第八十一話
いつの間にか、夜が明けていた。
次第に明るくなる窓を見つめては、心は沈んでいくばかりであった。
琥珀は一晩中、ただただ天井を見つめ続けているばかりで、もはや何も考えることができなくなっていた。
考えたところで自分に何ができる?そんな絶望感に溺れていくばかりだった。
もう事態は、琥珀の手に負える範疇を超えていた。
「琥珀様、もうお目覚めですか?」
扉の外から望月の声が聞こえる。
お目覚めも何も、琥珀は寝ていないのに。
「あぁ、入れ」
何とか身体を起こしたが、まるで鉛のように重く感じる。
いつも通り、のそのそと望月が入ってきた。
いつも通り、両手に琥珀の身支度のためのものをたくさん抱えて。
そして琥珀もいつも通り望月に朝支度をさせた。
全てがいつも通り進んでいる。
先に耐えきれなくなったのは琥珀だった。
いつも通りにしようと意識しているだけで、本当の意味でのいつも通りではないのだ。
「なあ、望月」
「なんでしょう、琥珀様」
「兄上の件は、どうなるんだ?」
「“どう”とは?」
望月は琥珀が蓮司と知り合いだったため、これ以上介入させたくないのか、いつもよりも声は低く、冗談は通じなさそうだと、琥珀でも分かる。
望月の言わんとしていることを理解していないわけではない。けれど、黙ってそれを受け入れられるほど琥珀は気持ちの切り替えが上手くはないのだ。
「分かってるだろ……彼は処刑されるのか?」
望月は支度の手を止めないまま、大きな溜息をついた。
望月にここまで悪態を突かれたことはない。
「それを知って、どうなさるおつもりで?琥珀様はこの件に関わってはなりません」
「………分かってる」
望月は思わず手を止め、目だけで琥珀をチラリと見た。琥珀が望月に反抗しないなんて、何十年ぶりだろうか。
暫くの沈黙の後、何かを諦めたかのように、望月は再び溜息をついて、小声で何やら話し出した。
「………昨晩からどうも監獄が騒がしいようで」
琥珀は特に返事もしなかったが、耳だけは傾けた。
「警備の者が呆れ返っていましたよ。“父上は悪くない。お願いだから会わせてくれ”だなんて叫び散らかしているみたいで。やれやれですね」
琥珀はさっきまでの俯きが嘘だったかのようにパッと顔を上げた。
「望月……今なんて言った?“父上”だって?怜が投獄されてるって言うのか!!?」
琥珀は望月の胸ぐらを掴んで詰め寄った。
それでも望月は平然を保っている。
「怜?誰ですかそれは。私は警備に当たった者から愚痴を聞かされたのみ。詳細は知りません」
「……なんてこと、」
琥珀は望月の胸ぐらを掴んだまま、眩暈がするのを感じた。
いずれ怜たち兄弟が投獄されるなんて、分かっていたことだ。
けれど、いざ本当に聞かされると、居ても立っても居られなくなる。
自分の身なりがどうなっているかも確認しないで、琥珀は一目散に駆け出した。
「琥珀様!どちらへ!?」
振り向くこともなく、琥珀の姿はすぐに見えなくなった。
望月ははあ、と溜息をついた。
「…………本当に困った方だ」
「望月殿!」
ほどなくして、駆け出す琥珀を見かけたのだろうか?官吏が望月を慌てた様子で尋ねてきた。
「今、琥珀様が衣も乱れたまま外に出て行ったが……止めなくて良いのかっ!?」
望月は何を慌てているんだ?と言った様子で官吏を見た。
「ええ、止めるどころか、私が仕掛けましたから」
「ああそうですか、ならば大丈………って、え!?ど、どういうことですか?」
その言葉に対し、望月は何も答えなかった。
ただただ、やれやれと言った様子で微笑んでいただけだった。
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「ハア……ハア……」
