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暁なき世界の覇王   作者: 未記入です。


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第三十二話 最初に忘れた者

第一章 神に忘れられた子

 夜のクロイゼル公爵家。


 書斎には、普段より多くの灯りがともされていた。


 机の上には、ロディスが持っていた木製の玩具と、エリシアが見つけた六角形の飾りが並べられている。


 二つの品は、形こそ異なるものの、刻まれた紋章は同じだった。


 六つの円を持つ六角形。


 その中心には、どちらにも小さな傷がある。


「偶然とは思えませんね」


 ミレーヌが二つの品を見比べた。


「どちらも同じ時代に作られた可能性があります」


「しかし、ロディス殿の玩具は北方の商人から手に入れたものだ。エリシアの飾りは?」


 グレイヴが尋ねる。


「私がクロイゼル家に来る前から持っていたものです」


 エリシアは答えた。


「ただ、どこで手に入れたのかは覚えていません。気づいたときには、すでに手元にありました」


「ご家族から譲られたものでは?」


「それも分かりません」


 エリシアは俯いた。


「私には、幼い頃の記憶がほとんどないんです」


 グレイヴが顔を上げる。


「ほとんどない?」


「はい。自分の名前と、育ててくれた人のことは覚えています。でも、それ以前のことは曖昧で……」


「その育ててくれた人は?」


「私が十歳になる頃に亡くなりました。北方の小さな村に住んでいた方です」


「村の名前は分かるか?」


「……ノルディアという名前だったと思います」


 ミレーヌが手帳に書き留めた。


「ノルディア。北方の村ですね」


「今もあるのか?」


 グレイヴの問いに、ミレーヌは資料を確認した。


「少々お待ちください」


 数分後。


 彼女の表情が変わった。


「ありません」


「何?」


「王国の古い地図にも、現在の地図にも、ノルディアという村は記載されていません」


「廃村になった可能性は?」


「あります。ただ、北方の集落について調べた記録にも、その名前が見当たりません」


 ロディスが二つの品を見つめた。


「記録から失われた村……」


 その言葉に、エリシアの肩が僅かに震えた。


「私がいた場所も、忘れられてしまったのでしょうか」


 誰もすぐには答えられなかった。


 やがて、グレイヴが静かに口を開いた。


「まだ決まったわけではない。分からないことを、悪い方向へ決めつけるな」


「……はい」


「君がどこで生まれたとしても、今ここにいることは変わらない。クロイゼル家は君を疑っていない」


 エリシアの目に涙が浮かんだ。


「ありがとうございます、旦那様」


     ◇


 翌朝。


 ロディスとミレーヌは、二つの品を詳しく調べることにした。


 魔力による解析は行わない。


 これまでの経験から、通常の魔術を用いた調査では、何も分からない可能性が高かったからだ。


「まずは形状を比較します」


 ミレーヌは薄い紙に二つの紋章を写し取った。


 その後、細かな傷や削れた部分を確認する。


「ロディス様、こちらを見てください」


「何か分かりましたか?」


「この傷です」


 ミレーヌが指差したのは、六角形の中心部分だった。


「二つの品には、同じ位置に同じ傷があります」


「同じ道具で付けられたということですか?」


「それだけではありません。傷の形まで一致しています」


 ロディスは二つの品を近づけた。


 すると、奇妙なことが起きた。


 玩具の側面にあった小さな突起が、六角形の飾りの窪みにぴたりとはまったのだ。


「これは……」


 二つの品が、まるで一つのものだったかのように繋がった。


 その瞬間、室内の空気が僅かに震えた。


 ミレーヌの手元にあった紙が、自然にめくれる。


 そこには、今まで存在しなかった文字が浮かび上がっていた。


『記憶を持つ者、二人』


『約束を持つ者、一人』


『名前を待つ者、一人』


 ロディスは息を呑んだ。


「約束を持つ者……」


 エリシアがゆっくり顔を上げる。


「私たちのことなのでしょうか?」


「分かりません。ただ、この記録は二人を認識しています」


 ミレーヌは紙を見つめた。


「それと、もう一つ気になることがあります」


「何です?」


「二つの品が揃ったことで、最後の文字が現れました」


 彼女は文字を指でなぞった。


『最初に忘れた者は、門の外にいる』


 書斎に沈黙が落ちた。


 グレイヴは腕を組んだ。


「門の外……北の遺跡か?」


「可能性はあります。しかし、門の外という表現が、物理的な場所を指すとは限りません」


「世界の内側と外側、という意味か」


 ロディスが呟いた。


 ミレーヌは頷いた。


「これまでの記録にも、境界の外にいる者についての記述がありました」


 グレイヴは北の山脈を見つめた。


「ならば、北へ向かう必要があるな」


「旦那様」


 セレスティアが口を開いた。


「また危険な場所へ行かれるのですか?」


「必要な情報を得るためだ」


「アルヴェインのことも関係しているのでしょう?」


「……ああ」


 セレスティアは少しだけ目を伏せた。


「この子に何かあってからでは遅いです。どうか慎重に」


「約束する」


 グレイヴは短く答えた。


     ◇


 その頃、アルヴェインは母の部屋で寝かされていた。


 目を開けているものの、身体はまだ自由に動かせない。


 セレスティアが本を読んでいる横で、魔力視を使っていた。


 すると、視界の端に小さな光が現れた。


 それは部屋の壁に沿って移動している。


 アルヴェインは視線を動かした。


 光は壁の絵画の前で止まった。


 そこには、クロイゼル公爵家の歴代当主を描いた肖像画が並んでいる。


 その中の一枚。


 初代当主の肖像画だった。


 アルヴェインは目を細めた。


 絵画の背後に、薄い記録の層が見える。


 今まで気づかなかったものだ。


 その層には、初代当主の姿とは別に、もう一人の人物が描かれていた。


 顔はぼやけている。


 背丈は初代当主より少し低い。


 服装は、今の時代のものとは違う。


 その人物の胸元には、六角形の紋章があった。


(この人が……?)


