第七十一話 閉ざされた八つ目
第一章 神に忘れられた子
朝。
アルヴェインは、目を覚ましてすぐに胸元へ意識を向けた。
七つ目の光は安定している。
その隣にあったもう一つの光も、昨夜から消えていない。
二つの光の間には、細い線が伸びていた。
昨日まで途中で途切れていた線が、ほんの少しだけ長くなっている。
『第七の意思:安定』
『境界外反応:継続』
『相互接続:保留』
アルヴェインは魔力視を深めた。
すると、二つの光の下に、今まで見えなかった小さな影が浮かび上がった。
七つ目の光でも、応答者の光でもない。
さらに奥に隠れている、別の何か。
その影には、数字のようなものが刻まれていた。
『八』
アルヴェインは目を見開いた。
しかし、次の瞬間には影が消えていた。
『観測制限』
視界に短い文字が浮かぶ。
それ以上、見ることはできなかった。
⸻
北東の山岳地帯。
グレイヴは、地下石室の奥にある壁を調べていた。
これまで七つ目の印に意識を向けていたため、石室の奥までは詳しく確認していなかった。
だが、ロディスが新しい反応を見つけたことで、調査範囲を広げていた。
「こちらです」
ロディスが壁の一部を指した。
そこには、薄く削られた文字が残っていた。
『七つの選択が揃うとき、閉ざされたものが姿を現す』
グレイヴはその文字を見つめた。
「七つの選択……」
「現在確認できている七つ目の空白の選択とは、関係があるのでしょうか」
「分からん」
グレイヴは壁に手を触れた。
その瞬間、石室全体が微かに揺れた。
床の七つ目の印が光る。
続いて、壁の奥から低い音が響いた。
ゴン……。
まるで、遠くで巨大な扉が動いたような音だった。
ロディスが記録板を確認する。
「新しい反応です!」
『第七の灯火:安定』
『未確認領域:反応』
『第八の記録:封鎖』
グレイヴの表情が変わった。
「第八の記録だと?」
「はい。ですが、詳細は表示されません」
「七つでは終わらないということか」
ロディスは答えなかった。
壁には、さらに小さな文字が浮かび上がっていた。
『八つ目は、選ばれなかったもの』
その直後、文字は消えた。
⸻
王都ヴァルディア。
ミレーヌは、古い封印書架の前に立っていた。
前日に反応した箱は、今も微かに光を放っている。
彼女は慎重に封印を確認し、蓋を開けた。
中にあったのは、一枚の薄い石板だった。
表面には八つの円が刻まれている。
六つの円が六角形を作り、その外側に七つ目。
そして、さらに離れた場所に八つ目の円があった。
ミレーヌは息を呑んだ。
「八つ……?」
石板に触れる。
すると、文字が浮かび上がった。
『七つは意思を取り戻すためのもの』
『八つ目は、意思を持つことを許されなかったもの』
彼女は指を止めた。
「許されなかった……?」
その下には、さらに記述が続いている。
『選択を与えられなかったもの』
『選択することを恐れられたもの』
『そして、選択する権利を失ったもの』
ミレーヌは顔を上げた。
もし八つ目が存在するなら、それは単に記録から失われた存在ではない。
誰かによって、選択することそのものを奪われた存在なのかもしれない。
そのとき、石板の八つ目の円が一瞬だけ光った。
『封鎖状態:継続』
『接触禁止』
ミレーヌはすぐに手を離した。
「一体、何が封じられているの……」
⸻
公爵邸。
午後、セレスティアはアルヴェインを抱いて庭を歩いていた。
古木のそばを通りかかったとき、アルヴェインの胸元が微かに熱を持った。
彼は古木を見た。
魔力視を使う。
根元から伸びる線の中に、七つの光が見えた。
しかし、今日はその奥にもう一つの影がある。
八つ目。
朝に見たものと同じだった。
アルヴェインが意識を向ける。
すると、影の周囲に文字が浮かんだ。
『記録対象:未登録』
『意思状態:不明』
『接触許可:なし』
その瞬間、古木の幹がわずかに震えた。
セレスティアは足を止める。
「また……」
彼女は古木に手を触れた。
「あなたは、何を伝えたいの?」
葉が一枚、静かに落ちる。
セレスティアの脳裏に、知らない光景が浮かんだ。
雪の広場。
誰もいない場所。
そこに立つ、小さな影。
影は何かを言おうとしている。
しかし、声が出ない。
セレスティアは目を見開いた。
「声が……出せないの?」
その言葉に反応するように、古木の根元が淡く光った。
アルヴェインは母の顔を見た。
セレスティアは、今の光景を夢だとは思わなかった。
確かに、誰かがそこにいた。
そして、その誰かは声を出せなかった。
⸻
夕方。
レオンハルトは、アルヴェインの部屋で木製の玩具を組み立てていた。
小さな動物の形をした積み木だ。
