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『老衰で死んだ剣豪ですが、若返って安倍晴明と妖怪退治始めます  作者: ばけつプリン


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20/26

鞘に眠る妖気

橋での一件を終え、晴明の屋敷へ戻った頃には、空がすっかり明るくなっていた。


川底から助け出した男は役人たちに預けてきた。長い間水の中で妖気を吸われていたため、かなり衰弱してはいたものの、命に別状はないらしい。


消えた4人のうち、助けられたのは1人だけだった。


それでも、間に合った命があった。


源一郎はそれで十分だと思うことにしていた。


屋敷へ入ると、真っ先に腰から妖刀を外す。


「……やっぱり重いな」


鞘に収めているというのに、腰から外しただけで腕へずしりとした感覚が伝わってくる。


水鬼を斬る前とは明らかに違う。


持てないほどではない。源一郎なら、このまま腰へ差して歩き回ることもできるだろう。


だが、できることと、やりたいことは別だ。


紫苑が横から妖刀を覗き込んだ。


「源ちゃんでも重い?」


「持つだけなら問題ない。ただ、これを毎日腰に差すのは嫌だな」


「あら、珍しく弱音?」


「不便だと言ってるだけだ」


源一郎は妖刀を晴明へ差し出した。


受け取った晴明の腕が、わずかに下へ沈む。


「……確かに。水鬼の妖気をかなり吸っていますね」


「前より重いだろ?」


「ええ。まずは抜けるだけ抜いてみましょう」


晴明はそのまま仕事部屋へ向かった。


源一郎と紫苑も後に続く。


仕事部屋へ入ると、晴明は妖刀を床へ置き、その周囲へ何枚もの札を並べ始めた。


以前にも見た光景だったが、今回は明らかに札の数が多い。


源一郎は壁際へ腰を下ろした。


紫苑も当然のように、そのすぐ隣へ座る。


しかも肩が触れるほど近い。


「紫苑」


「なに?」


「そっち、空いてるだろ」


「空いてるわね」


「なら少し離れろ」


「嫌」


紫苑は平然と答えると、さらに源一郎の腕へ身体を寄せた。


柔らかな感触が押し当てられる。


少し前までなら、それだけで源一郎の身体が固まっていた。


今はもう、ため息をつくだけだった。


「好きにしろ」


「あら。源ちゃん、本当に慣れたわね」


「毎回やられてたら慣れる」


「ちょっと寂しいかも」


「じゃあやめればいいだろ」


「それはもっと嫌」


源一郎が苦笑する。


そのやり取りを聞いていた晴明が、札を並べ終えて振り返った。


「始めますよ」


「ああ。頼む」


晴明が妖刀の前に座る。


両手で印を結び、低い声で短く呪を唱え始めた。


やがて妖刀を囲む札が、淡い光を放つ。


しばらくすると、鞘と鍔の隙間から黒い靄が滲み出した。


「おお……」


源一郎が目を細める。


黒い妖気は、以前に晴明が抜いた時とは比べものにならないほど多かった。


煙のように妖刀から浮かび上がり、周囲の札へ吸い寄せられていく。真っ白だった札が、一枚、また一枚と黒く染まっていった。


それに合わせて、部屋に満ちていた重苦しい気配も少しずつ薄れていく。


最後の黒い靄が消えたところで、晴明が印を解いた。


「一度持ってみてください」


源一郎が妖刀を受け取る。


先ほどまでとは違う。


「かなり軽くなったな」


鞘ごと持ち上げて確かめる。


水鬼を斬った直後に比べれば、明らかに軽い。


だが――。


源一郎は何度か手の中で重さを確かめ、眉を寄せた。


「まだ残ってる」


晴明が頷く。


「やはり全部は抜けません」


「刀の奥にか?」


「ええ」


晴明は源一郎から刀を受け取り、少しだけ抜いた。


白い刃の奥で、黒い影のようなものが微かに揺れている。


「表面に溜まった妖気は落とせます。しかし、すでに刀そのものへ染み込んだものまで無理に抜けば、刃を傷める可能性があります」


「つまり、残すしかない?」


「今のところは」


紫苑も晴明の肩越しに覗き込む。


「この刀、妖気を取り込んだまま変わろうとしてるのかもね」


「変わる?」


「どう変わるかまでは分からないけど」


源一郎は妖刀を見る。


妖怪を斬れる。


斬った妖怪の妖気を吸う。


吸えば吸うほど重くなる。


そして、晴明の術でも完全には元へ戻らない。


晴明から渡された時には、ただ妖怪を斬れるだけの刀だったはずだ。


それが少しずつ、別の何かになり始めている。


