33 剣聖と影の魔物
「はぁっ……はぁっ……! くそっ、まだ上なのかよ!」
息を切らしながら、俺たちは長い階段を駆け上がっていた。魔王城の上層へ進むにつれて、階段はどんどん複雑になっていく。通路も入り組んでおり、少しでも道を間違えれば、同じ場所を何度も行き来する羽目になりそうだった。
「はぁ……はぁ……この城、デカすぎてマジで迷子になるわ……!」
ヴィルが肩で息をしながら愚痴をこぼす。
「文句を言っている暇があったら、足を動かしてください!」
「分かってるって! でも、そろそろ階段を見るのも嫌になってきたんだよ!」
「そういえば、タツヤさん。さっきの女神様と一緒にいた人たちは、タツヤさんのご両親の方だったんですよね?」
リナが走りながら、俺に尋ねてきた。
「ああ、そうだよ。あの人たちは俺の両親だ。それと、あの女神様が俺をこの世界に転移させてくれた本人なんだ。実は、街にいるときに時々独り言を言ってただろ? あれは女神と話していたんだよ」
「ええっ!? じゃあ、あの女神様がタツヤを異世界に連れてきたのか!?」
ヴィルが驚いた声を上げる。
「そういうこと。まあ、色々あったんだけどな」
「へえ……。それにしても、タツヤの両親って本当にいい人そうだったな! 女神様まであんなに優しいなんて、羨ましいぜ!」
「ふふっ、確かにそうですね。タツヤさんは素敵な方たちに囲まれていたんですね」
「王子様ってば、愛されているのね♡ 羨ましいくらいだわ」
ノノが楽しそうに笑う。
「いや、そんな大したことじゃないって……」
「何言ってるんだよ! あんなに優しい両親がいて、女神様まで味方してくれてるんだぞ? 俺だったら、もっと自慢してるぜ!」
「ヴィル、走りながら大声を出すと余計に疲れますよ!」
「分かってるってば!」
まったく……。こいつらは、こんな状況でもよく喋るものだ。
とはいえ、両親や女神のことを褒められるのは、悪い気分じゃなかった。
そんなやり取りをしながら、俺たちは最後の階段を駆け上がる。そして、その先にあった大きな扉を抜けた瞬間――。
「……なんだ、これ」
俺たちは思わず足を止めた。そこは、広々とした王座の間だった。天井は高く、左右には巨大な柱が並んでいる。奥には豪奢な王座が置かれていたが、今はその周囲に無数のジェムが散乱していた。そして、その中央に一人の男が立っている。
金髪をなびかせた青年――クラウス・クロイツだ。その向かいには、全身を黒ずんだ鱗に覆われた、二メートルを超える巨体の魔物が立っていた。頭部には二本の太い角が生え、黄色く濁った双眸がこちらを見据えている。背中からは長く太い尾が伸び、その先端には鋭い棘がいくつも並んでいた。筋骨隆々とした腕には、鋭い爪が光っている。周囲には、かつて近衛兵だったと思われる者たちの死体が転がっていた。
「わしがあれだけ用意した手下を、一人で片付けてしまうとはな。流石は剣聖と呼ばれるだけのことはある」
魔物は感心したように声を上げた。
「確かに、なかなか手強かったよ。おかげで俺っちの体力は、ほとんど残っていないけどね」
クラウスは剣を構えたまま、涼しげに答える。
「ほとんど残っていない、だと?」
「そうそう。俺っちがとっておきを温存していたからね。……それに、ちょうどいいところに援軍も来てくれたみたいだ。これなら、俺っちたちが負ける心配もなさそうだね」
クラウスはこちらに視線を向けると、柔らかく微笑んだ。そして、剣を握る手に力を込める。
俺は思わず呆気に取られた顔でクラウスを見つめた。
本当にこの人が、人類最強と呼ばれるクラウスなのか?いや、実力は間違いないんだろうけど……俺っちって。どこの携帯育成玩具だよ。どう考えても、強者の一人称じゃないだろ……。
「クラウス・クロイツ、我が名に懸けて、いざ参る!」
次の瞬間、クラウスの身体から凄まじい圧力が放たれた。
「ゼニススキル――《王命》!」
