04 ゴブリンに殴られて強くなりました
バキィンッ!!
最後の一撃を叩き込んだ瞬間、鎖が大きな音を立てて砕けた。
「……え?」
切れた鎖が床に落ちる。ようやく自由になれた。そう思った次の瞬間――。
ドサッ!
「ぐっ……!」
体が地面に叩きつけられた。
「いっ……つぅ……!」
全身に痛みが走る。鎖で吊るされていた間、何度もゴブリンに殴られたせいだろう。体を起こそうとするだけでも、あちこちが悲鳴を上げた。
「……はぁ……はぁ……」
俺はしばらく、その場から動けなかった。それでも、いつまでも寝転がっているわけにはいかない。ゆっくりと腕を持ち上げてみると、肘も肩も手の甲も腫れていた。腹や背中にも鈍い痛みが残っている。
「……ひどすぎるだろ、これ」
いったい何発殴られたのか、もう覚えていない。少し体を動かすだけで痛みが走るし、呼吸をするたびに腹のあたりまで響いてくる。そして――頭。
「……っ!」
最初に棍棒を叩き込まれた場所に触れた瞬間、鋭い痛みが走った。
「これ……骨、いってるんじゃないか?」
指先で触れるだけでも痛い。下手に動かすのはやめておこう。そう思いながら顔を上げると、目の前にあのゴブリンが立っていた。
鎖が外れたというのに、逃げる気配はない。それどころか、手にした棍棒をこちらへ向けている。
「……まだ俺を殴るつもりかよ」
思わず苦笑が漏れた。
こいつにとって、俺は逃がすつもりのない獲物なのだろう。
逃げ道も分からない。この洞窟から出られる保証もない。そして、目の前には俺を何度も殴り続けた化け物がいる。正直、今すぐ逃げ出したい。だが、背中を向けたところで追いつかれるのが目に見えていた。
「……だったら」
俺は痛む体を引きずるようにして、ゆっくりと立ち上がった。
「こいつを倒すしかないだろ」
ゴブリンが棍棒を構える。俺も拳を握った。だが、指先は震えていた。
怖い。痛い。今すぐ逃げたい。
当たり前だ。こいつは俺を一撃で気絶させた相手で、まともに戦ったところで勝てるかどうかも分からない。それでも、ここで何もしなければ、いつか本当に殺される。
「来いよ」
自分を奮い立たせるように、俺はゴブリンを睨みつけた。
ゴブリンが地面を蹴る。
「速っ!」
一瞬だった。さっきまで数メートル離れていたはずなのに、もう目の前にいる。俺は慌てて拳を振り抜いた。
「くっ!」
しかし――。
スッ。
拳は空を切った。
「……!」
ゴブリンは、まるでこちらの動きを見切っていたかのように横へ滑り、あっさりと攻撃をかわした。
速すぎる。目では追えている。なのに、体が追いつかない。
頭で考えるよりも先に体を動かそうとしても、反応が間に合わない。これでは攻撃を当てるどころか、まともに防ぐことすら難しい。そして次の瞬間。
ドゴッ!
「ぐっ!」
棍棒が脇腹に叩き込まれた。
「ぐあっ……!」
体が吹き飛び、地面を転がる。息が詰まり、思わず歯を食いしばった。
痛い……。けど、さっきより少しだけ耐えられている?。
最初に殴られたときは、一撃で意識を失った。だが、今は痛みこそあるものの、まだ意識を保てている。気のせいかもしれない。攻撃を受けた場所や力加減が違う可能性だってある。それでも、確かめてみる価値はある。
俺は痛む体を起こし、再び立ち上がった。
ゴブリンがこちらへ迫ってくる。
「だったら……!」
今度は逃げずに踏み込んだ。相手の動きを見ながら、拳を思い切り振り抜く。
「おらぁ!」
ゴブリンはまたしても攻撃をかわした。だが、拳が空を切った瞬間、俺の腕に妙な感覚が残った。
力が――入る。
振り抜いた拳は止まらず、そのまま近くの岩へと叩き込まれた。
ドンッ!
