↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
13/13

第13話 アムブロシアー

第13話 アムブロシアー


神域に、静かな雪が降っていた。


白銀の雪片は巨大樹の枝へ積もり、街の屋根を柔らかく染めていく。吐く息は白く、朝の空気は澄み切っていた。


それでも神域都市は寒くない。


街路には暖かな水路が流れ、家々には果樹の灯りが揺れている。焼きたてのパンの香りが漂い、人々は笑いながら朝市を歩いていた。


リリアは白い外套を羽織り、畑を歩いていた。


翡翠色の長いスカートが雪を掠める。


頬は少し赤く染まり、吐息は白い。


その後ろをノアが歩いていた。


「朝から畑か」


呆れた声。


リリアは笑う。


「今日は大事な日なんです」


神域の最奥。


巨大樹の根元。


そこには、今まで誰も近付けなかった場所がある。


淡い光を放つ白い畑。


雪が積もっているのに、そこだけは春みたいに暖かかった。


花が咲いている。


甘い香りがする。


リリアはゆっくり膝をついた。


土へ触れる。


柔らかい。


生きている土だった。


「……育ってる」


彼女は小さく呟く。


その畑には、不思議な植物が植えられていた。


金色の葉。


虹色の果実。


淡く発光する穂。


どれも、この世の植物ではない。


ノアが静かに言う。


「神代の食物だ」


「神ですら滅多に口にできなかった」


リリアはそっと葉を撫でる。


「この子、ずっと機嫌悪かったんです」


「お前しかそんな感想出てこないぞ」


ノアが呆れる。


だがリリアは真剣だった。


水温。


土壌。


日照。


微生物。


堆肥。


全部を何度も調整した。


雑草堆肥を発酵させ。


腐葉土を混ぜ。


ミミズを増やし。


毎日話しかけ。


歌まで歌った。


ノアは途中で本気で頭を抱えていた。


「神代植物に子守歌を歌う人間なんて初めて見た」


「だって寂しそうだったから」


「意味が分からん」


それでも。


植物たちは応えた。


少しずつ。


少しずつ。


そして今。


ついに最後の実が色付いていた。


リリアは震える指で収穫する。


瞬間。


世界が光った。


白い光。


暖かい。


優しい。


雪が空中で止まり、風が静かに歌う。


巨大樹がざわめいた。


神域全体が祝福しているみたいだった。


ノアが静かに目を細める。


「完成したか」


リリアは息を呑む。


手の中にある果実は、まるで小さな太陽だった。


淡い金色。


透明感。


甘い香り。


見ているだけで涙が出そうになる。


ノアが告げる。


「神々の食物――【アムブロシアー】だ」


その日の夜。


館の食堂には、大きな食卓が用意されていた。


白いテーブルクロス。


銀食器。


花飾り。


焼きたての白パン。


神域野菜のスープ。


香草鶏のロースト。


そして中央に置かれた、小さな黄金の果実。


アムブロシアー。


父は緊張した顔をしている。


「ほんとに食って大丈夫なんだよな……?」


母もおろおろしていた。


「神様の食べ物なんでしょう?」


リリアは苦笑する。


「毒見しました」


「したの!?」


「美味しかったです」


ノアが呆れた顔をする。


「普通、自分で最初に食うか?」


「危なかったら困るじゃないですか」


「お前は本当に……」


リリアは果実を切り分けた。


果汁が零れる。


甘い香りが一気に広がった。


まるで春そのものみたいな匂いだった。


父が恐る恐る口へ運ぶ。


次の瞬間。


目を見開く。


「……っ!?」


母も涙ぐんだ。


「なにこれ……」


身体が温かい。


疲労が消える。


傷んでいた腰も軽い。


視界まで鮮明になる。


それは食事ではなかった。


祝福だった。


命そのものを食べているみたいだった。


ノアが静かに呟く。


「死すら拒絶する食卓」


その言葉通りだった。


やがて噂は世界中へ広がった。


神酒ネクタル。


神食アムブロシアー。


神域都市。


世界中の王族が押し寄せる。


皇帝。


王。


大司教。


皆、頭を下げた。


「どうか我が国へ……!」


「娘を嫁に!」


「土地を差し出します!」


だがリリアは争わなかった。


奪わなかった。


軍を持とうともしない。


ただ、土を耕した。


畑を育てた。


病人へ食事を届け。


孤児へ学校を作り。


誰も飢えない街を広げ続けた。


だから人々は彼女を愛した。


神域は広がり続ける。


森を越え。


丘を越え。


国境を越え。


まるで、優しさそのものが世界を侵食していくみたいに。


ある日の夕暮れ。


リリアは畑へしゃがみ込み、小さな苗へ水を与えていた。


昔と変わらない。


土の匂い。


風。


柔らかな陽光。


ノアが隣へ立つ。


「結局、お前は変わらんな」


リリアは笑った。


「そうですか?」


「世界一の富豪になっても泥だらけだ」


リリアは少し考えてから、小さく笑う。


「でも、泥の中から始まったから」


風が吹く。


黄金の麦が揺れる。


遠くでは子供たちの笑い声が聞こえていた。


リリアは空を見上げる。


青く、どこまでも広い空。


そして柔らかく微笑んだ。


今度こそ。


誰にも踏みにじられない場所で。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。