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紫苑に露  作者: 花信風描
第七章 落花
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第七十九話

怜と凛の前に”その”日 はあまりにも突然訪れた。




「もう大丈夫でしょう、薬も効いて、明日には良くなりますよ」


「ああ、ありがとうございます………!!これでやっと働けます!!」


中年の男も言葉に怜は少し困ったような顔をして、すぐさま起き上がろうとした身体を制止した。

「………暫くは安静にした方が良いのですが、」


男はハハッと笑った。

「そりゃあ、私もそうしたいですよ!だけどね、先生。貴方もよくご存じだとは思いますけど、世知辛い世の中ですから。働かないとお役人に怒られちゃいますよ!!」


(………お役人、か)


実は、半年を過ぎて少し経った頃から、王宮から何も届かなくなった。

凛は『なんだよ!!ケチな野郎だな!!』と相変わらず悪態をついただけで、それ以上何も考えていなかったみたいだが、それ以降怜の心には良くない想像ばかりが浮かんだ。


(父上に何かあったのだろうか?けれど、何かあったなら、良くも悪くも何か知らせがあるはず。大丈夫、大丈夫……)

そう言い聞かせては、落ち着かない心の気を紛らわせるために、治療に没頭してきた。


「………生?先生!?」


怜はハッとした。すっかり考え込んでしまっていたみたいだ。

「申し訳ないな、先生の生活が大変なのは俺たちのせいだってのに………」


「違います!!それは絶対に違いますから!」

椅子から立ち上がって怜は訂正した。



「違いますから。貴方はただ、自分の心配だけをしてくださ、」




____ガタンッ!!!!!


「怜くんッ!!大変だ!!」


扉が勢いよく開かれたと思ったら、駆け込んできたのは怜の隣の家の者だった。

息は切れ切れで、怜の姿を見るなり、力尽きたようにその場に崩れ落ちた。


あまりのひっ迫した表情に、怜の心臓は大きく跳ねた。

これは急患ではないだろう。

心の中には嫌な予感が広がった。


倒れこんだ隣人の身体を起こし、支えながら怜はおそるおそる聞いた。

「な、何があったのですか?…………き、急患ですか?」


あまりにも不謹慎だが、「急患なら良いのに、」と自らの良心を無視して心が呟く。


隣人は息を何とか整えながら、はっきりとこう叫んだ。





”役人が急に現れて、凛くんが取り押さえられている”と。


___________________


人間の嫌な予感というのは、なぜこんなにも当たるのだろうか。

運命に嘲笑われているみたいで、あまりにも不愉快だった。


「おいッ!!!!てめえら!!そんなに俺らの家を荒らして何を探してやがる!!金目のものなんて何もねえって言ってんだろが!そもそもどこの誰だよ!!?よくもこんな白昼堂々悪事を働けるな!!」


怜が医院に着く前に、遠くから凛の罵詈雑言が耳に入った。

凛はなんとか無事なのだと、こんな時でもその事実にほっとした。




____ほっとしたのも束の間。

医院に着いた途端、怜の全身から力が抜け、手に持っていた荷物の全てが空虚な音を立てて地面に落ちる。


「り………凛?」


凛は縄で縛られた上に、役人三人によって取り押さえられていた。

凛のことだから、取り押さえられるまでにかなり抵抗したのだろう。顔や身体には殴られ、蹴られた跡が痛々しいほど白い肌に刻まれていた。


医院と家は十人以上の役人によって荒らされている最中だった。

そうじゃなくても壊れる寸前の建物なのに、何の躊躇いもなく踏み込まれて、壊れかけの戸は完全に壊され無惨に投げ捨てられている。

そんなだから、中なんて見なくても分かる。

家が狭いなりにも蓮司が工夫して大切にしていた医学書や医療道具なんかは、きっとめちゃくちゃにされて、ゴミ同然にされているに違いない。


「ど……どうして、こんな惨いことを、」


蓮司が王宮に行ってから、怜はいつも最悪の場合を想定していた。

何が起こるかなんて分からないから、心の準備をしておこうと。

けれど、今目の前に広がっている惨状の前に、準備などは何の役にも立たなかった。


役人たちは何かを探すのに必死で、怜が来たことには気が付いていなかった。

凛だけが気付いて、目線だけを怜に向けた。


「凛っ……!!凛!!」

怜が駆けだそうとしたその瞬間、今まで凛から向けられたことのないほど鋭い目で睨まれた。

その、野犬のような凛の目つきに、思わず身体が止まる。


『来るな!!!絶対に、こっちには来るな!!』

言葉には出していなくても凛が目でそう訴えてきているのが、兄である怜には嫌というほど伝わってきてしまった。


凛は今自分たちの家を荒らしているのが誰か分かっていないから、役人でも呼んで捕まえれもらえ!と思っているみたいだが、その役人に暴かれているのだ。

助けなんて誰に求めればよい?誰に頼んだって、皆恐れおののくだけだ。



「おい、そこのお前!!止まれ!!何者だ!?」

凛を取り押さえている役人が、近づいてくる怜に気付いて罵声を浴びせた。

凛は心底呆れたといった様子で、今度は苛立ちをあらわにした目を怜に向けた。


怜は役人の指示通りぴたりと止まった。

本当は、今すぐにでも凛を離してほしかった。

人を集め暴れてどうにかなるなら、温厚な怜でもそうしただろう。

けれど、今目の前にいるのは役人だ。

下手に抵抗すればどうなるかぐらい、医学以外にとんと疎い怜にでも分かる。


「お前!!そこのお前だ!どこの誰だ!何見てやがる!!?」


怜は人生で初めて抑えきれない感情が込みあがってくるのを感じた。

身体が震えているのは恐怖からではなく、自分の大事なものをこうも無遠慮に傷つけれられた怒りからだ。

だけど、「この怒りは絶対に抑えないといけない」

わずかに残っている理性が必死に訴えてくる。


怜は一つ深呼吸をして言葉を発した。

「私はこの家の者です」

一語一句、この場にいる皆に聞こえるぐらい大きな声で答えた。


その言葉を聞いた途端、家の中にいた者までぞろぞろと外に出てきて、怜を下から上までジロジロと見ては、性根が腐ったような、寒気がするようないやらしい顔をして笑ってきた。


「おいおい、この家には男が二人だと聞いてたんだが………どっからどう見ても女じゃねえか!!」


「ギャハハハッ!!これはこれは!あの医者にまた一つ罪が増えたぞ!アイツは娘を息子として育ててたってことか!?最低な野郎だ…グハッッ」

まだ言い終わらない内に、男は顔面を蹴られ、鼻から血を吹き出して倒れた。


蹴り飛ばしたのは、凛だった。

「てめえら全員地獄に叩き落してやる!!!このクズめ!!!」


凛の怒りは最高点に達し、抑えられている力が少し抜けた隙に役人を一人蹴とばしたのだ。

顔面を直に蹴られた男は、失神して起き上がってこない。


その場にいた皆、凛にまだそんな力が残っていたのかと心の底では驚いたが、すぐに逆手に取ってきた。


「この糞ガキ!!!また罪を重ねるってのか!」


「おい、何やられてやがる!!早く取り押さえろ!!」


「………この生意気小僧!これでもくらえ!!!」

凛の傍にいた一人の役人が三尺以上の木棒を振り上げた。


「………ッ!!!」

さっきは役人の気が緩んだ隙を狙って動けただけで、向かってくる棒に抵抗できる術は何もない。





「ッ!!!!やめろっ!!!!!!!」




_______怜の身体は、迷うことなく凛のもとへ駆け出していった。

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