05 新たな出会い
意識が遠のいていく。
「……くそ……」
もう、体に力が残っていない。腹からは血が流れ、腕も脚もまともに動かせない。それでも、俺は必死に顔を上げた。目
目の前には、ナイフを握ったゴブリンがいる。そして――そいつは笑っていた。
「……何がそんなに嬉しいんだよ」
ゴブリンがナイフを構える。
「……くそ」
俺は震える腕に力を込めた。ここで何もしなければ、確実に殺される。だったら、最後の力を振り絞るしかない。
「……そういえば」
そのとき、ふと頭に浮かんだ。さっき岩を殴ったときの感触。明らかに、最初にこの洞窟へ来たときの俺とは違った。ゴブリンに殴られるたびに、俺の打撃への適応が進んでいる気がする。だったら――。
俺は右手を見る。そこには、今まで俺を拘束していた鎖が繋がっていた。
「この鎖も、打撃に使えるんじゃないか?」
拳が強くなった。蹴りも速く、強くなっている。なら、鎖を振り回して敵にぶつければ、俺の力を乗せられるはずだ。もちろん、上手くいく保証なんてない。でも、ほかに手はなかった。
「……やってみるしかない!」
次の瞬間、ゴブリンが一気にこちらへ飛び込んできた。
ナイフが振り上げられる。
「来やがれ!」
俺は右腕を大きく振った。
ジャラッ!
鎖が地面を擦りながら動き出す。さらに腕を回すと、鎖が俺の周囲を円を描くように回り始めた。
「おらぁっ!」
腕を振り抜く。鎖が勢いよく加速し――。
ブンッ!
ゴッ!!
「ギャッ!?」
鎖がゴブリンの体に直撃した。その小さな体が、勢いよく吹き飛ぶ。
ドンッ!
ゴブリンは地面を転がり、岩壁の近くまで飛ばされた。
「……当たった」
俺は自分の右手を見た。鎖を振り回しただけなのに、あれほどの威力が出た。いや、鎖そのものの重さだけじゃない。今の俺の力が、そのまま攻撃に乗ったんだ。
「……やっぱり、鎖の威力も強くなってる」
まだ確信はない。だが、さっき岩を砕いたことも考えれば、そう考えるのが自然だった。
「これなら……」
俺は息を切らしながら、口元を緩めた。
「勝てるかもしれない」
ゴブリンがゆっくりと立ち上がる。
「……あ」
その顔を見て、俺は笑みを消した。
ゴブリンは怒っていた。
さっきまで浮かべていた笑顔は消え、歯を剥き出しにしてこちらを睨んでいる。
「……怒らせたか」
ゴブリンがナイフを握り直す。そして――地面を蹴った。
「速っ!」
一瞬で距離が縮まる。俺は反射的に鎖を振り回した。
「食らえ!」
ブンッ!
鎖がゴブリンへ向かって飛んでいく。だが――。
スッ。
「なっ!?」
ゴブリンは身を低くしてかわした。鎖が頭上を通り過ぎる。
「くそっ!」
やっぱり速い。さっきは不意を突けたから当たっただけだ。同じ攻撃を繰り返しても、簡単には通用しない。
ゴブリンがナイフを振り上げる。
「――ッ!」
俺は咄嗟に右腕を引いた。鎖が大きく弧を描く。ゴブリンは鎖を警戒し、さらに横へ動いた。
「……そこだ!」
俺は鎖を振る勢いを利用して、体を大きく捻った。そして、右足を踏み込む。目の前に入り込んできたゴブリンの腹へ、右足を叩き込んだ。
ドゴッ!!
「ギャッ!」
ゴブリンの体が浮く。
「まだだ!」
踏み込んだ右足を軸に、体を回転させる。そのまま左足を振り抜いた。
「これでっ!」
ドゴォン!!
「ギャアアアッ!!」
蹴りがゴブリンの体を捉えた。その小さな体は宙を舞い――。
ドガァン!!
