32 悪夢を乗り越えて
その姿を見た瞬間、俺の中で張り詰めていたものが、一気に崩れた。
「女神……!」
気づけば、俺は彼女に駆け寄っていた。
「女神……女神ぃ……!」
胸に顔を押しつけ、子供のように泣きじゃくる。もう格好なんて気にしていられなかった。さっきまで父親に責められ、殴られ、何もかもが分からなくなっていた。そんな俺の前に、また彼女が現れてくれたのだ。
「うっ……ううっ……!」
「よしよし。もう大丈夫ですよ、達也さん」
女神は俺の背中にそっと手を回し、優しく撫でてくれた。
「本当によく頑張っていますよ。でも、辛い時くらい私に相談してもいいんですよ、一人で抱え込む必要なんてないんですから」
「……母さんが死んだって……父さんに、お前のせいだって……!俺、どうしたらいいか分からなくて......!」
「はい。聞こえていましたよ」
女神は俺の頭を優しく撫で続けた。
「辛い時は、一緒に分かち合いましょう。嬉しい時は、一緒に喜びましょう。だって、私の決死の頼みを引き受けてくれたのは、他の誰でもないあなたなんですから」
「…………」
「私はいつでも達也さんと共にあります。どんなに苦しい時でも、あなたを一人にはしません」
その言葉に、また涙が溢れた。
異世界に来てから、何度も危険な目に遭った。自分のせいで仲間を危険に巻き込んだこともある。自分の選択が正しかったのか、悩んだこともある。それでも、こうして自分を信じてくれる人がいる。それだけで、今は十分だった。
「……ありがとう女神」
「ふふ。お礼なんていりませんよ。私はあなたの女神なんですから」
その時だった。
「何を勝手なことを言っている……!」
背後から、怒りに満ちた声が響いた。振り返ると、床に倒れていた父親が、ゆっくりと立ち上がっていた。先ほど女神に蹴り飛ばされたはずなのに、身体には傷一つない。
「私は達也の父親だ! こいつのことは私が一番よく分かっている!」
父親は俺を指差した。
「お前は何も変わっていない! 少しばかり異世界に行ったからといって、何が変わったというんだ!」
「……っ」
「そうやって女神に泣きついて、また現実から逃げるのか! 昔と何も変わっていないじゃないか!」
胸の奥が、ずきりと痛んだ。そうだ。俺は逃げてきた。仕事を辞めて、次の仕事を探すのも怖くなって、部屋に閉じこもっていた。家族が心配してくれていることも分かっていたのに、まともに向き合おうとしなかった。後悔していないと言えば嘘になる。あの頃の自分に戻りたいとも思わない。でも――。
「……確かに、俺は何度も逃げてきた」
俺は女神から離れ、ゆっくりと立ち上がった。
「失敗するのが怖くて、誰かに責められるのが嫌で、何もせずに逃げていた。そんな自分が嫌になることだってある」
「だったら――」
「でもな!」
俺は父親の姿を睨みつけた。
「異世界に来てから、俺には仲間ができたんだ!」
リナがいる。ヴィルがいる。ノノがいる。ゴリィやガルヴァンだっている。その他にも今まで出会ってきたたくさんの仲間がいる。最初は誰かと一緒にいることさえ不慣れだった。けれど、今ではあいつらと過ごす時間が楽しいと思える。誰かを助けたいと思うようになった。誰かのために、自分の命を懸けてもいいと思えるようになった。
「俺は、自分の意思でここまで来た。自分で決めて、戦ってきたんだ!」
拳を握りしめる。
「過去の俺がどうだったかなんて、あんたに言われなくても分かってる! でも……今の俺まで勝手に決めつけるな!」
その瞬間、父親の身体が大きく揺らいだ。
「な……に……?」
顔が歪み、輪郭が波打つ。台所の壁に亀裂が走り、床が砂のように崩れ始めた。
見慣れた食卓も、窓も、壁に掛けられた時計も、次々と消えていく。
「馬鹿な……! なぜ、私の世界が……! これまで私の精神世界を覆した存在など、一つたりともいなかったというのに……!」
父親が苦々しく顔を歪めた。そして、その声が変わった。
「……ふん。少しは異世界に来て成長したようだな」
「……誰だ、お前」
「私は魔王軍の末端にすぎん、能力にかまけて肉弾戦などろくにしてこなかった。だが、魔境大陸に生息している生物は、この世の頂点に立つ存在だ」
父親の姿が崩れ落ちる。その下から現れたのは、人間とは明らかに異なる異形の魔物だった。細長い胴体に、不気味なほど長い腕。背中や脇腹からは、何本もの太い触手が生えている。皮膚は黒ずみ、ところどころに紫色の紋様が浮かび上がっていた。
