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『老衰で死んだ剣豪ですが、若返って安倍晴明と妖怪退治始めます  作者: ばけつプリン


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8/26

美しさを奪う術

晴明の屋敷へ戻った頃には、すっかり日が落ちていた。


昼間なら珍しそうに都を眺めていた源一郎も、帰り道ではほとんど寄り道をしなかった。頭に残っているのは、鏡の奥に積み重なっていた鼻や唇、髪の残像と、庭の木の下で見た若い女の顔だった。


まだ18歳だったという。


昨日まで普通に働いていた女が、一晩で顔を傷つけられ、そのまま命を絶った。


92年生きてきた源一郎でも、あの光景は簡単には頭から離れそうになかった。


屋敷へ入ると、晴明はそのまま仕事部屋へ向かった。


問題の鏡も、依頼人の許可を得て持ち帰っている。


女の妖怪そのものは消えていたが、鏡にはまだ大量の妖気と執着が残っているらしい。紫苑が結界で幾重にも包み、その上から厚い布を掛けて運んできた。


「そこに置いてください」


晴明に言われ、紫苑が部屋の中央へ鏡を下ろす。


「はぁ、重かった」


源一郎が紫苑を見る。


「片手で持っとったじゃろ」


「あら、見てたの?」


「見れば分かる」


「源ちゃんが持ってくれてもよかったのに」


「頼まれれば持ったぞ」


紫苑の目が楽しそうに細くなる。


「じゃあ次からお願いしよ」


そう言って、当然のように源一郎の腕へ絡みついた。


柔らかな感触が腕に当たり、源一郎の視線が一瞬だけ下へ落ちる。


紫苑は見逃さない。


「源ちゃん」


「なんじゃ」


「ちょっと元気になった?」


「何の話じゃ」


「帰ってくるまで、ずっと難しい顔してたから」


からかっているような口調だったが、目は少しだけ優しかった。


源一郎はそれに気づき、短く息を吐く。


「……まあ、少しな」


「ならよかった」


紫苑はそれ以上は何も言わず、源一郎の腕から離れた。


少し離れた場所で見ていた晴明が、鏡の横へ腰を下ろす。


「2人とも、遊ぶなら後にしてください」


「遊んどらんぞ」


「私は少し遊んでた」


「紫苑」


晴明の声に、紫苑は悪びれもせず肩をすくめた。


源一郎も少しだけ笑う。


胸に残った重さが消えたわけではない。それでも、この2人といると考え込みすぎずに済むらしい。


「それで晴明。その鏡から何が分かる?」


晴明は頷き、鏡を覆っていた布を外した。


鏡面は静かだった。


あの女の姿はもうどこにもない。ただ、じっと目を凝らせば、その奥に鼻や唇、目元、長い髪といった残像がまだ薄く積み重なっている。


源一郎はわずかに眉を寄せた。


何度見ても気分のいいものではない。


晴明は鏡を裏返した。


木枠の裏には、細かな線と文字がびっしりと刻まれていた。源一郎にはただの複雑な模様にしか見えないが、晴明と紫苑の表情を見る限り、かなり込み入ったものらしい。


「随分ごちゃごちゃしとるな」


「術式です」


「それくらいは分かる」


「では何の術か分かります?」


「分からん」


「でしょうね」


「お前さん、最近儂の扱いが雑じゃないか?」


晴明は返事をせず、灯りを鏡へ近づけた。


紫苑も晴明の横へ座り、術式を覗き込む。


「結界じゃないわね」


「ええ」


「封印でもない」


「違います」


2人だけで話が進み始めたので、源一郎は腕を組んだ。


「儂にも分かるように話せ」


晴明は術式から目を離さないまま答える。


「簡単に言えば、何かを抜き取るための術です」


「何をじゃ?」


「それを今見ています」


晴明は紙を取り出し、筆で鏡の裏に刻まれた術式を書き写していく。


一部を書いては線を追い、別の場所と繋げる。


源一郎はしばらく横で眺めていたが、途中から何をしているのか完全に分からなくなった。


