第十五話 小さな違和感
第一章 神に忘れられた子
アルヴェインが自力で上半身を起こしてから、数日が経った。
身体の成長は順調だった。
以前よりも首が安定し、手足の動きにも力がついてきている。
まだ自由に動き回ることはできないが、少しずつ自分の意思で身体を動かせるようになっていた。
「アルヴェイン、今日はどこまで頑張れるかしら?」
セレスティアがベッドの上に座らせ、背中を支える。
アルヴェインは母の手を借りながら、周囲を見渡した。
(まずは、この姿勢を維持するところからだな)
身体の中心に意識を向ける。
背中に力を入れ、腹部に力を込める。
しかし、数秒も経たないうちに身体が傾いた。
「ふふ、まだ難しいわね」
セレスティアは倒れそうになったアルヴェインを支えた。
(くっ……思ったより筋力がない)
頭の中では簡単にできることでも、実際の身体はついてこない。
それでも、昨日より少し長く姿勢を保てた。
その小さな変化を、アルヴェインは確かに感じていた。
◇
同じ頃、クロイゼル公爵家の訓練場。
レオンハルトはグレイヴと向かい合っていた。
「今日は実戦形式で行う」
「はい!」
グレイヴが木剣を構える。
レオンハルトも両手で木剣を握った。
「先に言っておく。勝つことだけを考えるな。相手の動きを見ろ」
「分かりました」
「始め!」
レオンハルトが踏み込む。
木剣が交差し、乾いた音が響いた。
一撃、二撃。
レオンハルトは必死に攻めるが、グレイヴは最小限の動きで受け流す。
「遅い」
グレイヴの木剣がレオンハルトの肩に軽く触れた。
「もう一度!」
レオンハルトは構え直した。
今度は攻め急がず、父の足元を観察する。
グレイヴがわずかに重心を移した。
その瞬間、レオンハルトは横へ踏み込んだ。
木剣が父の脇を狙う。
しかし、グレイヴは半歩だけ下がり、簡単に受け止めた。
「今の判断は悪くない」
「本当ですか?」
「ああ。相手の動きを見ることができていた」
レオンハルトの表情が明るくなる。
「だが、まだ足りない。見た情報を動きにつなげろ」
「はい!」
グレイヴは木剣を下ろした。
「休憩だ」
レオンハルトは汗を拭いながら、屋敷の方を見た。
「父上、アルヴェインも大きくなったら、剣を教えてもいいですか?」
「本人が望むならな」
「僕が教えます!」
「その頃までに、お前自身が教えられるだけの実力を身につけておけ」
「はい!」
グレイヴは息子の頭に手を置いた。
レオンハルトの成長は確かなものだった。
◇
午後。
アルヴェインはエリシアに抱かれ、屋敷の廊下を移動していた。
窓から差し込む光が床に模様を作っている。
その光景を眺めていたとき、アルヴェインはふと違和感を覚えた。
廊下の壁に掛けられた古い絵画。
そこには、クロイゼル家の歴代当主が描かれている。
魔力視を使った瞬間、絵画の額縁に薄い線が見えた。
(何だ?)
額縁の裏側に、魔力とは異なる何かが存在している。
アルヴェインは視線を集中させた。
《未知の構造を検出》
《分類:判定不能》
《反応強度:微弱》
以前、エリシアの周囲に見えたものと似ている。
だが、今回は少し違った。
額縁の裏側から、壁の奥へ向かって線が伸びている。
まるで、何かを繋ぐための道筋のようだった。
「どうしたの、アルヴェイン?」
エリシアが足を止めた。
アルヴェインは額縁を見つめ続ける。
すると、線の一部が一瞬だけ光った。
その直後。
壁の奥から、小さな音が聞こえた。
カチッ。
エリシアも気づいたらしい。
「今、何か音がしませんでした?」
彼女は壁に近づき、絵画を確認した。
額縁を持ち上げようとしたが、しっかりと固定されている。
「古い壁ですし、何かが動いたのかもしれませんね」
そのまま通り過ぎようとした瞬間、アルヴェインの胸元が微かに熱を帯びた。
《構造反応を検出》
《対象:隠蔽機構》
《起動条件:不明》
(隠蔽機構……?)
