↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁なき世界の覇王   作者: 未記入です。


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/497

第五十四話 名を持たぬ守り人

第一章 神に忘れられた子

北東の山岳地帯。


古い石碑に浮かび上がった文字を、グレイヴは何度も読み返していた。


『名を持たぬ者が、名を呼ぶとき、最初の記録者は目覚める』


「眠りを守る者が、名を呼ぶ……」


ロディスが隣でつぶやいた。


「しかし、名前を持たない者が、誰の名前を呼ぶのでしょうか」


「分からない。だが、名前を呼ぶことが覚醒の条件なら、誰かが意図的にその役割を担っているはずだ」


グレイヴは石碑の周囲を調べた。


足跡は一つだけ。


建物から外へ向かって伸び、石碑の前で途切れている。


まるで、そこに立っていた人物が突然消えたようだった。


「この足跡、どこまで続いていたんでしょう」


ロディスが尋ねる。


「分からない。雪の上には、これ以外の痕跡がない」


「転移魔法の可能性は?」


「魔力の残滓がない。魔法で移動したとは考えにくい」


グレイヴは足跡の先を見つめた。


「そもそも、俺たちが見ているものが、本当に足跡なのかも分からない」


そのとき、石碑の表面が淡く光った。


新たな文字が現れる。


『眠りを守る者:所在確認』


『接触:拒否』


『呼称:禁止』


ロディスは息を呑んだ。


「存在は確認できた。しかし、接触は拒否されている……」


「こちらから探すなということか」


グレイヴは石碑から離れた。


「今は待つ」


⸻


王都ヴァルディア。


旧王族療養施設では、目覚めた人物が静かに横になっていた。


ミレーヌは、ベッドの傍らに座っている。


「眠りを守る者について、何か覚えていることはありませんか?」


人物は天井を見つめたまま答えた。


「姿は覚えていません」


「名前も?」


「名前はありません」


「本当に存在しているのですか?」


「はい。私たちが眠りにつく前から、ずっとそばにいました」


人物は少しだけ微笑んだ。


「誰にも気づかれず、誰にも覚えられず、それでもずっと守ってくれていた」


ミレーヌは記録板に目を落とした。


「その者は、なぜそこまでしてあなたを守るのでしょう」


「私を守っているのではありません」


「では、何を?」


「眠りそのものを守っているのです」


ミレーヌは顔を上げた。


「眠りそのもの……?」


「私が目覚めることで、何かが始まってしまう。それを止めるために、あの人は眠りを守っている」


「それなのに、なぜ今になって目覚めたのでしょうか」


人物は目を閉じた。


「誰かが、約束を思い出し始めたからです」


「グレイヴ公爵ですね」


「はい。あの人が思い出せば、私も目覚めることになります」


「それは、あなたが望んでいることですか?」


人物は少し考えた。


「分かりません」


意外な答えだった。


「ずっと待っていました。でも、実際にその日が近づくと、怖くなります」


ミレーヌは静かにうなずいた。


「怖いと思うのは自然なことです」


「それでも、進まなければいけないのでしょうか」


「いいえ。あなたが決めていいことです」


人物はミレーヌを見つめた。


その目に、わずかな安堵が浮かんだ。


⸻


クロイゼル公爵邸。


アルヴェインは、セレスティアの腕の中で眠っていた。


しかし、夢の中では、見知らぬ場所に立っていた。


白い霧に包まれた広場。


周囲には石造りの建物が並んでいる。


そこには人影がある。


だが、誰もアルヴェインを見ていない。


人影はそれぞれ違う方向を向き、何かを探しているようだった。


アルヴェインは一人の子供に近づいた。


以前から何度も夢に現れている、顔の見えない子供だ。


「……」


声を出そうとしても、赤子の身体と同じように言葉にはならない。


子供はアルヴェインを見つめた。


『ここは、まだ記録されていない場所』


子供が言った。


『でも、確かに存在していた』


アルヴェインは周囲を見渡した。


『みんな、名前を持っていなかった』


子供は自分の胸元に手を当てる。


そこには何もない。


六角形の印も、名前を示すものも。


『名前がないから、誰も呼んでくれない』


子供は少し笑った。


『でも、あの人だけは違った』


その瞬間、霧の向こうに人影が現れた。


長い衣をまとった人物。


顔は見えない。


その人物は子供たちの前に立ち、一人ずつ名前を尋ねていた。


『あなたの名前は?』


『ないよ』


『それなら、あなたが大切にしているものを教えて』


『大切なもの?』


『そう。あなたが、あなたであるためのもの』


子供は考えた。


そして、手に持っていた小さな石を差し出した。


『これ』


人物は石を受け取り、優しく微笑んだ。


『分かった。忘れないわ』


その光景を見た瞬間、アルヴェインの視界に文字が浮かんだ。


『記録の原型:確認』


『名前の代替:個別記憶』


『記録者:未確定』


しかし、その人物の背後に、もう一つの影があった。


黒い影。


それは人の形をしているようで、どこか違う。


影は、人物の肩に手を置いた。


『もう十分だ』


人物は振り返らない。


『まだ、全員の名前を覚えていない』


『それ以上続ければ、お前の名前が失われる』


『構わない』


『お前自身が、誰だったのかも分からなくなる』


人物は少しだけ笑った。


『それでも、誰かが覚えていてくれるなら』


黒い影が揺れた。


『誰が、お前を覚えている?』


人物は答えなかった。


その瞬間、夢の広場が崩れ始めた。


⸻


アルヴェインは目を覚ました。


胸元が熱い。


セレスティアがすぐに気づいた。


「どうしたの、アルヴェイン?」


彼女は息子の背中を優しく撫でる。


