源ちゃん改造計画
その夜、源一郎たちは再び都の夜へ出ていた。
鏡の術式について分かったことは少ない。術を施した者が相当な使い手であること。そして、奪った美しさがどこか別の場所へ送られていたらしいこと。それ以上を追うには、今のところ手掛かりが足りなかった。
ならば考え続けても仕方がない。
少なくとも源一郎は、そう判断した。
「仕事が終わったなら遊ぶ」
それが2度目の人生で決めた、新しい方針だった。
晴明に連れられて入った店は、以前よりも少し賑やかな場所だった。酒を飲む者だけでなく、楽器を鳴らす者や、談笑する女たちの姿もある。
源一郎は出された酒を口へ運びながら、周囲を興味深そうに眺めていた。
「相変わらず見回してるわね、源ちゃん」
隣に座った紫苑が、楽しそうに笑う。
「珍しいものばかりだからな」
源一郎が答えると、紫苑が一瞬だけ目を丸くした。
「今の、いいじゃない」
「何がだ?」
「それよ」
「それ?」
紫苑は源一郎の顔をじっと見た。
見た目だけなら20代半ばほどの男だ。
短く整えた黒髪に、精悍な顔立ち。身長は180cmほどあり、この時代ではかなり大柄な部類に入る。紫苑が仕立てた和装の下には、余分な肉のほとんどない鍛え上げられた身体が収まっている。
腰には妖刀。
黙って座っていれば、かなり目立つ。
実際、店へ入ってから何人かの女が源一郎へ視線を向けていた。
紫苑はそんな女たちを一度確認してから、源一郎へ向き直った。
「源ちゃんって、見た目は結構いいのよ」
「随分急に褒めるな」
「背も高いし、身体もいいし、顔も悪くない。黙ってればかなり格好いい」
「最後が引っかかるな」
「問題は喋った時なの」
紫苑は真顔になった。
「喋った瞬間、92歳になるのよ」
源一郎が酒を飲む手を止める。
向かいに座っていた晴明が、わずかに顔を逸らした。
源一郎はそれを見逃さなかった。
「晴明」
「なんです?」
「今、笑っただろ」
「笑っていません」
「口元が動いたぞ」
「気のせいです」
紫苑がくすくすと笑う。
「ほら。そういうところ」
「どういうところだ?」
「昨日までなら『どういうところじゃ?』って言ってたでしょ」
「……言ってたな」
「それ」
紫苑は源一郎の鼻先へ指を向けた。
「その喋り方、やめましょう」
源一郎が眉を寄せる。
「なぜじゃ……」
言いかけて止まった。
紫苑の目が細くなる。
「今」
「今のは癖だ」
「だから、その癖を直すの」
「92年これで喋ってきたんだぞ」
「少なくとも今の顔になってから92年じゃないでしょ?」
「それはそうだが」
「源ちゃんは今、どう見ても若い男なの。なのに『そうじゃのう』『なんじゃ?』『〜じゃろ』って言うから、女の人が混乱するのよ」
晴明が酒を飲みながら口を挟む。
「私は別に、そのままでもいいと思いますが」
源一郎が少し嬉しそうに晴明を見る。
「晴明は分かってるじゃないか」
「その方が、女性関係で面倒が増えなさそうなので」
「そういう意味か」
紫苑が笑い出した。
「駄目よ。せっかく若返ったんだから」
源一郎は酒の器を置く。
「別に女にモテるために若返ったわけじゃないぞ」
「あら?」
紫苑が源一郎の方へ身体を寄せる。
胸元が腕に触れた。
「じゃあ、モテたくないの?」
源一郎は紫苑を見る。
近い。
相変わらず、かなり近い。
紫苑は明らかに答えを楽しみにしている。
源一郎は少し考えてから、正直に答えた。
「……モテるなら、その方がいいな」
紫苑が満足そうに笑った。
「でしょ?」
「源一郎」
晴明が呆れたように言う。
「随分素直になりましたね」
「2度目の人生だからな。嫌でもないことを嫌と言うのはやめた」
「その考え方だけは、見習ってもいいかもしれません」
紫苑は源一郎の肩へ軽く手を置いた。
「じゃあ決まりね」
「何がだ?」
「今夜から私が源ちゃんをモテる男にする」
「随分大きく出たな」
「まずは喋り方から」
紫苑が源一郎の正面へ座り直した。
「『なんじゃ?』」
「なんだ?」
「『そうじゃな』」
「そうだな」
「『分からんのう』」
「分からんな」
「『仕方ないじゃろ』」
「仕方ないだろ」
紫苑が何度か頷く。
「できるじゃない」
「できるが、落ち着かんな」
「あ」
「なんだ?」
「今ちょっと戻りかけた」
源一郎は眉間に皺を寄せる。
「面倒だな、これは」
「慣れれば平気よ。全部変えなくてもいいの」
「そうなのか?」
「源ちゃんらしさまで消したら面白くないもの。普段は今みたいに喋って、驚いた時とか気が抜けた時にちょっと出るくらいでいいわ」
「なるほどな」
「そうそう」
紫苑が嬉しそうに頷いた。
