第十一話 禍津鬼
瓦礫の山は、しんと静まり返っていた。
崩れた家屋の残骸が積み重なり、そこからうっすらと土煙が立ち昇っている。周囲の獣兵はすでに算を乱して逃げ散り、テラソリス兵たちの勝ち鬨だけが、まだ余韻のように通りに響いていた。
「小隊長、大砲の再装填は……」
「いい、必要ない。片付いた」
ラティウスは崩れた壁の残骸を一瞥し、砕けたレイピアの柄を軽く放り捨てた。肩で息をしながらも、口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。あとは負傷者の確認と、部隊の再編成だけだ。
そのときだった。
瓦礫の中心が、微かに震えた。
最初は誰も気に留めなかった。砲撃の余波か、崩れかけた建材が沈み込んだだけだと思われた。
しかし震えは止まらない。むしろ、脈打つように大きくなっていく。
ミシリ、と何かが軋む音がした。
積み重なった木材と煉瓦が、内側から押し上げられる。一本、また一本と柱が弾き飛ばされ、乾いた砂埃が噴き上がった。
「──なん、だ……?」
兵の誰かが呟く。誰もその先を言葉にできなかった。
瓦礫の奥から突き出したのは、黒い毛皮に覆われた腕だった。太い血管が幾筋も浮き上がり、皮膚の下でどくどくと脈打っている。それはもはや戦闘で見た筋肉の隆起などという生易しい表現では足りない、異様な膨張だった。
「ば、馬鹿な……直撃したはずじゃ……」
瓦礫を割って上体を起こしたエラクの姿に、周囲が息を呑んだ。
全身から立ち昇るのは、湯気にも似た黒い靄。焦点の合わない両の瞳には、獣とも人ともつかぬ赤い光が滲んでいる。
喉の奥から絞り出されるような、獣の唸り。それが徐々に膨れ上がり、やがて一つの咆哮となって街路を震わせる。
「グ、ル、ル……ォオオオオオオオッ!!」
その声を聞いた瞬間、ラティウスの背筋に冷たいものが走った。
勝った、はずだった。だが目の前で立ち上がりつつあるものは、先ほどまで斧槍を振るっていたエラクとは、明らかに何かが違う。
「……撤退だ! 全員! 街へ避難! 直ちに下がれ!」
ラティウスの怒声が飛ぶと同時に、瓦礫が四方に弾け飛んだ。
「……!! 撤退了解します! 小隊長もお早く!」
「俺は殿だ! 街に入ったら残っている住民に避難誘導! 中央の工場に防衛線を構築! 急げ!」
兵士たちは敬礼すると一目散に駆けていく。
その様子を見たエラクが背後から狙いを定めている。
そこへ通常弾と魔法弾が連続して襲う。ラティウスの攻撃は分厚い毛皮に弾かれ全く効いていない。
だが注意を逸らすことはできた。
彼は素早くマスケット銃の魔法弾を徹甲からドラゴンブレス(焼夷)に変更する。
狙いをラティウスに変えた黒獣が猛烈な勢いで近付いてくる。
装填した銃を腰溜めのままぶっ放す。激しい火花が炸裂した。
音と閃光によって一瞬だけ怯んだ隙にエラクの突進を回避する。もともと殺傷力に期待する弾ではない。派手なだけの花火だが、故に気を引くには十分だった。
それから同じ様な攻防を繰り返すこと三回。
さすがに光になれたのか次の一撃は本気で来るだろう、とラティウスは汗を滲ませ予測する。
だがもう小細工は通用しない。
万事休すと思われた、そのときだった。
「──その姿こそ、我が望みし強者。鉄砲足軽よ、死合う気がなければそこで見ているがいい」
黄泉路歩きがエラクとラティウスの間に入った。
「我が武の真の力を見よ!」
ぬぅうううん! と鬼人が気合を入れると、その全身から禍々しいオーラが噴き出す。
巨獣の雄叫びが共鳴する。
そして二人は二度目の戦いに挑む。
だがその攻撃は前回のルーペス砦でのそれとはまるで別物だ。ただただ純粋な力のぶつけ合い。
そこには技量も関係なく獲物を討ち滅ぼす意思しかなかった。
ガキンと幾重もの刃が交わされる音は、その実態とは裏腹に音楽を奏でているようでもあった。
「なんて戦いだよ」
ラティウスが呟く。先程から隙あれば狙撃での割り込みを狙っているのだが、そんな余地はどこにもない。
しかし均衡は破られる。
黄泉路歩きの渾身の斬り上げがエラクの斧槍を叩き折ったのだ。
得物を失った黒獣にトドメを指すべく追撃しようとした鬼人だったが、エラクの暴走はそれで竦めることなくあえて前に踏み込み、爪で黄泉路歩きの刀を弾き飛ばした。
互いに無手となるが戦いはむしろ激しさを増した。
殴り、蹴り、掴み、投げ、絞める。原始的な暴力の応酬。
その嵐の中で二人は嗤っていた。
これこそが戦い。これこそが戦場。
スマートな兵器で経済コストを気にして、後援者の支持を伺うような戦争とは違う。
相手の攻め手にどうか応えるか、相手の弱みをどう突くか、そこには言語などない。そんなものが生まれる前から、生命はこうして互いを知った。
原初の獣二頭が両の手をがっちりと組み合い、額同士をぶち合わせる。
へし折らんばかりに力比べをする両者だったが、しかしエラクの目には少しずつ理性の光が戻ってきているように見えた。
黄泉路歩きは舌を打った。
「愚か者め! 死合の最中に私情を挟むか!」
「ぐ、ぬ──」
エラクが呻く。彼はずっと己と戦っていた。
「オレ、は……。血、チ──の運命など、ニ……支配されん……!」
「──ならば、黄泉路へ、逝けぃ!」
黄泉路歩きは握り締めた手を引いて巨獣を地面に叩きつける。足で踏みつけ拘束すると、そのまま無防備な顔面に全力の拳を振り落とした。
ドズン、と凄まじい音が轟く。
巨獣の姿は縮んで褐色の子供に戻り、エラクは意識を失った。
「死んだ……のか?」
ラティウスが黄泉路歩きに問う。
黄泉路歩き──45号はそれを鼻で嗤った。
「一時の冥府に送ったまで。此奴にまだ戦う意思があれば起きよう」
そう言って今度はラティウスと向き合う。
「な、なんだ? やるってのか?」
「……143号が21号の手に落ちた」
「──なんだって?」
今度こそラティウスは限界まで目を見開いた。




