03 ゴブリンの棍棒に適応しました
あたりを見回す。
「…………」
薄暗い洞窟の中には、何かの白骨死体がいくつも転がっていた。動物のものらしき骨もあれば、人間のものと思われる骨もある。どれも長い間放置されていたのか、岩の隙間や壁際に散らばっていた。
嫌なものを見てしまった。そう思いながら天井を見上げると、さらに気になるものが目に入った。
「……マジかよ」
天井から伸びた鎖。その先には、人間の骨が吊り下げられていた。俺と同じように、ここに捕らえられていた人間がいたのだろうか。だとしたら、あの骨は……。
「ここ、いったい何なんだよ……」
考えれば考えるほど、嫌な想像ばかりが浮かんでくる。少なくとも、普通の洞窟ではなさそうだ。こんな場所に閉じ込められている状況を考えれば、のんびりしている場合ではない。とはいえ、右手首は鎖で固定され、足は地面に届かない。今の俺にできることといえば、周囲を観察することくらいだった。そうしてしばらく待っていると、洞窟の入り口から何かが歩いてくるのが見えた。
「……あ」
緑色の肌。尖った耳。片手には、見覚えのある大きな棍棒。昨日……いや、意識を失ったのだから、正確にはいつのことか分からないが、俺を殴り倒したあのモンスターだった。そして、そいつのもう片方の手には――。
「……ブタ?」
大きなブタのようなモンスターが引きずられていた。ゴブリンは獲物を引きずりながら、こちらへ向かってくる。
ズル……ズル……。
やがて俺の近くまで来ると、ブタのようなモンスターの死体を地面に放り出した。
ドサッ。
それから、ゴブリンはゆっくりと俺の方を向いた。
「…………」
目が合う。ゴブリンは何も言わず、じっと俺を睨みつけていた。
「……なんだよ」
俺が鎖に繋がれていることを確認しているのだろうか。それとも、逃げ出そうとしていないか警戒しているのか。どちらにしても、その態度が妙に腹立たしかった。こっちは好きで吊るされているわけじゃない。しかも、何も説明されないまま殴られて、気がついたらこんな場所だ。
「なんだゴブリン。やるのか?」
俺は鎖に繋がれていない左手を掲げた。
「俺には左手があるんだぞ」
もちろん、精一杯の強がりである。相手は俺を一撃で気絶させた化け物だ。今の状態で勝てるわけがない。それでも、黙って睨まれているのは気に入らなかった。ゴブリンは、そんな俺の言葉を理解しているのかいないのか、首を傾げた。
「…………」
「……なんだよ、その顔」
次の瞬間、ゴブリンが棍棒を振り上げた。
「え?」
ドゴォンッ!!
「ぐはっ!」
凄まじい衝撃が体を貫いた。頭が揺れ、視界が歪む。鎖が大きく鳴り、吊るされた体が左右に振られた。そして、目の前に文字が表示される。
《打撃耐性+5を獲得しました》
「……打撃耐性?」
またこれか。最初に殴られたときにも表示された、謎の文字。いったい何なんだ。そもそも、どうして俺の目の前にこんなものが表示される?
「……俺、何か獲得したのか?」
疑問は尽きないが、今はそれどころではなかった。
「……っていうか、今それどころじゃ――」
そこまで考えたところで、俺の視界は真っ暗になった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ん」
目を覚ます。
「……またかよ」
頭が痛い。どうやら、また気を失っていたらしい。目の前では、ゴブリンがブタのようなモンスターの死体を食べていた。
「…………」
俺が何をしたというんだ。捕まって、吊るされて、起きたら殴られる。まったくもって理不尽すぎる。ゴブリンは夢中で食事を続けていた。俺のことなど、もう興味がないといった様子だ。やがて、死体をすべて食べ終えると、ゴブリンは何事もなかったかのように立ち上がった。そのまま洞窟の入り口へ向かい、外へと出ていく。足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
洞窟の入り口から差し込む光は、いつの間にか赤く染まっていた。
「……今だ」
ゴブリンの姿が見えなくなったことを確認し、俺は天井から伸びる鎖を見上げた。
「これ、切れないかな……」
さすがに素手では無理だろう。だが、何もしなければ、このままずっと吊るされたままだ。何か方法はないかと考えた末、俺は足を持ち上げた。鎖に足をぶつければ、少しくらい何か起きるかもしれない。
「せーのっ!」
ガンッ!
