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暁なき世界の覇王   作者: 未記入です。


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第二十四話 動き出す者たち

第一章 神に忘れられた子

北方の地下深く。


巨大な扉の前に立つ仮面の男は、しばらく動かなかった。


扉の向こうから聞こえた声。


『……ロディス』


それは、かすかな声だった。


だが、確かに名前を呼んでいた。


「まだ残っているのか」


男は仮面に手を添えた。


「六百年も経っているというのに、しぶといものだ」


扉の六つの円のうち、五つが淡く光っている。


残る一つは、まだ暗い。


男はその円に触れた。


瞬間、指先に鋭い痛みが走る。


「……拒絶するか」


男は手を引いた。


扉は開かない。


それどころか、触れた部分から細い亀裂のような光が走り、男の腕を押し戻した。


「やはり、あの子が必要か」


男は暗闇の奥を見た。


そこには、かつて何かが置かれていたと思われる台座がある。


台座の中央には、六角形のくぼみ。


その周囲には、古い文字が刻まれていた。


『名を持つ者、名を失う者。両者が揃うとき、記録は再び繋がる』


男は小さく笑った。


「ならば、名を持つ者を連れてくるしかない」


彼は踵を返した。


その背後で、扉の向こうから再び声がした。


『……やめて』


男は振り返らなかった。


⸻


翌朝。


クロイゼル家の屋敷では、いつもと変わらない朝が始まっていた。


アルヴェインはエリシアに抱かれ、窓辺から庭を眺めている。


昨夜の夢の内容は、まだ頭の中に残っていた。


――記憶を返すには、代価が必要。


――誰かが、先に扉を開こうとしている。


そして、最後に聞こえた声。


『今度は、忘れないで』


(あの声の主は、誰なんだ)


アルヴェインは考え込む。


ロディスと約束を交わした子供。


六角形の印を持つ子供。


名前を奪われた者たち。


すべてが同じ存在を指しているとは限らない。


むしろ、いくつもの出来事が重なっている可能性もある。


今の自分に必要なのは、目の前の現象を一つずつ確かめることだった。


「アルヴェイン様?」


エリシアが覗き込む。


「今日は少し難しい顔をされていますね」


アルヴェインは彼女を見上げた。


「あう」


「何か考え事ですか?」


エリシアは微笑み、頬を優しく撫でた。


その指先が触れた瞬間、アルヴェインの視界に細い光が走った。


昨日と同じ線。


エリシアの胸元から背中へ伸びている。


今度は、ほんの少しだけ長く見えた。


線の先には、小さな輪があった。


輪の中央には、何もない。


だが、そこだけ周囲の光が避けている。


(まただ……)