頭部には顔らしいものがあるものの、その目は人間のものとは思えないほど冷たく濁っている。
「そして、お前たちはこの精神世界から出られない」
「精神世界……?」
「そうだ。私の能力は、相手の意識から作り出された仮初めの身体だけを俺が生み出した精神世界に閉じ込めること。そこで相手の記憶を覗き、後悔や罪悪感を利用して、最も苦しむ姿を作り出す」
魔物は愉快そうに口元を歪めた。
「相手が心の奥底で恐れているものを具現化し、何度も何度もいたぶる。泣き叫び、絶望し、心が折れていく様を見るのがたまらなく好きでな。まあ、俺の趣味というわけだ」
「……じゃあ、さっきの父さんも母さんも」
「当然、私が作り出した幻影だ。お前の記憶から姿を借りただけにすぎん。母親が死んだという話もな」
「…………」
胸の奥に、再び嫌な感覚が広がった。あの言葉は嘘だった。母さんは死んでいない。父さんも、あんなふうに俺を責めていたわけじゃない。だが、俺が過去に後悔していたことまで嘘になるわけではない。そこを利用されたのだ。
「しかし、妙だな」
魔物の視線が女神へと向いた。
「なぜ女、お前までここにいる? まあ、理由はどうでもいい。お前らはここから出られん。何しろ、ここは俺の精神世界だからな」
魔物は両腕を広げた。
「私を倒さぬ限り、この世界は解除されない。そして、お前たちは私を倒せない」
「……どういう意味よ?」
女神が警戒するように尋ねた。
「私の能力によって引きずり込まれた、ここにいるお前らの身体は、お前たちの意識から作り出された仮初めの身体だ、だから当然お前らは能力も魔法も使えん。だが、俺は違う」
魔物の身体から、ぬらりと触手が伸びた。
「私は全て実体を使用できる! そんなお前たちが、俺に勝てると思うか? 素の力だけでも、お前たちとは雲泥の差がある!」
触手が地面を叩く。魔物の背中から、無数の触手が一斉に飛び出した。
「達也さん、下がって!」
女神が俺の前に立つ。触手が鞭のようにしなり、四方八方から襲いかかってきた。女神は身をひねって一本をかわし、もう一本を腕で弾く。だが、避けた先にも別の触手が迫っていた。
「くっ……!」
俺も咄嗟に横へ飛び、迫ってきた触手を両腕で受け止めた。
ズンッ!
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃が腕に走る。身体ごと後方へ押し飛ばされ、俺は床を転がった。
「達也さん!」
「大丈夫だ! 今は自分を守ることだけ考えてろ!」
俺はすぐに立ち上がった。身体が重い。いつものように能力を使おうとしても、ステータスの上昇も、適応による抵抗も感じられない。ここでは本当に、俺たちの能力は使えないらしい。それでも、俺は再び迫る触手を見据えた。
異世界に来たばかりの頃なら、今の一撃で動けなくなっていたかもしれない。だが、今は違う。何度も戦い、何度も傷つき、それでも立ち上がってきた。能力が使えなくても、身体に染みついた動きまでは消えていないらしい。
「……まだ、やれる!」
俺は迫る触手を見極め、身体をひねってかわした。続けて飛んできた一本を腕で弾き、魔物との距離を取る。
「ほう。能力が使えないというのに、なかなかしぶといな」
「こっちだって、何もしてこなかったわけじゃないんでね!」
その隙に、女神が魔物へ向かって駆け出した。
「はあっ!」
伸びてきた触手を手で払い、さらにもう一本を掴んで横へ引き倒す。女神はそのまま魔物の懐へ飛び込もうとした。
「小賢しい!」
魔物の触手が魔物の体から生えて、女神の身体に巻きついた。
「きゃっ!」
「女神!」
触手が女神の首元にも絡みつき、その身体を宙へと持ち上げる。
「ぐっ……!」
女神は苦しそうに顔を歪めながらも、首に巻きついた触手を両手で掴んだ。
「ははは! どうした、女神! 威勢がよかったのは最初だけか!」
「……くっ」
俺は助けに行こうとした。だが、目の前から別の触手が何本も迫ってくる。
「くそっ!」
一本を弾き、もう一本を避ける。さらに背後から迫る触手を腕で受け止めた。女神のところまで行けない。
「女神!」
俺が叫ぶと、女神は苦しそうにしながらも、ふと両腕を前方へ広げた。まるで、何かを待っているかのように。
「……え?」
何をするつもりなんだ?