前方の岩壁へ叩きつけられた。
「……はぁ……はぁ……」
俺は息を切らしながら、ゴブリンを見つめた。
今の攻撃は、間違いなくさっきまでの俺とは違う。ゴブリンの動きを見てから反応し、蹴りを叩き込むことができた。力だけじゃない。体の動きそのものが、以前より速くなっている。やはり打撃を受けるたびに適応が進み、俺自身の能力まで引き上げられているのか。
「……とんでもない能力だな」
だが、感心している場合じゃない。
ゴブリンは岩壁にもたれたまま動かない。
「……今だ」
俺はふらつきながら周囲を見回した。そして、地面に転がっているものが目に入った。
「……あれは」
さっきゴブリンが捨てた棍棒だった。俺はよろめきながら近づき、それを拾い上げる。重い。傷だらけの腕が震え、持ち上げるだけでも精一杯だった。それでも、これなら終わらせられるかもしれない。
「これで……終わらせる」
そのとき、ゴブリンがゆっくりと顔を上げた。
「……まだ動けるのかよ。しぶといな」
俺は棍棒を握り直した。
ゴブリンが立ち上がろうとする。
「させるか!」
俺は残った力をすべて込め、棍棒を振り下ろした。
ドゴッ!!
「ギャッ!」
ゴブリンの体が揺れる。だが、まだ倒れない。
「まだだ!」
ドゴッ!!
もう一度。
ドゴォン!!
「はぁっ……はぁっ……!」
腕が痺れる。傷が痛む。視界もぼやけてきた。それでも、俺は棍棒を振り続けた。
こいつを倒さなければ、俺に明日はない。そんなことは、嫌というほど分かっている。
「これで……!」
最後の一撃を振り下ろす。
ドゴォン!!
ゴブリンの体が大きく揺れた。
そして――その体が、突然光の粒へと変わっていった。
「……え?」
俺は棍棒を振り下ろした姿勢のまま、動きを止めた。
ゴブリンの体は、まるで最初からそこに存在しなかったかのように、光の粒となって消えていく。やがて、その姿は完全になくなった。あとに残ったのは――赤く輝く、小さな鉱石のようなものだった。
「……なんだ、これ」
俺はふらつきながら近づき、その赤い結晶を拾い上げた。手のひらに乗せると、ほんのりと熱を感じる。
「……モンスターを倒すと、これが残るのか?」
ゲームみたいな話だが、目の前で起きたことを否定する気にはなれなかった。そもそも、俺は異世界に来ている。目の前にいたゴブリンも、俺の体に起きた変化も、元の世界では説明できないことばかりだ。この結晶についても、何か意味があるのかもしれない。
……まあ、今は考えても仕方ないか。
「……疲れた……」
ようやくゴブリンを倒した。だが、喜ぶ余裕すらない。全身が痛み、立っているだけでも限界だった。
「……もう、無理……」
足から力が抜ける。俺は赤い結晶を握りしめたまま、その場に倒れ込んだ。
ドサッ。
「……はぁ……」
息をするだけで腹が痛む。意識を保とうとしても、まぶたが勝手に落ちてくる。
「……俺、このまま死ぬのか……?」
せっかく異世界に来たのに。女神からチート能力までもらったのに。まだ何も分かっていない。自分の能力が何なのかも、この世界がどんな場所なのかも。
……こんなところで、死んでたまるか。
そう思ったところで、もう体は動かなかった。
――――――――――
「……おじいちゃん」
「どうした?」
「この人……大丈夫かな?」
「……酷い怪我だな」
遠くから、誰かの声が聞こえる。
「まだ息はあるよ」
「そうか」
「でも、このままだと……」
「……分かっている」
誰かが俺の顔を覗き込んでいる。
ぼんやりと目を開けた。
霞んだ視界の中に、人影が二つ見えた。一人は少女。もう一人は、白髪の老人だった。
「……おい」
老人の声が聞こえる。
「大丈夫か?」
少女も心配そうに俺を覗き込んでいる。
……誰だ、こいつら。助けに来てくれたのか?
俺は何とか目を開けていようとした。せめて、こいつらが敵なのか味方なのか、それだけでも確かめたかった。だが、限界だった。ぼやけた視界が、ゆっくりと暗くなっていく。そして俺の意識は深い闇へと沈んでいった。




