第十二話 世界に刻まれた異物
第一章 神に忘れられた子
アルヴェインが目を覚ましたとき、部屋にはまだ朝の静けさが残っていた。
窓の外から、小鳥の鳴き声が聞こえる。
いつもと変わらない朝。
けれど、アルヴェインの意識には、昨夜の夢が鮮明に残っていた。
六つの柱。
第一の封印。
そして、顔の見えない人影が告げた言葉。
『今度こそ、見つけ出す』
(……誰を探している?)
自分なのか。
それとも、自分の中にある何かなのか。
答えは出ない。
アルヴェインは胸元に意識を向けた。
六角形の紋章は、服の下で静かに存在している。
以前のような強い反応はない。
しかし、魔力視を使うと、紋章の周囲にごく薄い線が見えた。
それは身体の中を巡る魔力とは違い、胸の奥から外側へ向かって伸びている。
まるで、見えない何かと繋がっているようだった。
(これが外部接触の正体か……?)
そのとき、扉が開いた。
「アルヴェイン、おはよう」
母セレスティアだった。
「よく眠れたかしら?」
彼女はベッドに近づき、アルヴェインを抱き上げる。
その温もりに、アルヴェインの意識は現実へ引き戻された。
今は考えても仕方がない。
この身体でできることは限られている。
焦る必要はない。
そう自分に言い聞かせた。
◇
その日の午前。
グレイヴの執務室には、北方調査隊から届いた新たな報告書が置かれていた。
「第一封印……」
彼は報告書に記された古代文字を見つめていた。
石柱に浮かび上がった文字は、調査隊の記録と一致している。
さらに、石柱が光を放った直後、周囲の地形に小さな変化が起きていた。
岩肌の一部が崩れ、その奥から人工的な通路が現れたという。
「封印が解けたことで、遺跡の一部が露出したのか」
「その可能性が高いかと」
報告に来たバルドが答える。
「通路の奥は確認したのか?」
「入口から数十歩ほど進みましたが、壁面に刻まれた文字が変化したため、いったん撤退しました」
「文字が変化した?」
「はい。調査隊の一人が通路に入った瞬間、壁に刻まれていた文字が光り、見たことのない紋様へ変わったそうです」
グレイヴは眉を寄せた。
「その者に異常は?」
「身体に問題はありません。ただ、本人は通路の奥から誰かに見られているような感覚があったと」
「……全員を撤退させろ」
「よろしいのですか?」
「情報が足りない。未知の遺跡に兵を無駄に投入する理由はない」
グレイヴは地図を広げた。
「周辺の警戒だけを続けろ。王都への報告は私が行う」
「承知しました」
バルドが退室する。
グレイヴは一人になると、机の上に置かれた古文書へ目を向けた。
そこには、初代当主が残した言葉がある。
――北の地に眠るものを、決して目覚めさせてはならない。
その下には、別の筆跡で追記されていた。
――もし目覚めたならば、六角の印を持つ者を探せ。
グレイヴの表情が険しくなる。
「……探せ、か」
その言葉が何を意味するのか。
彼はまだ知らなかった。
◇
昼過ぎ。
レオンハルトは訓練を終え、アルヴェインの部屋へやってきた。
「アルヴェイン、今日は見せたいものがあるんだ」
そう言って取り出したのは、小さな木の板だった。
表面には、複雑な模様が刻まれている。
「父上に教えてもらったんだ。これは魔力を流す練習に使う道具なんだって」
レオンハルトは椅子に座り、木の板を両手で持った。
「ここに魔力を流すと、模様に沿って光るんだ」
彼が指先を当てる。
淡い魔力が流れ、木の板に刻まれた線が順番に光り始めた。
一つ、二つ、三つ。
最後の線まで光ると、中央に小さな光球が生まれた。
「できた!」
レオンハルトは嬉しそうに笑った。
「前よりもずっと安定してきたんだ」
アルヴェインは木の板を見つめた。
魔力視を使う。
木の板の内部には、魔力が通るための細い構造が組み込まれていた。
それぞれの線が役割を持ち、魔力を一定の順序で流している。
しかし、今回は別のものも見えた。
光球が生まれた瞬間、その周囲に薄い輪が現れたのだ。
それはすぐに消えたが、確かに存在していた。
(まただ……)
魔法が発動するたびに、何かが記録されている。
そのように見える。
だが、記録されるものが何なのかは分からない。
魔法の結果なのか。
発動した者の魔力なのか。
それとも、もっと別のものなのか。
アルヴェインは集中して観察した。
すると、視界の奥で小さな文字が浮かび上がった。
《構造情報を検出》
《記録反応:微弱》
《記録対象:不明》
《解析不能》
(やっぱり、記録に関係しているのか)
その瞬間、胸元の紋章がわずかに熱を帯びた。
アルヴェインは思わず身体を動かした。
「アルヴェイン?」
