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『老衰で死んだ剣豪ですが、若返って安倍晴明と妖怪退治始めます  作者: ばけつプリン


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10/26

源ちゃん、人生初の朝帰り

目を覚ますと、見覚えのない天井があった。


源一郎はしばらく仰向けのまま瞬きをしていた。


頭は痛くない。口の中も乾いていない。昨夜はそれなりに酒を飲んだはずだが、若返った身体は思っていた以上に丈夫らしい。


そこで、すぐ隣から小さな寝息が聞こえた。


顔を横へ向ける。


昨夜、店で声をかけた女が眠っていた。


長い髪が枕の上へ広がり、薄い掛け物から白い肩だけが覗いている。源一郎はその姿を見てから、もう一度天井へ視線を戻した。


しばらくして、口元がゆっくりと緩んだ。


「……朝帰りというやつか」


92年生きた。


酒も飲んだ。恋愛もしたし、妻もいた。


それでも、こんな朝を迎えた記憶はなかった。


若い頃から稽古があった。


道場を持ってからは、なおさらだ。


夜遅くまで酒を飲んでも翌朝には帰っていたし、どこへ行っても「先生」と呼ばれた。自分だけ好き勝手することに、どこかで勝手に線を引いていたのだろう。


今は違う。


朝稽古はない。


門下生も待っていない。


誰かに立派な姿を見せる必要もない。


昨夜はただ酒を飲み、女と話し、そのまま夜を過ごした。


それだけのことなのに、妙に新鮮だった。


「悪くないな」


源一郎が小さく呟くと、隣の女が身じろぎした。


「……もう起きたの?」


「ああ。起こしたか?」


「少しだけ」


女は眠そうに身体を起こすと、源一郎の顔を見て笑った。


「昨日より普通に喋るようになったね」


「ああ、それか」


源一郎も笑う。


「今、直してるところなんだ」


「喋り方を?」


「見た目に合ってないらしい」


昨夜、紫苑から散々言われた。


見た目は若いのに、口を開いた瞬間92歳になる。


あまりにも言い方が酷かったので反論したものの、確かに今の姿で「なんじゃ」「そうじゃのう」を連発するのは妙なのかもしれない。


女がくすくす笑う。


「でも時々、急にお爺さんみたいになるよね」


「92年分の癖だからな。すぐには抜けない」


「92年?」


源一郎が止まった。


女も首を傾げる。


数秒の沈黙。


「……例えだ」


「変な例え」


「よく言われる」


源一郎は誤魔化すように笑い、着物へ手を伸ばした。


「もう帰るの?」


「ああ」


女は少しだけ残念そうに源一郎を見る。


「また来る?」


源一郎は帯を締めながら、少し考えた。


こういう時に何と答えるのが正解なのかは知らない。


紫苑から教わったのは、目を見ろ、思ったことを自然に言え、相手の話を途中で解決しようとするなということくらいだ。


だが、人を雑に扱っていいかどうかなど、教わるまでもない。


源一郎は女を見る。


「また会いたくなったら来る」


女が少し目を丸くした。


「そこは『また来る』って言わないの?」


「約束して来なかったら嫌だろ?」


「正直ね」


「今さら嘘を覚えても仕方ないからな」


女はしばらく源一郎を見ていたが、やがて笑った。


「そういうところ、結構好きかも」


「それは良かった」


源一郎は立ち上がった。


部屋を出る前に振り返る。


「昨夜は楽しかった。ありがとう」


女も笑って手を振った。


「またね」


源一郎は軽く手を上げ、その場を後にした。


朝の都には、夜とは違う静けさがあった。


まだ商いを始めていない店も多く、人通りもまばらだ。昨夜まで酒と笑い声に満ちていた一帯を、今は掃除をする者たちが行き交っている。


源一郎はゆっくり歩きながら大きく伸びをした。


身体が軽い。


眠気もない。


若い肉体というものは、本当に便利だった。


「若い身体はいいのう……」


口にしてから、自分で止まった。


周囲を確認する。


誰も聞いていない。


「……若い身体はいいな」


わざわざ言い直してから、源一郎は苦笑した。


紫苑が聞いていたら、間違いなく指摘されていただろう。


だが、こうして歩いていると改めて思う。


自分は本当に、全く別の人生を始めたのだ。


鬼を投げた。


安倍晴明と出会った。


妖刀を腰に差し、怪異を斬った。


人の死も見た。


そして昨日は、知らない女へ自分から声をかけた。


92歳で死ぬ直前に思った。


今度があるなら、好きに生きてみたい。


それが少しずつ、本当になっている。


「さて」


源一郎は晴明の屋敷へ向かって歩き出した。


「紫苑に何を言われるかだな」


なぜか、妖怪へ向かう時より少しだけ嫌な予感がした。


晴明の屋敷へ戻った時には、すっかり朝になっていた。


門をくぐり、紫苑の結界を抜ける。


