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第12話 門前の土下座

第12話 門前の土下座


神域都市へ続く白い街道を、豪奢な馬車がゆっくり進んでいた。


かつてなら十台以上の護衛騎士を引き連れていた公爵家の馬車。


だが今は違う。


護衛はわずか三人。


馬車の金装飾も剥げ、車輪は泥で汚れている。


雨上がりの空は薄曇りだった。


ジュリアスは苛立たしげに窓を叩く。


「まだ着かないのか」


向かいに座るエレナも疲れ切った顔をしていた。


頬は痩け、かつて自慢だった巻き髪も艶を失っている。青いドレスは上質ではあるが、古い型だった。


宝石も少ない。


売ったのだ。


家を維持するために。


エレナは小さく呟く。


「本当に会えるのよね……?」


「会わせる」


ジュリアスは吐き捨てた。


「こちらはアルヴェイン公爵家だぞ」


だが声には、以前ほどの威圧感がなかった。


焦りが滲んでいる。


馬車が丘を越えた瞬間だった。


エレナが息を呑む。


「……え」


視界の先。


巨大な都市が広がっていた。


白い建物。


水晶橋。


空中を流れるように走る水路。


果樹園。


花畑。


巨大樹。


風に乗って甘い果実の香りが漂ってくる。


街には笑顔が溢れていた。


市場では子供たちが笑い、露店には色鮮やかな果実が山のように積まれている。


焼きたてのパンの香り。


香草焼き肉の匂い。


誰も痩せていない。


誰も怯えていない。


王都より豊かだった。


いや。


比較にならなかった。


ジュリアスは呆然と呟く。


「……なんだ、この国は」


門兵が馬車を止める。


だが対応は丁寧だった。


「ようこそ神域都市へ。本日は商談で?」


ジュリアスは咳払いする。


「アルヴェイン公爵家当主代理、ジュリアス・アルヴェインだ」


昔なら名前だけで皆が跪いた。


だが門兵は平然としている。


「確認しますので少々お待ちください」


それだけだった。


ジュリアスの顔が引き攣る。


しばらくして、通行許可が下りる。


馬車は街へ入った。


エレナは窓へ張り付く。


「すごい……」


街路樹には黄金色の果実。


噴水には透き通った水。


店先には神域野菜と星蜜葡萄。


道行く人々の服も上質だった。


しかも誰もが幸せそうに笑っている。


エレナは爪を噛んだ。


どうして。


どうしてこんな国が存在するの。


こんな理想郷を築ける人間がいるの。


やがて馬車は巨大樹の麓へ到着した。


白亜の宮殿。


蔦と花に覆われた神殿みたいな建物だった。


「神域の女王陛下がお待ちです」


使用人に案内され、二人は中へ入る。


大理石の廊下。


柔らかな香。


窓から差し込む金色の光。


贅沢なのに、どこか温かい。


王都の冷たい権威とは違う空気だった。


やがて巨大な扉が開く。


玉座の間。


天井には巨大樹の枝が広がり、光る花々が淡く揺れている。


その中央。


翡翠色のドレスを纏った女性が、静かに玉座へ座っていた。


長い亜麻色の髪。


澄んだ翡翠の瞳。


柔らかな微笑み。


その姿を見た瞬間。


ジュリアスの顔から血の気が消えた。


「……リリア?」


声が震える。


信じられなかった。


床で黒パンを食べていた平民。


焼けた制服で泣いていた少女。


あのリリアが。


神域の女王。


世界一の富豪。


玉座の主。


エレナが後ずさる。


「う、嘘……」


リリアは優雅に微笑んだ。


昔みたいに怯えていない。


誰にも媚びていない。


静かな威厳があった。


「ようこそ」


柔らかな声。


だがその響きだけで、空気が張り詰める。


リリアはゆっくり立ち上がる。


翡翠のドレスが光を反射し、金刺繍が淡く輝いた。


彼女は微笑んだまま続ける。


「泥をすする平民ですわ」


エレナの膝が崩れた。


「ひっ……」


ジュリアスも言葉を失う。


脳裏へ過去が蘇る。


床で食事をする少女。


裂かれた教科書。


笑い声。


「平民は泥でもすすってろ」


自分が言った言葉。


全部。


全部返ってきていた。


リリアは静かに玉座へ腰掛けた。


「本日は、どのようなご用件で?」


ジュリアスは唇を震わせる。


誇りなど捨てるしかなかった。


「……た、頼む」


掠れた声。


「ネクタルを売ってくれ」


リリアは何も言わない。


ジュリアスは必死だった。


「金なら払う!」


「公爵家の利権も渡す!」


「だから……助けてくれ……!」


エレナも泣きながら縋る。


「お願い……!」


「もう借金が……!」


「助けて……!」


リリアは静かに二人を見つめていた。


怒っているわけではない。


叫びもしない。


ただ、冷たかった。


昔、彼らが自分へ向けた目と同じくらい。


やがてリリアは、ゆっくり口を開く。


「お前の席など」


その瞬間。


ジュリアスが震える。


リリアは微笑んだ。


「我が国にはありません」


エレナが絶望した顔になる。


リリアは静かに続けた。


「一生、泥をすすって生きなさい」


沈黙。


次の瞬間。


衛兵たちが二人の腕を掴む。


「離せ!」


ジュリアスが叫ぶ。


「私は公爵だぞ!!」


だが誰も従わない。


エレナは泣き叫ぶ。


「嫌ぁぁ!!」


二人は床へ引きずられる。


豪華な絨毯へ爪を立てながら。


その姿は、かつての高貴さなど欠片もなかった。


扉が閉まる。


静寂。


リリアはゆっくり目を閉じた。


胸の奥にあった長い痛みが、少しだけ静かになっていく。


その時、ノアが後ろで呟く。


「……終わったか?」


リリアは窓の外を見る。


神域都市には、今日も温かな光が満ちていた。


子供たちが笑い。


花が咲き。


風が流れる。


リリアは小さく微笑む。


「いいえ」


そして静かに答えた。


「ここから始まるんです」




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