アルヴェインは母の顔を見上げた。


魔力視を使うと、セレスティアの胸元に淡い光が見えた。


その光の奥に、先ほどの夢の人物と同じ形の記録が残っている。


『記憶保持:部分反応』


『過去記録:接続補助』


『対象:名前を与えた者』


アルヴェインは目を見開いた。


母の記録に、名前を与えた者の痕跡がある。


しかし、それは本人の記憶ではない。


誰かから受け継いだ、遠い記録の一部だった。


セレスティアは息子の額に手を当てた。


「怖い夢でも見たの?」


アルヴェインは小さく声を漏らした。


「……あぅ」


「大丈夫よ。ここにいるからね」


セレスティアは微笑んだ。


その言葉に反応するように、古木の根元で小さな輪が光った。


⸻


翌朝。


北東の山岳地帯。


グレイヴは調査隊を集めていた。


「本日の調査は、建物の外周と周辺地形に限定する」


騎士たちがうなずく。


「扉への接触は禁止。内部へ入ることも許可しない」


ロディスが尋ねた。


「公爵、眠りを守る者についてはどうされますか?」


「こちらから探さない」


「接触できる可能性があるとしても?」


「本人が姿を現すまで待つ」


グレイヴは建物を見つめた。


「守るために姿を隠している者を、無理に引きずり出す理由はない」


そのとき、調査隊の後方から声がした。


「それが正しい判断だと思います」


全員が振り返る。


雪の上に、一人の人物が立っていた。


灰色でも黒でもない、色の薄い外套。


顔は深くフードに隠れている。


騎士たちが剣を抜いた。


「何者だ!」


人物は動かなかった。


「私は、眠りを守る者ではありません」


グレイヴが前へ出る。


「ならば何者だ」


「かつて、名前を与えられた者の一人です」


ロディスの表情が変わった。


「名前を与えられた……?」


人物はゆっくりとうなずいた。


「私は、あの場所にいた者です」


「眠っている人物を知っているのか?」


「知っています」


「ならば、名前を教えろ」


人物は首を横に振った。


「名前を呼ぶことはできません」


「なぜだ?」


「私には、もうその名前を呼ぶ資格がないからです」


グレイヴは目を細めた。


「資格?」


人物は自分の胸元に手を当てた。


そこには六角形の印がない。


代わりに、薄い傷のような跡が残っていた。


「私は、一度その人を裏切りました」


ロディスが息を呑む。


「何をしたのですか?」


人物は答えなかった。


ただ、グレイヴに向かって告げた。


「あなたに伝えることがあります」


「何だ」


「眠りを守る者は、あなたが思っているような存在ではありません」


グレイヴは黙って続きを待った。


「その者は、誰かを守るために眠りを維持しているのではありません」


「では、何のためだ?」


人物は、建物の扉を見つめた。


「眠っている人が、自分自身を忘れないようにするためです」


その言葉に、グレイヴの胸元が反応した。


『記憶保持:接続要求』


『第一継承者:照合』


しかし、次の瞬間、文字が黒く塗りつぶされた。


人物は一歩後退した。


「もう時間がありません」


「待て。まだ聞きたいことがある」


「今は、これだけです」


人物はフードの奥から、グレイヴを見つめた。


「あなたが思い出すべきなのは、約束の内容ではありません」


「何を思い出せばいい?」


「約束を交わしたとき、あなたが何を恐れていたのかです」


風が吹き抜ける。


人物の姿が薄れていく。


「待て!」


グレイヴが手を伸ばしたときには、もう誰もいなかった。


雪の上にも足跡は残っていない。


ただ、地面に小さな石が一つ置かれていた。


⸻


グレイヴはその石を拾い上げた。


手のひらに収まる、小さな石。


表面には、六角形の印が刻まれている。


しかし、中央には何もない。


ロディスが近づく。


「これは……」


「分からない」


グレイヴは石を見つめた。


その瞬間、記憶が蘇る。


幼い自分。


雪の広場。


誰かの手を握っている。


そして、自分は泣いていた。


『俺が忘れたら、どうする?』


幼いグレイヴが尋ねる。


向かいにいる子供は、少し考えて答えた。


『そのときは、また思い出させる』


『何度でも?』


『何度でも』


『もし、俺が思い出したくないと言ったら?』


子供は笑った。


『それでも、待っている』


グレイヴの手が震えた。


思い出したのは、約束の内容ではない。


そのとき、自分が恐れていたことだった。


忘れること。


大切な誰かを、自分の意思とは関係なく失うこと。


そして、思い出したときに、その相手を傷つけてしまうこと。


グレイヴは石を強く握った。


「……そうか」


ロディスが尋ねる。


「何か思い出されたのですか?」


「ああ」


グレイヴは遠くの建物を見つめた。


「俺は、あのときから怖かったんだ」


誰かを忘れることが。


そして、誰かに思い出されることも。


⸻


その夜。


石造りの建物の最奥。


眠っている人物の傍らに、一つの影が現れた。


人の形をしている。


だが、顔はない。


影は寝台のそばに立ち、静かに手を伸ばした。


『もう少しだけ』


声は、誰にも聞こえない。


『もう少しだけ、待っていて』


眠っている人物の指が、わずかに動く。


影は、その手に触れた。


『あの子が選ぶまで』


その瞬間、建物の六つの円が淡く光った。


そして、最奥の壁に文字が浮かび上がる。


『眠りを守る者:存在確認』


『記録:なし』


『名前:なし』


『役割:未確定』


最後に、一行だけ。


『その者は、まだ誰にも覚えられていない』


影はゆっくりと顔のない頭を上げた。


そして、初めて言葉を発した。


「……おかえり」


眠る人物の頬を、一筋の涙が伝った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。