第3話 火炙りの夜
第3話 火炙りの夜
王立魔導学園の演習場は、城壁に囲まれた巨大な円形闘技場だった。
朝から青空が広がり、観覧席には色鮮やかな貴族たちの姿が並んでいる。白い日傘。宝石を散りばめた帽子。香水の甘い香り。磨き上げられた革靴の音。
まるで祭りだった。
今日は新入生による公開魔法演習の日。
貴族たちは己の才能を誇示し、教師たちは有望株を見定める。
そして平民であるリリアにとっては、最悪の日だった。
演習服へ着替えながら、リリアは小さく指を握る。
灰色の簡素な演習服。
厚手の布ではあるが、安物なので縫い目が粗い。袖口も少し擦り切れていた。
周囲の貴族たちは違う。
高級魔獣皮で作られた黒革の戦装束。魔力を通しやすい銀糸刺繍。宝石付きの魔導杖。
同じ学生とは思えなかった。
「見て、平民用の演習服」
「雑巾みたい」
「燃えやすそうねぇ」
女子たちが笑う。
リリアは聞こえないふりをして紐を結んだ。
すると背後から声が降る。
「おい」
低く傲慢な声。
振り返るまでもない。
ジュリアスだった。
赤髪を陽光に煌めかせ、黒い演習服を纏っている。胸元の金刺繍は炎の紋章を形作り、その姿はまるで戦場の王子だった。
周囲の空気が変わる。
誰もが彼を恐れ、崇めている。
ジュリアスはリリアを見下ろし、薄く笑った。
「今日は燃えないように気を付けろよ、平民」
周囲がどっと笑う。
リリアは小さく頭を下げた。
「……気を付けます」
「は」
ジュリアスは鼻で笑い、そのまま去っていく。
残された香水と革の匂いだけが鼻に残った。
嫌な予感がした。
だが逃げられない。
演習が始まる。
巨大な魔法陣が展開され、教師の声が響く。
「これより模擬魔法戦を開始する!」
歓声。
拍手。
熱気。
リリアは指定位置へ立った。
乾いた砂の匂いがする。
緊張で喉が渇いていた。
本来なら初級魔法を順番に披露するだけの授業だ。危険なものではない。
……普通なら。
「次、ジュリアス・アルヴェイン」
歓声が爆発する。
ジュリアスがゆっくり中央へ進み出る。
彼が片手を掲げた瞬間、空気が変わった。
熱い。
肌が焼けるような魔力。
「炎よ」
低い詠唱。
瞬間、巨大な火球が空中へ現れる。
観客席から感嘆の声が漏れた。
「すごい……!」
「さすがジュリアス様!」
炎は太陽のように輝き、演習場全体を赤く照らす。
教師たちも満足そうに頷いていた。
ジュリアスはそのまま火球を空へ放つ。
轟音。
熱風。
赤い火花が散る。
そして――。
彼が笑った。
嫌な笑みだった。
次の瞬間、火球の軌道が変わる。
真っ直ぐリリアへ落ちてきた。
「え――」
避けられない。
轟、と炎が炸裂する。
世界が赤く染まった。
熱い。
熱い熱い熱い。
リリアは悲鳴を上げて倒れ込む。
制服の袖が燃えていた。
焦げた布の臭い。
焼けた肌の匂い。
観客席がざわめく。
「きゃっ!」
「危ない!」
教師が慌てて消火魔法を放つ。
水が降り注ぎ、炎が消える。
だがリリアの右腕は赤く爛れていた。
ひりひりと焼ける。
涙が滲むほど痛い。
呼吸が苦しい。
地面へ倒れたまま震えるリリアへ、ゆっくり足音が近付く。
ジュリアスだった。
彼は燃え残った制服を見下ろし、口角を上げる。
「悪いな」
声に欠片ほどの謝罪もない。
むしろ愉しそうだった。
そして彼は笑いながら言った。
「平民にしては温かい待遇だったな」
観覧席から笑い声が起きる。
「ふふっ」
「確かに」
「焼豚みたい」
エレナが扇子で口元を隠して笑っている。
リリアは唇を噛んだ。
悔しい。
悔しいのに、声が出ない。
教師が咳払いする。
「……ジュリアス君、魔力制御には気を付けるように」
それだけだった。
事故扱い。
誰も責めない。
公爵令息だから。
リリアはゆっくり立ち上がる。
焼け焦げた袖が垂れ下がり、肌に張り付いていた。
痛い。
でも泣きたくなかった。
泣いたらまた笑われる。
リリアは頭を下げた。
「……すみませんでした」
その瞬間、また笑いが起きた。
なぜ謝るのか、自分でも分からなかった。
けれど、そうするしかなかった。
夕方。
リリアは医務室を出た。
包帯の巻かれた右腕がずきずき痛む。
薬草の青臭い匂いが鼻に残っていた。
医師は最低限の治療しかしてくれなかった。
「跡が残るかもね」
興味なさそうにそう言われただけだ。
寮へ戻る途中、厨房の前を通る。
夕食の匂いが漂っていた。
焼き魚。
香草スープ。
溶かしバターの香り。
腹が鳴る。
だが食堂へ入った瞬間、配膳係が言った。
「あなたの分、もうありません」
後ろで誰かが笑う。
「平民は草でも食べれば?」
空腹が胃を焼く。
けれどリリアは何も言わず頭を下げた。
夜。
リリアは寮裏へ座り込んでいた。
石壁は冷たく、夜風が頬を撫でる。
空には細い月が浮かんでいた。
誰もいない。
だから、ようやく泣けた。
ぽろぽろ涙が落ちる。
止まらない。
「なんで……」
声が震える。
「私、そんなに悪いことしたのかな……」
焼けた腕が痛む。
胸も痛い。
家へ帰りたい。
母のスープが飲みたい。
父の笑った顔が見たい。
涙で視界が滲む。
けれど、しばらく泣いた後。
リリアは袖で目元を拭った。
「……負けない」
小さく呟く。
誰に聞かせるでもなく。
自分に言い聞かせるように。
翌朝。
教室へ入ったリリアを見て、女子たちがひそひそ声を漏らす。
「来たわ」
「まだ辞めてなかったの?」
ジュリアスも教室にいた。
彼はリリアを見ると薄く笑う。
だが。
リリアは微笑んだ。
痛む腕を隠しながら。
いつものように小さく頭を下げる。
「おはようございます」
その笑顔はぎこちなかった。
それでも。
壊れないための、必死の笑顔だった。




