↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『老衰で死んだ剣豪ですが、若返って安倍晴明と妖怪退治始めます  作者: ばけつプリン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/26

橋の女

日が沈むにつれ、橋の周囲から人の姿が消えていった。


昼間にはまだ通行人もいたというのに、空が赤く染まり始めた頃には、橋へ近づこうとする者さえほとんどいない。人が消えるという噂は、源一郎が思っていた以上に広まっているらしい。


橋のたもとでは、役人たちが少し離れた場所から様子を窺っていた。


源一郎は欄干へ背を預け、暗くなり始めた川を眺めている。


その少し隣には渡辺綱がいた。


綱は腰に刀を差したまま、先ほどからほとんど動いていない。


ただ立っているだけ。


それなのに、源一郎には分かった。


隙が少ない。


「源一郎だったな」


突然、綱が口を開いた。


「ああ」


「何流だ?」


源一郎は少し考えた。


剣道。


柔術。


それ以外にも、生前はいくつかの古い型や技を学んできた。


だが、この時代の人間へどう説明すればいいのかは難しい。


「色々だな」


綱が横目で見る。


「色々?」


「長くやってたんだ」


「見た目の割に随分年寄りみたいな言い方するな」


源一郎は少しだけ笑った。


「よく言われる」


離れた場所で聞いていた紫苑が口元を押さえて笑う。


源一郎はそちらを見た。


「聞こえてるぞ」


「何も言ってないわよ、源ちゃん」


顔が言っている。


晴明はそんな2人を気にすることもなく、橋の周辺へ何枚か札を配置していた。


綱の視線が源一郎の腰へ移る。


「その刀も妙だ」


「これか?」


源一郎が妖刀の柄へ手を置く。


晴明に妖気を抜いてもらったとはいえ、最初にもらった頃よりわずかに重い。


「妖気がする」


「分かるのか?」


「多少はな」


綱は源一郎ほど妖怪について詳しいわけではなさそうだが、怪異と戦う経験は相当に積んでいるのだろう。


「自分で打たせた刀じゃなさそうだが」


「もらった」


「誰に?」


源一郎が晴明を指差した。


綱が一度晴明を見る。


そして再び源一郎を見る。


「……それはまた随分と厄介そうなものを」


「俺も最近そう思ってる」


綱が初めて少し笑った。


妙な男だ。


源一郎はそう思った。


だが嫌いではない。


むしろ、もう少し話してみたいとも思う。


武術を長くやっている者同士には、言葉にしなくても分かるものがある。


立ち方。


呼吸。


手の位置。


足の置き方。


綱もまた、源一郎を観察しているらしかった。


「その刀、抜いたところを見てみたいな」


「そのうちな」


「今じゃ駄目か?」


「仕事中だろ」


綱が少し意外そうに源一郎を見る。


源一郎は笑った。


「晴明に怒られる」


「正しい判断です」


離れていたはずの晴明から声が飛んできた。


綱が眉を上げる。


「耳がいいな」


「聞こえる距離です」


晴明は当然のように答えた。


完全に日が落ちた。


月明かりが橋を照らしている。


源一郎たちは橋の近くへ留まり、しばらく待った。


何も起こらない。


川の流れる音だけが聞こえている。


源一郎が小さく欠伸をしようとした、その時だった。


「来ました」


晴明の声が変わった。


源一郎もすぐに気づく。


橋の反対側。


人影がある。


女だった。


ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


月明かりの下へ姿が出た瞬間、源一郎は少し目を見開いた。


美しい。


年の頃は20代ほど。


長い黒髪が背中へ流れ、淡い色の着物を身につけている。


月の光を受けた肌は白く、整った顔立ちは遠目でも分かるほどだった。


源一郎はしばらく女を見る。


隣から紫苑の声が飛んできた。


「源ちゃん」


「なんだ?」


「見すぎ」


「怪異か確認してるだけだ」


「胸まで?」


源一郎が少し黙る。


「……そこはついでだ」


紫苑の目が細くなった。


綱が隣で吹き出す。


「面白い男だな、お前」


「褒め言葉として受け取っとく」


晴明だけは笑わなかった。


女をじっと見ている。


「妖気が薄い」


その言葉で、源一郎の意識が切り替わった。


「妖怪じゃない?」


「まだ断定できません」


女はゆっくり橋の中央へ進んでくる。


足取りは軽い。


源一郎たちに警戒している様子もない。


やがて女が止まった。


その視線が、真っ直ぐ源一郎へ向く。


「そこの方……」


澄んだ声だった。


「はい」


源一郎は反射的に返事をした。


紫苑が腕を掴む。


「源ちゃん」


「仕事だ」


「ちょっと嬉しそう」


「気のせいだ」


女が手招きする。


「少し、こちらへ来ていただけませんか?」


源一郎は晴明を見る。


晴明は止めなかった。


「近づいてみてください。ただし、刀は抜かないように」


「分かった」


紫苑が源一郎の腕を離さない。


「本当に行くの?」


「何がいるのか分からないだろ」


「私も行く」


「結界は?」


紫苑が少し止まった。


橋の周辺を覆うように張った結界を維持しているのは紫苑だ。


「……源ちゃん、こういう時だけ真面目ね」


「仕事中だからな」


晴明の影響なのかもしれない。


源一郎はそう思いながら、女へ近づいていった。