「……痛っ」
足に鈍い痛みが走った。その直後、またもや目の前に文字が表示される。
《打撃耐性+1を獲得しました》
「……これにも出るのか?」
俺は表示された文字を見つめた。さっきはゴブリンに殴られたとき。そして今度は、自分で鎖を蹴ったとき。状況は違うが、どちらも打撃を受けている。
「……じゃあ、これって」
俺はもう一度、表示を確認した。
《打撃耐性+1を獲得しました》
「攻撃を受けたときだけじゃないのか?」
まだ断定はできない。けれど、少なくとも何かにぶつかって衝撃を受けたときにも、この表示が出るらしい。もしそうなら、これはただの表示ではないのかもしれない。
「……もしかして、これも関係あるのか?」
俺は鎖を見上げた。考えていても仕方がない。もう一度、試してみよう。
「だったら……もう一回!」
ガンッ!
《打撃耐性+1を獲得しました》
「……やっぱりだ」
もう一度。
ガンッ!
《打撃耐性+1を獲得しました》
「……何なんだよ、この能力」
何度蹴っても鎖には傷一つつかない。そもそも、俺の足が痛くなるだけで、鎖を壊せる気配もなかった。
「くそっ……!」
ガンッ!
ガンッ!
「こんなの無理だろ……」
何度も蹴ってみたものの、状況は変わらない。鎖はびくともしない。これでは脱出どころか、手首を痛めるだけだ。そう思い始めた、そのときだった。
「……ん?」
洞窟の入り口から物音が聞こえた。
「……やば」
慌てて振り向く。そこには、さっき出ていったはずのゴブリンが立っていた。
「…………」
ゴブリンは俺を見る。そして、俺が鎖を蹴っていたことにも気づいたらしい。
「…………」
「…………」
「……あの、これはですね」
ゴブリンが棍棒を握り直した。
「ちょ、待て!」
次の瞬間。
ドゴッ!
「ぐっ!」
ドゴッ!
「痛っ!」
ドゴッ!
「ちょ、話を――」
ドゴッ!
ドゴッ!
ドゴッ!
「いってぇぇぇ!」
ゴブリンは容赦なく棍棒を振り下ろしてきた。頭、肩、腹、背中。場所などお構いなしだ。俺が言い訳をする暇すら与えず、次々と打撃を叩き込んでくる。
「ぐっ……!」
《打撃耐性+5を獲得しました》
「……また?」
痛みに耐えながら、目の前の表示を確認する。また打撃耐性。最初に殴られたときにも、同じものが表示された。
「……もしかして、こいつに殴られるたびに増えてるのか?」
そう考えた直後、再び棍棒が振り下ろされた。
ドゴッ!
《打撃耐性+5を獲得しました》
「……また出た!」
間違いない。ゴブリンに殴られるたびに、同じ表示が出ている。だが、いったい何が起きているのか。耐性という言葉から考えると、打撃に対して何かが変化しているのだろうか。確かめようにも、ゴブリンは攻撃をやめてくれない。
ドゴッ!
「ぐあっ!」
《打撃耐性+5を獲得しました》
「……なんなんだよ、これ!」
また棍棒が振り下ろされる。
ドゴッ!
《打撃耐性+5を獲得しました》
「ぐっ……!」
痛い。当然、痛いものは痛い。棍棒が体に当たるたび、衝撃が走る。それでも、何かがおかしかった。最初の一撃で気を失ったときと比べて、今回はまだ意識を保てている。
「……なんでだ?」
もちろん、攻撃を受ける場所や力加減が違う可能性もある。だが、何度も殴られているうちに、もう一つの可能性が頭に浮かんできた。
もしかして、この耐性が関係しているのか?そう考えた直後、また棍棒が振り下ろされた。
ドゴッ!
《打撃耐性+5を獲得しました》
「……まただ」
痛みはある。けれど、最初に殴られたときよりも、ほんの少しだけ軽く感じた。気のせいかもしれないが、そう思いながらも、俺は表示された文字から目を離せなかった。
ドゴッ!