晴明が横からぼそりと言う。
「本当にやるんですね」
「当たり前でしょ」
「源一郎はそのままでも十分目立ちますよ」
「見た目だけならね」
源一郎が晴明を見る。
「お前さんはモテるんだろ?」
「人並みです」
紫苑が即座に笑った。
「源ちゃん、晴明の『人並み』は信用しちゃ駄目よ」
「前にも聞いたな、それ」
「この人をそのまま真似すると、女関係が泥沼になるから」
「言い方に悪意がありますね」
「事実でしょ?」
晴明は答えずに酒を飲んだ。
源一郎は少し考える。
「じゃあ晴明は遊びの師匠で、女については紫苑に聞けばいいのか」
「そういうこと」
「勝手に役割を決めないでください」
晴明の抗議は、2人とも聞かなかったことにした。
紫苑はさらに身体を源一郎へ近づける。
「次は目線」
「目線?」
「女の人と話す時、どこ見る?」
源一郎は一瞬だけ紫苑の顔を見る。
それから、わざとらしく目を逸らした。
「顔だろ」
「今、胸見たでしょ」
「見てない」
「見た」
「見える位置にあるんだから仕方ないだろ」
晴明が酒を噴きそうになった。
紫苑は一瞬きょとんとしたあと、声を上げて笑う。
「源ちゃん、本当に正直になったわね!」
「嘘をついても仕方ないからな」
「それはいいんだけど、ずっとそこ見てたら駄目よ」
「そんなことはしない」
「女と話す時は、ちゃんと目を見る」
紫苑が源一郎の顔を両手で軽く挟み、自分の方へ向けた。
「ほら」
近い。
少し動けば額が触れそうな距離だった。
紫苑の瞳が、楽しそうに源一郎を見つめている。
「逃げない」
「逃げてない」
「昨日なら視線を逸らしてた」
「昨日より慣れた」
「あら。誰に?」
「紫苑に」
今度は紫苑が一瞬黙った。
源一郎の口元がわずかに上がる。
「どうした?」
「……源ちゃん」
「なんだ?」
「今のは結構いい」
「そうか」
「そういうのよ」
紫苑は源一郎の顔から手を離したものの、距離はほとんど変えなかった。
「考えすぎないで、今みたいに普通に言えばいいの」
「何を?」
「思ったこと」
「なら簡単だな」
紫苑が眉を上げる。
「本当に?」
「ああ」
源一郎は紫苑を少し眺めた。
「紫苑は綺麗だと思うぞ」
紫苑の目がわずかに開いた。
晴明も源一郎を見る。
「……源ちゃん」
「なんだ?」
「それ誰に教わったの?」
「誰にも」
「じゃあなんで急にそんなこと言えるのよ」
「思ったことを言えと言ったのは紫苑だろ」
紫苑は数秒黙ったあと、楽しそうに笑った。
「いいじゃない」
源一郎も笑う。
「先生がいいからな」
「私は先生じゃなくて師匠にして」
「女の師匠か?」
「なんか嫌な呼び方ね」
晴明が口を挟む。
「恋愛指南役でいいでしょう」
「晴明」
紫苑が睨む。
「そういう言い方するから色気がなくなるのよ」
「術式の説明ではないので、正確さは必要ありません」
「ほら源ちゃん。こういう男になっちゃ駄目」
「参考になるな」
「なぜ私が悪い例なんですか」
晴明が本気で少し不満そうな顔をした。
源一郎はそれを見て笑う。
紫苑も笑った。
酒が進むにつれ、源一郎の口調は少しずつ変わっていった。
完全に別人になるわけではない。
長年の癖は簡単には消えず、油断すれば「そうじゃな」と口から出る。そのたびに紫苑が指を立て、源一郎が「ああ、そうだな」と言い直す。
そんなやり取りを何度か繰り返していると、紫苑がふと真面目な顔になった。
「あとね、源ちゃん」
「まだあるのか?」
「女の人に何か相談されても、すぐ解決しようとしないこと」
源一郎は眉を寄せた。
「なぜだ?」
「ほら。それよ」
「何がだ?」
「相談されたら、まず話を聞くの」
「話を聞けば、次はどうすればいいか考えるだろ」
「考えなくていい時もあるの」
源一郎には理解できなかった。
顔にそう書いてある。
紫苑がため息をつく。
「女の人って、答えが欲しいんじゃなくて、ただ聞いてほしい時もあるのよ」
「……何のために?」
「そういうものなの!」
源一郎は腕を組んだ。
「難しいな」
「剣より?」
「剣の方が分かりやすい」
晴明が静かに頷いた。
「そこは同意します」
紫苑が晴明を見る。
「晴明もできてないじゃない」
「私は相談されても、相手によっては聞き流します」
「もっと悪いわよ」
源一郎が思わず笑った。
「晴明から女を学ばない方がいい理由が分かってきたな」
「だから最初からそう言ってるでしょ?」
紫苑が胸を張る。
「源ちゃんは私がちゃんと教える」
「頼む」
「まず女の話は最後まで聞く」
「ああ」
「途中で説教しない」
「努力する」
「先生みたいに諭さない」
源一郎が少し黙る。
「それは難しそうだな」