歩きながら、違和感があった。


最初は何か分からなかった。


だが数歩進んだところで気づく。


音がしない。


女は歩いている。


確かに足を動かしている。


なのに、草履が橋板を踏む音が聞こえない。


源一郎は少しだけ目を細めた。


さらに月明かりへ目を向ける。


自分の影はある。


綱の影もある。


晴明や紫苑の影もある。


だが女の足元には、ほとんど影が落ちていなかった。


「なるほど」


源一郎が呟く。


女が首を傾げる。


「何か?」


「いや。綺麗な夜だと思ってな」


女が微笑んだ。


「こちらです」


そのまま橋の中央へ。


源一郎も続く。


少し離れて綱がついてくる。


「お前も来るのか?」


「何かあってからじゃ遅い」


「心配してくれるのか」


「お前じゃない。仕事だ」


「晴明みたいなこと言うな」


綱が笑う。


橋の中央へ到着すると、女は欄干の外を指した。


「こちらをご覧ください」


暗い川が流れている。


源一郎は欄干へ近づいた。


水面には月が揺れていた。


「何を見るんだ?」


「もう少し」


女の声が変わった気がした。


源一郎が少しだけ身体を前へ傾けた瞬間。


水面が弾けた。


白い腕が飛び出した。


源一郎の右足首を掴む。


「おっと」


身体が一気に川へ引かれる。


だが源一郎は倒れなかった。


左足を踏み込み、腰を落とす。


橋板が小さく軋んだ。


「力は結構あるな」


源一郎が感心する。


水中から伸びた腕が、さらに強く引いた。


その瞬間。


鋭い音が走った。


白い腕が切断される。


源一郎の足首を掴んでいた手が力を失い、橋の上へ落ちた。


綱だった。


抜刀した姿勢のまま、源一郎の横に立っている。


源一郎は足元へ落ちた腕を見る。


それから綱を見る。


「速いな」


「お前もな」


「俺は何もしてないぞ」


「引かれたのに体勢が全く崩れてない」


綱は刀を払う。


切り落とした腕が黒い靄へ変わり、水へ溶けていった。


「普通なら、もう川の中だ」


「足腰には自信がある」


「その程度じゃないだろ」


綱の口元が少し上がる。


源一郎も笑った。


やはり、この男とは気が合いそうだった。


その時。


女の笑い声がした。


2人が振り向く。


女の顔が変わっている。


美しかった笑顔が、不自然なほど大きく歪んでいた。


「来て……」


声も先ほどとは違う。


「こちらへ……もっと……」


女が後ろへ下がる。


欄干の向こう。


そのまま川へ落ちるはずだった。


だが身体は落ちなかった。


宙に浮いている。


髪が風もないのに広がった。


「晴明!」


源一郎が呼ぶ。


晴明はすでに札を持っていた。


「動かないでください」


女の身体が一瞬揺れる。


次の瞬間。


消えた。


跡形もなく。


源一郎はすぐに周囲を見る。


川。


橋。


対岸。


どこにもいない。


「逃げた?」


綱が刀を構えたまま聞く。


「いいえ」


晴明が橋の中央へ歩いてくる。


女が立っていた場所へしゃがんだ。


そこに、何かが落ちていた。


長い黒髪。


数本ではない。


切り取られたような髪の束だった。


しかも濡れている。


晴明が直接触れず、札を一枚重ねて持ち上げる。


紫苑も近づいてきた。


「嫌な感じ」


「妖気か?」


源一郎が聞く。


紫苑は首を傾げる。


「ある。でも、あの女から感じたものとは少し違う」


晴明が髪を確認する。


「これは生きている人間のものではありません」


源一郎の表情が変わる。


「死者の髪?」


「ええ」


綱も顔をしかめた。


「じゃあ、今の女は幽霊か?」


晴明は首を横に振った。


「それも違います」


「どういうことだ?」


源一郎が尋ねる。


晴明は橋の外へ視線を向けた。


暗い川。


先ほど腕が伸びてきた場所。


水面はもう何事もなかったように流れている。


「女には、ほとんど妖気がありませんでした」


「でも消えたぞ」


「だからです」


晴明が濡れた髪を見る。


「恐らく、あれは姿だけ」


源一郎は眉を寄せる。


「姿だけ?」


「死者の髪や残った念を使って作られた、餌のようなものでしょう」


紫苑が小さく呟く。


「人を橋の中央まで誘うための?」


「ええ」


晴明が頷く。


「そして、誘われた者を川へ引き込む」


源一郎は暗い川を覗く。


「じゃあ本体は……」


「下でしょうね」


晴明が静かに答えた。


「少なくとも、今の女ではありません」


綱が川へ目を向ける。


「川の中に何かいるってことか」


晴明は答えなかった。


その代わり、一枚の札を水面へ落とす。


札はゆっくりと川へ着いた。


流される。


そう思った次の瞬間。


水面の下から、何かが札を掴んだ。


一瞬だった。


白い札が、暗い川の底へ引きずり込まれる。


源一郎の目が細くなった。


綱も刀の柄へ手を置き直す。


紫苑の表情から笑みが消えた。


晴明だけは静かに川を見ていた。


「やはりいますね」


「何が?」


源一郎が聞く。


晴明はすぐには答えなかった。


暗い水面の向こう。


何か大きなものが、ゆっくりと動いたように見えた。


「それを調べるのは――」


晴明が立ち上がる。


「これからです」


橋の下から、低い音が響いた。


まるで誰かが、水の底で笑ったような音だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。