庭へ一歩入ったところで、源一郎は足を止めた。


縁側に紫苑がいた。


腕を組み、こちらを見ている。


源一郎と目が合うと、にっこり笑った。


「おかえり、源ちゃん」


笑っている。


間違いなく笑っている。


だが、妙に怖い。


「……ただいま」


「遅かったわね」


「そうだな」


「楽しかった?」


「ああ」


紫苑の笑顔が一瞬だけ固まった。


どうやら、この答えは正解ではなかったらしい。


紫苑は立ち上がると、そのまま源一郎へ近づいてきた。


「ちょっと」


「なんだ?」


返事をする間もなく、紫苑が顔を近づける。


源一郎の襟元へ鼻先を寄せ、軽く匂いを嗅いだ。


「おい」


「動かないで」


「何してるんだ?」


紫苑はもう一度確認するように匂いを嗅ぎ、ゆっくりと顔を上げた。


「女の匂い」


「分かるのか?」


「分かるわよ」


「すごいな」


「褒めてない」


紫苑が不満そうに目を細める。


源一郎には、いよいよ理由が分からない。


「紫苑が行ってこいと言ったんだろ?」


「言ったわよ」


「その通りにしただけだぞ」


「私は女の人と話してきなさいって言ったの」


「話した」


「そのまま朝まで?」


「話だけではなかったな」


紫苑の眉がぴくりと動いた。


「源ちゃん」


「なんだ?」


「余計なことまで正直に言わなくていいの」


「思ったことを自然に言えって教えたのは紫苑だろ」


紫苑が黙った。


源一郎は少し考える。


「……もしかして、怒ってるのか?」


「怒ってない」


「怒ってるように見えるが」


「怒ってない」


少し離れたところから、別の声が飛んできた。


「怒っていますね」


晴明だった。


朝だというのにすでに着替えを済ませ、何事もなかったような顔で縁側に立っている。


紫苑が勢いよく振り返った。


「晴明は黙ってて」


「聞かれたので答えただけです」


「誰も晴明に聞いてない」


晴明は気にする様子もなく源一郎を見る。


「朝帰りですか、源一郎」


「ああ」


「初日にしては上出来ですね」


「何が上出来なんだ?」


「遊びです」


源一郎が少し嬉しそうに笑う。


「師匠に褒められたな」


「その呼び方はやめてください」


紫苑が晴明を睨む。


「晴明まで褒めないで」


「紫苑が自分で教えたのでしょう?」


「それはそうだけど」


「源一郎が実践した。それだけです」


正論だった。


紫苑は言い返せず、晴明を睨んだまま黙り込む。


源一郎はようやく察した。


「紫苑」


「なに?」


「妬いてるのか?」


紫苑の目がさらに細くなる。


「源ちゃん」


「なんだ?」


「昨日まで女の人に声かけるだけで緊張してたくせに、急に調子に乗らない方がいいわよ」


「当たりか」


「違う」


「顔に出てるぞ」


「誰のせいよ」


紫苑が源一郎の脇腹をつねった。


「痛い」


「嘘。全然痛くないくせに」


「まあな」


「腹立つ」


そう言いながらも、紫苑は離れなかった。


むしろそのまま源一郎の腕へ両腕を絡め、身体を寄せてくる。


柔らかな胸元がしっかりと腕に押しつけられた。


源一郎が横目で見る。


「結局くっつくんだな」


「私の勝手でしょ」


「別に嫌とは言ってない」


紫苑がちらりと源一郎を見上げる。


「……ならいい」


少し機嫌が戻ったらしい。


晴明が2人を見ながら静かに呟いた。


「朝から面倒ですね」


源一郎と紫苑が同時に晴明を見る。


「「晴明にだけは言われたくない」」


2人の声が重なった。


晴明が少しだけ眉を上げる。


「なぜです?」


「自覚ないのね、この男」


紫苑が呆れたように言う。


源一郎は声を出して笑った。


朝食が用意される頃には、紫苑の機嫌もほとんど戻っていた。


もっとも、源一郎の隣からは離れようとしない。


源一郎が食事をしながら、横目で紫苑を見る。


「まだ何か言いたそうだな」


「そうだった」


紫苑が姿勢を正した。


「源ちゃん。昨日の講義には続きがあります」


「まだあるのか?」


「当然。女の人と仲良くなるところまでしか教えてないでしょ?」


「講義だったのか、あれ」


「今決めたの」


晴明が茶を飲みながら聞いている。


紫苑は人差し指を立てた。


「まず、相手とのことを人に自慢しない」


源一郎が頷く。


「する気はない」


「遊びだったからって、相手を雑に扱わない」


「ああ」


「変に期待させるような約束もしない。できないことはできないって言う」


「それも分かる」


「次に会ったら、ちゃんと礼を言う」


「別れる時に言ったぞ」


紫苑が少し意外そうに源一郎を見る。


「なんて?」


「楽しかった、ありがとうって」


「……ちゃんとしてるじゃない」


「遊んでこなかっただけで、馬鹿じゃない」


紫苑が少し笑った。


「じゃあ、また来るって言った?」


「いや」


