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暁なき世界の覇王   作者: 未記入です。


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第二十七話 扉の向こうに残されたもの

第一章 神に忘れられた子

 光が消えた。


 東の廊下を満たしていた六つの光は、まるで最初から存在しなかったかのように、石壁の奥へと沈んでいった。


 残されたのは、静寂だった。


「アルヴェイン!」


 最初に声を上げたのは、セレスティアだった。


 レオンハルトの腕に抱かれていたアルヴェインは、母の声に反応して小さく身体を動かした。


 だが、いつもなら胸元に感じるはずの微かな熱がない。


 正確には、熱が消えたわけではなかった。


 胸の六角形の紋章。その中心から広がっていた感覚が、突然、途切れてしまったのだ。


 まるで目を開けているのに、片方の視界だけが失われたような感覚。


 魔力視で見えていた世界の一部分が、黒く塗り潰されていた。


(……何だ、これは)


 アルヴェインは目を凝らした。


 いつもなら人の身体を巡る魔力の流れや、物体に宿る構造の輪郭が見える。


 しかし、今は違う。


 東の廊下の奥。


 隠された扉が存在する場所だけが、何も見えない。


 魔力がないのではない。


 そこに何かがあることを、世界そのものが見せないようにしている。


「アルヴェイン、苦しくないか?」


 レオンハルトが心配そうに覗き込む。


 アルヴェインは返事の代わりに、小さな手を動かした。


 兄の指に触れる。


 その瞬間、胸の奥に微かな温もりが戻った。


 ほんの一瞬。


 それでも、確かに感じた。


「……今、少し光った?」


 レオンハルトが自分の手を見つめる。


「レオンハルト、何か感じたのか?」


 グレイヴが尋ねた。


「はい。アルヴェインの手に触れたとき、胸の奥が温かくなりました。それと……誰かに呼ばれたような気がしました」


「誰に?」


「分かりません。でも、知らない声なのに、前から知っていたような気がして」


 グレイヴは黙って息子を見つめた。


 その表情に、驚きと警戒が浮かんでいる。


「聞こえた言葉は?」


「言葉までは……。ただ、懐かしい感じがしました」


 レオンハルトは自分の手を握り締めた。


「父上。僕は、アルヴェインを守りたいです。でも、さっきの声が何なのか知りたいとも思いました」


「その二つは、必ずしも同じ道ではない」


「分かっています」


「ならば、焦るな。知りたいという気持ちは大切だ。だが、それに引きずられてはならん」


 グレイヴは東の廊下へ視線を戻した。


 扉は開かなかった。


 しかし、確実に何かが変わった。


 これまで反応しなかった六つの円が、初めて同時に光を放ったのだ。


 そして、その直後に現れた声。


『接続を停止せよ』


 あれは警告だったのか。


 それとも命令だったのか。


 グレイヴには判断できなかった。


     ◇


 その日の午後。


 クロイゼル家の書斎には、グレイヴとセレスティア、そしてレオンハルトが集まっていた。


 アルヴェインはエリシアに抱かれ、隣の部屋で眠っている。


「ロディス殿とミレーヌ殿には、すぐに連絡を入れる」


 グレイヴは机の上に置かれた古い記録を見つめていた。


「ただし、今回の現象については、王宮への報告を一旦保留する」


「隠すのですか?」


 セレスティアが尋ねた。


「隠すというより、情報を渡す相手を選ぶ。記録の欠損や境界の管理者について、王宮がどこまで把握しているか分からん。知らぬまま報告すれば、アルヴェインの存在まで知られる可能性がある」