「面白いな」


紫苑がすぐに源一郎を見る。


「また嬉しそう」


「面白いものは仕方ないだろ」


「普通はもう少し警戒するのよ」


「警戒したら妖気が抜けるのか?」


「抜けないけど」


「なら晴明に任せる」


晴明が呆れたように源一郎を見た。


「随分と信頼されるようになりましたね」


「俺より詳しいからな」


「そういう理由ですか」


源一郎は笑った。


ただ、問題は残っている。


戦っている時に重くなるのは、まだ我慢できる。


妖怪を斬るために必要な代償だと思えばいい。


だが、戦っていない時まで同じ重さを腰へぶら下げるのは困る。


「晴明」


「なんです?」


「刀の中に残るのは仕方ないとして、持ち歩く時だけでも何とかならないか?」


晴明は答えなかった。


代わりに、妖刀ではなく鞘へ目を向ける。


源一郎はその視線に気づいた。


「橋でも、それ見てたな」


「ええ」


晴明は鞘を手に取り、ゆっくりと表面を確認していく。


「妖気を刀から抜くことだけを考えていましたが、それでは限界があります」


「なら?」


「抜けないのなら、鎮めればいい」


源一郎が首を傾げる。


「鎮める?」


晴明は鞘を掲げる。


「刀そのものに術をかけると、妖怪を斬るための力まで抑えてしまう可能性があります。ですが、鞘なら話は別です」


紫苑も意味を理解したらしい。


「ああ。刀を収めている間だけ、妖気を眠らせるのね」


「ええ」


源一郎は2人を見比べる。


「つまり?」


紫苑が笑った。


「源ちゃんが分かるように言うと、鞘に入れてる時だけ普通の刀みたいに軽くするってこと」


「それはいいな」


「本当に分かりやすい説明しか聞かないわね」


「分かればいいだろ」


晴明はすでに新しい札と筆を用意し始めていた。


「紫苑。手伝ってください」


「あら。私も?」


「結界の術を重ねた方が安定します」


紫苑の顔が少し得意げになる。


「仕方ないわねえ」


先ほどまで源一郎へくっついていた紫苑が、晴明の横へ移動した。


2人が並んで鞘を囲む。


源一郎はその様子を少し離れた場所から眺めた。


こうして見ると、やはり2人とも術に関しては相当に優れているらしい。


普段のやり取りからは、とてもそうは見えないのだが。


晴明が鞘へ直接、細い線を描いていく。


紫苑はその上から指先を滑らせ、淡い紫色の光を重ねていった。


複雑な模様が少しずつ鞘へ広がる。


「晴明、ここだと妖気が漏れるわよ」


「では、そこを閉じてください」


「私に任せすぎじゃない?」


「得意でしょう」


「まあね」


紫苑が嬉しそうに術を重ねる。


源一郎は腕を組んだ。


「お前たち、こういう時はちゃんと息合うんだな」


紫苑が振り返る。


「源ちゃん、それどういう意味?」


「普段はもっと適当だから」


「晴明がね」


「なぜ私なんです?」


晴明は手を止めないまま反論した。


源一郎は笑う。


しばらくして、鞘に描かれていた術式が淡く光り、そのまま布や木の中へ染み込むように消えていった。


表面を見ただけでは、何も変わっていない。


晴明が鞘を持ち上げる。


「これで試しましょう」


妖刀をゆっくりと鞘へ収める。


刃が完全に納まった瞬間だった。


源一郎にも分かった。


空気が変わった。


先ほどまで鞘の中から滲み出していた重い気配が、一気に静まった。


晴明が源一郎へ妖刀を差し出す。


「持ってみてください」


受け取る。


源一郎の眉が上がった。


「軽い」


ほとんど普通の刀と変わらない。


最初に晴明から渡された時と同じような感覚だった。


腰へ差してみる。


身体をひねる。


軽く歩く。


まるで先ほどまでの重さが嘘のようだった。


「これはいいな」


紫苑が腰へ手を当てる。


「私も手伝ったんだからね」


「ありがとう」


「あら、素直」


「礼くらい言う」


源一郎は嬉しそうに妖刀の柄へ手をかけた。


「抜いたらどうなる?」


晴明が答える。


「刀の妖気自体を消したわけではありません。恐らく――」


源一郎が刀を抜く。


刃が鞘から離れた瞬間。


ずしり。


両腕へ重さが戻った。


「……なるほど」


先ほど晴明が妖気を抜いてくれたため、水鬼戦の直後ほどではない。


それでも、納刀していた時とは明らかに違う。


紫苑が楽しそうに笑う。


「戻ったわね」


「ああ」


源一郎は数度刀を振ってみた。


やはり重い。


剣先が、源一郎の意識よりほんのわずかに遅れる。