アルヴェインが目を凝らした瞬間、線は消えた。


「どうしました?」


エリシアは不思議そうに首を傾げる。


アルヴェインは小さな手を伸ばし、彼女の服を掴んだ。


「まあ、甘えん坊ですね」


エリシアは嬉しそうに笑った。


アルヴェインは彼女の顔を見つめた。


彼女にも、何かが欠けているのだろうか。


それとも、あの線は別の意味を持つのか。


まだ判断はできない。


⸻


昼過ぎ。


グレイヴのもとに、北方の巡回隊から緊急の報告が届いた。


「報告します!」


兵士が書斎に駆け込んできた。


「北方第三巡回地点にて、地面の陥没を確認しました。周辺の岩盤にも亀裂が広がっています」


「人的被害は?」


「ありません。ただし、付近にいた魔物の死骸が一体も見つかっておりません」


「またか」


グレイヴは報告書を受け取った。


「魔力反応は?」


「測定できませんでした。魔術師による調査でも、魔力の痕跡は確認されていないとのことです」


「分かった。巡回隊には現場から距離を取らせろ。調査は私が指示するまで待機だ」


「はっ!」


兵士が退出する。


グレイヴは報告書を机に置いた。


北方の異常は、明らかに広がっている。


それも、魔力を使った現象とは異なる形で。


彼は古い家系図を開いた。


その中には、初代当主の時代に記された北方の地図がある。


現在の地図と重ねると、第三巡回地点は古い遺跡の位置とほぼ一致していた。


「偶然ではないな」


グレイヴは地図の一点を指でなぞった。


そのとき、扉が開いた。


「父上」


レオンハルトだった。


「どうした?」


「稽古が終わりました。何かお手伝いできることはありませんか?」


グレイヴは息子を見た。


「今はない。だが、しばらく屋敷の外へ出るときは、必ず護衛をつけろ」


「北の山で何かあったのですか?」


「お前が気にする必要はない」


「でも、アルヴェインにも関係があるんですよね?」


グレイヴの手が止まった。


「なぜそう思う」


「父上が北の報告を受けたとき、いつもアルヴェインの部屋を確認しているからです」


グレイヴは息を吐いた。


息子はよく見ている。


以前よりも、確実に。


「関係があるかどうかは分からん」


「では、僕にできることは?」


「鍛錬を続けろ」


「それだけですか?」


「それだけだ」


グレイヴは立ち上がり、レオンハルトの肩に手を置いた。


「今のお前にできる最善は、自分を鍛えることだ。焦って先へ進もうとするな」


「はい」


「強くなることと、急いで強くなることは違う」


レオンハルトは深く頷いた。


⸻


その日の夕刻。


ロディスから新たな連絡が届いた。


今度は手紙ではなく、魔術通信によるものだった。


グレイヴが通信石に魔力を流すと、ロディスの姿が薄く浮かび上がった。


『クロイゼル公爵。少しお伝えしたいことがあります』


「何か分かったのか?」


『はい。王都の地下文書庫で、今回の件に関連する資料を見つけました』


「どのような資料だ」


『六百年以上前の記録です。そこには、北方の遺跡に関する記述がありました』


グレイヴの目が鋭くなる。


『遺跡の名称は、現在の記録には残されていません。ただ、当時の記録にはこう書かれていました』


ロディスは手元の資料を確認した。


『世界の記録から外れた者を、境界の向こうへ送る場所』


「境界の向こう……」


『さらに、そこには管理者と呼ばれる存在がいたようです』


「管理者?」


『はい。世界の記録を守る者なのか、それとも記録を管理する者なのかは分かりません。ただ、その存在に関する記述は、ほとんど削除されていました』


グレイヴはしばらく黙っていた。


『もう一つ、気になることがあります』


「聞こう」


『私の記録欠損について、王都の古い資料と照合したところ、同じような欠損を持つ人物が過去にも確認されていました』


「その人物は?」


『名前がありません』


通信石の向こうで、ロディスは静かに続けた。


『ただし、その人物について記された最後の文章には、こうあります』


彼は一度言葉を切った。


『記録の欠けた者は、境界を越えるための鍵となる』


グレイヴの表情が険しくなった。


「ロディス殿。自分が何に巻き込まれているのか、理解しているのか?」


『正直に言えば、まだ分かりません』


「ならば、無理に調べるな」


『ですが、公爵。私自身のことです。知らないままにはできません』


「……分かった。ただし、一人で動くな」


『ありがとうございます』


通信が切れた。


グレイヴは通信石を見つめた。


記録の欠けた者。


境界を越えるための鍵。


そして、アルヴェイン。


彼は窓の外に目を向けた。


「まさか、あの子も……」


⸻


夜。


アルヴェインは寝台の上で、木彫りの玩具を握っていた。


今日も、特別な変化はない。


だが、魔力視を使うと、玩具の周囲に薄い輪が見える。


以前よりも輪郭がはっきりしていた。


アルヴェインは集中する。


すると、玩具の奥に小さな光が見えた。


その光は、細い線となって伸びていく。


線の先にあるのは、ロディスの姿だった。


(また繋がった)


