34 魔王軍幹部ゼルガード
ゼルガードの身体を覆っていた無数の影が、次々とその肉体へと吸い込まれていく。
黒い影は鎧のように全身を覆い、見る見るうちに身体が膨れ上がっていった。やがてその巨体は天井に届くほどの大きさとなり、背中からは巨大な影の翼が二枚生え広がる。その姿は、もはや先程の原型をほとんど残していなかった。
「グオオオオオオッ!」
ゼルガードが咆哮する。そして、巨大化した右腕を振り上げた。その拳の先にいるのは、先ほどからゼルガードの首を掴み、拘束し続けていたタツヤだった。
「タツヤさん!」
リナが叫ぶ。だが、爆発の衝撃で全身を打ちつけられたタツヤは、床に横たわったまま動けずにいた。
迫り来る巨大な拳。避けることも、防ぐこともできない。その瞬間だった。
ガキィィィンッ!!
巨大な剣が拳の前に割り込み、凄まじい金属音が玉座の間に響き渡った。
「……間に合ったね」
タツヤの前に立っていたのは、クラウスだった。彼は手にした剣でゼルガードの拳を受け止めていた。
「ほう……今の一撃を防ぐか。なかなかやるではないか」
ゼルガードは巨大な顔をクラウスへと向ける。
「だが、わしには死者たちの剣技も、身体能力も備わっている! この影を纏った肉体は、もはや誰にも止められん!」
ゼルガードの左腕が不気味にうごめいた。すると、腕の先から黒い影が伸び、一本の巨大な剣へと形を変える。
「消し飛べ!」
その剣が、クラウスへと振り下ろされた。
「くっ……!」
クラウスは咄嗟に剣を構える。しかし、受け止めきれなかった。
バキィィンッ!!
剣が砕け散る。衝撃をまともに受けたクラウスは、そのまま後方へと吹き飛ばされ、床を滑るようにして崩れた壁際まで飛ばされた。
「クラウスさん!」
ヴィルが声を上げる。
「ハハハハハ! どうだ! 貴様の剣も、わしの力の前ではこの程度よ!」
ゼルガードは勝ち誇ったように笑う。
クラウスはゆっくりと上半身を起こし、手元に残った折れた剣を見つめた。
「……俺っちの《神剣レガリア》が折れちゃうとはね。なかなかいい拳を持ってるじゃないか」
「何を余裕ぶっている! 貴様の神剣など、わしの拳には到底かなわん! もはや、わしを止められる者など誰一人としておらんわ!」
ゼルガードは巨大な剣をタツヤの首筋に突きつけたまま、再び右腕を大きく振り上げた。
「もう一度だ! 潰れろッ!」
「させるか!」
ヴィルが叫ぶ。
「スライム召喚! 頼む! タツヤを殺せ!」
ヴィルの足元に魔法陣が浮かび上がり、そこから巨大なスライムが姿を現した。身体は疲労でわずかに萎み、表面も力なく揺れている。それでも、タツヤの危機を察したのか、残された力を振り絞るように身体を大きく震わせた。そして、勢いよく床を滑り、ゼルガードの拳とタツヤの間へと必死に割り込んでいく。
その動きには、一切の迷いがなかった。
ドゴォォォンッ!!
