冷たい絆
「……ぁ、ありがとう、ございます。助かりました」
アルトは深々と頭を下げた。
子供はそれに何の反応もせず、教団の紋章が刻印された治療記録を無造作に差し出した。
そこには前回と今回の治療について書かれている。
「これを門番に見せれば、いつでもここに入れるから」
そうそっけなく言うと、すぐに隣の部屋に移動していった。
これまでの恩義が、アルトの心を圧迫する。
さらに治療記録の文字を見ると、心を誰かにギュッと握りしめられるような感覚になった。
◇◇◇
一ヶ月が過ぎた。
アルトの生活は静かに塗り替えられていた。
安宿の湿ったベッドではなく、教団が提供する清潔な宿舎で眠る。
酒場の粗末な食事ではなく、教団の食堂で提供される滋養に満ちた温かいスープを啜る。
それがどれほどぜいたくなことか、お人好しなアルトでも痛いほどに自覚していた。
「すまない……。また、世話になってしまって」
食堂の給仕に頭を下げるアルトに、担当の修道女は優しく微笑む。
「いいんですよ、アルトさん。あなたはもう、私たちの家族のようなものですから」
家族という言葉の響きに胸の奥がチクリと痛む。
家族ならば、返さなくていいのか?
いいや、血の繋がらない家族だからこそ、必ず返さなくてはいけない。
アルトは無意識に、右足の裏にある古傷を左足のスネでさすった。
痛みはないが、時折、そこから何かが這い上がってくるような違和感があった。
そのたびに、アルトのうなじに刻まれた教団の紋章のごとき赤黒いアザが、いっそう色濃くなっていることに、本人は全く気づいていなかった。
◇◇◇
「アルトさん、こちらが明日の予定です」
事務の修道女から渡された紙には、その日の仕事が書かれていた。
その内容はどれも合法的で、真っ当なものばかりだ。時間的にも余裕がある。
教団は一度として、アルトに不当な要求を突きつけたことはない。断ってもいい仕事だ。
治療費の督促すら、一度もない。
それが、逆にアルトを精神的に追い詰めていた。
(払わなきゃ……。早く、この恩を返さないと)
自分を責めるその思考が、教団が用意した鍵のない檻から出られないようにする。
アルトはもう、ギルドへ足を運ぶことも、即席の仲間を探すこともしなくなっていた。
朝、アルトは教団の鐘の音で目覚める。
教団の紋章が入った揃いのローブに袖を通す。
教団で食事を取り、教団のために迷宮へ潜る。
アルトは、すでに野心的な冒険者ではなく、聖女の慈愛に侵され、盲目的にすべてを信じてしまう信徒になっていた。
「アルトさん……、お疲れ様です」
通路の向こうから、凛とした甘く弾んだ声が響く。
聖女クラリアが、数人の修道女を連れて歩いてくる。
彼女はアルトの前で足を止めると、細い指先で彼の髪の毛を整えた。
「顔色が良くなりましたね。悩める人たちのために、これからも励んでくださいね」
「はい……。クラリア様」
アルトは膝をつき、迷いなくその手を取った。
その首筋には、気づかぬうちにできたアザが真っ黒に硬くなっていた。




