ゆく年
お待たせしました。
「じゃあ、俺の処刑はどうなるんだ!?」
「もちろん、回避する。……だが、そのためには条件がある」
「条件?」
「君は『鄭自誠』であった過去を捨てなければならない。鄭殿のことも、俺との記憶もすべてだ。法的に君を『死者』とする以上、二度と表舞台でその名を知られてはならないんだ」
脩璃は俯き、絞り出すように告げた。
「……わかった。俺にはどうしても成し遂げたいことがある。そのためなら、どんなことでも受け入れる覚悟だ」
自誠は強張った顔で、それでも未来を見据えるように気丈な笑みを見せた。
半年後、自誠改め「司馬仙」は新たな人生を歩み始めた。初仕事は財務部門の下級官吏。その才からすれば役不足だが、目立たぬよう、それでいて事務処理能力を発揮できる場所を脩璃が選んだのだ。
彼は上司から足の不自由さを冷笑されることもあったが、黙々と二十年の歳月を勤め上げた。やがて魏封の乱が歴史の向こう側へ霞み始めた頃、四十半ばとなった彼はようやく念願の「四書房」への転属を命じられ、史書の編纂という終生の大業に着手することになる。
◇
司馬仙が新たな一歩を踏み出した頃、動乱からちょうど一年が過ぎた龍台は、少しずつ活気を取り戻していた。
復旧作業が続く中、脩璃は長い遠征を終え、鵬国へ帰還することを決める。留守を預かるのは、いつもの変人風に戻った脩奏。一抹の不安を覚えつつも、脩璃は愛しい明玉との再会を胸に北を目指す。
帰還前夜、人影のない郊外の闇に、四つの影があった。
「玄上殿、お達者で。これは私からの餞別です」
脩璃は、鵬国から取り寄せた瑠璃の首飾りを差し出した。高貴な紫色に輝くそれは、麟家の象徴。
「この色は……」
「王族が没すれば玉紫石の墓標を立てるのが習わしですが、謀反人とされた彼にはそれが許されません。せめて、これを形見に……」
受け取った男――玄上は、それを強く握りしめた。
「……すまんな」
「玄上様、参りましょう」
傍らに控える従者・碁鞏が促す。かつて自らの胸を突いた廷尉は、奇跡的に急所を外れ、一命を取り留めていたのだ。
「これもお持ちください。長旅の一助となるでしょう」
脩璃が渡したのは、六国内の通行を保証する「金牌」であった。
「かたじけない。……もう二度と会うこともなかろう。さらばだ」
二人は振り返ることなく、提灯の微かな光を頼りに西へと旅立っていった。
「脩璃様、行ってしまわれましたね」
陽明が隣に立つ。
「ああ。すべてを一身に引き受けて、ね……。なあ、陽明」
脩璃は真剣な眼差しを向けた。
「もし俺が彼と同じ境遇になったら、君は俺に付いてきちゃ駄目だぞ」
陽明はふっと笑った。
「そうですか? 私は碁鞏殿の気持ちがよく分かりますが。あの二人と同じく、私たちの縁も切っても切れぬものですから」
二人は顔を見合わせ、夜の静寂の中で小さく笑った。
その後、二人は山の麓にある荒れ果てた小屋へ向かった。そこには、四つの小さな墓が並んでいる。
「懐かしいね。すべてはここから始まったんだ」
「そうでございますね。あの頃の脩璃様は、まだほんの子供で……」
「陽明、覚えておいてくれ。俺が死んだら、廟とは別に、ここにも墓を立ててほしいんだ。……陽明、君の分もね」
「ああ、死んでもあなたの悪さを見張らなければなりませんからね」
「ははは! 違いない!」
満天の星空の下、二人の笑い声がかつての原点にこだました。
◇
それから、六国には永い平安が訪れた。皇帝・秀帛は「麟国中興の祖」として歴史に名を刻む。
脩璃の発案により、各国の王が交代で皇帝を補佐する「輪番制」が導入された。これは各国の意思疎通を円滑にすると同時に、中央に王を留めることで反乱を未然に防ぐ、極めて合理的な統治形態であった。六国は未曾有の繁栄を謳歌していく。
――そして、四十余年の月日が流れた。
脩璃は六十五歳。老境に入り、衰えを感じながらも、輪番の政務のために麟国に滞在していた。
「鵬王に申し上げます。本日、西域の岐山国より使者が参ります。陛下が、鵬王も謁見に同席せよとの仰せです」
「ほう、西域から……。よかろう、どれ拝見しようか」
老脩璃は曲がった背を精一杯伸ばし、謁見の間へと歩き出す。
◇
かつて焼け落ちた宮城は、今やかつての絢爛さを凌ぐ壮麗な姿を見せていた。
老脩璃は百官の先頭で目を閉じ、静かに皇帝の出座を待つ。
「皇帝陛下の御成り!」
式典が厳かに進む中、西域から来た若き使者が、ふと脩璃に視線を送った。その胸元で、何かがキラリと光る。
それを見た瞬間、脩璃の全身がわななき、震え出した。彼は周囲の驚きを余所に若者へ駆け寄り、その胸元に輝く「紫色の瑠璃」を凝視した。
「……鵬王、いかがなされた?」
秀帛が心配そうに声をかける。
「陛下、失礼をいたしました。……昔日のあることを思い出し、つい。……後ほど、この使者と二人きりでお話しするお許しをいただけますか」
「鵬王の願いとあらば。……後で詳しく聞かせてくれよ」
数時間後。
「脩璃様、お連れしました」
案内するのは、八十歳になろうかという老陽明である。依然として矍鑠とした彼は、今も脩璃の影として寄り添っていた。
後ろから入ってきたのは、二十歳を過ぎたばかりの、どこか見覚えのある面影を持つ青年だった。
「その首飾りは……」
「亡き父の形見でございます」
「亡き……。そうか、身罷られたか。……彼は、幸せであったろうか?」
「はい。多くの子や孫に見守られ、穏やかな最期でした。私がこの国へ参りましたのも、父の遺言にございました。『いつか麟国を訪れ、この首飾りを見せよ』と」
青年が差し出した首飾りを、脩璃は震える手で受け取った。
「……間違いない。ああ、そうであったか……。見てくれ、陽明!」
「ええ、間違いございませんな。脩璃様」
「さあ、もっと近くへ。その顔をよく見せておくれ」
「はい、喜んで。――叔父上様」
かつての恩讐を超え、遠い西の地で生を全うした兄の面影を抱きしめるように、二人はいつまでも、今は亡き者たちの思い出を語り合うのであった。
思っていたよりも早く終わりそうです。次回あたり最終話の予定!