玩具とロディス。


この二つは、確かに繋がっている。


しかし、今夜はそれだけではなかった。


線の途中に、別の光が現れた。


小さな光。


弱く、消えかけている。


アルヴェインが意識を向けると、その光の中に映像が浮かんだ。


石造りの廊下。


壁には、いくつもの扉が並んでいる。


そのうちの一つに、小さな名前が刻まれていた。


だが、文字は読めない。


扉の前には、幼い子供が立っている。


顔は見えない。


その子供が、ゆっくりと振り返った。


『見つけた』


声が聞こえた。


アルヴェインの胸元が熱くなる。


『今度は、君が見つけてくれた』


子供の姿が近づいてくる。


しかし、突然、映像に黒い亀裂が走った。


『だめだ』


別の声が響いた。


『まだ、こちらへ来てはいけない』


子供の姿が遠ざかっていく。


『待って』


アルヴェインは手を伸ばした。


もちろん、現実の身体は寝台の上にある。


声も出せない。


ただ、小さな指先が空を掴んだ。


『名前を……』


子供の声が途切れる。


『僕の名前を、見つけて』


映像が消えた。


その直後、玩具の表面に文字が浮かび上がった。


――接続対象、未登録。


――記録の断片、確認。


――識別不能。


アルヴェインは息を呑んだ。


ロディスだけではない。


あの子供も、まだ記録の中に残っている。


完全に消されたわけではない。


どこかに、欠片が残っている。


その欠片を繋ぎ合わせれば、いつか名前に辿り着けるのかもしれない。


だが、最後に浮かんだ文字は違っていた。


――接続制限。


――第三者による干渉を確認。


アルヴェインの胸元の印が強く光った。


そして、部屋の隅に黒い影が生まれた。


「……見つけたか」


聞き覚えのある声。


黒い外套の男だった。


アルヴェインは動けない。


男は寝台に近づくことなく、部屋の隅からこちらを見ていた。


「今のは、お前が見つけたものだ」


男は玩具に視線を向けた。


「だが、あれを追うな」


アルヴェインは男を見つめた。


「あう……」


「まだ分からないか」


男は小さく息を吐いた。


「名前を探すことは、存在を探すことと同じではない。名前を見つけても、その者が戻ってくるとは限らない」


男の姿が少しずつ薄れていく。


「それに、名前を探しているのは、お前だけではない」


「……」


「向こうも、お前を探している」


その言葉を残し、男は消えた。


部屋には静寂が戻る。


アルヴェインは玩具を握りしめた。


まだ何も分からない。


だが、一つだけ確かなことがある。


この世界のどこかに、名前を失った子供がいる。


そして、その子供は今も誰かに見つけてもらうことを待っている。


⸻


同じ頃、王都。


ロディスは自室の机に向かっていた。


目の前には、古い文書の写しが広げられている。


彼は一枚の紙を手に取った。


そこには、六角形の紋章と、その下に二人の子供が描かれていた。


一人は幼いロディス。


もう一人は、顔の部分だけが黒く塗りつぶされている。


ロディスはその絵を見つめた。


「君は……誰なんだ」


そのとき、部屋の扉が三度叩かれた。


「ロディス様」


外から部下の声がする。


「どうした?」


「地下文書庫から追加の資料が届きました」


「入れ」


部下が一冊の本を持って入ってきた。


「こちらです。閲覧制限がかかっていた資料ですが、先ほど解除されたそうです」


「解除?」


ロディスは眉をひそめた。


「誰が許可した?」


「記録上は、該当者なしとなっています」


ロディスは本を受け取った。


表紙には何も書かれていない。


ただ、中央に六角形の紋章が刻まれていた。


彼がそれに触れた瞬間。


頭の中に、幼い声が響いた。


『約束だよ』


ロディスは息を止めた。


そして、今度ははっきりと聞こえた。


『いつか、僕を見つけて』


彼の目から、一筋の涙が落ちた。


理由は分からない。


何を思い出したのかも分からない。


ただ、胸の奥に残っていた空白が、ほんの少しだけ痛みを取り戻した。


「……そうか」


ロディスは本を強く握った。


「私は、君を探していたのか」


本の表紙に、かすかな文字が浮かび上がる。


――第二の記録、再接続。


そして、その下に新たな一文が現れた。


――境界の管理者、活動を開始。


王都の地下深くで、誰にも気づかれないまま、古い仕組みが動き始めていた。

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