第11話 世界一の富豪
第11話 世界一の富豪
神域へ朝日が差し込む。
かつて草原しかなかった場所には、今や巨大な都市が築かれていた。
白い石畳。
水晶灯の並ぶ街路。
花々で彩られた水路。
澄み切った水が流れ、風には果実と焼きたてのパンの香りが混ざっている。
市場は朝から活気に満ちていた。
「焼きたてだよー!」
「神域野菜はいかが!」
「今日の星蜜葡萄は甘いぞ!」
笑い声。
子供たちの駆け回る音。
鍛冶場の金属音。
どこを見ても、人々の顔には余裕があった。
痩せ細った者はいない。
病に苦しむ者もいない。
路地にゴミはなく、水は透き通っている。
飢餓ゼロ。
病死ゼロ。
汚染ゼロ。
それはもはや、一つの理想郷だった。
街の中央。
巨大樹の麓には白亜の館が建っている。
蔦と花に覆われたその屋敷は、まるで神殿みたいに美しかった。
その中庭で、リリアは朝の収穫をしていた。
柔らかな翡翠色のドレス。
袖には金糸の刺繍。
だが裾は少し捲り上げられ、手には土が付いている。
どれだけ豊かになっても、彼女は自分で畑へ出るのをやめなかった。
「女王様、おはようございます!」
市場の少女が元気よく頭を下げる。
リリアは困ったように笑った。
「女王様はやめてください」
「でも世界中そう呼んでますよ!」
横でノアが呆れた顔をする。
「もう諦めろ」
白髪の少年は昔と変わらない。
ただ今では、街の人々も彼を恐れなくなっていた。
リリアは果実を籠へ入れながら、小さく笑う。
「そんな大層な人間じゃないのに」
「世界一の富豪が何を言う」
ノアが即座に返す。
実際、その通りだった。
ネクタルは世界を変えていた。
王侯貴族たちは競うように求め、たった一滴で金貨の山が動く。
病を癒やし。
老化を止め。
魔力を増幅し。
傷を塞ぐ。
神代の霊薬。
もはや国家すら頭を下げる存在だった。
だがリリアは、販売数を厳しく制限していた。
「欲しい人全員に売れば、もっと儲かるのに」
ガルドが以前そう言った時も、彼女は首を振った。
「足りないくらいが丁度いいんです」
その代わり、彼女は富を街へ使った。
孤児院。
学校。
診療所。
水路。
農地。
誰も飢えない街。
それがリリアの願いだった。
昼時になると、館の大食堂には湯気立つ料理が並ぶ。
香草焼きの鶏肉。
神域野菜のシチュー。
焼きたての白パン。
果実のタルト。
甘い葡萄酒。
長いテーブルでは、商人も農民も一緒に食事をしていた。
貴族専用席などない。
それを初めて見た外国の使者は、皆驚く。
だがリリアにとっては、それが普通だった。
「身分で食べる場所を分ける意味あります?」
彼女は本気でそう思っている。
だから街の人々は、彼女を慕った。
その頃。
王都アストレアでは、冷たい雨が降っていた。
かつて栄華を誇ったアルヴェイン公爵邸は、まるで幽霊屋敷みたいに静まり返っている。
廊下の絨毯は擦り切れ、燭台の火も減らされていた。
使用人の数は半分以下。
食堂へ並ぶ料理も粗末になっている。
固いパン。
薄いスープ。
冷えた肉。
数年前なら、犬ですら食べなかったような食事だった。
ジュリアスは苛立たしげにグラスを叩きつけた。
「まずい!」
使用人が震える。
「も、申し訳ありません……」
「謝罪など聞いていない!」
彼の顔には疲労が滲んでいた。
目の下には隈。
髪にも艶がない。
かつて学園で絶対王者だった男は、見る影もなく荒れていた。
原因は戦争だった。
ジュリアスは近衛騎士団へ入り、功績欲しさに無茶な侵攻を行った。
結果、大敗。
莫大な損害。
利権も崩壊。
借金だけが残った。
さらに王家は責任を押し付け、公爵家を見捨てた。
今やアルヴェイン家は滅亡寸前だった。
エレナも以前とは別人みたいに痩せている。
豪華だったドレスは減り、宝石も売り払った。
彼女は苛立たしげに爪を噛む。
「どうしてこうなったの……」
ジュリアスは酒を煽った。
だが安酒だった。
昔飲んでいた高級酒とは違う。
喉が焼ける。
「黙れ」
重苦しい沈黙。
その時、執事が慌てて入ってくる。
「旦那様!」
「なんだ」
「神域都市より返答が!」
空気が変わる。
ジュリアスが顔を上げた。
今、唯一世界を動かしている存在。
“ネクタルを売る神域の女王”。
その取引を得られれば、公爵家は生き残れる。
ジュリアスは執事へ詰め寄った。
「会えるのか!?」
「は、はい……商談の許可が……!」
エレナが歓声を上げる。
「助かったわ……!」
ジュリアスは笑った。
久しぶりの笑みだった。
「当然だ。相手も商売人なら、公爵家を無視できるはずがない」
彼はまだ知らない。
その“女王”が誰なのか。
かつて泥をすすれと笑った少女。
床で食事をさせた平民。
焼けた制服を見て嗤った相手。
その少女が、自分たちの運命を握っていることを。
窓の外では、冷たい雨が降り続いていた。