巨大な拳を、真正面から受け止めた。
「なにっ!?」
ゼルガードの拳がスライムの身体に沈み込む。だが、スライムはタツヤを守るように身体を広げ、攻撃を完全に受け止めていた。
「な、なぜだ!? 今、スライムに此奴を殺せと命じたではないか!」
「へへっ! 俺の召喚した魔物は、命令とは反対のことをするんだ!」
ヴィルは得意げに笑った。
「タツヤを殺せって命令したから、守ってくれたってわけだ!」
「なに……!?」
ゼルガードは苛立たしげにスライムを睨みつける。
「鬱陶しい奴らめ! ならば、貴様ら全員まとめて殺してくれるわ!」
ゼルガードの右手に、膨大な影が集まり始めた。黒い影は一点へと凝縮され、周囲の空気さえも歪ませるほどの力を帯びていく。そして、その手をタツヤもろとも、地面へと叩きつけようとした。
「これなら、スライムがいようがいまいが関係ない! 《冥黒天墜》!!」
その瞬間、クラウスが動いた。折れた剣を握りしめ、ゼルガードへ向かって駆け出す。
「まだ向かってくるか! だが、すでに手遅れだ!」
「それは、どうかな?」
クラウスは迷いなくゼルガードへと迫る。
「貴様のその折れた剣で、いったい何ができる!」
ゼルガードが地面へと拳を振り下ろそうとした、その刹那。
「アルティマスキル――《絶対王命》!」
クラウスがスキル名を唱え、続けて命令を放った。
「その場から動くな!」
その瞬間、ゼルガードの巨体がピタリと停止する。
「なっ……!?」
振り下ろされるはずだった拳が、空中で完全に静止していた。
「ば、馬鹿な! アルティマスキルだと!? 使えないから先程までゼニススキルで対処していたはずでは!?」
ゼルガードの身体を覆う影が激しくうごめいた。だが、命令を影へと肩代わりさせることもできない。
「それに、影に能力を肩代わりさせれば、どんな干渉も防げるはず……!」
「君は勘違いしてるみたいだね。俺っちはアルティマスキルが使えないんじゃない。あえて使わなかっただけさ。最初から全力で挑んで、足元をすくわれるのは嫌だったからね」
クラウスは静かに答えた。
「これは、ゼニススキル《王命》の上位にあたるアルティマスキル。《絶対王命》だよ」
「アルティマスキル……だと!?」
「相手の力量、魔力、精神力、そして能力による抵抗。そのすべてを無視して、俺っちの命令を成立させるんだ。通常の防御や耐性では防ぐこともできない。君が影に能力を肩代わりさせようとしても、命令そのものを覆すことはできないってわけさ」
クラウスはゼルガードを見上げた。
「もちろん、世界の法則そのものを書き換えるような無茶な命令までできるわけじゃないけどね」
「そんな……馬鹿な……!」
ゼルガードの表情が初めて大きく歪んだ。
「これなら、君の能力でも防げないよ」
クラウスは折れた剣を持ち上げた。
「さて、そろそろ終わりにしようか」
クラウスの剣が赤く輝き始めた。
「《炎纏》!」
ゴオッ!!
剣の刀身を、凄まじい炎が包み込む。折れたはずの剣に、燃え盛る炎が宿った。
「なっ……!? 剣は折れたはずでは!?」
「そうだったね」
クラウスは自分の剣を一瞥する。
「この《神剣レガリア》は、俺っちの友人に託された神剣でね。剣そのものにチート能力が備わっているんだ」
「チート能力だと……?」
「《永劫回帰》。対象の状態を一定時間前に戻す能力さ」
クラウスが剣を握る手に力を込める。
「自分の身体も、そしてこの剣もね。だから、いくら俺っちを攻撃しようが、この剣を折ろうが無駄なんだよ」
次の瞬間、折れた刀身が光を帯びた。欠けた刃が元の形を取り戻し、ひとつにつながっていく。まるで、剣が壊れる前の時間へと巻き戻されたかのようだった。
「そ、そんな馬鹿なことがあるかぁぁぁ!」
ゼルガードが叫ぶ。
「さあ、今度はこちらの番だ」
クラウスが一歩踏み込んだ。
ドンッ!!
床が砕ける。炎を纏った神剣が、ゼルガードへと迫った。
「ぐおおおおっ!?」
ズバァァァンッ!!