「これ、父上が帰ってきたら見せるんだ」
レオンハルトは得意そうに言った。
「僕が自分で作ったんだよ」
少し歪んでいるが、形にはなっている。
アルヴェインは玩具を見つめた。
レオンハルトが最後の部品を置いた瞬間、玩具の底に小さな刻印が現れた。
六角形。
その外側に、七つ目の点。
そして、さらに離れた場所に八つ目の点。
アルヴェインは息を呑んだ。
玩具はただの木片ではなかったのか。
レオンハルトは刻印に気づいていない。
「どう? 上手にできたでしょ?」
彼は玩具をアルヴェインの前に置いた。
そのとき、玩具から小さな声が聞こえた。
『……見つけないで』
アルヴェインの視界が揺れた。
『まだ、見つけないで』
声は弱く、途切れ途切れだった。
そして、最後に。
『見つかったら、また選ばされる』
玩具の刻印は、すぐに消えた。
レオンハルトは不思議そうに首を傾げる。
「アルヴェイン?」
アルヴェインは兄を見つめた。
八つ目の存在は、誰かに見つけられることを恐れている。
七つ目の空白とは違う。
生きることを選び始めた存在ではなく、選ぶこと自体から逃れようとしている。
⸻
その夜。
黒衣の男は、森の奥にある石碑の前に立っていた。
石碑には、八つ目の円が刻まれている。
男はそれを見つめていた。
「まだ眠っているのか」
石碑に文字が浮かぶ。
『八つ目:封鎖』
『選択権:未返却』
男は静かに目を閉じた。
「もう、誰にも選ばせないつもりか」
石碑から返事はない。
しばらくして、男は続けた。
「それは守っていることにはならない」
すると、石碑の表面に別の文字が浮かんだ。
『選択による損失:記録あり』
男の表情が険しくなる。
「知っている」
『再発の可能性:高』
「それでもだ」
『あなたは、再び失うことを恐れている』
男は石碑に手を置いた。
「恐れている」
彼は否定しなかった。
「だが、恐れているからといって、誰かの選択を奪うことはしない」
そのとき、石碑の八つ目の円が一瞬だけ光った。
奥から、かすかな音が響く。
まるで、誰かが扉の向こうで息をしたようだった。
男はその場を離れなかった。
「……待っている」
⸻
深夜。
アルヴェインは夢の中にいた。
そこは、今まで見たことのない場所だった。
白い壁。
窓のない部屋。
中央には、小さな椅子が一つ置かれている。
椅子の上には、誰もいない。
しかし、床には小さな足跡が残っていた。
七つではない。
八つ。
アルヴェインは足跡を見つめた。
そのとき、部屋の隅から声が聞こえた。
『来ないで』
七つ目の空白の声ではない。
別の存在だ。
アルヴェインは振り返った。
そこには、小さな影が立っていた。
顔は見えない。
輪郭も曖昧だった。
『見ないで』
アルヴェインは動かなかった。
影は少しずつ後ろへ下がる。
『お願い』
『私は、選びたくない』
その声には、強い恐怖があった。
『選んだら、誰かがいなくなる』
アルヴェインの胸元が熱くなる。
『だから、何も選ばなければいい』
影は両手で顔を覆った。
『何も決めなければ、誰も傷つかない』
部屋の壁に文字が浮かんだ。
『第八の記録:封鎖継続』
『意思状態:拒絶』
『選択権:未返却』
アルヴェインは影を見つめた。
七つ目の空白は、自分のために生きたいと選んだ。
しかし、八つ目の存在は違う。
選択することで何かを失うと信じている。
その恐怖を、無理に取り除くことはできない。
アルヴェインは小さな手を伸ばした。
影は震えながら、こちらを見た。
『どうして、手を伸ばすの?』
アルヴェインは答えられない。
ただ、手を伸ばしていた。
しばらくして、影の足元に小さな光が灯った。
『接触:拒絶』
『強制接続:拒否』
しかし、その下に新しい文字が現れた。
『観測者:受容』
アルヴェインの視界が揺れる。
影は、伸ばされた手を見つめていた。
『……触らなくても、いいの?』
アルヴェインは手を動かさなかった。
影が自分から近づくのを待つ。
長い沈黙。
やがて、影はほんの少しだけ前に進んだ。
『ありがとう』
その声は、かすかだった。
だが、確かに届いた。
その瞬間、白い部屋の壁に亀裂が走る。
『第八の記録:反応』
『意思状態:変化なし』
『接触許可:未取得』
それでも、最後に一つだけ文字が浮かんだ。
『拒絶の意思:尊重された』
アルヴェインは目を覚ました。
胸元には、七つ目の光。
そして、そのさらに奥に、今まで見えなかった八つ目の影が残っていた。
八つ目はまだ、何も選んでいない。
生きることさえ、選んでいない。
だが、初めて自分の拒絶を受け入れられた。
それは、選択を取り戻すための、もう一つの始まりだった。




