第九話 フェリクス村のポエナ
フェリクス村へは、思っていたよりも長い道のりだった。
乗合馬車を乗り継ぎ、最後は徒歩で丘をいくつも越える。荷物の中で、擦り切れた文献の写しが硬い音を立てた。アスト・ラナ教の古い記録に幾度も名の挙がる、転生した可能性のある者たちの足跡。その最大の手がかりが、この辺境の村にあるはずだった。
湿った風が頬を撫でる。色褪せた祭りの旗が、村の入り口でぱたぱたと力なく揺れていた。
思ったより、静かな村だ。
畑仕事に精を出す人々、井戸端で笑う女たち。川辺りで釣りを楽しむ青年。戦争の気配など、ここにはまだ届いていないようだった。ユイはその平穏さに、少しだけ安堵する。
文献を頼りに訪ねた村の古老は、しかし求めていた言葉を返さなかった。
「転生者、ねぇ……。学者様の話はわしにはわからんが」
老人は日に焼けた顔をしわくちゃにして笑うと、代わりに、と声を潜めた。
「森の奥に、泉がある。そこで魔女に会ったっちゅう村人がたまーにおってのう。それも、ずーっと昔から噂されとる。わしは見たことないんじゃが」
魔女。
その響きに、ユイの中で何かが小さく跳ねた。
「その方は……転生について、何かご存知でしょうか」
「さぁてなぁ。大抵の村人は怖がって近付こうともせん。なんじゃ一部はなんでも知ってる魔女なんて呼んでるが、けしからん」
あやふやな返答だったが、ここまで来て手ぶらで帰るわけにはいかない。
ユイは礼を言うと、老人の指す方角──村のはずれ、精霊の森と呼ばれる木立へと足を向けた。
道中、すでに枯れていたがかなりの大きさの木が聳え立っていた。よく見れば周囲には大昔なにかを奉っていた形跡が見られる。
もう少し大木を調べようと近付くと、突然声をかけられた。
「ねえちゃん。ポエナに会いに行くの?」
道から少しだけ外れた草むらから、少年が不安気にユイを見つめていた。
「ポエナというのは、森の魔女のことですか?」
少年は頷く。不安さが増したのかもう泣きそうな気配すらあった。
「でも誰も信じてくれないんだ。ポエナはなんでも知ってるのに、みーちゃんだって会ったのに。覚えてないんだ」
どういうことだろう。と、ユイはできるだけ優しく少年から事情を聞いた。
どうやら魔女ポエナに会えるのはごく一部の村人だけであり、それ以外の人間が魔女と会話しても、それを覚えて居られないらしい。
一抹の不安に駆られながらも、ユイは少年に案内をお願いする。少年は気をよくしたのか嬉しそうにユイを引っ張った。
かくして二人は精霊の森の奥にある泉に辿り着く。
樹々の静寂を映す水鏡は瑞々しい。風に運ばれ透き通る水面に浮かぶ落ち葉も、自然の彩りを称えていた。
一見放置されたように見えて、実に細かい管理が行き届いている。
誰かが近くに住んでいるのは確かなようだ。
しかしながら二人以外の姿は見当たらない。
仕方ないのでしばらく泉のほとりで休んでいると、人の気配が近付いてくるのがわかった。
草木を掻き分けて現れたのは、真っ黒な霧の塊だった。
ユイは驚いて声を上げる。すると黒い霧は突然霧散して中から人が出てきた。
艶やかな銀髪を後ろで束ね、真っ白いドレスを身に纏った美しい女性だった。
目を引くのはドレスから覗く女性の白い肌、ではなくそこに刻まれた黒い模様が入れ墨のようなものだ。しかもそれは不気味に蠢いている。
「おや、客人とは珍しい」
唖然としたままのユイに、女性はポエナと名乗った。
慌ててユイも自己紹介する。
「それにしても失礼ですが、もっとお年を召されているかと……」
モゴモゴと歯切れの悪い答えをしたユイだったが、となりの少年は驚愕した。
「ねえちゃんポエナのこと見えるの!?」
