第4話 卒業式という処刑台
第4話 卒業式という処刑台
春の終わりだった。
王立魔導学園の中央大講堂は、朝から祝福の色に満ちていた。
高い天井には純白の布が垂らされ、巨大な水晶灯が金色の光を降らせている。赤絨毯の両脇には百合と薔薇が並び、香油の甘い香りが空気へ溶け込んでいた。
卒業式。
選ばれた貴族たちが未来を約束される日。
王国の次代を担う者たちが、華やかな拍手の中で旅立つ日だった。
リリアは講堂の隅で静かに立っていた。
卒業用の白い式典制服。
本来なら純白の生地へ銀刺繍が施されるはずだった。
だがリリアの制服は何度も繕われ、袖口は擦り切れ、胸元の糸もほつれている。右袖の内側には、あの日焼かれた火傷を隠すための包帯が巻かれていた。
鏡を見なくても分かる。
みすぼらしい。
周囲の令嬢たちは宝石付きの髪飾りを揺らし、絹の手袋をはめ、香水を纏って談笑していた。
「卒業後は王宮魔導省へ行くの」
「うちは辺境伯家との縁談が決まったわ」
「ジュリアス様は近衛騎士団でしょう?」
笑い声。
未来の話。
希望の話。
リリアには何一つなかった。
就職先もない。
後ろ盾もない。
推薦状もない。
教師たちは皆、貴族の推薦を優先した。
平民の特待生など、卒業できただけでも奇跡という扱いだった。
リリアは静かに視線を落とす。
指先が冷たい。
昨夜は緊張でほとんど眠れなかった。
それでも、今日で終わる。
今日を耐えれば学園を出られる。
もう毎日笑われなくていい。
そう思うことで、なんとか立っていられた。
開式の鐘が鳴る。
重厚な音が講堂へ響き渡った。
卒業生たちが順に席へ着く。
リリアの席だけは、端だった。
まるで最初から存在しないもののように。
校長が壇上へ立つ。
長い祝辞。
栄光。
伝統。
高貴なる血。
そんな言葉ばかりが並ぶ。
リリアはぼんやり聞き流していた。
その時だった。
「続いて、優秀卒業生代表」
会場がざわめく。
当然のように名を呼ばれる。
「ジュリアス・アルヴェイン」
歓声が上がった。
赤髪の青年が立ち上がる。
漆黒の式典服には金糸の刺繍が輝き、肩には深紅のマント。胸元には公爵家の紋章。
完璧だった。
まるで王子だった。
女子たちが熱っぽい視線を向ける。
「素敵……」
「やっぱりジュリアス様よね」
ジュリアスは壇上へ立ち、ゆっくり会場を見渡した。
その視線が一瞬だけリリアを掠める。
冷たい。
氷のような目だった。
「我々貴族は、この国を導く責務を持つ」
低く響く声。
自信に満ちた口調。
「弱者に国を任せれば滅ぶ。ゆえに強者が支配する。それが自然の摂理だ」
拍手。
教師たちまで頷いている。
リリアは俯いた。
胸が苦しい。
けれど耐える。
耐えれば終わる。
式典は続く。
卒業証書授与。
名前を呼ばれ、一人ずつ前へ出る。
リリアの番になった時、会場は妙に静かだった。
「……リリア・フェルン」
小さな声。
まるで雑音を読むような響き。
リリアは立ち上がる。
歩く。
赤絨毯の感触が靴裏へ伝わる。
視線が痛い。
笑われている。
分かる。
それでも前を見る。
証書を受け取る時、教師が小声で言った。
「問題だけは起こさないで卒業してくれ」
祝福ではなかった。
邪魔者へ向ける声だった。
リリアは小さく頭を下げる。
「……ありがとうございました」
式典が終わる。
貴族たちは家族と抱き合い、笑い合っていた。
豪華な花束。
祝いの酒。
焼き立ての肉料理。
甘い果実菓子。
講堂には華やかな匂いが満ちている。
だがリリアだけは、一人だった。
迎えに来る家族もいない。
王都まで来る旅費すら惜しかったからだ。
リリアは静かに出口へ向かう。
これで終わり。
そう思った時だった。
「おい」
背後から声。
身体が強張る。
振り返ると、ジュリアスがいた。
エレナたちも一緒だった。
皆、笑っている。
獲物を見つけた肉食獣みたいに。
ジュリアスは酒杯を片手に近付いてくる。
葡萄酒の甘い香りが漂った。
「卒業おめでとう、平民」
口調には嘲りしかない。
リリアは俯いた。
「……ありがとうございます」
エレナが笑う。
「ねぇ、卒業後はどうするの?」
「お掃除係かしら?」
「パン屋の下働き?」
取り巻きたちが笑う。
リリアは答えられない。
決まっていないからだ。
沈黙を見て、ジュリアスは満足そうに笑った。
そして、ゆっくり口を開く。
「お前の席など、この国にはない」
周囲が静まる。
ジュリアスは続けた。
「一生泥をすすって生きろ」
その言葉は刃だった。
胸の奥へ深く突き刺さる。
エレナたちが笑う。
「お似合いですわ」
「平民には泥がお似合い」
リリアは唇を噛んだ。
視界が滲む。
悔しい。
苦しい。
叫びたかった。
でも。
叫んだところで誰も助けてくれない。
だからリリアは静かに頭を下げた。
「……失礼します」
そのまま歩き出す。
背後から笑い声が追いかけてくる。
講堂を出ると、春風が吹いていた。
空は青かった。
校舎の白壁が陽光を反射して眩しい。
リリアは門へ向かって歩く。
もう振り返らない。
振り返ったら泣いてしまう。
石畳を踏み締めながら、ただ前へ進む。
やがて学園の大門が見えた。
ここへ来た日のことを思い出す。
夢を抱いていた。
頑張れば認めてもらえると思っていた。
甘かった。
この場所は最初から、自分の居場所ではなかった。
リリアは門の前で立ち止まる。
そして、ゆっくり空を見上げた。
涙で滲む青空。
けれど、その翡翠色の瞳だけは死んでいなかった。
悔しさ。
悲しさ。
怒り。
全部を胸に抱えながら、リリアは小さく呟く。
「……終わらない」
風が髪を揺らす。
その声は誰にも届かなかった。
だが確かに、その胸の奥では何かが燃え始めていた。