「これは儂には無理じゃな」


「諦めるのが早いですね」


「分からんものを分かったふりする方が時間の無駄じゃ」


晴明の手が一瞬止まった。


「それは正しいですね」


「じゃろ?」


源一郎は満足そうに座り直した。


やがて、晴明が筆を置いた。


「源一郎」


「なんじゃ?」


「鏡の中に残っていたものを思い出してください」


「鼻、口、髪、目の辺り……そんなところじゃな」


「共通しているものは?」


源一郎は少し考えた。


「どれも綺麗なもんばかりじゃった」


晴明が頷く。


「この術は、人間の身体そのものを奪うためのものではありません」


「では?」


「その人間が持つ性質を抜き取る術です」


源一郎の眉が寄る。


「性質?」


晴明は自分の髪に触れた。


「例えば、艶のある美しい髪。髪そのものを切り取るのではなく、それを美しく見せているものだけを抜く」


次に鼻筋を指す。


「整った鼻であれば、その形を美しく見せている特徴を奪う。肌の白さ、目元の印象、唇の形も同じです」


「そんなことができるのか?」


「普通はできません」


今度は紫苑が口を挟んだ。


「少し呪術を覚えた程度じゃ絶対無理ね。人の見た目を一時的に変えるくらいならともかく、美しさだけ抜くなんて面倒すぎるもの」


源一郎は改めて鏡を見る。


「では、あの女は……」


晴明が静かに答えた。


「この術の被害者だった可能性があります」


部屋の空気が少し変わった。


源一郎の脳裏に、鏡から現れた女の姿が浮かぶ。


長い髪に隠れた顔。


何度も繰り返していた言葉。


――返して。


晴明は術式の一部を指先でなぞった。


「元々は美しい女だったのかもしれません。そして何らかの理由で、この鏡を使った」


「使うたびに美しさを取られた?」


「恐らく」


「奪ったものは、どこへ行く?」


晴明が鏡の裏側を指す。


術式の一部が途中で途切れていた。


他の部分は複雑に繋がっているのに、そこだけが不自然に切れている。


「ここから先へ流れるように作られています」


「誰かに渡していたということか?」


「その可能性が高い」


「誰に?」


晴明は首を横に振った。


「分かりません」


「術を辿れんのか?」


「辿れないようにされています」


源一郎の目が細くなる。


晴明は指先で途切れた箇所を示した。


「壊れているのではありません。ここだけ意図的に消されている」


紫苑も顔を近づけて確認する。


「本当ね。しかも綺麗に消してる」


「自分がやったと分からんようにしたわけか」


「そう考えるのが自然でしょう」


源一郎はしばらく黙って鏡を見つめた。


美しさを奪う。


別の誰かへ送る。


そして自分の痕跡だけは消す。


随分と手の込んだことをする。


「こんな術を使える奴は多いのか?」


晴明はすぐには答えなかった。


一度術式全体を見渡してから、静かに口を開く。


「限られます」


「どれくらいじゃ?」


「私が知る者の中なら、片手で足ります」


源一郎の表情が変わった。


「そんなに少ないのか」


「外見を少し変えるだけなら、もっといます。しかし他人の美しさだけを抜き取り、長期間保存し、それを別の者へ移す。さらに自分の痕跡まで消すとなれば、話は別です」


「晴明ならできるのか?」


晴明は少しだけ眉を上げた。


「できます」


源一郎が晴明を見る。


「できるんかい」


紫苑が吹き出した。


「源ちゃん、相手は安倍晴明よ?」


「有名なのは知っとる。じゃが、どの程度すごいのかは知らん」


「今さらですね」


晴明が少し不満そうな顔をする。


源一郎はまじまじと晴明を見た。


27歳。


夜になれば酒を飲み、女たちから次々と声をかけられる。部屋では服を脱ぎっぱなしにし、紫苑には私生活を好き放題暴露されている。


そのくせ、術の話になると途端に底が見えなくなる。


