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暁なき世界の覇王   作者: 未記入です。


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第二十三話 記憶の欠片

第一章 神に忘れられた子

朝の光が、クロイゼル家の屋敷を照らしていた。


アルヴェインは寝台の上で、小さな手を握ったり開いたりしていた。


昨夜の夢は、いつもより鮮明に残っている。


巨大な扉。

六つの光。

そして、黒い外套の男が告げた言葉。


――まず、誰が奪ったのかを知らなければならない。


忘れられた者たちは、ただ記憶を失ったのではない。


誰かによって、名前を奪われた。


その可能性が、アルヴェインの中で少しずつ形になっていた。


「アルヴェイン様、お目覚めですか?」


エリシアがカーテンを開ける。


朝日が差し込み、部屋が明るくなった。


アルヴェインは彼女に向かって手を伸ばす。


「まあ。今日はご機嫌ですね」


エリシアが笑いながら抱き上げる。


その瞬間、アルヴェインの視界に奇妙なものが映った。


エリシアの胸元。


そこに、ほんの一瞬だけ細い線が走った。


魔力の流れではない。


以前、彼女の身体に見えた膜のようなものとも違う。


線は胸元から背中へと伸び、すぐに消えてしまった。


(今のは……)


アルヴェインは目を凝らす。


しかし、もう何も見えなかった。


「どうしました? 私の顔に何かついていますか?」


エリシアが首を傾げる。


アルヴェインは小さく声を出した。


「あう……」


「ふふ。何でしょうね」


エリシアは気にする様子もなく、アルヴェインを抱いたまま部屋を出た。


彼女にも、何かあるのだろうか。


アルヴェインはその疑問を胸にしまった。


今はまだ、何も判断できない。


見えたものが何なのか分からないうちは、決めつけるべきではない。


それは、父グレイヴから教わったことでもあった。


⸻


朝食後、グレイヴはロディスから届いた手紙を読んでいた。


封筒には王国魔術師団の正式な印が押されている。


内容は短かった。


『昨日の現象について、追加の調査を行いたい。可能であれば、玩具を一時的に王都へ持ち帰りたい』


グレイヴは手紙を机に置いた。


「王都へ持ち帰る、か」


向かいに立っていたレオンハルトが尋ねる。


「父上、何か問題があるのですか?」


「問題があるかどうかを判断するために、調べる必要がある」


「ロディス様が持ち帰るのは危険なのですか?」


「危険かどうかも分からん。だが、あの玩具は普通の品ではない」


グレイヴは窓の外に目を向けた。


「持ち主が分からないものを、簡単に手放すわけにはいかない」


「では、どうするのですか?」


「こちらで調査を続ける。ロディス殿には、王都側で別の記録を調べてもらう」


レオンハルトは頷いた。


そして、少し考えてから口を開いた。


「父上。あの玩具は、アルヴェインのものですよね」


「そうだ」


「だったら、アルヴェインが嫌がることはしたくありません」


グレイヴは息子を見た。


「お前は、あの玩具が何なのか分かっているのか?」


「いいえ。でも、アルヴェインが持っているときだけ、何かが起きる気がします」


「そう思う理由は?」


「うまく説明できません。ただ……」


レオンハルトは少しだけ視線を落とした。


「アルヴェインがあの玩具を持っているとき、いつも何かを見ているような顔をするんです」


グレイヴは黙って息子を見つめた。


レオンハルトは続ける。


「僕には何も見えません。でも、アルヴェインが何かを見ているなら、無理に取り上げるべきじゃないと思います」


しばらくの沈黙。


やがてグレイヴは、わずかに口元を緩めた。


「以前より、よく考えるようになったな」


「父上の教えです」


「それだけではない。お前自身が考えた結果だ」


グレイヴは椅子から立ち上がった。


「だが、覚えておけ。大切な者を守ることと、その者の選択を奪うことは違う」


「はい」


「守りたいからといって、何もかも自分で決めてはならん」


レオンハルトはその言葉を胸に刻むように頷いた。


⸻


昼前。


ロディスが再び屋敷を訪れた。


今回は一人ではなかった。


同行していたのは、王国魔術師団の若い女性だった。


「紹介しましょう。王国魔術師団、記録調査部所属のミレーヌです」


「ミレーヌ・アシュベルと申します。お初にお目にかかります、クロイゼル公爵」


落ち着いた声で彼女は礼をした。


年齢は二十代半ばほど。


薄い銀色の髪を後ろでまとめ、眼鏡の奥には知的な瞳があった。


「記録調査部?」


