お身体に障ります」
「儂の身体より、あの工房の中身の方がよほど懸念だ。──行くぞ」
スクリバは一瞬だけ何かを言いかけたが、結局は黙って一礼した。