クラウスは魔物を見据え、はっきりと言い放つ。
「その場から動くな!」
「ぐっ……!」
魔物の身体が硬直した。まるで見えない鎖で縛りつけられたかのように、その場から一歩も動けなくなっている。
クラウスは一気に距離を詰めた。剣が閃く。一撃、二撃、三撃。間髪入れずに繰り出される連撃が、魔物の身体を切り刻んでいく。しかし――。
「……ふん!」
魔物が無理やり腕を振るった。
「なっ!」
その一振りを受けたクラウスの身体が、大きく弾き飛ばされる。床を滑るように後退したクラウスは、すぐさま体勢を立て直した。
「そんな攻撃が、わしに効くと思ったか!」
魔物は傷一つない身体を見せつけるように笑った。
「おいおい……どうなってんだ?」
俺は思わず声を漏らした。今の攻撃は間違いなく直撃していた。それなのに、あいつは平然としている。
「クラウス! 今のはどういうことだ!? 動きを止めたんじゃなかったのか!?」
「ああ。俺っちのゼニススキル《王命》は、自分の言葉を命令として、対象に強制する能力なんだ」
クラウスは一度、魔物へ視線を戻した。
「本来なら、今の『動くな』って命令で、あいつは身動きが取れなくなるはずだった。ところが、あいつは命令を受けても平然と動いてみせた。しかも、俺っちの攻撃を何度受けても傷一つない」
「つまり……能力が効いてないってことか?」
「いや、命令そのものは通じているように見える。けど、あいつには俺っちの攻撃が届いていないんだろうね」
クラウスの説明を聞いて、俺たちは顔を見合わせた。
「マジかよ……」
「わしの名はゼルガード。魔王軍幹部の一人よ。死にゆく貴様らに、わしのチート能力を教えてやろう」
ゼルガードの足元で、影が不気味に揺れた。
「我がチート能力は――《影界干渉シャドウ・インターフェア》!」
その瞬間、ゼルガードの影がまるで生き物のように蠢いた。
「この能力によって、わしが受けた攻撃はすべて自分の影へと転移する。つまり、影がわしの身代わりとなるのだ」
「身代わり……?」
「そうだ。当然、物理攻撃も魔法も、能力による干渉でさえも、影がすべて肩代わりする。ゆえに、貴様らがどれだけ能力や肉弾戦で攻撃しようとも、わしの本体に傷をつけることはできん!そして、周囲の死者の魂を影に閉じ込めわしの手駒として操ることもできる!」
「なるほどね……」
クラウスが小さく息を吐いた。
「だから俺っちの攻撃が通じなかったのか」
「そういうことだ。どれほど強力な攻撃であろうと、影が存在する限り、わしには届かん!」
ゼルガードが腕を広げる。
「さあ、恐怖せよ! そして影どもよ! その者らを始末せよ!」
すると、床に散らばっていた死体の影が一斉に立ち上がった。
「うわっ!?」
黒い人型の影が、地面から剥がれるようにして姿を現す。その数は一体や二体ではない。倒れている近衛兵たちの影が、次々と俺たちを取り囲んでいく。
「くそっ、今度は影かよ!」
「死者の影まで操るとは……悪趣味な魔物だね。それに、その者たちは俺っちの仲間だったんだ。死者を冒涜するような真似は、感心しないよ」
クラウスは眉をひそめた。そして、俺たちへと視線を向ける。
「君たちは周囲の影を頼む。俺っちはあいつと戦うからさ」
「分かった!」
俺は剣を抜き、迫ってくる影へと向き直った。
「まずはこいつらを何とかするぞ!」
影の一体が、地面を滑るようにして襲いかかってくる。
「はあっ!」
俺は剣を振り下ろした。刃が影の身体を捉えた――ように見えたが、手応えはほとんどない。影は一度大きく歪んだものの、すぐに元の形へと戻ってしまった。
「なんだこいつ! 斬っても効かないのか!?」
「タツヤ、こっちは任せろ!」
ヴィルが手をかざす。
「召喚! シャドウスパイダー!」
床に魔法陣が浮かび上がり、そこから巨大な蜘蛛の魔物が姿を現した。シャドウスパイダーは素早く糸を吐き出し、複数の影をまとめて拘束する。