もう後先など考えることができなかった。今会ったって、どんな言葉をかけるというのか?そもそも今駆け付ければ、琥珀と怜が今まで築き上げてきたものすべてが崩れ去って、二度と笑い合うことができなくなるのに。琥珀に怜は救えないのに。
”怜が監獄にいる”その事実だけで琥珀を突き動かすには十分すぎた。
焦れば焦るほど監獄はどんどん遠ざかっているように感じる。
なぜか足がもつれて、上手く前に進めない。
「うっ!!!」
早く行きたいのに、ついには足に力が入らなくなり、琥珀はその場に崩れ落ちた。
まるで夢の中で走っているかのようだ。
「早く!!早く立てよ!!」
琥珀はついにおかしくなってしまったのか、自身に向かって叫び出した。
それなのに、足は震えて到底力が入りそうにない。
「____おや、どなたかと思えば琥珀様でしたか」
どこからか声が聞こえてきたかと思えば、いつの間にか背後に気配を感じた。
声の主が分かって、琥珀は心底絶望した。
(………なんでこんな時に限って、)
「お、お爺様、ひ、久方ぶりですね。お元気でしたか?」
「ええ、私は元気でしたよ。ですが、琥珀様。貴方様はご無事ではないようで」
清氏はくるりと蹲る琥珀の前に回りしゃがんで、琥珀を見た。
「こんなに色々と乱れて、どうされたのですか?」
「い、いやあ……少し転んでしまいまして」
琥珀は細心の注意を払って言葉を選んだ。
いくら血の繋がった親族とはいえ、自らと蓮司に関係があったことは知られない方が良いだろう。
「それは大変!急いで医官を呼んでこなければ!」
「あああ、お爺様!私は大丈夫ですから!このとおり怪我はしていません!」
琥珀は自らの足を見せながら慌てて清氏を止めた。
ここで振り出しに戻されては困る。琥珀に残された時間はもう時間少ないのだ。
「………左様ですか?ならば良いのですが」
本当に無事なのか怪しみながら清氏は立ち上がり、
「あ、」と声を上げた。
「”医官”で思い出しました。琥珀様、貴方様がどこまでご存じかは知りませんがね、青藍様を殺めた憎き男に証拠が見つかり、本日処刑が行われるそうで」
”青藍様を殺めた”その言葉が琥珀の心に深く沈み込み、再び心を惑わせる。
「………そ、そうか。それは良かった、これで兄上も救われますね」
清氏はええ、と言葉を返した後、先の道を見やった。
「…………そういえば、この先はちょうど監獄ですね」
監獄に続く道には鬱蒼とした木々が生い茂っていて、日中なのに光が届かず闇に包まれている。
見ているだけで気分が悪くなるような、そんな陰の気が満ちている場所だ。
「もしや琥珀様、処刑される前に奴に一言浴びせるおつもりだったのですか?お気持ちは分かりますがね、貴方様のような尊き方があんな者に近づいてはいけませんよ」
琥珀はまるで真冬のような寒気がした。
清氏は猛龍と違って頭が切れるという認識は琥珀にもあったが、完全ではないにしてもこんなにも言い当てられてしまうとは思わなかった。
「ま、まさか。行きませんよ!行くわけないじゃないですか……兄上を殺めた者の顔など見たくありませんよ」
そうですよね、失礼しましたと言って、清氏は目線を琥珀に再び移した。
「………おや、琥珀様。やはりどこか具合が悪いのでは?」
「………え?」
琥珀は清氏を見上げた。
太陽で眩しいせいだろうか、清氏の顔がぼやけて揺れ出す。
しまいに琥珀は顔を上げていられなくなり、俯いた。
瞳を閉じても、頭の中がぐるぐると回っている感覚に襲われる。
「い、いえ………そんなことは、な……」
「琥珀様っ!!!!」
清氏のとっさの支えも間に合わず、琥珀は地面の砂の上にぐしゃりと倒れこんだ。