「なんて言ったの?」


「また会いたくなったら来るって」


紫苑が一瞬黙った。


晴明もわずかに顔を上げる。


「何かまずかったか?」


源一郎が聞く。


紫苑は首を横に振った。


「逆。思ってたよりずっとちゃんとしてた」


「そうか」


「そこは直さなくていいわ」


「では合格か?」


「まだまだ」


「厳しいな」


紫苑は楽しそうに笑った。


「でも源ちゃんのそういうところ、結構好きよ」


「朝帰りしたら怒ってたのに?」


「それとこれは別」


「女は難しいな」


「そういうものなの」


晴明が静かに口を挟む。


「私も未だによく分かりません」


源一郎が晴明を見る。


「お前は分からないまま遊んでるのか?」


「ええ」


「それであんなに女関係が多いの?」


紫苑が横から聞く。


晴明は茶を飲む。


「結果として」


「参考にならんな」


「なので私に恋愛相談をしないでください」


源一郎は納得したように頷いた。


「遊びは晴明、女は紫苑だな」


「その分け方やめてもらえます?」


晴明が露骨に嫌そうな顔をした。


紫苑は逆に満足そうだった。


「私はいいわよ」


「何師匠だ?」


「恋の師匠」


「大きく出たな」


「源ちゃんよりは詳しいもの」


「それは否定できん……」


紫苑の目が光る。


源一郎が気づいて咳払いした。


「……否定できないな」


「今、出たわね」


「油断した」


「でも、それくらいなら可愛いからいいかも」


「結局どっちなんだ」


「全部直したら源ちゃんじゃなくなるでしょ?」


源一郎は少し考えてから頷いた。


「それもそうだな」


口調を若くしても、92年生きてきた事実まで消えるわけではない。


それでいい。


自分は若者になったわけではなく、若い身体で新しい人生を始めただけなのだから。


食事も終わり、源一郎がもう一杯茶を飲もうとした頃だった。


屋敷へ一通の文が届いた。


受け取った晴明は、その場で封を開く。


文章へ目を通すうちに、表情が少しずつ変わっていった。


源一郎はすぐに気づいた。


「仕事か?」


「ええ」


紫苑も源一郎の腕から離れ、晴明を見る。


「どんなの?」


晴明は文を読みながら答えた。


「都の外れにある家からです。夜になると、子どもの部屋に何かが現れるそうです」


源一郎の表情から、遊んでいた時の緩さが消える。


「子どもは無事なのか?」


「今のところは」


「今のところ?」


「毎晩、同じ頃に部屋から物音がする。家族が駆けつけると何もいない。しかし朝になると、部屋の床に大きな足跡が残っているそうです」


「足跡だけ?」


「ええ」


紫苑が首を傾げる。


「子どもを襲ってる様子はないの?」


「文を読む限りでは」


源一郎は少し考えた。


鏡の女のことが頭をよぎる。


怪異だから悪い。


妖怪だから斬る。


そんな単純な話ではないことを、すでに知ってしまった。


「なら、いきなり斬るのはなしだな」


晴明が源一郎を見る。


「私もそのつもりです」


「何しに来てるか確かめるのが先か」


「ええ」


紫苑も頷いた。


「悪い妖怪とは限らないものね」


晴明は文を畳んだ。


「昼には出ます」


源一郎が止まる。


「昼?」


「はい」


「今、帰ってきたばかりなんだが」


晴明が冷静に答える。


「朝まで遊んでいたのは源一郎の都合です」


「厳しい師匠だな」


「だから師匠ではありません」


紫苑が楽しそうに源一郎へ寄ってくる。


「源ちゃん、寝る?」


「いや」


源一郎は立ち上がり、大きく身体を伸ばした。


眠くもない。


若い身体はまだ十分に動けそうだ。


「行こう」


晴明が少し意外そうな顔をする。


「休まなくていいんですか?」


「遊ぶ時は遊ぶ。仕事する時は仕事するんだろ?」


晴明の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「覚えるのが早いですね」


「師匠がいいからな」


「源一郎」


「冗談だ」


紫苑が声を出して笑った。


源一郎は腰の妖刀へ手を置く。


人生初の朝帰り。


思っていた以上に楽しかった。


できることなら、もう少しその余韻に浸っていたかった気もする。


だが、新しい人生でやりたいことは遊ぶことだけではない。


困っている子どもがいる。


なら、行く。


それもまた、好きに生きるということなのだろう。


源一郎は立ち上がりながら、晴明の持つ文へ視線を向けた。


「それで、その子どもはいくつなんだ?」


「7歳です」


源一郎の目が少し細くなる。


夜な夜な7歳の子どもの部屋へ現れる何か。


足跡だけを残し、今のところ傷つけてはいない。


一体、何をしに来ているのか。


源一郎にはまだ分からなかった。

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