09 耐性は永遠じゃないらしいです
グランツの街の門を抜けると、目の前には広大な草原が広がっていた。風に揺れる草がどこまでも続き、遠くには小さな森も見えた。
「……よし」
俺は周囲を見回した。
昨日とは違う。今度こそ、自分の力で戦ってみる。
そう決意した、その時だった。
「……ん?」
近くの草むらが揺れた。
ガサッ。
「なんだ?」
俺は身構える。
やがて草むらから姿を現したのは――。
「ブタ……?」
大きな身体に、鋭い牙。地面を掻くように前脚を動かすその姿には、どこか見覚えがあった。
「……あいつか」
昨日、ゴブリンが左手で引きずっていた魔物だ。俺はさっそくモンスター図鑑を開き、該当するページを探した。
《ワイルドボア》
そこには、魔物の特徴と能力が記されていた。
《チート能力――猪突猛進》
一直線に突進する能力。突進距離が長ければ長いほど、その威力は増大する。
「なるほどな……」
俺は図鑑を閉じ、ワイルドボアに向き直った。
「でも、近づいてしまえば関係ない」
ワイルドボアが地面を蹴った。
「遅い!」
俺は横へ飛び、突進をかわす。そのまま一気に距離を詰めた。突進の勢いがつく前に懐へ入り込めば、こちらのものだ。
「これなら――!」
拳を振り上げた、その瞬間だった。
「……え?」
背後から、草を踏み鳴らす音が響いた。嫌な予感がして振り返る。
「なっ……」
そこには、一匹、二匹、三匹、四匹――。周囲の草むらから、次々とワイルドボアが姿を現していた。
「……囲まれてる?」
ワイルドボアたちは一斉に俺へと身体を向けた。
「待て……。おい、ちょっと待て!」
そして――。
「ブオオオオオッ!!」
複数のワイルドボアが、一斉に地面を蹴った。
「――ッ!」
逃げようとしたが、間に合わない。複数の巨体が、四方から一直線に迫ってくる。
「うわあああああっ!」
次の瞬間、凄まじい衝撃が身体を襲った。
「がっ……!」
《打撃耐性+28を獲得しました》
身体が宙に浮く。そのまま、俺は勢いよく吹き飛ばされた。
「――ッ!」
地面を何度も転がり、視界がぐるぐると回る。何が起きたのか理解する間もなく、俺は必死に身体を起こそうとした。
「……くっ!」
身体中が痛い。昨日までなら、こんな攻撃を受けても、ある程度は耐えられるようになっていたはずだ。なのに、今回はまともに動くことすら難しい。
「まさか……」
その時、冒険者ギルドで聞いた言葉が頭をよぎった。
『Cランク以下の能力者には、もう一つ大きな特徴があります』
『チート能力を使用する際に、デメリットが発生するんです』
「……これが、デメリットなのか?」
だが、今はそれ以上考えている余裕などなかった。気づけば、俺は街の入口近くまで吹き飛ばされていた。
「ぐっ……!」
地面を何度も転がり、ようやく止まる。
「おい、大丈夫か!?」
すぐに門番が駆け寄ってきた。
「しっかりしろ!」
「……っ、大丈夫……」
そう答えようとした、その時だった。
「タツヤさん!」
聞き慣れた声が響いた。
「……リナ?」
人混みを掻き分けるようにして、リナが駆け寄ってくる。
「タツヤさん!」
俺の前にしゃがみ込むと、リナはすぐに俺の身体を支えた。
「大丈夫ですか!?」
「……まあ、なんとか」
「全然大丈夫じゃないです!」
リナは俺の身体を確認した。
服は破れ、身体中に傷ができている。特に下半身はひどい有様だった。
「……また怪我してる」
「これは……ちょっと色々あって」
「ちょっとじゃありません!」
門番が心配そうに近づいてくる。
「お嬢さん、危険です。まずは我々が――」
「すみません、少しどいてください!」
リナは俺の肩を支えたまま、門番の前に出た。
「しかし――」
「この人、私の知り合いなんです! 私、治癒士なので、私が治療します!」
「治癒士……?」
「はい!」
リナはそう答えると、俺の身体に手をかざした。
「だから、この人は私に任せてください。――ヒール!」
淡い光が、彼女の手のひらから溢れ出した。
「…………」
門番たちは顔を見合わせる。
俺は、目の前で治癒魔法を使うリナを見つめた。
……なんだか、頼もしく見えるな。