「よし、これなら――」
しかし、次の瞬間。拘束されていた影が、まるで水の中を通り抜けるように糸の隙間から抜け出した。
「えっ!? 嘘だろ!?」
影はそのままシャドウスパイダーの身体をすり抜け、ヴィルへと襲いかかる。
「危なっ!」
ヴィルは慌てて身をかわした。
「こいつら、物理的な拘束も通用しないのかよ!」
「だったら、魔法でまとめて吹き飛ばすわ!」
ノノが杖を掲げ、魔力を集中させる。
「《雷鳴轟界サンダー・ドミニオン》!」
しかし、杖の先に光が走っただけで、魔法は発動しなかった。
「……あー、やっぱりね!だったら、いいこと考えた♡」
ノノは特に驚く様子もなく、杖を握り直した。
「《雷鳴轟界サンダー・ドミニオン》! 《雷鳴轟界サンダー・ドミニオン》! 《雷鳴轟界サンダー・ドミニオン》!」
その間にも影たちは容赦なく迫ってくる。
「《雷鳴轟界サンダー・ドミニオン》!!」
何度目かの詠唱で、ようやく魔法が発動した。
「魔法が不発になるなら、発動するまで何度も詠唱を連呼するだけよ!」
青白い稲妻が轟音とともに周囲一帯へと広がり、複数の影をまとめて包み込む。しかし――。
雷撃が収まっても、影たちは何事もなかったかのように動き続けていた。
「ええっ!? これも効かないの!?」
「ノノちゃん、無理しないで!」
リナも杖を手に影へと攻撃を仕掛けていたが、やはり効果はない。攻撃を繰り返すほど、俺たちの体力だけが削られていく。
一方、クラウスもゼルガードとその影を相手に苦戦していた。
ゼルガード本体へ斬撃を浴びせても、影が攻撃を肩代わりする。さらに、周囲の影がクラウスへと襲いかかり、隙を作らせない。二体を同時に相手にしているようなものだ。
「くっ……!」
「どうした、剣聖よ! 先ほどまでの勢いはどこへ行った!」
ゼルガードが大きく腕を振るう。クラウスは剣で受け止めるが、衝撃に押されて後退した。
「やっぱり、普通に攻撃するだけじゃ厳しいねぇ……!」
そのときだった。
「もうっ! いい加減にしてよね!」
ノノが杖を高く掲げる。
「だったら、これならどう! 《焔獄崩星フレア・ノヴァ》!《焔獄崩星フレア・ノヴァ》!《焔獄崩星フレア・ノヴァ》!」
「《焔獄崩星フレア・ノヴァ》!!」
放たれた炎が一直線に飛び、影たちの周囲を焼き払った。しかし、影そのものには大したダメージを与えられない。
「やっぱり駄目……!」
そう思った直後だった。炎が直撃した壁が、轟音とともに崩れ落ちた。壁の破片が床に散らばり、外から強い光が差し込む。すると――。
「……あれ?」
影たちの動きが、一瞬だけ止まった。いや、止まっただけではない。光が差し込んだ場所にいた影たちが、まるでそれを嫌がるように後退していた。
ノノはその様子を見逃さなかった。
「……そっか! そういうことね!」
「ノノ! 何か分かったのか!?」
「タツヤ! こっちに来て!」
ノノが俺に向かって手を振る。俺は迫ってくる影を振り払いながら、ノノのもとへ駆け寄った。
「どうしたんだ?」
「さっきのあたしが火炎魔法を放ったのよ。やっぱり影そのものには効かなかったけど、光が差し込んだ瞬間、あいつらが後退したのよ。多分あいつらの弱点は光よ」
「……なるほどな!」
俺はすぐに状況を理解した。
「影を倒せなくても、光を当てれば動きを抑えられるってことか!」
「そう! たぶん、あの魔物の能力は影があることが前提なのよ!」
「なら、影を消してしまえばいいのか!」
俺はクラウスへ向かって声を張り上げた。
「クラウス! 火炎魔法は使えるかー!?」
「火炎魔法かい?」
ゼルガードの攻撃をかわしながら、クラウスがこちらを見る。
「最上位の火炎魔法なら、あと百発は撃てる余力が残ってるよ!」
「百発!? 十分すぎる!」
俺は思わず笑みを浮かべた。
「なら、そいつを中央まで連れてきてくれ!」