グレイヴが尋ねる。


「はい。魔術師団には魔術研究部だけでなく、古文書や歴史資料、過去の魔術記録を調査する部門もございます」


ミレーヌは持ってきた鞄から数冊の資料を取り出した。


「ロディス様から、今回の玩具についてお話を伺いました。そこで、王都の古い記録を確認したところ、興味深い記述が見つかりました」


彼女は一枚の紙を机に広げる。


そこには、古い文字が記されていた。


『記録から失われた者に、記憶を与えてはならない』


その下には、さらに小さな文字が続いている。


『記憶は扉となる。扉が開けば、失われたものだけでなく、閉じ込められたものも戻る』


グレイヴの目が細くなる。


「これは、どこに残されていた記録だ?」


「王都地下文書庫です。およそ四百年前の資料と推定されています」


「四百年前……」


クロイゼル家の初代当主が生きていた時代よりも後だ。


「この記述の前後は?」


「残念ながら、該当する頁の前後は破損しています。ただ、同じ文書の別の箇所に、六つの理についての記載がありました」


ミレーヌは別の紙を広げた。


構成。

循環。

変質。

生命。

時間。

記録。


アルヴェインの胸元が、かすかに熱を帯びた。


(また六つの理か)


ミレーヌは続けた。


「この六つの理は、一般的な魔術体系とは異なります。魔術の属性や分類ではなく、世界そのものを説明するための概念として扱われています」


「その文書には、ほかに何が書かれていた?」


「一つだけ、気になる記述があります」


彼女は資料の端を指差した。


そこには、短い一文があった。


『記録を失った者は、必ずしも存在を失ったわけではない』


グレイヴはしばらくその文字を見つめていた。


「ロディス殿のことだな」


「はい。私はそう考えています」


ミレーヌは慎重に言葉を選んだ。


「ロディス様の魔力には異常がありません。記憶にも、明確な欠落は見つかっていません。しかし、存在そのものに関する記録に何かが欠けている可能性があります」


「それを確認する方法は?」


「現時点ではありません」


彼女は正直に答えた。


「ただし、今回の玩具が手掛かりになる可能性はあります」


そのとき、ロディスが静かに口を開いた。


「実は、今朝も一つ思い出しかけたことがあります」


「何をですか?」


ミレーヌが尋ねる。


「昔、誰かと一緒に約束をした気がするのです」


ロディスは自分の手を見つめた。


「場所は分かりません。相手の顔も分からない。ただ、その人物が私に何かを渡したような気がします」


「何を渡されたのですか?」


「分かりません」


ロディスは首を横に振った。


「ですが、私はそれを大切にしていた。そんな感覚だけが残っています」


グレイヴは机の上の玩具を見た。


「その人物が、この玩具に関係している可能性は?」


「あると思います」


ロディスは答えた。


「ただ、まだ断定はできません」


⸻


その頃、アルヴェインはレオンハルトと一緒にいた。


兄は稽古を終えたばかりで、汗を拭きながらアルヴェインの寝台の横に座っている。


「アルヴェイン。今日は父上とロディス様が難しい話をしているぞ」


アルヴェインは兄を見た。


「僕にはまだよく分からないけどな」


レオンハルトは苦笑した。


「でも、あの玩具のことは少し分かった気がする」


彼は玩具を手に取った。


「これは、誰かが大切にしていたものなんだろう?」


アルヴェインは目を見開いた。


レオンハルトは玩具の表面を指でなぞる。


「ずっと昔の持ち主がいて、その人が誰かに渡した。そんな気がするんだ」


彼は玩具をアルヴェインの手元に戻した。


「だから、僕たちが大切にしてあげよう」


アルヴェインは小さな手で玩具に触れた。


その瞬間。


視界に、淡い光が広がった。


今までとは違う。


玩具の中に残る記録が、ゆっくりと形を持ち始める。


小さな部屋。


木製の机。


窓から差し込む夕日。


床には、二人の子供が座っていた。


一人は幼いロディス。


もう一人は、顔の見えない子供。


その子供は、木彫りの玩具を持っていた。


「これ、あげる」


子供の声が聞こえた。


「いいの?」


幼いロディスが尋ねる。


「うん。僕が持っているより、君が持っていた方がいい」


「どうして?」


子供は少し考えた。


それから、笑った。


「君なら、忘れないと思うから」


映像が揺れる。


幼いロディスは玩具を両手で抱きしめた。


「約束する。絶対に忘れない」


その言葉が響いた瞬間、映像は途切れた。


アルヴェインの胸元が熱くなる。


そして、玩具の表面に新たな文字が浮かんだ。


――約束、未完了。


(未完了……)