レオンハルトが顔を覗き込む。
「どうした? どこか痛いのか?」
心配そうな表情。
アルヴェインは小さく声を上げ、手足を動かした。
「よかった。元気そうだね」
レオンハルトは安心したように笑った。
「いつか一緒に魔法の練習をしような」
(そのためにも、早く大きくならないとな)
アルヴェインは兄の指を握った。
その小さな手に、レオンハルトは優しく指を重ねた。
◇
夕方。
北方山脈の地下。
誰も立ち入らなくなった古い通路の奥で、異変が起きていた。
壁に刻まれた六つの紋様。
そのうち、第一の紋様だけが淡く光っている。
光は一定の間隔で明滅し、やがて通路の奥へと流れていった。
そこには巨大な扉があった。
表面には無数の文字が刻まれている。
扉の中央には、六角形の窪み。
その周囲に、六つの小さな円が並んでいた。
第一の円が光る。
すると、扉の向こうから低い音が響いた。
ゴ……ン。
長い年月、動くことのなかった扉が、ほんのわずかに震えた。
その奥。
暗闇の中に、何かが横たわっていた。
人の形に似ている。
しかし、人間ではない。
身体の輪郭は曖昧で、顔に当たる部分には何もなかった。
その存在の前に、無数の文字が浮かび上がる。
《第一封印:解除》
《第二封印:維持》
《第三封印:維持》
《第四封印:維持》
《第五封印:維持》
《第六封印:維持》
続いて、別の表示が現れた。
《対象の所在:検出不能》
《世界記録:該当なし》
《外部反応:確認》
その存在が、ゆっくりと動いた。
『……まだ、見つからない』
声は通路の壁に反響する。
『だが、確かに近づいている』
顔のない頭部が、わずかに傾いた。
『今度こそ、間違えるわけにはいかない』
次の瞬間、第一の円が強く輝いた。
そして、扉の奥から新たな文字が浮かび上がる。
――境界に異物あり。
◇
夜。
アルヴェインは、セレスティアに抱かれて眠っていた。
穏やかな寝息。
小さな胸が、規則正しく上下している。
そのとき、胸元の六角形が一瞬だけ光った。
アルヴェインの意識が、眠りの底へ引き込まれる。
白い空間。
そこには、以前と同じ無数の光が広がっていた。
しかし、今回は六つの柱が見当たらない。
代わりに、目の前に一つの大きな文字が浮かんでいた。
《世界記録》
その下に、無数の名前が並んでいる。
人間。
魔物。
動物。
植物。
そして、世界に存在するあらゆるもの。
アルヴェインはその光景を見つめた。
一つ一つの名前の横には、情報が記されている。
生まれた場所。
魔力の性質。
生命の状態。
過去の変化。
それらが、細かく記録されていた。
(これが……世界の記録)
アルヴェインは自分の名前を探した。
だが、見つからない。
以前と同じだった。
自分だけが、この場所に存在しない。
そのとき、視界の端に小さな光が現れた。
光はゆっくりと近づいてくる。
そして、アルヴェインの目の前で止まった。
『お前は、まだ何も知らない』
聞き覚えのある声。
以前、夢の中で語りかけてきた存在だった。
(お前は何者なんだ?)
『それを知る必要はない』
(俺のことを知っているのか?)
『知っている。だが、お前が思っているような意味ではない』
光が揺れる。
『お前は世界の外側にいる。だが、世界から完全に切り離されているわけではない』
(どういうことだ?)
『お前は世界に触れることができる。世界もまた、お前に触れることができる』
その言葉の意味を考える。
しかし、答えは見つからない。
『だからこそ、気をつけろ』
『世界に触れようとする者が、お前だけとは限らない』
その瞬間、白い空間の遠くで黒い亀裂が走った。
光が一斉に揺れる。
『……もう来たか』
声に初めて焦りが混じった。
『今は目を閉じろ。まだ、お前には早い』
(待て! まだ聞きたいことが――)
アルヴェインの意識が急速に遠ざかる。
最後に聞こえたのは、短い警告だった。
『誰かがお前を見つけても、決して自分から名を教えるな』
◇
アルヴェインは目を覚ました。
部屋は暗い。
セレスティアはベッドの横で眠っていた。
何事もなかったかのような静かな夜。
しかし、アルヴェインの視界には新たな表示が残っていた。
《外部接触:発生》
《接触対象:不明》
《警告:識別要求を検出》
《対象情報:秘匿》
アルヴェインは小さな手を胸元に当てた。
名前を教えるな。
なぜ、そんなことを言われたのか。
そして、自分を探している存在は何者なのか。
分からないことばかりだった。
だが、一つだけ確かなことがある。
この世界には、自分を見つけようとしている何かがいる。
そして、その何かは、すでに動き始めていた。