「了解! 俺っちに任せな!」
クラウスは剣を構え直すと、ゼルガードと影の攻撃を紙一重でかわしていく。そして、ゼルガードの懐へ潜り込んだ。
「なにっ!?」
クラウスの蹴りがゼルガードの腹部に突き刺さる。
「ぐおっ!」
巨体が宙を舞い、王座の間の中央へと吹き飛ばされた。
「タツヤ! 連れてきたよ!」
「よし! そのまま反対側に回ってくれ!」
俺は中央へ向かって駆け出した。
「ノノ! そこから火炎魔法を頼む!」
「了解! 王子様の作戦、乗ってあげるわ!」
ノノが反対側へと走る。俺は中央に立ち、起き上がろうとするゼルガードへと飛びかかった。
「逃がすかよ!」
「貴様っ!」
ゼルガードの腕が俺の身体を打ち据える。
「ぐっ……!」
全身に衝撃が走った。それでも俺は腕を伸ばし、ゼルガードの首に絡みつくようにして抱え込む。
「タツヤ!? 何をしているんだ!」
クラウスが驚いた声を上げた。
「いいから撃ってくれ! こいつをここから動かさない!」
「……なるほど。そういうことか!」
クラウスは剣を納め、両手に魔力を集中させた。ノノも反対側から杖を構える。二人の周囲に、膨大な魔力が集まっていく。
「くらえ! 《焔獄崩星フレア・ノヴァ》――!」
「くらうといい! 《焔獄崩星フレア・ノヴァ》――!」
左右から放たれた二つの炎が、王座の間の中央へ向かって迫る。
「ま、まさか……! やめろおおおお!」
ゼルガードが初めて焦りの色を見せた。だが、もう遅い。
「うおおおおっ!」
俺はゼルガードを押さえ込んだまま、逃げようとする身体にしがみつく。直後、二つの炎が俺たちを飲み込んだ。
轟音。凄まじい熱と衝撃が王座の間を駆け抜ける。その瞬間、周囲に存在していた影が一斉に消滅していった。
「ぐああああああああっ!」
「ぐうううっ……!」
《火炎耐性+60を獲得しました》
ゼルガードの悲鳴が響く。影を失ったことで、身代わりにしていた防御が消えたのだろう。二つの火炎魔法は、そのままゼルガードと俺の身体を直撃し、相殺された。さらに、余波は王座の間全体へと広がっていく。壁が砕け、柱が崩れ、天井の一部までもが吹き飛んだ。
「きゃあっ!」
「うわっ! なんつう威力だよ!」
ヴィルたちは吹き荒れる衝撃に耐えながら、何とかその場に踏みとどまっていた。やがて炎が収まり、辺りに静寂が戻る。王座の間は見る影もないほど破壊されていた。その中央には、二人の人影が倒れている。
「タツヤさん!」
リナが駆け寄ろうとする。
「待って!」
ヴィルがその肩をつかんだ。
「まだ終わってない!」
その言葉に、俺たちは中央へと目を向ける。
「……やったか?」
ヴィルが慎重に問いかけた。
「ぐ……ぐぐ……」
すると、ゼルガードがゆっくりと身体を起こした。
「わしに……これほどのダメージを与えるとは……!」
その身体には傷が刻まれ、先ほどまでの余裕は消え失せている。だが、その目には怒りが宿っていた。
「許さん……貴様ら、よくもやってくれたな……!」
ゼルガードの足元で、黒い影が再び蠢き始めた。
「まさか、まだ何かあるのか……?」
俺は身体を起こそうとするが、全身の痛みで思うように動けない。
ゼルガードは両腕を広げ、床に散らばる影へと意識を向けた。
「ここまで追い詰められたのは久しぶりだ……だが、貴様らはわしを怒らせた」
黒い影が次々とゼルガードの足元へ集まっていく。
「ならば、見せてやろう……わしの真の力を!」
ゼルガードの身体が、黒い影に包まれ始めた。
「ゼニススキル――《影喰融合シャドウ・フュージョン》!」
その声とともに、周囲に散らばっていた影が一斉にゼルガードの身体へと吸い込まれていく。まるで影そのものを喰らうかのように。
黒い影は腕を伝い、胴体を覆い、やがて全身を飲み込んでいった。
「な、なんだあれ……!」
俺たちは、その異様な光景を見つめることしかできなかった。