「鞘から抜けば、妖気の鎮めが解けます」


晴明が説明する。


「そして戻せば?」


「また鎮まります」


源一郎は妖刀を鞘へ戻した。


すっと身体が軽くなる。


「おお」


もう一度抜く。


重い。


戻す。


軽い。


また抜く。


「源ちゃん」


紫苑が呆れた声を出した。


「なに?」


「楽しんでるでしょ」


「面白いだろ、これ」


「子どもみたい」


「92まで生きても面白いものは面白い」


源一郎はまた納刀した。


晴明が小さく息を吐く。


「遊ぶために術を入れたわけではありませんよ」


「分かってる」


「本当に?」


「たぶん」


「分かってませんね」


紫苑が声を上げて笑った。


しばらくして、源一郎は腰へ妖刀を戻した。


これなら普段の移動では何の問題もない。


だが、いざ戦闘になって抜刀すれば、吸い込んだ妖気の量に応じた重さが戻ってくる。


便利になった。


同時に、妖刀の性質もさらに分かりやすくなった。


「晴明」


「なんです?」


「これ、もっと妖気を吸ったらどうなる?」


晴明は少し考える。


「鞘に収めている間は、しばらく問題ないでしょう」


「抜いたら?」


「今よりさらに重くなる可能性が高いです」


源一郎は柄へ手を置いた。


「そうなると、やっぱり人間相手には使いたくないな」


晴明が源一郎を見る。


「この刀でも人は斬れますよ」


「斬れるかどうかじゃない」


源一郎は鞘からほんの少し刃を覗かせる。


それだけでも、妖気の重さが腕へ伝わった。


「俺はもっと速く振れる」


晴明は黙った。


「普通の人間を相手にするなら、こんな重さはいらない。刀の方に動きを合わせるのは嫌だ」


紫苑が呆れたように源一郎を見る。


「本当に面倒な剣士ね」


「前にも言われたな」


「そのうち普通の刀も欲しくなるんじゃない?」


源一郎は少し考えた。


「もう欲しい」


「早いわね」


晴明が小さく笑う。


「今すぐ必要というわけでもないでしょう」


「まあな」


今のところ、源一郎が斬る必要のある人間には出会っていない。


だが、この世界に来てから知った。


妖怪がすべて悪いわけではない。


そして、人間がすべて善いわけでもない。


いつか、人間を相手に刀を抜かなければならない日も来るのだろう。


その時、この妖刀ではなく、自分の剣をそのまま使える一本が欲しい。


源一郎は、そんなことをぼんやりと考えていた。


昼を少し回った頃。


屋敷の門前から声がした。


「桐生源一郎殿はいらっしゃいますか」


源一郎が顔を上げる。


「俺?」


この時代へ来てから、自分宛てに誰かが訪ねてきたのは初めてだった。


晴明と紫苑も少し意外そうに顔を見合わせる。


門の前には若い男が立っていた。


武士の従者らしい。


源一郎が出ていくと、男は丁寧に頭を下げた。


「渡辺綱様より、言伝を預かっております」


「綱から?」


「はい」


男は一度姿勢を正した。


「『先日の約束、忘れるな』とのことです」


源一郎の口元が上がる。


「それだけ?」


「それだけにございます」


「律儀な奴だな」


従者が帰っていく。


源一郎が屋敷へ戻ると、紫苑が面白そうにこちらを見ていた。


「約束って何?」


「手合わせ」


紫苑の笑顔が消える。


「本当にやるの?」


「約束したからな」


晴明も呆れたように口を挟んだ。


「わざわざ怪我をするようなことをしなくてもいいと思いますが」


「稽古だ」


「源一郎と綱がやって、稽古で済みます?」


「済ませる」


「本当に?」


源一郎は少し考えた。


「たぶん」


晴明がため息をついた。


紫苑も同じようにため息をつく。


「源ちゃん」


「なんだ?」


「普通の刀、壊さないでね」


源一郎は少し笑った。


「そこまでじゃない」


だが。


その言葉に一番自信がなかったのは、源一郎自身だった。


妖刀は鞘に収まったまま、静かに腰へ下がっている。


中には、晴明でも完全には抜くことのできなかった妖気が残っている。


それでも今は、普通の刀と変わらないほど軽い。


次に抜くまでは。


そして今度は、その妖刀を使わない戦いが待っていた。


渡辺綱との手合わせ。


源一郎は、久しぶりに純粋な剣の勝負ができることを思い、自然と笑みを浮かべていた。

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