35 目覚める古代竜
リナにハイヒールをかけてもらい、どうにか動けるまでに回復した俺たちは、崩れた壁の隙間から階段の下を覗き込んだ。
そこで目にした光景に、俺は思わず息を呑んだ。
先ほどまで階段の下にいたドラゴンの姿がない。代わりに、階段の一番下には青く輝く小さなジェムが一つ、ぽつんと落ちていた。その周囲には、何人もの騎士団員が倒れている。リナの回復魔法によって、ゴリィやガルヴァンたちの傷は癒やされたようだが、倒れた騎士たちは誰一人として起き上がる様子がなかった。
そして、そのすぐそばには、上半身裸になったゴリィがいた。彼はミレイアにしがみつくように抱きつき、肩を震わせている。その背後では、服がめくれ上がり、上半身の服にいくつもの穴が空いたガルヴァンが、やりきれないといった表情でその様子を見つめていた。
「……マジかよ」
俺は、そこで何が起きたのかを察した。
「行こう」
俺はクラウスと顔を見合わせると、崩れた壁の縁から飛び降りた。他のみんなも階段を駆け下り、ゴリィたちのもとへと急ぐ。
「ゴリィ何がどうなった!?」
タツヤが声をかける。
「戻ってこい……! 頼む……! みんな、戻ってきてくれ……!」
その声は、いつもの豪快なゴリィのものとは思えないほど弱々しかった。
俺は周囲を見渡した。倒れている騎士団員たち。動かないミレイア。そして、そんな彼らを前に立ち尽くすガルヴァン。
「……クラウス。蘇生魔法は使えるんだよな?」
「ああ。俺っちも蘇生魔法なら使えるよ」
クラウスはそう答えると、倒れている騎士たちへと歩み寄った。
「《聖魂再臨》!」
クラウスが両手を広げると、周囲に淡い金色の光が広がった。光は倒れている騎士たちを包み込み、傷ついた身体を優しく照らしていく。しかし――。
「…………」
誰一人として、動かなかった。光が消えても、騎士たちは地面に横たわったままだった。ミレイアも、ゴリィに抱きしめられたまま目を覚ますことはない。
「そんな……」
クラウスは表情を曇らせ、静かに首を横に振った。
「俺っちは確かに蘇生魔法を使った。でも……遅すぎたんだ。すでに魂が身体から離れてしまっている。今の状態じゃ、蘇生魔法でも生き返らせることはできない……」
「そんなことあるかよ……!」
俺はクラウスの胸ぐらを掴みそうな勢いで詰め寄った。
「生き返らせろよ、クラウス! 生き返らねえんだったら、生き返るまでやってくれよ!」
「すまない……。俺っちにできることは、もう何もないんだ」
「そんな……」
俺は言葉を失った。ついさっきまで、あれだけ元気に話していた人たちだ。耐性を上げるために、少しの間だけ一緒に行動した仲間だった。長い付き合いがあったわけじゃない。それでも、共に過ごした時間が確かにあった。
ゴリィが笑っていた姿も、ミレイアが鞭を振るっていた姿も、まだはっきりと覚えている。
もう、あの声を聞くことはできないのか。
気づけば、目の端に涙が浮かんでいた。
「……俺が来た時には、すでにこの有様だった」
ガルヴァンが重い口を開いた。
「俺もドラゴンの相手に手こずっちまってな。ようやく片をつけて戻ってきた時には、もう誰も動かなかった。何とか生き残ったゴリィをリナに治療してもらうのが精一杯だった……」
ガルヴァンは悔しそうに拳を握りしめた。
「俺がもっと早く戻れていれば……」
「父ちゃんのせいじゃない」
クラウスが静かに言った。
「誰のせいでもないよ。あの状況で、できることをやったんだろ?」
「……ああ」
その時、階段を降りてきたヴィルたちも、目の前の光景に気づいた。
「……え?」
ヴィルの表情から笑顔が消える。
「そんな……ミレイアさん……」
リナも口元を押さえ、ノノも何も言わずに目を伏せた。
しばらく、誰も言葉を発することができなかった。やがて俺たちは、倒れていた騎士団員たちとミレイアを、その近くに埋葬することにした。
ガルヴァンが土を掘り、俺たちも手伝う。ゴリィは最後までミレイアのそばを離れようとしなかったが、埋葬を終えると、墓の前に膝をついた。俺たちは一人ずつ墓の前に立ち、静かに手を合わせた。