神剣の一閃が、ゼルガードの身体を覆っていた影を切り裂いた。燃え盛る炎が影を焼き払い、その奥に隠されていた本体へと刃が届く。
「わしの影がーっ!」
ゼルガードは必死に腕を振るう。しかし、クラウスの剣は止まらない。一撃、また一撃。影が剥がれ落ちるたびに、影に閉じ込められた死者たちの魂が、光の粒となって現れ、消えていく。
「ようやく……解放される……」
「感謝感激雨霰……」
かすかな声が、クラウスの耳に届いた。それは、ゼルガードに影を操られていた騎士たちの声だった。
彼らの影が次々と消え去り、玉座の間に残っていた黒い靄も薄れていく。
「ぐっ……おおおおっ!」
ゼルガードは全身を切り刻まれながらも、どうにか後方へと飛び退いた。巨体が床に着地し、瓦礫が大きく跳ね上がる。
「はぁ……はぁ……」
ゼルガードは自分の身体を見下ろした。
全身に刻まれた傷。剥がれ落ちた影。もはや、先ほどまでの圧倒的な姿は見る影もない。
「このままでは……まずい……!」
ゼルガードは苦々しげに顔を歪めると、背中の影の翼を大きく広げた。
「ここで決着をつけるつもりだったが……どうやら、そうもいかぬようだな」
次の瞬間、ゼルガードの巨体がゆっくりと宙へ浮かび上がる。
「古代竜も聖命草も、貴様らにくれてやろう。欲しければ、わしの結界を破り、己の力で手に入れてみせろ!」
不敵な笑みを浮かべ、ゼルガードは高らかに笑った。
「もっとも……貴様らがあれを手にできるとは思わんがな! ハハハハハ!」
「まずい! あいつ、逃げる気だぞ!」
床に倒れていたタツヤが、どうにか身体を起こして叫んだ。ゼルガードは翼を羽ばたかせ、壊れた天井から外へと逃げようとする。
「逃がさないよ」
クラウスの声が響いた。
「なにっ!?」
クラウスは神剣を手に、地面を強く蹴った。その身体が一気に宙へと舞い上がる。
「ゼニススキル――《王命》!」
クラウスが再びスキルを発動する。
「天高く飛べ!」
クラウスの身体が、さらに上空へと加速した。風を切り裂き、瓦礫を追い越し、ゼルガードのいる高さへと一瞬で到達する。
「なっ!? 自分自身に《王命》をかけて、ここまで飛んできただと!?」
ゼルガードが振り返る。だが、もう遅い。クラウスは身体強化を重ね、脚に力を込めた。
「これで終わりだ」
「や、やめ――」
「せいっ!」
ドゴォォォォォンッ!!
クラウスの一撃が、ゼルガードの巨体を正面から捉えた。
「ぐわあああああああああああああっ!!」
ゼルガードの身体は、凄まじい勢いで空の彼方へと吹き飛んでいく。背中に纏っていた影が剥がれ、周囲に散らばっていた騎士たちの影の魂も次々と光の粒へ変わっていった。
「ありがとう……」
「ようやく……自由になれた……」
解放された騎士たちの声が、風に乗ってクラウスへと届く。クラウスはその声に耳を傾けると、静かに頷いた。その間にも、ゼルガードの巨体は空の彼方へと遠ざかっていった。
「な、何だこの寒さは……! 身体が凍りついて動けない! くそっ、太陽の引力に引かれる! まさか、このまま灼き尽くされるというのか!? オルディガス様お助けをおおおおおおああああああああっー!」
ゼルガードは恐怖に顔を歪めながら、太陽へと吸い込まれ、まばゆい光の中へと消えていった。その姿が二度と見えることはなかった。
一方、クラウスはそのまま空中で身を翻し、崩れかけた城の上へと降り立つ。そして何事もなかったかのように、玉座の間へと戻ってきた。
「ふう……これで片付いたかな」
「…………」
タツヤたちは、しばらく言葉を失っていた。
先ほどまであれほど苦戦していたゼルガードを、クラウスはたった一人で圧倒し、最後には太陽まで吹き飛ばしてしまったのだ。
「す、すげえ……」
タツヤが思わず呟く。
「さすが剣聖クラウスさんだ!」
ヴィルが目を輝かせながら叫んだ。
「本当にすごいです……! あんな巨大な魔物を一撃で……!」
リナも驚きを隠せない様子だった。
「ふふっ♡ 王子様よりも王子様らしいんじゃない?」
ノノが楽しそうに笑う。
「ははは。少し派手にやりすぎてしまったかな」
たしかに、化け物じみた強さだった。俺たちがあれだけ苦戦した相手を、たった一人で圧倒してしまうなんて。だが、魔王を倒すつもりなら、いつかはあの領域にたどり着かなければならない。今の俺じゃ、まだまだ足りない。もっと強くならなきゃいけないんだ。
タツヤはスライムの体液でベタベタになりながら、たいして何もできなかった悔しさを滲ませた表情で地面に顔を伏せていた。一方、クラウスは困ったように笑い、手にした神剣を鞘へと収めた。こうして、魔王軍幹部ゼルガードとの戦いは終わった。