「……え?」
岩の表面が砕け、細かな破片が床に落ちた。俺は自分の拳を見つめた。
「……俺、こんな力あったか?」
もちろん、そんなはずはない。俺は普通の人間だった。会社を辞めて、ゲームばかりしていた普通のおっさんだ。岩を殴って砕けるような力が、もともと備わっていたわけがない。それなのに、今の一撃は明らかにおかしかった。
「……待てよ」
頭に浮かんだのは、あの表示だった。
《打撃耐性+5を獲得しました》
ゴブリンに殴られるたびに表示されていた、謎の文字。
俺は自分の拳を握り直した。
「……打撃耐性が上がるたびに、殴られるのにも強くなってる」
それは、なんとなく実感できていた。では、岩を砕いたこの力は何なのだろう。単に痛みに耐えられるようになっただけなら、拳の威力まで変わる理由が分からない。
「……もしかして」
俺は拳を見つめたまま考えた。
「打撃への耐性が上がると……俺自身の打撃の威力も上がってるのか?」
まだ断定はできない。さっきは勢いよく拳を振り抜いたし、岩の強度だって分からない。ただ、何度も殴られたあとに、今までの自分では考えられない力が出たのは事実だった。もし、この二つがつながっているのなら――。
「……だったら」
俺はゴブリンを睨んだ。
「こいつに殴られ続ければ、俺も強くなるってことか?」
答えを確かめるように、ゴブリンが再び突っ込んできた。
「考えてる暇はないか!」
俺は拳を構える。ゴブリンの棍棒が振り下ろされた。
ドゴッ!
「ぐっ!」
肩に直撃する。痛みで顔が歪んだが、今度は倒れなかった。
「まだだ!」
ゴブリンが攻撃を終えた一瞬の隙を狙い、俺は拳を振り抜く。
「くらえっ!」
――スッ。
またかわされた。
「くそっ!」
速い。とにかく速い。いくら殴る力とスピードが強化されていたとしても、攻撃が当たらなければ意味がない。ゴブリンは俺の拳を簡単にかわし、反撃を叩き込んでくる。
ドゴッ!
「ぐっ!」
それでも、俺は立ち上がった。殴られる。痛みに耐える。また殴られる。そのたびに、少しずつ体が変わっているような感覚があった。
「……このままなら」
息を切らしながら、俺はゴブリンを見据えた。
「いつか、こいつに当てられる」
根拠があるわけじゃない。ただ、今はそう信じるしかなかった。ところが、そのときだった。ゴブリンが突然、棍棒を投げ捨てた。
「……?」
何をするつもりだ?
ゴブリンは周囲を見回し、地面に転がっていた一本のナイフを拾い上げた。刃が洞窟のわずかな光を反射する。
おそらく、ここで殺された冒険者が残したものだろう。さっき見た白骨死体のことを思い出し、背筋が冷たくなった。
「おい……待て」
嫌な予感がした。
ゴブリンがナイフを握り、姿勢を低くする。
次の瞬間――。
「ッ!」
来た。今までとは比べものにならない速度で、一気に距離を詰めてくる。
「くっ!」
俺は横へ飛んだ。だが、避けきれなかった。
ザシュッ!
「――がっ!」
腹に熱い感覚が走った。視線を落とすと、ナイフが腹に突き刺さっていた。
「……え?」
何が起きたのか理解するより先に、ゴブリンがナイフを引き抜く。傷口から血が流れ落ちた。そして、目の前に文字が表示された。
《斬撃耐性+5を獲得しました》
「……っ!」
新しい表示。だが、それをじっくり確認する余裕などなかった。
ザシュッ!
「ぐあっ!」
もう一度、刃が体を切り裂く。
ザシュッ!
「がっ……!」
さらにもう一度。
《斬撃耐性+5を獲得しました》
ゴブリンは攻撃をやめない。
腹。肩。腕。脚。ナイフが次々と体に突き立てられ、引き抜かれるたびに血が流れた。
《《《《斬撃耐性+5を獲得しました》》》》
「や、やめろ……!」
俺は必死に拳を振ろうとした。だが、体に力が入らない。膝が震え、視界が滲んでいく。
打撃への耐性が上がっても、刃物による攻撃まで防げるわけではないらしい。そんな当たり前のことに、今さら気づいた。
「……くそ……!」
立っていなければ。何とか反撃しなければ。そう思っても、体は思うように動かなかった。
ゴブリンが再びナイフを振るう。
ザシュッ!
「ぐっ……!」
もう限界だった。
ドサッ。
俺は膝から崩れ落ち、そのまま地面に手をついた。全身から力が抜けていく。指の間を血が流れ、岩の床に赤い跡が広がっていった。
「……はぁ……はぁ……」
呼吸が乱れる。目の前が暗くなっていく。せっかく鎖を壊したのに。ようやく自由になれたと思ったのに。このままでは、何もできずに終わってしまう。
「……まだ……死ねない……」
かすれた声で、そう呟いた。だが、俺の意識は、今にも途切れそうになっていた。