アルヴェインは玩具を見つめた。


ロディスは約束を忘れている。


いや、忘れたのではない。


約束をしたという事実そのものが、記録から欠けているのかもしれない。


そして、その約束には相手がいた。


六角形の印を持つ、あの子供。


だが、その子供の名前は見えない。


顔も見えない。


まるで、そこだけが意図的に隠されているようだった。


アルヴェインが考え込んでいると、レオンハルトが顔を覗き込んできた。


「どうした?」


「あう……」


「気に入ったのか?」


レオンハルトは笑った。


「じゃあ、これはアルヴェインの宝物だな」


彼は玩具を寝台のそばに置いた。


⸻


夜。


ロディスとミレーヌは屋敷を後にした。


帰り際、ロディスはグレイヴに一つの提案をした。


「クロイゼル公爵。北方の遺跡について、王国魔術師団から正式な調査隊を派遣したいと考えています」


「北の遺跡か」


「はい。今回の記録欠損と、古い文書に残る六つの理。これらが無関係とは思えません」


「調査隊を派遣すれば、遺跡の存在が王都に知られることになる」


「それは避けられません。すでに北方の異常は報告されています」


グレイヴは腕を組んだ。


「調査は認める。ただし、私の許可なく遺跡の奥へ進むことは許さん」


「承知しました」


「それと、魔力で測れない現象に対して、魔術を過信するな」


ロディスは静かに頷いた。


「肝に銘じておきます」


二人が去った後、グレイヴは一人で窓辺に立った。


北の山々は暗闇に沈んでいる。


その奥で、何かが動いている。


そんな確信があった。


⸻


同じ夜。


アルヴェインは再び夢を見た。


白い空間。


目の前には、あの扉がある。


だが、昨日とは違っていた。


扉の中央に、文字が一つ浮かんでいる。


――約束。


その文字の下に、別の言葉が現れた。


――記憶を返すには、代価が必要。


アルヴェインはその文字を見つめた。


すると、扉の向こうから幼い声が聞こえた。


『ねえ』


『あの人は、まだ覚えている?』


アルヴェインは答えられない。


『僕のことを、覚えている?』


その声は、今にも泣き出しそうだった。


アルヴェインが一歩近づこうとした瞬間、床に黒い線が走った。


線は六角形を描き、扉の前に境界を作る。


その向こう側に、黒い外套の男が現れた。


『近づくな』


男の声は静かだった。


『今のお前では、代価を払えない』


アルヴェインは男を見上げる。


『記録を戻すことは、簡単ではない。失われたものを取り戻すには、失われたものと向き合わなければならない』


男は扉を見た。


『そして、すべてを戻せばいいわけでもない』


その言葉の意味を考える間もなく、扉の向こうで大きな音が響いた。


六つの円が激しく明滅する。


『時間がない』


男がつぶやいた。


『誰かが、先に扉を開こうとしている』


次の瞬間、白い空間が崩れた。


アルヴェインの意識は、暗闇へと沈んでいく。


最後に聞こえたのは、幼い声だった。


『今度は、忘れないで』


⸻


北方の地下深く。


巨大な扉の前に、一人の男が立っていた。


黒い外套の男ではない。


灰色のローブをまとい、顔の半分を古い仮面で覆っている。


男は扉に手を触れた。


六つの円のうち、五つはすでに光っている。


最後の一つだけが、まだ暗かった。


「記録は戻り始めた」


男は低くつぶやく。


「ならば、次は約束だ」


彼の手元には、一枚の古い紙があった。


そこには、かすれた文字で一つの名前が記されている。


しかし、その名前は途中で途切れていた。


男は紙を握り潰した。


「思い出す前に、消さなければならない」


その瞬間。


扉の向こうから、かすかな声が響いた。


『……ロディス』


男の動きが止まる。


仮面の奥の目が、わずかに揺れた。


「まだ、声が残っていたか」


男は扉から手を離した。


「ならば、予定を早める」


地下に、重い足音が響く。


そして、暗闇の奥で何かが目を開いた。

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