 視界に文字が浮かぶ。


『記録断片』


『対象:初代当主』


『同席者:未登録』


『記録状態:削除痕あり』


 アルヴェインはさらに集中した。


 すると、絵画の人物がこちらを向いた。


 もちろん、絵が動いたわけではない。


 残された記録の中の人物が、何かの条件に反応したのだ。


 その人物の口が動く。


『……まだ、覚えているか』


 声は聞こえない。


 だが、言葉の形だけは分かった。


 アルヴェインの胸元が淡く光る。


 次の瞬間、記録は消えた。


「アルヴェイン?」


 セレスティアが本から顔を上げた。


 アルヴェインは小さく手を動かした。


「何か見えたの?」


 母は微笑みながら、彼の頬に触れる。


 アルヴェインはその手を握った。


 初代当主。


 同席者。


 削除痕。


 最初に忘れた者は、門の外にいる。


 もしかすると、クロイゼル家の歴史そのものが、最初から何かを隠しているのかもしれない。


     ◇


 同じ夜。


 北方の地下遺跡。


 黒い外套の男は、古びた石碑の前に立っていた。


 石碑には、いくつもの名前が刻まれている。


 しかし、そのほとんどは削られていた。


「……見つけたか」


 男は背後を振り返らずに言った。


 暗闇から、一人の人物が現れた。


 灰色のローブ。


 仮面を被った男だった。


「あなたが探していたものではありませんが、記録が動き始めました」


「どこまで?」


「二つの記録保持者が接続しました。保管領域にも反応が出ています」


 黒い外套の男は、石碑に刻まれた名前を見つめた。


「そうか」


「このままでは、最初の記憶まで戻ります」


「戻るべき記憶なら、戻ればいい」


「その先に何があるのか、あなたも知らないはずです」


「知っている」


「何を?」


 男は答えなかった。


 代わりに、石碑の一番下に刻まれた文字を指でなぞった。


 そこには、かろうじて読める名前が一つ残っていた。


 その名前を見た瞬間、彼の手が止まった。


「……まだ、消えていなかったのか」


 仮面の男が近づく。


「それは誰の名前です?」


「お前が知る必要はない」


「ならば、私が消します」


 黒い外套の男は、ゆっくり振り返った。


「触れるな」


「なぜです?」


「それは、最後に残された約束だからだ」


 仮面の男は沈黙した。


 黒い外套の男は再び石碑に目を向けた。


 そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「今度こそ……名前を返さなければならない」


     ◇


 深夜。


 アルヴェインは再び夢の中にいた。


 今度は白い霧ではない。


 石造りの広間。


 中央には、大きな円形の台座がある。


 その周囲には、六つの柱が立っていた。


 それぞれの柱には異なる紋様が刻まれている。


 構成。


 循環。


 変質。


 生命。


 時間。


 記録。


 そして、台座の前に一人の少年が立っていた。


 年齢は、レオンハルトより少し上に見える。


 少年はアルヴェインを見つけると、少し驚いたように目を見開いた。


「君が来たんだね」


 少年は笑った。


「やっと会えた」


 アルヴェインは声を出そうとした。


 しかし、夢の中でも今の身体は赤子のままだった。


「大丈夫。話さなくても分かるよ」


 少年は台座に手を置いた。


「僕たちは、ここで約束したんだ」


「……あう」


「でも、約束を守れなかった」


 少年の笑顔が消える。


「だから、みんな忘れてしまった」


 六つの柱が、一つずつ光を失っていく。


「最初に忘れたのは、僕じゃない」


 少年はアルヴェインを見つめた。


「最初に忘れたのは……」


 その先を言おうとした瞬間、広間に別の声が響いた。


『記憶接続を停止せよ』


 少年の身体が揺らぐ。


「もう来たのか」


 少年は苦笑した。


「まだ全部は話せないみたいだ」


 そして、アルヴェインへ手を伸ばした。


「一つだけ覚えておいて」


 少年の指先が、アルヴェインの胸元に触れる。


「君がここに来たのは、偶然じゃない」


 視界が白く染まる。


 最後に聞こえた言葉。


「クロイゼル家の始まりには、もう一人いたんだ」


     ◇


 朝。


 アルヴェインは目を覚ました。


 胸元の六角形が、かすかに光っている。


 視界には、いつもの文字が浮かんでいた。


『記録断片:受信』


『対象:クロイゼル家初代当主』


『未登録人物:一名』


『記録状態:意図的削除』


 その下に、新たな一文が現れた。


『最初に忘れた者:血脈の始祖』


 アルヴェインは静かに目を見開いた。


 最初に忘れた者。


 それは、クロイゼル家の始祖だった。


 六百年前。


 この家が生まれた、その始まりの日に。


 誰かが忘れられた。


 そして、その忘却こそが、すべての扉を閉ざした原因なのかもしれなかった。

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