《打撃耐性+5を獲得しました》
「……やっぱり」
同じ攻撃を受けるたびに、打撃耐性が上がっている。そして、そのたびに、少しずつではあるが耐えられるようになっている気がする。
「……これって」
俺は表示された文字を見つめた。
《打撃耐性+5を獲得しました》
「俺……この攻撃に慣れてきてるのか?」
いや、ただ慣れているというだけでは説明がつかない。そもそも、俺は何度も殴られているだけだ。自分から訓練しているわけでも、技術を身につけているわけでもない。それなのに、打撃に対する耐性が増えている。
そのとき、ふと女神の言葉を思い出した。
――あなたのチート能力は。
「……適応?」
思わず口に出した。
女神は能力の説明を始めようとしていた。だが、ゴブリンに襲われたせいで、その説明は途中で途切れてしまった。結局、俺は自分の能力が何なのか、まだ聞かされていない。けれど、もし与えられた能力が名前のとおりのものなら――。
「……もしかして」
何かが、少しずつつながっていく。俺の能力は、受けた攻撃に適応する。だから、打撃を受けるたびに打撃耐性が上がっているのではないだろうか。
「……適応してるのか?」
まだ確信はない。だが、ほかに説明が思いつかなかった。
ゴブリンが再び棍棒を振り上げる。俺はその棍棒を見つめた。今までなら、ただ恐怖を感じるだけだっただろう。だが、今は違う。
もし俺の考えが正しいなら、この攻撃を受け続けることで、さらに耐えられるようになるかもしれない。もちろん、いつまでも殴られ続けていれば、いずれ限界が来る可能性もある。だが、ここから脱出するためには、何かを試すしかなかった。
「だったら……」
ドゴッ!
《打撃耐性+5を獲得しました》
「ぐっ!」
まだ痛い。
それでも、意識は保てている。
もう一度。
ドゴッ!
《打撃耐性+5を獲得しました》
「……いける」
俺は天井から伸びる鎖へ視線を向けた。
ゴブリンの攻撃に適応できるのなら、もしかすると、鎖を蹴ったときの衝撃にも適応できるのではないだろうか。そして、もし適応によって耐性が上がり続けるのなら、いつか鎖を壊せるほどの衝撃を与えられる可能性もある。
「これにも……適応できるんじゃないか?」
確実な方法ではない。だが、何もせず吊るされ続けるよりは、ずっとましだ。
「だったら――」
俺は足を持ち上げた。
「試してみるしかないだろ!」
ゴブリンが棍棒を振り下ろした瞬間、俺は衝撃に耐えながら、鎖へ向かって思い切り足を振り抜いた。
ガンッ!!
《打撃耐性+1を獲得しました》
「……まただ!」
鎖が大きく揺れた。まだ壊れてはいない。だが、打撃耐性の表示は確かに出ている。
「これなら……いける!」
もう一度。
ガンッ!!
《打撃耐性+1を獲得しました》
さらにもう一度。
ガンッ!!
《打撃耐性+1を獲得しました》
俺は足を振り上げ、何度も鎖を蹴り続けた。衝撃が足に伝わる。そのたびに、目の前に文字が表示される。
ゴブリンの攻撃を受けながら、鎖を蹴る。痛みはまだある。それでも、今はやめるわけにはいかなかった。
「頼む……!」
ガンッ!!
《打撃耐性+1を獲得しました》
ガンッ!!
《打撃耐性+1を獲得しました》
ガンッ!!
そのときだった。
ピシッ。
「……え?」
小さな音がした。俺は足を止め、鎖を凝視した。金属の表面に、細い亀裂が入っている。
「……効いてる」
思わず声が漏れた。今まで、何度蹴っても傷一つつかなかった鎖に、変化が起きている。
「これなら……!」
希望が見えた。まだ壊れてはいない。けれど、あと少しだ。俺は足を大きく振り上げた。
「壊せる!」
そして、残った力を振り絞り、鎖を渾身の力で蹴りつけた。
バキィンッ!!
乾いた破砕音が洞窟内に響いた。鎖が切れた。
「よっしゃあ!」
ようやく、俺の体が自由になった。勢い余って地面に落ちかけたものの、どうにか体勢を立て直す。これで、やっと動ける。そう思った瞬間だった。
「…………!?」
目の前のゴブリンが、目を見開いていた。
切れた鎖と俺を交互に見つめ、何が起きたのか理解できないといった様子で固まっている。どうやら、こいつにとっても予想外の出来事だったらしい。