その直後だった。俺の足元から、淡い光が波紋のように広がっていった。
「……え?」
光は地面を走り、街の奥へと伸びていく。俺たちがいるのは街の入口だ。それなのに、光は止まる気配もなく、通りを抜け、建物を越え、さらにその先へと広がっていった。
「リナ……?」
「はい?」
「これ……どこまで広がるんだ?」
「さあ……?」
リナは少し恥ずかしそうに笑った。
「私にも、よく分からないです」
「いや、分からないって……」
俺が呆然としている間にも、光は広がり続ける。そして――街の一部が淡い光に包まれた。
「…………」
「……あはは」
リナは頬をかきながら、気まずそうに笑った。
「私、治癒魔法の範囲だけは広いんです」
「だけは?」
「はい……」
リナは少し俯いた。
「私の能力、Cランクなので」
「Cランク?」
「そうなんです」
リナは恥ずかしそうに指を絡める。
「でも、街全体を回復できるんだろ?」
「そうなんですけど……」
リナは困ったように笑った。
「範囲が広すぎるんです」
「広すぎる?」
「はい。私の治癒魔法は、範囲内にいる人をまとめて回復しちゃうんです」
「それなら、かなり便利じゃないか?」
「……敵もです」
「…………」
「魔物が近くにいても、一緒に回復しちゃうんです」
「それは……確かに使いづらいな」
「だから、冒険者としてはあまり向いてなくて……」
リナは少し恥ずかしそうに笑った。
「今は、おじいちゃんのお手伝いをしてます」
「お手伝い?」
「買い物とか、家のこととか。その代わりに、お小遣いをもらって生活してるんです」
「…………」
「……お恥ずかしい話なんですけど」
リナは俯いた。
「おじいちゃんはSランクなのに、私はCランクなので……」
「別に、恥ずかしくないだろ」
「え?」
「街全体を回復できるんだぞ? 俺は十分すごいと思うけどな」
リナは少し驚いたように俺を見つめた。
「……そう、ですか?」
「ああ」
俺が頷くと、リナはほっとしたように微笑んだ。
「……ありがとうございます、タツヤさん」
治療を終えたリナは、改めて俺の顔を覗き込んだ。そして、真剣な表情で口を開く。
「タツヤさん。やっぱり、うちで暮らしませんか?」
「……」
「無理して一人で頑張らなくてもいいんですよ」
俺は少しだけ俯いた。ありがたい申し出だった。今の俺には金もないし、まともに戦えるかどうかも分からない。リナの言う通り、誰かを頼って暮らすという選択肢だってある。
「……悪い」
それでも、俺は首を横に振った。
「でも、やっぱり自分で生きてみたい」
「……そうですか」
リナは少し寂しそうに笑った。
「それなら……これを使ってください」
そう言って、リナは地図を広げた。
「ここです」
指差した場所には、一つの建物が記されていた。
「王都が運営している、低ランクの人向けの職業案内所です」
「職業案内所……」
「はい。ここなら、タツヤさんでもできる仕事を紹介してもらえると思います」
「分かった。ありがとう」
「今日はもう遅いですから、明日行ってください」
「ああ」
俺は空を見上げた。いつの間にか、日が傾き始めていた。
俺たちは街へ戻った。帰り道、俺はゴブリンから手に入れた赤い結晶を換金した。
「これが、この世界のお金か……」
受け取った硬貨を眺める。そして、その金で店に立ち寄った。
「……これください」
買ったのは、パン一つ。それだけだった。宿を取るには、まだ金が足りない。
俺はリナと別れ、人通りの少ない路地裏へ向かった。壁に背を預け、買ったパンを食べる。
「……今日は、ここでいいか」
食べ終えると、俺はスマホとモンスター図鑑を抱え、母親からもらった鍵を握りしめた。
「……」
目を閉じる。異世界に来て三日目。ゴブリンを倒し、今度はワイルドボアとも戦った。だが、現実はそう甘くない。自分の能力を過信すれば、あっさり命を落としかねないことを、今日も思い知らされた。それでも、ここで諦めるつもりはなかった。
前の世界では、何かを変えようと思いながら、結局何も変えられなかった。だから今度は――この世界で自分の力で生きて、この世界のために何かを成し遂げたい。
「……ここからだ」




