22 : 世界が始まるそのときに。2
*冒頭イチカ、あとはライガ視点です。
寝台に潜り込んで丸くなっていると、扉の開閉音に続いて足音が近づいてきた。寝台の端が揺れたことで、入室した人物が腰掛けたことがわかる。掛布から覗けば、心配そうな顔をしたアサリが、布団に包まっているイチカを見ていた。
「こちらに……来ていただけますか?」
布団を捲って中に誘えば、いつもなら恥ずかしがって遠慮するアサリが、珍しく素直になってするりとイチカの袂に入ってきてくれる。
腕のなかにきてくれたアサリに、イチカはホッと息をついた。
*
「お父さんなら心配要らないよ。あのひと、お母さんがいればそれでいいって、本気で思ってるからね。僕なんかただの付属品だよ」
扉の前に座り込んでいたら、頭上に影ができて、見上げたら覗き込んでいたシュエオンにそう言われた。
「ライガも休んだほうがいい。実はすっごく疲れてるだろ? お父さんが先に倒れちゃったから、倒れそびれたね」
部屋に戻ろう、とシュエオンに腕を引っ張られて、ライガは漸く自分がひどく疲れていることに気づいた。自覚がなかった分、どっとその疲労が全身を襲い、歩き始めて数分もしないで身体がよろめく。
「その様子だと、家までもたないかな。ライガ、師団棟に居室はある?」
「師団棟に? ねぇけど……もらえるもんなのか?」
「用意はされているはずだよ。ここに居室があると、なにかと便利だからね。うーん……中央の居室が掃除されてたから、そこかな」
もう少しだけ頑張って歩いてくれ、とシュエオンに促されて、階段を二つ降りた先のすぐにあった部屋に、ライガは通された。家具らしい家具は寝台くらいしかない部屋だ。
「ああ、やっぱりここだね。寝台が運び込まれてるし、準備の途中みたいだ」
「ここ……おれの居室になるのか?」
「さっきも言ったけど、あれば便利だからね。ちなみに僕の居室はこの階の反対側にあるよ。師匠があれだから、あんまり使わないけどね」
シュエオンの師、雷雲の魔導師ロザヴィンは、呪具創作に入ると寝食を疎かにするだけでなく、周りのことにも意識が向かないほど集中すると聞いたことがある。面倒を看るのはもっぱら彼の妻であるそうだが、シュエオンが世話をしないわけでもないないのだろう。
自分の居室になるらしい室内を見渡しながら、ライガは適当な相槌を打ってふらふらと寝台に歩み寄る。思った以上に疲労を抱えた身体は、本能的に身体を休める場所を求めたらしい。
「お腹は減ってない?」
「だいじょうぶ。それより……けっこう疲れたっぽい」
「力が矛盾するような状態にあったんだから、疲れて当然だよ。ああでも、ライガの力は素直でいいね。はっきりとしてる」
「なんだそれ」
「一目惚れしたんじゃない?」
寝台に寝転がってすぐ、ハッとして身体を起こした。にまにま笑っているシュエオンがなんとなく憎たらしい気がするのは、図星を突かれたからだろう。ついでに自分は顔が真っ赤になっているに違いない。
「な……なに言って」
「今さら誤魔化す? 無駄だよ」
ばっちり見ていたどころか、シュエオンはライガが力の暴走に入るきっかけを作った魔導師だ。
ライガは、あれが暴走だとは思いもしなかったが、言われてみればなんとなく納得はできる。あれを引き起こした原因はライガ自身の動揺であり、力の展開中に集中力を散らした自覚があるのだ。
「きみの世界が始まるそのときに、僕は立ち会えたみたいだね」
笑うシュエオンに、揶揄するようなところは見られない。それでも、楽しそうにされているだけで、ライガには揶揄されているようにしか感じられない。
真っ赤になっているだろう顔を隠すために、ライガは不貞腐れたように寝台へと倒れ込んで顔を隠した。
「……あれが世界の始まりになるってのか」
「僕ら魔導師に許された唯一つのものに出逢えた。それは世界の始まりだろう?」
「本気で言ってんのかよ」
「もちろん。だって魔導師は、そういう生きものだからね」
ぼんやりと、今日のことを思い出す。
ライガはシュエオンとの約束があったので、シュエオンが来るまでアノイにつき合ってもらいつつ力の訓練をしていた。昼食を終えてもシュエオンはしばらく姿を見せなかったが、それは約束を忘れていたからではなく、ライガのところへ行く途中でとある人物と偶然接触したからだった。
その、とある人物というのが、ライガに力の暴走を許した原因だ。
「ナディヤ……」
きらきらしい太陽、いや月のようだった。
金色というよりも銀色に近い髪、深い蒼の双眸は、母親よりも父親のほうに似たのだろう顔の造りを繊細にし、力強さと同時に儚さを持ち合わせていた。瞬間的に「護りたい」とか、「護られたい」とか、そんな感情が湧き上がって、今の自分では足許にも及ばないのだろうと落ち込んで、けれども見つめていたくて目を逸らせなかった。
「ナディヤ王女殿下が、ライガの唯一かぁ」
「……王女」
あのとき、視線の先にいた彼女は、この国の王女だった。
「なあ、シュエ」
「ん?」
「あれが世界の始まりなら、おれはあれのそばに行けるってことか?」
「そのために努力することになるだろうね」
今まで、なにかに夢中になることはなかった。魔導師になれると聞いたときでさえ、これで生きていけるとしか思わなかった。生きていくために、魔導師になろうと決めた。けれども、それ以外で、心がなにかに傾くことはなかった。これからも傾くことなく、ただ生きていくために魔導師として存在するのだろうと、そんなことさえ思った。
今は、違う。
「……あれが欲しい」
「うわ、お父さんみたい。けど、まあ、うん、魔導師らしいね」
「無理だとか言わねぇの?」
「え、冗談言ったの?」
「いや本気」
彼女は王女だ。平民のライガが、手を伸ばせる存在ではない。
だが、ライガは魔導師になる。
「欲しいと思ったなら、素直に欲しがればいいよ。迷う必要なんてない」
「……少しは諌められるかと思った」
「自由恋愛を推奨するこの国で、それはあり得ないね。特に魔導師なんか、言ったって聞かないんだから無意味だよ」
反対、という言葉はシュエオンにないらしい。敢えて反対されたいとも思わないので、そんなものか、とライガは自身を納得させ、再び脳裏にその姿を思い出した。
「……あれが、おれの世界の始まり」
彼女のそばに行こう。
その双眸に、この姿を刻みつけよう。
そのためにも魔導師になって、この世界を生き抜く。
彼女のそばに在る魔導師、それが自分であるように。
「ああでも、障害はあるからね」
「障害?」
「不条理はどこにでもあるってことだよ」
頑張れ、と言うシュエオンに、ライガは少し考え、身を起こすとにんまり笑った。
「だからどうした」
この世の不条理、不合理、理不尽に、屈するつもりはない。
「その意気だよ、ライガ」
ニッと笑うシュエオンに、ライガも不敵に笑んだ。
これにて【世界が始まるそのときに。】は終幕となります。
中途半端くさいですが、これ以上進むとライガだけの物語になりそうなので、ここで一度終わりにしたいと思います。
またいつか、彼らに逢う日が来たら、と思います。
ここまでおつき合いくださり、ありがとうございました。
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津森太壱。