アルヴェインはもう一度、額縁を見た。
しかし、それ以上の反応はなかった。
◇
夕方。
グレイヴは執務室で書類に目を通していた。
そこへ、エリシアが訪れた。
「閣下、少しご報告がございます」
「何だ?」
「先ほど、アルヴェイン様と廊下を歩いていた際、歴代当主の絵画の近くで物音がしました」
「物音?」
「はい。壁の中から聞こえたように思います」
グレイヴは書類を置いた。
「場所は?」
「東側の廊下です」
「分かった。確認しておこう」
エリシアが退室した後、グレイヴはしばらく考え込んだ。
東側の廊下。
そこには、歴代当主の肖像画が並んでいる。
特別な場所ではない。
だが、古い建物である以上、壁の内部に何かが隠されていても不思議ではなかった。
彼は騎士を呼び、廊下の調査を命じた。
◇
その夜。
調査に向かった騎士から報告が届いた。
「壁の内部に空洞が確認されました」
「空洞?」
「はい。絵画を取り外したところ、壁の一部に不自然な継ぎ目がありました。内部には小さな空間があるようです」
グレイヴはすぐに立ち上がった。
「開けたのか?」
「いえ。閣下の指示を仰ぐべきと判断しました」
「正しい判断だ」
グレイヴは騎士を連れ、東側の廊下へ向かった。
絵画は取り外され、壁の一部が露出している。
確かに、周囲とは異なる石材が使われていた。
グレイヴが近づく。
その瞬間、壁の表面に薄い線が浮かび上がった。
六角形。
その周囲に、六つの小さな円。
「これは……」
グレイヴの表情が変わった。
クロイゼル家の古い記録にあった紋章と同じ形だった。
「全員、下がれ」
騎士たちが距離を取る。
グレイヴは慎重に紋章を観察した。
すると、中央に古代文字が浮かび上がる。
――血を継ぐ者、門を開け。
「血を継ぐ者……」
グレイヴは自分の手を見た。
この仕掛けがクロイゼル家の血筋に反応するのなら、自分でも開けられる可能性がある。
彼は紋章に手を触れた。
何も起きない。
魔力を流しても反応はなかった。
「……違うのか」
そのとき、グレイヴの脳裏にアルヴェインの姿が浮かんだ。
魔力を持たず、世界の記録にも存在しない息子。
そして、胸元に刻まれた六角形。
「まさか……」
彼は手を離した。
まだ幼い息子を、この仕掛けに近づけるわけにはいかない。
◇
同じ夜。
アルヴェインは夢を見ていた。
白い空間。
そこに、見覚えのある六角形の紋章が浮かんでいる。
その奥には、閉ざされた扉があった。
『近づいているな』
あの声が聞こえる。
(何がだ?)
『お前が生まれた家に眠るものだ』
アルヴェインは扉を見つめた。
(あれは何だ?)
『お前を守るために残されたもの』
『そして、お前を世界から隠すためのものでもある』
その言葉に、アルヴェインは息を呑んだ。
(俺を隠していた?)
『そうだ。だが、完全ではなかった』
扉の表面に亀裂が走る。
『第一封印が動いたことで、古い仕組みが目覚め始めている』
(どうすればいい?)
『今は何もするな』
声は静かに続けた。
『お前はまだ、自分の身体すら自由に扱えない』
(分かってるよ)
『ならば、焦るな』
扉の向こうから、何かがこちらを見ているような気配がした。
『その家に残されたものが、お前を守るとは限らない』
その瞬間、空間が揺れた。
『覚えておけ。守るものと、閉じ込めるものは、時に同じ形をしている』
アルヴェインは目を凝らした。
扉の中央に、古代文字が浮かぶ。
――第二の鍵、未覚醒。
そして、夢は途切れた。
◇
翌朝。
アルヴェインは目を覚ました。
視界に表示が浮かぶ。
《魔力視》
《習熟度:初期》
《解析率:0.08%》
《構造反応:検出》
《対象:第二の鍵》
《状態:未覚醒》
アルヴェインは胸元に手を当てた。
第二の鍵。
それは、昨日見た壁の紋章と関係しているのだろうか。
まだ何も分からない。
しかし、確実に一つの事実が見えてきた。
クロイゼル家は、ただ北方を守るために存在している家ではない。
この家には、六百年前から続く秘密がある。
そして、その秘密は今、自分へと繋がろうとしていた。