どうか、安らかに眠ってほしい。それ以上の言葉は出てこなかった。
しばらくして、ガルヴァンが俺たちの方へ振り返った。
「ところで、お前たちはどうだったんだ? ゼルガードには勝てたのか?」
「ああ、父ちゃん。俺っちと、この頼りになる援軍たちのおかげで、何とか倒せたよ」
クラウスがいつもの調子で答えた。
「いやいや、そんな褒めても何も出ないぞ」
俺は少し照れくさくなりながら頭を掻いた。
「そうですよ。みんなで力を合わせた結果です!」
「へへっ、オレたちも結構頑張ったんだぜ!」
「ふふっ♡ 王子様もなかなか頑張ってたわよ♡」
リナやヴィル、ノノもそれぞれ口を開く。
「そうか……。よくやってくれた」
ガルヴァンは短く頷いた。
俺は改めて周囲を見渡した。
まだ悲しみは消えない。だが、俺たちにはやらなければならないことが残っている。
「次は俺たちの目的だ。聖命草を手に入れに行こう」
そう言ってから、俺はゴリィへと視線を向けた。
「ゴリィ。お前はやっぱり、ここに残っていてくれ。騎士団のみんなのそばにいてやってほしい」
ゴリィは墓の前に座り、前傾姿勢のまま両腕を地面につけていた。肩はまだ小さく震えている。だが、俺の言葉を聞くと、ゆっくりと顔を上げた。
「……いや」
ゴリィは目元を拭い、立ち上がった。
「俺も行く」
「ゴリィ……」
「お前たちの目的に最後まで付き合うと言ったのは、この俺だ。ここで一人だけ残るわけにはいかねえ」
その声には、まだ悲しみが残っていた。けれど、そこには確かな意志も感じられた。
「分かった。でも、無理はするなよ」
「ああ。分かってる」
俺たちは頷き合い、聖命草のある場所へ向かおうとした。その時だった。
「皆さん、少し待ってください!」
階段の上から、誰かが降りてくる声がした。俺たちが振り返ると、そこには一人の男が立っていた。王国騎士団の制服を着ているが、身体のあちこちに傷が残っている。特に片腕は、つい先ほどまで失われていたかのように、袖口が大きく裂けていた。
「……誰だ?」
俺が警戒するように尋ねると、クラウスが目を見開いた。
「エドガー!? 生きていたのか!」
「クラウス様。ええ、何とか生きています」
エドガーと呼ばれた男は、苦笑しながら自分の腕を見下ろした。
「魔王軍の連中に腕を切断され、腹にもいくつもの傷を負わされましてね。もう駄目かと思いましたが、何とか息だけは繋いでいました。そこへリナ様の回復魔法が届いたんです。気づけば身体がみるみる回復して、切断された腕まで元通りになっていました」
「それはよかったです……!」
リナがほっとしたように胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます、リナ様。あなたのおかげで命拾いしました」
「いえ、そんな。無事でよかったです」
エドガーは深く頭を下げたあと、俺たちを見回した。
「それで、皆さんはこれからどうされるおつもりですか? 私たちの当初の目的は、山に構えられた魔王城に潜む魔王軍の討伐、そして古代竜の偵察だったはずです。ゼルガードを倒した今、その目的は達成されたのではありませんか?」
「ああ。だが、状況が変わったんだ」
クラウスが答える。
「俺っちたちは、古代竜の住処に生えている聖命草を取りに行かなければならなくなった」
「聖命草……ですか?」
「そうだ。実は先ほど、ゼルガードを倒した後に事情を聞いたんだ。リナさんの祖父を救うために、その草がどうしても必要らしい」
クラウスはエドガーに、聖命草が必要な理由と、古代竜の住処へ向かわなければならない事情を説明した。
「なるほど……。しかし、古代竜の住処へ向かうとなれば、危険は計り知れません。先ほどの戦いで、これだけの犠牲が出たのです。これ以上、無理をする必要はないのでは?」
「それでも、俺たちは行く」
俺は迷わず答えた。
「俺の命なんてどうなってもいい。リナの祖父を助けるためなら、俺は何だってする」
「私もです」
リナも一歩前へ出た。
「俺も行くぜ!」