どういうことか尋ねると、ポエナの姿は一般に全く視えないか、もしくは少年がそうであるように真っ黒い霧の塊としか認識できないらしい。
ポエナは興味深くユイを観察していた。
「ユタ。あんた家の手伝いがあるんじゃないのかい?」
少年がポエナに指摘されると慌てた。すっかり忘れていたらしい。
ユイはここまで案内してくれたお礼を少年に伝えると、ユタ少年は照れた様子で急いで村へ帰っていった。
「ユイさん、でしたか。私のことはどこまでご存じでしょうか」
ユイは正直に答えた。
「ポエナさんのことは村人から少し噂を聞いたくらいです。私はアスト・ラナ教の転生者について在野で研究しているものです」
ますますポエナの視線が鋭くなる。
若干の居心地の悪さを覚えた。
アスト・ラナ教はテラソリス王国で普及している宗教で、もともと大ティダス帝国で信仰されていたサルボ教から分派した宗派だ。その教義の中心は転生であり、教えに従って良く生きれば転生者になれるというものだった。逆にサルボ教では転生の存在を否定しているため、宗教的争いが現在のテラソリス王国とノヴァ・ティダス共和国に分裂した原因と言われている。
閑話休題。
「あの、どうして他の人はポエナさんのことを認識できないんでしょうか」
ポエナは考え込む様子を見せるが、ポツポツと語り出す。
「……むしろ普通は私のことは視えないんだけどねぇ。さっきの子供は私の子孫よ。多少の縁があれば気配程度には私を感じられる。──ふーん? なるほど、転生者について調べてるんだっけ? つまり、あなたも転生者なわけね」
ユイの心臓が跳ねた。
「あなた『も』ということは、あなたは転生者なのですか!?」
ポエナは一瞬キョトンとした表情を見せたが、すぐに豪快に笑い飛ばした。
「あっはっはっ! 違う違う。私『は』転生者じゃないよ。ただの邪推さ。違ったならごめんなさいね?」
今度はユイがしゅんと萎れる。
「私自身は、転生者と言っていいかわからないんです。でも転生した人は知っています。それで、どうしたら転生が起きるのか、仕組みを知りたくなったんです」
複雑なんだねぇ。と、ポエナは嘆息する。
「どうやら、私はあんまり役に立たなそう。でも、一つアドバイスしてあげる。──この世界の仕組みについて知りたいなら、悪魔を頼りなさい。彼らは、そうね」
そこで彼女は一旦言葉を選んで間を置いた。
「──言うなれば、神への反逆者。だけど善悪で計ると見誤るから、慎重に見極めること」
そのとき、下流から村人が血相を変えて走ってきた。
「村が襲われた!」
ユイとポエナが顔を見合わせる。
「ストルオ5世。その話は本当かい? 一体誰に」
ポエナが尋ねると、ストルオ5世と呼ばれた青年は息を整え答える。
「悪魔の民族だ! あいつらとうとうここまで川を上って来やがった!」
「!!」
「──へぇ? このタイミングであいつらが? ユイさん、あなたやっぱりそうなのね?」
ポエナの冷たい言葉にユイは困惑する。
「それは一体どういう──」
「今はわからなくていい。いずれ嫌でも知るから。ほら、急ぎなさい。──私は、これ以上関われない」
ポエナが森の奥へ踵を返すと、青年が叫ぶ。
「ポエナ! あんたは逃げないのか!?」
「どうせあいつらの誰も私のことなんか視えやしないんだ。それよりストルオの方こそ気を付けなさい。なんならユイさんを手伝ってやって」
また無茶を言う! と、ストルオ5世は嘆きながらも、すぐにユイに向きなおった。
「すみません。私は彼らと話をしなければ。あなたは逃げてください」
ユイの言葉を、彼は否定した。
「こうなれば手伝うよ! まずは早く村に戻ろう!」
ユイは頷いた。




