第四十二話 王都に眠る記録
第一章 神に忘れられた子
王都ヴァルディア。
王城の北側に位置する王立魔導院は、夜明け前だというのに騒然としていた。
地下書庫で発生した記録石の異常反応。
その報告を受け、魔導院の研究員たちが次々と集まっていた。
「反応はまだ続いているのか?」
白髪の研究主任が尋ねる。
ミレーヌは記録石の前に立ち、慎重に答えた。
「はい。ただし、魔力反応はありません。記録そのものが書き換わっているようです」
「記録の書き換えだと?」
「正確には、これまで存在しなかった記録が浮かび上がっています」
彼女は石板を指差した。
そこには、昨夜と同じ文字が残されていた。
『第五の記録者、接続開始』
『位置:王都』
『対象:未特定』
「第五の記録者が王都にいるということか」
主任の言葉に、ロディスが口を開いた。
「そうとは限りません。王都に記録者がいるのではなく、王都に記録者の痕跡が残されている可能性もあります」
「違いは何だ?」
「生きている人物なのか、過去の記録なのか。それによって意味が大きく変わります」
ロディスは記録石に近づいた。
魔力を流す。
何も起きない。
次に、杖を使わずに石の表面へ手をかざした。
その瞬間、彼の胸の奥に、かすかな痛みが走った。
「……これは」
「ロディス様?」
「私の記録欠損に反応している」
石板の表面に、新しい文字が現れた。
『記録欠損者、照合』
『対象:ロディス』
『第五の記録者との接続、未完了』
ロディスは手を離した。
「私が第五の記録者というわけではないようです」
ミレーヌは考え込んだ。
「では、あなたの欠損部分が、第五の記録者を見つける手掛かりになるのかもしれません」
そのとき、書庫の入口から声がした。
「その調査、私にも参加させてもらおう」
振り返ると、王立魔導院の上席研究官が立っていた。
彼は記録石を見つめ、表情を曇らせる。
「四百年前の記録と同じ反応だ」
「四百年前にも?」
ミレーヌが尋ねる。
「詳しいことは記録されていない。ただ、当時の研究員が残した短い報告がある」
彼は懐から古い紙片を取り出した。
そこには、こう書かれていた。
『記録者が戻るとき、世界は自らの記憶を疑う』
「これ以上の記録は残っていない」
上席研究官は紙片をしまった。
「だが、一つだけ忠告しておく。王都の地下には、魔導院の管理外にある古い施設が存在する」
ロディスが顔を上げた。
「そこに第五の記録者が?」
「分からない。ただ、今回の反応が始まった場所と、地下施設の位置は近い」
ミレーヌは地図を広げた。
王城の北東。
現在は封鎖されている旧王族居住区。
そこに、古い地下通路が記されていた。
「ここを調べる必要がありますね」
ロディスはうなずいた。
「ただし、王城の許可が必要です」
上席研究官は静かに答えた。
「私が手配しよう」
⸻
その頃、ノルディア。
村の閉鎖は、完全には解除されていなかった。
しかし、黒い輪は消え、外の景色も少しずつ戻り始めている。
グレイヴは村の広場で、古い家の入口を見つめていた。
「完全に閉じたわけではないな」
ミレーヌの代わりに同行していた記録調査員が答える。
「はい。境界の一部が残っています。無理に触れなければ、今すぐ危険になることはないと思われます」
「分かった。村人の記録を確認しろ。家屋の中に残されたものも、可能な限り保全する」
ロディスが古い家から出てきた。
手には、日記とは別の小さな木箱がある。
「グレイヴ様。これを見てください」
箱の表面には、六角形の印が刻まれていた。
「中身は?」
「まだ開けていません。ただ、この箱には魔力による封印がありません」
「ならば、開けられるのではないか?」
「問題は、開けた後です」
ロディスは箱を見つめた。
「中に何が入っているか分かりません。記録を保存しているものなのか、それとも封じているものなのか」
グレイヴは少し考えた。
「ここで開ける必要はない。持ち帰って慎重に調べる」
「承知しました」
箱を布で包んだとき、ロディスの指先に小さな文字が浮かんだ。
『約束を持つ者』
『記録を保持』
『返還条件、未達』
彼は目を閉じた。
「まだ、終わっていないのか……」
⸻
王都から遠く離れたクロイゼル公爵邸。
アルヴェインは、いつもと変わらない朝を迎えていた。
セレスティアに抱かれ、部屋の窓から庭を眺める。
木々の葉が揺れ、庭師が古木の周囲を整えている。
何も変わらない日常。
しかし、アルヴェインには分かっていた。
世界のどこかで、また何かが動いている。
胸元の六角形が、かすかに熱を帯びていた。
魔力視を開く。
視界に現れたのは、屋敷を取り囲む無数の線だった。
これまで見てきた魔力の流れとは違う。
それらは人や物を繋ぐものではなく、場所と場所を結びつけている。
北。
王都。
そして、まだ見たことのない遠い土地。
(線が増えている……)
その中に、一つだけ不自然なものがあった。
王都へ向かう線。
そこだけ、途中で途切れている。
切断されたわけではない。
最初から、その先が存在しないかのように見える。
(記録が欠けている?)