「お前さん、結構すごい奴なんじゃな」


「結構、ですか」


「褒めとるぞ」


「もう少し敬意があってもいいと思います」


「嫌じゃ」


「なぜです?」


「敬って距離を置いたら、また生前と同じになるじゃろ」


源一郎が当然のように答えると、晴明は少し黙った。


その横で紫苑が楽しそうに笑っている。


「源ちゃん、晴明の扱いだけどんどん雑になってない?」


「仲良くなった証拠じゃ」


「勝手に決めないでください」


源一郎は笑った。


だが、すぐに表情を戻す。


「晴明でもできるほどの術なら、余計に厄介じゃな」


「ええ」


晴明の声も仕事のものへ戻った。


「それに、気になる点がもう1つあります」


「まだあるのか?」


「この術は、妖怪を生み出すために作られたものではありません」


源一郎は腕を組んだ。


「人の美しさを奪うための術だったからか」


「そうです」


晴明が頷く。


「あの女が妖怪になったことは、術者にとって予定外だった可能性があります」


紫苑が鏡へ視線を向ける。


「美しさを奪われ続けて、そのまま死んだ。その恨みが鏡に残ったのね」


「ええ。そして最初は、自分のものを返してほしかっただけだったのでしょう」


晴明の声は淡々としていた。


「しかし長く鏡に縛られ、美しい人間を見るたびに、自分にはもうないものを見せつけられる。その執着が少しずつ形を変えた」


「自分が持っていないなら、他人も持つな……か」


源一郎は低く呟いた。


そして、庭の木の下で見た若い女の顔を思い出す。


頬を走る爪痕。


執拗に壊された鼻。


鏡の中には、その鼻の残像が鮮明に残っていた。


「最初は被害者。それが、次の被害者を作った」


「そういうことになります」


晴明の言葉に、源一郎はしばらく黙った。


やがて小さく息を吐く。


「やったことまで庇う気はないが、胸糞の悪い話じゃな」


「私もそう思います」


晴明は否定しなかった。


紫苑が源一郎の横へ座り直す。


「源ちゃん」


「なんじゃ?」


「人間の方が怖くなった?」


源一郎は少し考えてから、首を横に振った。


「92年も人間をやっとったんじゃぞ」


「ふふ。それもそうね」


「人間がろくでもないことをするのは知っとる」


源一郎は鏡を見る。


「じゃが、ろくでもない奴ばかりじゃないことも知っとるよ」


紫苑は一瞬だけ黙った。


それから、少し嬉しそうに源一郎の腕へ身体を寄せた。


柔らかな感触が当たる。


「やっぱり源ちゃん、好きかも」


「急じゃな」


「今のはちょっと格好よかった」


源一郎は紫苑を横目で見る。


「まあ、悪い気はせんな」


「あら、ずいぶん素直になったじゃない」


「2度目の人生じゃからな。嫌でもないことを嫌と言うのはやめた」


「じゃあ、もっとくっついてもいい?」


「好きにせい」


「本当に?」


紫苑がさらに腕を絡める。


源一郎は逃げなかった。


晴明が2人を横目で見る。


「仕事中なんですが」


「晴明、細かい男は嫌われるぞ」


「源一郎まで紫苑の真似をしないでください」


紫苑が楽しそうに笑った。


「妬いてるのよ、源ちゃん」


「妬いていません」


「その返し、何度目じゃ?」


「数えていません」


源一郎の笑い声が部屋に響いた。


しばらくして、晴明は再び術式へ向き直った。


その後も何枚もの紙へ線を書き写し、術の流れを確かめていく。源一郎は途中から完全に理解することを諦め、紫苑と並んで茶を飲んでいた。


やがて晴明が筆を置いた。


「これ以上は、今夜調べても分からないでしょう」


源一郎が顔を上げる。


「術を使った奴は?」


「分かりません」


「何も残っとらんか」


「決定的なものは」


晴明は書き写した術式へ視線を落とした。


「ただ、これほどの術が使える者は限られる。それだけは覚えておきます」