「この子を危険にさらすわけにはいきません」


「分かっている」


 グレイヴは短く答えた。


 そして、机の上に新しい紙を広げた。


「これから東の扉について、調査方法を定める」


 彼は三つの項目を書き出した。


 一つ。アルヴェイン単独で扉に近づけない。


 二つ。レオンハルトを含め、血脈反応が確認された者の接触は必ず立ち会いのもとで行う。


 三つ。扉が反応しても、開門を試みない。


「三つ目は特に重要だ。反応したからといって、開けてよいとは限らない」


 グレイヴは筆を置いた。


「我々が知りたいのは、扉の向こうに何があるかだけではない。なぜ、あの扉が作られたのかだ」


 セレスティアは静かに頷いた。


「守るために作られたのなら、何から守っていたのか。それを知らずに開けるのは危険ですね」


「そうだ」


 グレイヴは窓の外を見た。


 庭の古木が、風もないのに僅かに揺れている。


 その根元には、地中に隠された六角形の構造が眠っている。


 東の扉。


 庭の古木。


 北方の遺跡。


 それらは別々の場所に存在しているようで、どこかで繋がっている。


 そして、その中心にいるのは、まだ生後数か月の赤子だった。


     ◇


 同じ頃。


 北方の山脈、その地下深く。


 巨大な石扉の前に、黒い外套の男が立っていた。


 男は動かなかった。


 扉の向こうから聞こえた声。


『……お兄ちゃん』


 その声は、もう聞こえない。


 だが、男の右手はまだ微かに震えていた。


「……まだ、覚えていたのか」


 男は呟いた。


 六つの円のうち、二つが淡く光っている。


 以前とは違う。


 扉の向こう側に存在する何かが、こちらの呼びかけに応え始めている。


「記憶が戻ったわけではない。声が届いただけだ」


 男は自分に言い聞かせるように言った。


「それでも……」


 彼は目を閉じた。


 遠い昔の光景が、一瞬だけ脳裏をよぎる。


 小さな手。


 泥に汚れた服。


 泣くのを我慢しているような顔。


 そして、自分を見上げる瞳。


 だが、そこから先は思い出せない。


 思い出そうとすると、頭の奥に鋭い痛みが走る。


「まだ駄目だ」


 男は石扉に手を触れた。


「今、戻してしまえば、あの子まで……」


 言葉を止めた。


 そのとき、背後から足音が響いた。


「やはり、ここにいましたか」


 振り返ると、灰色のローブを纏った仮面の男が立っていた。


 黒い外套の男とは違う人物。


 その手には、古びた紙片が握られている。


「扉が反応したようですね」


「お前には関係ない」


「関係ない、ですか。あなたはまだ、彼らを戻すつもりなのですか?」


「戻すかどうかは、本人が決める」


「その本人が選べる状態にあると?」


 仮面の男は紙片を広げた。


 そこには、消えかけた文字が一つだけ残っていた。


 名前の一部なのか。


 あるいは、名前だったものの残骸なのか。


「記憶が戻れば、扉は開く。扉が開けば、封じられたものも戻る。それが分かっていて、あなたは何もしないのですか」


「何もしないとは言っていない」


「では、何をするのです?」


 黒い外套の男は、扉から手を離した。


「選ぶ時間を与える」


「甘いですね」


「そうかもしれない」


 男は仮面の奥を見つめた。


「だが、もう誰かのために選択を奪うことはしない」


 灰色のローブの男は、しばらく沈黙していた。


 やがて紙片を握り潰す。


「ならば、私が動きます」


「やめておけ」


「間に合わなくなる前に、消さなければならない」


 仮面の男は踵を返した。


 その背中が暗闇に消えるまで、黒い外套の男は動かなかった。


 やがて彼は、もう一度扉を見上げた。


「……今度こそ、間違えない」


 その言葉に応えるように、六つの円の一つが微かに光った。


     ◇


 夕暮れ。


 アルヴェインは目を覚ました。


 エリシアの腕の中で、ぼんやりと天井を見つめる。


 胸の紋章に痛みはない。


 ただ、魔力視の一部が以前と同じようには働かなくなっていた。


(境界の管理者……)


 あの声は、アルヴェインの接続を拒絶した。


 なぜなのか。


 世界の秩序を守るためなのか。


 それとも、何かを閉じ込め続けるためなのか。


 まだ分からない。


 だが、一つだけ確かなことがあった。


 あの声は、アルヴェインを認識していた。


 世界の記録に存在しないはずの自分を。


 そして、扉の向こうにいる何者かも。


 アルヴェインは小さな手を胸元へ伸ばした。


 指先が六角形の紋章に触れる。


 その瞬間。


 視界の隅に、見慣れない文字が浮かび上がった。


『接続拒否:継続』


『保護機構:一部損傷』


『第三鍵:未確認』


 アルヴェインの瞳が僅かに動く。


(第三の鍵……?)


 第二の鍵さえ、まだ開いていない。


 それなのに、第三が存在するというのか。


 さらに文字が一つ、ゆっくりと浮かんだ。


『記録対象外からの干渉を検知』


 直後、視界が揺れた。


 魔力視が一瞬だけ途切れる。


 そして、最後に現れた文字。


『対象:クロイゼル家』


 アルヴェインは息を呑んだ。


 狙われているのは、自分だけではない。


 家族そのものが、何かの対象になっている。


「どうしたの、アルヴェイン?」


 エリシアが顔を覗き込む。


 アルヴェインは彼女を見上げた。


 その胸元に、いつもと同じ穏やかな魔力の流れが見える。


 しかし、その奥に。


 今まで気づかなかった、ごく小さな六角形の輪郭があった。


 母にも、兄にも、そして自分にも。


 何かが繋がっている。


 それは血なのか。


 記憶なのか。


 それとも、失われた誰かとの約束なのか。


 まだ答えはない。


 アルヴェインはエリシアの服を、小さな指で握った。


 今の自分にできることは、見ることだけだ。


 だが、見続けることならできる。


 世界が隠そうとするものを。


 誰かが消そうとするものを。


 そして、まだ誰も知らない扉の向こうを。


 静かな夜が、クロイゼル家を包み込んでいった。

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