三十六封 一緒に足掻きたかった。
コツ、コツ。地を踏みしめる音だけ聞こえる。まだ見えない、扉に力を籠める。トン、トン。覆われる闇を踏む。
この扉を開けば、彼女が待っている。
扉に手をかける。一向に力の入らない体に嫌気がさす。また一つ、二つと深呼吸をする。
よし、さっきのフューレンのおかげもあって、落ち着くのが早い。
――ギィ。目の前に座って待つ、黒の中で輝く銀を見た。
そしてこちらに向けられる赤。
固唾を飲み込み、声をかけようとした瞬間「お嬢さん!」という魔女さんの声と、勢いよく立ち上がったせいでぐらつくティーカップに意識を取られ、唖然とするしかなかった。
かと思えば次は魔女さんの足首から伸びる茨が絡まり、どちーんなんていう効果音が付きそうなほど、顔面から地面に叩きつけられた。
「魔女さん!」急いで駆け寄る。
しゃがみこみ、手を伸ばして体を起こそうとしたとき。大して暖かくはなく、体温なんてものはないのに、何故か妙に温もりを感じた。
油断をしたわけではない、ただ素で、駆け寄った。正しくは、油断の余地などなかった。気付けば身体が動いて、気付けば抱きしめられている。目を固く閉じる前に、漬け込む涙に、私は動揺しかなかった。
震える手、囁かれる声、濡れる肩。次々に紡がれる謝罪に、不安に、安堵に。ただ静かに耳を傾けた。
「も、もう会えないと思って。今日もダメだと思いながらも手紙を送って、でも今日も来ないと思って。もう一生、会えないのだと思うと、死ねない体がより憎くなって」
本当に良かった――チャンスをくれて、ありがとう。
区切りがつく。だがまだ震える身体に、涙ぐむ呼吸に、背中をさすり落ち着きを。
「本当に不器用だなぁ。大丈夫、私も、同じ気持ちでしたから」
今は何にも邪魔されない、二人の時間を過ごそう。大丈夫、私達を阻むものは、何もないよ。
「落ち着きましたか?」
「はい、もう大丈夫です」むくっと体を離し、頬につたる雫をすくい上げる。
お互い椅子に座り、行進の合図が送られる。
「見苦しい姿を見せしてしまい、申し訳ないですわ」
「いいえ、でも、あはは」つい笑ってしまった。
きょとんと、何が何だか分からない顔で見つめられる。
「ごめんなさい。魔女さんがあんなに必死になるの、書庫から帰って来た時以来で。なんだか、愛されているなと……」
手元のティーカップで、ゆらりと波立つ紅茶を眺めながら、そうぽつりと呟く。
しばらくの沈黙に、何かまずいことを言ってしまったのではないかと、顔を上げた時、魔女さんと目は合わなかった。魔女さんも紅茶をじーっと見つめ、気まずい空気が静かに流れていった。
その間もチラチラと、以前のように目の前のお菓子を頬張りながら魔女さんを見る。微かに震えながら次々に紅茶を口に運ぶ様子を、ただ黙ってみていた。
中段のお菓子に手を伸ばしたころ、ゆっくり魔女さんの口が開いたのが分かった。
「――その、何から言えばいいかわからなくて」
「本当に、申し訳ないことをしたと思っています。お伽噺の子達を待つ終末は死であると、早々に伝えるべきでした」
「言ってしまえば、知られてしまえば、きっとお嬢さんは私から離れると。そうなるのが怖くて、どうにも伝えることが出来なかった。――ごめんなさい」
ゆっくり、不安げに。淡々と謝罪を述べる彼女に、しびれを切らしたわけではないけど、私からも何か言うべきだと、そう感じたから。
「魔女さん。確かに私は、それを早々に知ってしまえば、逃げ出していたかもしれない。それを否定することは出来ない」
「でも、あの時逃げ出したのは、死を恐れたからじゃないんですよ」
「私は貴方から『助けて』この一言が欲しかったんです」
「魔女さんのことです、今まで沢山、別の方法を探したんでしょう? けど、別の方法は見つからなかった。だからせめて、傷付けないように、秘密にしてくれたんでしょう? ――それでも、私は一緒に足掻きたかった」
「でもあの時、魔女さんは助けどころか、結末をはぐらかしたんです。貴方に突き放されたのが悲しくて、私は逃げたんです」
「ただ、一緒に苦しみたかっただけなんです。それを、分かっていてほしい」
始まりから最後まで、紅茶の音と、私の声だけが響いていく中、ふと魔女さんの顔を見ると、唇を噛みしめて静かに泣いていた。
「え、泣かせるつもりじゃ! ほら、涙を拭いて!」
バッグの中から急いでハンカチを出し、テーブルの上へ身を乗り出し差し出す。
「ご、ごめんなさい。そんな風に言って貰ったの、もう何年前か分かんなくて……」
ハンカチを立てて、とんとんと吸い取るように拭った。その後には、少し涙ぐんだ声で、ぽつりぽつりと話し始める。
「そうですね、じゃあ。今から話ことは、わたくしを助けると思って、聞いてくださいます?」