ヴィルが拳を握る。
「もちろん、あたしもよ♡ だって、あたしたちは同じ仲間だもの。一蓮托生よ。誰かが命を懸けるくらい頑張るなら、あたしも一緒に命を懸けるわ♡」
ノノも笑みを浮かべながら答えた。
ゴリィとクラウスも互いに顔を見合わせる。
「俺も行くぜ。ここまで来て、途中で降りるわけにはいかねえ」
「俺っちたちも同じさ。ここまで来たんだから、最後まで付き合うよ」
「息子が行くと言っているんだ。父親の俺が残るわけにはいかんだろう」
ガルヴァンも当然といった様子で口を開いた。
「それに、ここまで来ておいて今さら引き下がるつもりもない。俺も最後まで付き合うぞ」
「父ちゃん、無理はしなくていいんだよ?」
「馬鹿を言うな。お前こそ、父親に心配をかけるような真似はするなよ」
「ははっ、分かってるって!」
クラウスは軽く笑って答えた。
エドガーは俺たちの顔を順番に見つめ、困ったように眉を寄せた。
「そんな……。あまりにも無謀すぎます」
「無謀でも、無茶でも、やり遂げなきゃいけないんだ」
クラウスが静かに言った。
「俺っちたちに協力してくれたのは誰だい? リナさんの祖父を救うために、ここまで力を貸してくれた人たちがいる。だったら、今度は俺っちたちが応える番だろ?」
「……そうだな。俺たちだけが助けてもらっておいて、ここで逃げるわけにはいかん」
ガルヴァンもクラウスの言葉に頷いた。
「…………」
エドガーはしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく息を吐いた。
「分かりました。私も同行しましょう」
「本当ですか!?」
「ええ。ただし、私には一つだけ皆さんにお伝えしておかなければならないことがあります」
エドガーは自分の胸に手を当てた。
「私には、私にしか使えない転送魔法のチート能力があります。ですが、一度使用すれば、しばらく使えません。誰かの命に危険が迫った場合、すぐに皆さんを街まで転送することができます」
「転送魔法? それなら、また街に戻ってから、古代竜の住処まで一気に移動できるんじゃないか?」
俺は疑問に思い、エドガーに尋ねた。
「いえ、そういう能力ではありません。私の転送魔法は、発動時に帰還地点を一つだけ設定する必要があります。そして、一度設定した後は、その場所へ戻ることしかできないのです」
「つまり、行き先を自由に選べるわけじゃないんだな」
「一回限りの勝負になるね」
クラウスが頷いた。
「万が一の時に逃げ道がある。それだけでも心強い」
「では、聖命草を確保した後、転送魔法で王都アルディアへ戻ります。それでよろしいですね」
「分かった。まあ、そうするしかないしな。王都に戻った後で、グランツの街に向かえばいいか」
俺がそう言うと、クラウスもこちらを見た。
「そうだね。じゃあ、それで行こう」
「……分かりました。聖命草を入手でき次第、王都アルディアへ帰還しましょう」
エドガーは納得したように頷いた。
「では、準備ができ次第、古代竜の住処へ向かいましょう」
俺たちは再び歩き始めた。そして、古代竜の住処へと続く場所にたどり着いた時、俺はある異変に気づいた。
「……あれ?」
以前ここを訪れた時、山頂の一帯を覆っていた黒い障壁がなくなっていたのだ。あの不気味な黒い物体は、跡形もなく消え去っている。
「結界が消えてるってことは、ゼルガードはやっぱり倒されたんだな。よかったぜ!」
ヴィルが辺りを見回しながら、ほっとしたように声を上げた。
「たしかに、ずっと先まで見渡せるな」
俺は障壁があった場所の向こうを見つめた。
「これなら、もうゼルガードと対峙することはなさそうだね」
クラウスも周囲を見渡しながら、安堵したように呟いた。
障壁の向こうに隠されていた場所は、思っていたよりもずっと広大だった。岩肌がむき出しになった地面がどこまでも続き、その中央には巨大な生き物が横たわっている。古代竜だ。訪れた時は、障壁に遮られていたせいで、その全貌を確認することはできなかった。だが、こうして間近で見ると、その大きさは想像を遥かに超えていた。
