第八十二話
「猛龍様、王妃様がいらっしゃいました」
「ああ、通せ」
支度をされながら、猛龍は平然と答えた。
少ししてから寧々もまた平然とした様子で入ってきた。
ただ、そう装っているだけで、平気な訳がない。
それは猛龍でなくても皆分かっていた。
「珍しいではないか、朝から訪ねてくるなど」
「ええ、ご無礼をお許しください」
二人の間には、なんとも気まずい空気が流れている。
というのも、猛龍と寧々は監獄で口論になってから、お互い何をどう弁明すべきか分からず一度も話していなかったからだ。
仲睦まじく共にいた二人にとって、これほどまで顔を合わせなかったことはない。
「…………」
猛龍は寧々の顔を久しぶりにきちんと見た。
顔の輪郭はすっかり痩せこけ、元々白く美しい肌だったのに、今は青白くなってしまっている。
目の下に深く刻まれた隈からも、彼女の心労を図るのは容易だった。
いくら何日も口を聞いていなかったにせよ、そんな状態の妻を見てまだそっけなくできるほど、猛龍の寧々に対する情は浅くない。
「…………眠れていないのか」
寧々はまさか猛龍からそんな言葉をかけられると思っておらず、少し驚きの表情を見せた後、小さな声で呟いた。
「いいえ、と言ってもこんな風貌じゃ誤魔化せませんよね」
小さく笑って見せたが、より痛々しさが増すだけだった。
そんな様子を見ていられず、猛龍は顔を背けた。
「大丈夫だ。今日でやっと青藍の魂も報われるだろう」
青藍は本当に大切な息子だが、腹を痛めて彼を産み育てた母の気持ちを、猛龍がいくら想像してもしきれず、これは寧々にかけられる最大限の言葉だった。
しかし、寧々からの返事は無かった。
「………寧々、」
「振り向かないでください」
さすがに心配になり振り向こうとしたところを、寧々の随分と細くなった手に制止された。
「寧々……」
「………私、私も……あの男の罪が明らかになれば、この腹わたが煮えかえるような怒りも悔しさも………あの子に対する申し訳なさも幾分かましになると思っていました」
「……そう、」
「けれど……!そんなはずはありませんでした」
背中に置かれている寧々の手がガタガタと微かだが震えている。
細いのに、今にも折れてしまいそうなのに、どこにこんな力が残っていたのだろうか。
「だってあの男が死んだって!青藍は……あの子は戻ってこないのよ?辛い思いばかりしてきたあの子が………最期まで苦しんで殺された事実は変わらない!」
寧々は猛龍の衣を掴んだまま、その場に崩れ落ちた。
手の震えが寧々の身体全体にまで及び、猛龍の衣まで伝わる。
まるで移ったかのように、猛龍の口元も震える。
「……………私が、私が…」
「やめろッ!!」
猛龍は寧々の手を振り切り、強く抱きしめた。
寧々の身体は、あまりにも細すぎた。
猛龍は、このまま寧々まで消えてしまうのではないかと怖くなり、震える手で存在を確かめた。
「やめてくれ、違う……!悪いのは私だ。この馬鹿な父親が、」
寧々はふるふると首を振った。
「違う………違う」
お互いが自分を責め、お互いが慰め合う。
互いの高貴な衣が、涙かもはやなんだか分からないものでぐしょぐしょになっている。
けれど、そんな無意味な行為でしか、悲しみを、憎しみを、後悔を紛らわすことができなかった。