アルヴェインが集中した瞬間、視界に文字が浮かんだ。
『第五の記録者』
『接続先:王都』
『照合対象:未確定』
『境界干渉:発生』
さらに、その下に一文が現れた。
『接触を避けよ』
アルヴェインは目を見開いた。
(誰が……何を避けろと言っている?)
文字はすぐに消えた。
その直後、胸元に鋭い痛みが走る。
「あぅっ……!」
セレスティアが驚いて、すぐに抱き直した。
「どうしたの、アル? 痛いの?」
アルヴェインは小さな手で母の服を握った。
(大丈夫だ。少し反応しただけだ)
もちろん、伝わるはずもない。
セレスティアは優しく背中を撫でる。
「大丈夫よ。ここにいるからね」
その声を聞きながら、アルヴェインは目を閉じた。
今はまだ、王都へ行くこともできない。
自分の意思を伝えることすら難しい。
それでも、見えたものは覚えておかなければならない。
⸻
昼過ぎ。
エリシアは庭の古木のそばで、レオンハルトと一緒にいた。
「エリシア、今日は何をしているの?」
「木の根元を少し確認しているのです」
「何かあるの?」
「以前から、ここに不思議な反応があるので」
レオンハルトはしゃがみ込んだ。
「僕にも見えるかな?」
「魔力視を使えば、何か分かるかもしれません」
「やってみる」
レオンハルトは目を閉じ、魔力を集中させた。
しばらくして、彼の額に汗が浮かぶ。
「……うまく見えない」
「焦らなくて大丈夫です」
「父上は、もっと簡単にできるんだけどな」
「グレイヴ様も、最初からできたわけではありませんよ」
レオンハルトは悔しそうに唇を結んだ。
「もっと練習する」
そのとき、古木の根元から小さな音がした。
コツン。
二人が同時に振り向く。
土の表面に、薄い光が浮かんでいた。
エリシアは胸元に手を当てる。
「また……」
光の中に、文字が現れた。
『記録保持者、確認』
『第五の記録者、照合対象』
『接続候補:エリシア』
エリシアの顔から血の気が引いた。
「私が……?」
レオンハルトは彼女を見上げた。
「エリシア?」
「いえ、大丈夫です」
そう言いながらも、彼女の手は震えていた。
そのとき、別の文字が現れた。
『第五の記録者は、あなたではない』
エリシアは息を呑んだ。
「では……誰なのですか?」
返事はなかった。
代わりに、古木の根元から一本の線が伸びた。
その線は庭の外へ向かい、屋敷の門を越えて、遠くへと続いていく。
レオンハルトには見えていない。
エリシアにも、線の先までは見えなかった。
ただ、アルヴェインだけは、部屋の中からその光を見ていた。
(違う……)
アルヴェインの視界に、新しい文字が浮かぶ。
『第五の記録者』
『所在:王都』
『記録保持者:別個体』
『エリシア:接続補助』
(エリシアは、鍵を見つけるための手掛かりなのか……)
さらに文字が続く。
『接続先への干渉を確認』
『警告』
『境界の管理者、第二監視者が起動』
その瞬間、視界の奥に黒い影が立った。
今まで見たことのない姿。
黒衣の男でも、灰色のローブの男でもない。
影は、アルヴェインを見ていた。
そして、声が響く。
『まだ早い』
『その子を、王都へ近づけるな』
アルヴェインの胸元が強く光った。
しかし、影はすぐに消えた。
(その子……?)
自分のことなのか。
それとも、第五の記録者のことなのか。
判断できないまま、アルヴェインの視界は元に戻った。
⸻
その夜。
王都の旧王族居住区。
封鎖された地下通路の奥で、一人の人物が古い扉の前に立っていた。
扉には、六角形の紋様が刻まれている。
その中央には、これまで見たことのない文字があった。
『記録を持たぬ者、入るべからず』
人物は扉に手を触れた。
すると、六つの円のうち一つだけが光った。
『第五の記録者』
『照合開始』
人物は静かに目を閉じた。
「……ようやく、見つけた」
その声には、安堵と悲しみが混じっていた。
「今度こそ、あの子に会える」
扉の向こうから、かすかな声が聞こえる。
『……誰?』
人物は答えなかった。
名前を呼ぶことはできない。
まだ、その時ではない。
ただ、扉に額を寄せて、静かに告げた。
「待っていてくれ」
六つの円が、一つずつ光り始める。
しかし、最後の一つだけは暗いままだった。
そして、扉の奥から別の声が響いた。
『第二監視者、起動』
『記録接続を停止せよ』
人物は目を開いた。
「やはり、まだ邪魔をするか」
その声が消えると同時に、地下通路の壁に亀裂が走った。
王都の地下で、六百年前に閉ざされた何かが、ゆっくりと目を覚まそうとしていた。