全身を覆う鱗は黒曜石のように黒く、ところどころに鈍い金色の筋が走っている。四本の太い脚には鋭い爪が並び、背中には岩山を思わせる巨大な棘が連なっていた。長い首の先には、獲物を噛み砕くような鋭い牙が幾重にも並ぶ巨大な口があり、身体の後方から伸びる長大な尻尾は、地面に横たわっているだけでも圧倒的な存在感を放っていた。その巨体は山の一部と見間違えるほど大きく、今もなお眠り続けているようだった。そして、その身体の近くには、淡い光を放つ草がいくつも生えていた。
「おおっ! 意外とあっさり聖命草を取れそうじゃないか!」
ヴィルが嬉しそうに声を上げる。
「どうだろうな……」
俺は古代竜を見つめながら、ゼルガードの最後の言葉を思い出していた。
『古代竜も聖命草も、貴様らにくれてやろう。欲しければ、己の力で手に入れてみせろ!』
あいつは、まるで自分でも聖命草を手に入れられなかったかのような言い方をしていた。もしかすると、これまでにも何度か古代竜の住処へ挑み、そのたびに失敗していたのかもしれない。
「……簡単に手に入るとは思わない方がいいかもな」
「たしかにな。あのゼルガードが手に入れられなかったんだもんな」
ヴィルも古代竜を見上げた。
「まあ、相手は古代竜だ。油断するなよ、お前たち」
ガルヴァンが周囲を警戒しながら声をかける。
「分かってるって、父ちゃん!」
クラウスが答えた。
それでも、俺たちは少しずつ前へ進んでいく。やがて、古代竜の身体がはっきりと見える距離まで近づいた。聖命草も、もうすぐ目の前だ。
「でも、ぐっすり寝てるぜ。やってみなきゃ分からねえぞ!」
ヴィルが前向きに声を上げ、聖命草に向けて走り出した。
「もう目の前にあるんだ! さっさと何本かもらって、おさらばしようぜ!」
「ヴィルさん、待ってください!」
リナが突然声を張り上げた。
「え?」
「後ろです!」
リナの視線の先。地面に横たわっていた古代竜の巨大な尾が、ゆっくりと持ち上がっていた。次の瞬間、その尾が猛烈な勢いでヴィルへと振り下ろされる。
「危ない!」
「ゼニススキル――《王命》! 止まれ!」
クラウスが即座に命令を放つ。しかし、尾の動きは一瞬だけ鈍ったものの、完全には止まらなかった。
「くっ……!」
クラウスはヴィルを抱きかかえると、そのまま大きく跳躍した。
ドゴォォォンッ!!
直後、巨大な尾が地面を叩きつけた。岩盤が砕け、凄まじい轟音とともに土煙が舞い上がる。クラウスは空中で身をひねり、俺たちのいる場所まで戻ってきた。
「大丈夫かい、ヴィル?」
「お、おう……助かったぜ。ありがとな、クラウス!」
「どういたしまして。まったく、危ないところだったね」
クラウスはヴィルを下ろすと、古代竜を見上げた。
「ねえ、クラウス。さっきのゼニススキルって、魔王軍幹部と戦った時はかなり長い時間相手を止めてたよね? なのに、どうして今回はすぐに動いちゃったの?」
ノノが不思議そうに尋ねた。
「ああ。俺っちの《王命》は、相手との力量差が大きいほど命令が解けやすくなるんだ。つまり、あの古代竜は……」
クラウスが言いかけた、その時だった。
『我輩の眠りを妨げる愚か者は誰だ。我輩の貴重な時間を奪うとは、万死に値する』
低く、地の底から響くような声が辺り一帯に轟いた。その声とともに、地面が大きく揺れる。そして、目の前に横たわっていた古代竜が、ゆっくりと頭を持ち上げた。
巨大な瞳が俺たちを捉える。その視線だけで、身体が凍りつきそうになるほどの圧迫感だった。
「……っ!」
俺は思わず息を呑んだ。山そのものが動き出したかのような巨体。全身から放たれる威圧感は、これまで戦ってきた魔物とはまるで違う。古代竜はゆっくりと首を動かし、俺たちを見下ろした。
「つまり、あいつはゼルガードよりもずっと強いってことだ」
クラウスが、いつになく真剣な表情で言った。
「……なるほどな。こいつが古代竜か」
ガルヴァンも険しい表情で竜を見上げた。
俺たちの目の前にいるのは、魔王軍幹部をも上回る存在。古代竜だった。




