第7話 異能覚醒
第7話 異能覚醒
春を越え、村へ初夏の風が吹き始めていた。
朝靄の中、リリアは一人で庭へ立っていた。
王立魔導学園を卒業してから、もう幾日も経つ。
けれど、あの日々はまだ身体へ染み付いていた。
朝早く起きる癖。
人の足音に怯える癖。
笑い声を聞くと肩が強張る癖。
全部、消えてはいなかった。
それでもリリアは、毎日黙って土へ向き合っていた。
古い麻布の作業着は泥だらけだった。
袖をまくった腕には日焼けが残り、細い指先は土で荒れている。
だが彼女は嫌そうな顔をしなかった。
鍬を握る。
土を起こす。
雑草を抜く。
崩れた水路を直す。
静かな作業だった。
朝露に濡れた草の匂い。
湿った土の感触。
遠くで鳴く鳥の声。
王都とは違う。
ここには誰かを嘲笑う声がない。
リリアは黙々と石を運んだ。
すると家の窓が開く。
「リリアー!」
母だった。
エプロン姿のまま笑っている。
「朝ご飯できたわよ!」
リリアは額の汗を拭い、小さく笑う。
「今行く!」
家へ入ると、焼きたての匂いが広がっていた。
木の食卓には、湯気立つ野菜スープ。
少し焦げた黒パン。
山羊乳。
卵焼き。
豪華ではない。
でも温かい。
父は椅子へ腰掛けながら笑った。
「最近、庭が見違えたなぁ」
「うん。雑草がすごかったから」
「お前、昔から土いじり好きだったもんな」
リリアはパンを千切りながら苦笑する。
「学園じゃ泥臭いって笑われてたけど」
父は眉を寄せた。
「……嫌な奴らだな」
母も小さくため息をつく。
「リリアは頑張ったのにねぇ」
リリアは少しだけ黙った。
スープの湯気が揺れる。
胸がちくりと痛む。
でも彼女は微笑んだ。
「でも、もう大丈夫」
そう言えるようになっていた。
食後、再び庭へ出る。
空はよく晴れていた。
風が頬を撫でる。
リリアは鍬を肩へ担ぎ、奥の荒地へ向かった。
そこは昔、祖父が畑にしていた場所だった。
だが今は完全に荒れ果てている。
雑木。
雑草。
ひび割れた地面。
リリアは膝をつき、黙って草を抜き始めた。
指先へ土が入り込む。
爪が汚れる。
汗が流れる。
それでも止まらない。
学園にいた頃を思い出す。
冷たい視線。
裂かれた教科書。
焼けた制服。
空腹。
孤独。
胸が痛んだ。
けれど不思議と、今は憎しみだけではなかった。
苦しかった。
辛かった。
でも、あの時間があったから。
今、自分は誰かの痛みを分かる。
だからリリアは、ただ黙って土を耕した。
一日目。
二日目。
三日目。
水路を直す。
石を退ける。
腐った根を取り除く。
四日目。
五日目。
六日目。
雨の日も続けた。
泥まみれになりながら。
指先を傷だらけにしながら。
そして七日目。
夕暮れだった。
空は金色に染まり、草原が風に揺れている。
リリアは最後の雑草を引き抜き、小さく息を吐いた。
「終わった……」
その瞬間。
――ドォン。
地面が震えた。
「え?」
鍬が倒れる。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
家から父が飛び出してきた。
「リリア!?」
次の瞬間。
大地が光った。
金色だった。
土そのものが輝いている。
リリアは息を呑む。
すると。
庭が広がった。
「な……」
地面が伸びる。
あり得ない速度で。
畑が広がる。
草原が広がる。
森を飲み込む。
丘を越える。
空間そのものが裂けるように、大地が果てなく増殖していく。
風が吹き荒れた。
光が世界を包む。
父も母も言葉を失っている。
リリアはただ立ち尽くした。
すると頭の奥へ声が響く。
『適性確認』
『土地管理条件達成』
『異能【聖域開墾】発動』
瞬間。
世界が変わった。
光が収まり、現れたもの。
それは、神話の世界だった。
巨大樹。
青白く輝く花。
透明な泉。
金色の果実。
風が甘い香りを運んでくる。
生命そのものが満ちている。
リリアは震える足で前へ進んだ。
草が柔らかい。
暖かい。
この土地は、自分を拒絶しない。
その瞬間。
張り詰めていたものが切れた。
リリアは崩れ落ちる。
涙が溢れる。
止まらない。
両手で土を掴む。
温かい。
優しい。
誰にも踏みにじられない場所。
誰にも笑われない場所。
胸が苦しいほど熱くなる。
「もう……」
声が震える。
「もう……誰にも踏みにじられなくていいんだ……」
ぼろぼろ涙が落ちる。
その時だった。
風が吹く。
巨大樹の奥から、一人の少年が現れた。
白い髪。
透き通るような肌。
淡い光を纏った、不思議な少年。
彼は静かにリリアを見つめる。
そして、優しく言った。
「ようやく来たな」
リリアは涙で濡れた顔を上げる。
少年は微笑んだ。
「神域へようこそ」
夕陽が、果てなく広がった新世界を黄金色に染めていた。