「なんで?」
「長年の癖だ」
「だから直すの」
「92年分だぞ」
「今からまた90年生きればいいじゃない」
源一郎の動きが一瞬止まった。
紫苑は何気なく言っただけなのだろう。
だが、源一郎には妙に響いた。
今からまた90年。
この身体なら、それがあり得るのかもしれない。
もちろん何年生きるかなど誰にも分からない。
この時代なら、明日妖怪に殺される可能性だってある。
それでも。
生前なら残り時間を考える歳だった自分が、今はこれから先の時間を考えている。
源一郎は酒を一口飲んだ。
「それも悪くないな」
紫苑が首を傾げる。
「何が?」
「いや。なんでもない」
「あ。またお爺ちゃんみたいに誤魔化した」
「これは年齢関係ないだろ」
「そう?」
紫苑が笑いながら、また源一郎の腕へ絡みつく。
その柔らかな身体を、今度は源一郎も特に気にせず受け入れた。
「源ちゃん」
「なんだ?」
「今の喋り方、かなりいいわよ」
「そうか」
「うん。見た目と合ってきた」
源一郎は少し笑った。
「なら練習の成果が出たな」
「じゃあ実践してみる?」
「実践?」
紫苑が店の向こうへ視線を向けた。
源一郎もそちらを見る。
少し離れたところに、2人の若い女が座っていた。
先ほどから何度か源一郎の方を見ている。
そのうちの1人と目が合った。
女は慌てたように視線を逸らす。
源一郎が紫苑を見る。
「……あれか?」
「そう」
紫苑は楽しそうに笑っている。
「行ってきて」
「いきなりか?」
「何事も実践よ」
源一郎は女たちを見る。
それから晴明を見る。
晴明は涼しい顔で酒を飲んでいた。
「晴明」
「なんです?」
「こういう時どうする?」
「行けばいいでしょう」
「それだけか?」
「声をかけて、話す。以上です」
「雑だな」
紫苑が呆れたように笑う。
「だから晴明に聞いちゃ駄目だってば」
源一郎はしばらく考えた。
不思議な緊張がある。
鬼を投げた時には何も感じなかった。
妖怪へ斬りかかった時も怖くなかった。
だが、知らない女へ自分から話しかけろと言われると、妙に落ち着かない。
紫苑がそれに気づいた。
「源ちゃん」
「なんだ?」
「もしかして緊張してる?」
「……少しな」
紫苑が嬉しそうに笑った。
「可愛い」
「言うな」
「鬼は投げられるのに?」
「鬼は向こうから来るだろ」
「女の人も源ちゃんのこと見てるわよ」
「それとこれとは違う」
晴明が静かに器を置いた。
「源一郎」
「なんだ?」
「失敗しても死にません」
源一郎は晴明を見る。
それから、笑った。
「確かにな」
その言葉だけで少し気が楽になった。
失敗してもいい。
それは、生前の源一郎がなかなかできなかったことだった。
先生として。
師範として。
人の上に立つ者として。
失敗しないように、間違えないように、長い間そうやって生きてきた。
だが今は違う。
源一郎は立ち上がった。
「行ってくる」
紫苑が楽しそうに手を振る。
「頑張って、源ちゃん」
「応援されると余計に恥ずかしいな」
「もう喋り方は大丈夫そうね」
源一郎は苦笑しながら、女たちのいる方へ歩いていった。
紫苑はその背中を見送りながら、晴明の酒を勝手に一口飲む。
「どうなると思う?」
「普通に話せるでしょう」
「つまんない答え」
「源一郎は人と話すこと自体には慣れていますから」
「先生としてはね」
紫苑は頬杖をついた。
「でも、男として女の人に声かけるのは慣れてない」
晴明は少しだけ源一郎の背中を見た。
「なら、ちょうどいいんじゃないですか」
「何が?」
「失敗する練習になります」
紫苑が晴明を見る。
そして、ふっと笑った。
「晴明もたまにはいいこと言うじゃない」
「たまには余計です」
少し離れた場所では、源一郎が女たちへ何やら話しかけていた。
最初こそぎこちなかったものの、しばらくすると女たちが笑い始める。
紫苑の眉が少し動いた。
「……あれ?」
「何です?」
「思ったより上手くいってない?」
晴明が酒を飲む。
「だから言ったでしょう」
「ちょっと待って。源ちゃん、あれ以上モテるようになったら困るかも」
「自分で教えたんでしょう」
紫苑は答えず、源一郎をじっと見た。
さっきまで自分の腕に絡みついていた男が、知らない女と楽しそうに話している。
ほんの少しだけ、面白くない。
そんな自分に気づいて、紫苑は目を細めた。
「……源ちゃんのくせに」
「何か言いました?」
「なんでもない」
今度は紫苑が晴明の真似をして誤魔化した。
その頃、源一郎はまだ知らなかった。
女性と話すことよりも、あとで紫苑の機嫌を直す方がよほど難しいということを。