「探すのか?」


「今すぐには」


源一郎には少し意外な答えだった。


「追わんのか?」


「手掛かりがない状態で探しても意味がありません。それに、これほどの術者なら、こちらが自分を探っていることに気づく可能性もある」


「慎重じゃな」


「源一郎が大胆すぎるんです」


「儂なら知っとる奴に片っ端から聞くが」


「だから源一郎には任せません」


紫苑が笑う。


「源ちゃんなら最後は怪しい人を投げそうだもの」


「話を聞くだけじゃ」


「地面に寝かせて?」


「場合による」


「やめてください」


晴明が即座に答えた。


源一郎は楽しそうに笑う。


「まあ、この手のことは晴明に任せる」


「珍しく素直ですね」


「分からんことは、分かる奴に任せればいい」


源一郎はそう言って茶を口へ運んだ。


だが、鏡からは目を離さなかった。


「ただな、晴明」


「なんです?」


「こんな面倒な術を作る奴が、これ1つで終わると思うか?」


晴明は答えない。


源一郎は続けた。


「人から美しさを奪って、それをどこかへ送る。しかも自分の痕跡まで消しとる。試しに1回やって終わり、という感じには見えん」


晴明の目がわずかに細くなる。


「私も同じ考えです」


「なら、そのうちまた出てくるじゃろ」


「随分気楽に言いますね」


「出てきた時に考えればいい」


源一郎は腰の妖刀へ手を置く。


「妖怪なら妖怪と話す。人なら人と話す。それでも駄目なら止める」


晴明が刀へ向いた源一郎の手を見る。


「話をする人の姿勢ではありませんね」


「癖じゃ」


「源ちゃんらしくていいじゃない」


紫苑は源一郎の肩へもたれたまま笑う。


源一郎もつられて口元を緩めた。


誰が鏡へ術を施したのか。


奪われた美しさは、誰へ送られていたのか。


何のためにそんなことをしたのか。


今はまだ、何ひとつ分からない。


ただ、晴明でさえ「できる者は限られる」と言った。


それだけで十分だった。


相手はどこかにいる。


なら、いつかまた痕跡を残す。


源一郎は残っていた茶を飲み干した。


「ところで晴明」


「なんです?」


「今日はもう仕事は終わりか?」


晴明は一瞬、何を言われたのか分からないという顔をした。


「……一応は」


源一郎の表情が明るくなる。


「なら遊ぶか」


「切り替えが早すぎませんか?」


「仕事は終わったんじゃろ?」


「今まで何を調べていたと思っているんです」


「鏡じゃな」


「そういう意味ではありません」


紫苑が楽しそうに笑う。


「いいじゃない晴明。源ちゃんは死ぬまで真面目に生きたんだから」


「そうじゃ」


源一郎は立ち上がった。


「2度目まで仕事ばかりやっとれるか」


晴明はそんな源一郎をしばらく見つめていた。


やがて、諦めたように小さく息を吐く。


「……酒だけですよ」


源一郎の目が輝く。


「十分じゃ」


紫苑もすぐ立ち上がり、当然のように源一郎の腕へ絡みついた。


「行こ、源ちゃん」


「お前さんも来るのか?」


「もちろん」


晴明は散らばった紙を片付けながら首を振った。


「遊びを教えるつもりだったのに、もう私より楽しんでいる気がします」


「先生がいいからじゃろ」


「誰が先生ですか」


「遊びの師匠じゃ」


「その呼び方はやめてください」


3人の声が、夜の屋敷に響いた。


鏡に残った謎は、まだ何ひとつ解けてはいない。


それでも源一郎は急がなかった。


90年以上生きた経験が教えている。


隠し事というものは、無理にこじ開けようとすると余計に奥へ逃げる。


だが、同じことを繰り返す人間は、いつか必ずどこかに跡を残す。


その時に見つければいい。


今夜は酒を飲む。


2度目の人生は、まだ始まったばかりだった。

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