「女神! 何を――!」
「何をしている! 能力も魔法も使えないと言ったはずだぞ!」
女神が苦しそうな表情をしながら、口を開いた。
「私はあんたの能力によって、精神世界に引きずり込まれたわけじゃない。私の意思でここに来たのよ、だから私の意識はまだ現世と繋がってるってわけ」
魔物が怒鳴り、女神へ向かって触手を伸ばそうとした。その瞬間だった。女神がかざした両手の前に、二人の人影が現れた。
「…………え?」
俺は目を疑った。そこに立っていたのは――。
「父さん……? 母さん……?」
見間違えるはずがない。そこに立っていたのは、紛れもなく本物の父さんと母さんだった。
父さんは少し白髪の混じった短い黒髪に、がっしりとした体格。年齢を感じさせる顔には深い皺が刻まれているものの、その表情には昔と変わらない頼もしさがあった。母さんは肩まで伸びた落ち着いた茶色の髪をしており、優しげな目元と柔らかな笑顔が印象的だった。少し小柄な体つきも、俺の記憶にある姿そのままだ。二人とも、最後に会ったときと何も変わっていなかった。
「待たせたな、達也!」
父さんは俺にそう声をかけると、すぐさま魔物と女神の方へ視線を向けた。
「おい、あの触手を何とかするぞ!」
「ええ!」
二人は一瞬で状況を察したらしい。父さんが迫る触手を蹴りで弾き、母さんが別の触手を両手で掴んで勢いよく引き倒す。
「せーのっ!」
ドンッ!
二人の連携攻撃によって、女神の首に巻きついていた触手が大きく引き剥がされた。
「ぐおっ!?」
拘束から解放された女神が、その場に着地する。
「二人とも、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いいのよ、女神ちゃん。息子がお世話になっているんですもの」
母さんはにこやかに答えた。
「……いや、どういうことだよ!?」
突然の出来事に、俺は状況を理解できずにいた。
「いやあ、驚いたぞ。リビングでみんなでテレビを観てたら、女神ちゃんが突然倒れちまってな」
父さんがいつもの調子で説明を始める。
「最初はどうしたのかと思ったんだけどね。そしたら、倒れながら女神が両手を私たちにかざしてきたのよ。もしかしたら、女神ちゃんが異世界に行ったんじゃないかって話になって。それで、パパとママで女神ちゃんの両手を握っていたのよ」
「そしたら案の定、よく分からんがこんな辺鄙な場所に来られたってわけだ!」
「……いや、どういう理屈だよ!?」
思わず突っ込んでしまった。父さんと母さんは、そんな俺を見て笑った。
「細かいことはいいじゃないか!」
「そうそう。せっかく会えたんだから!」
母さんはそう言うと、魔物の方へ顔を向けた。
「あの人が、達也の戦っている敵さんなんでしょ?」
「……ああ」
俺が答えるより先に、母さんは拳を握りしめた。
「女神ちゃんから聞いたわよ。達也、今ものすごく頑張っているんだってね。ママ、感動しちゃった」
「母さん……」
「それなのに、私たちの息子をいじめるなんて……」
母さんの表情から、笑みが消えた。
「誰であっても許さないわよ」
そして、すっと構えを取る。
「柔道一段、参ります」
「俺も負けてはいられんな!」
父さんも一歩前に出て、拳を握った。
「極真空手一段、参る!」
「えー!今それやるの!?」
俺は思わず目を丸くした。
いや、待て。父さんが空手をやっていたのは知っている。母さんが柔道をやっていたことも、昔聞いた覚えがある。でも、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「な、何をしても、人間が二人増えたところで何も変わらん!」
魔物が触手を振り回した。
「ふん!」
父さんは迫ってきた触手を見極め、身体を半歩ずらした。触手が空を切った瞬間、その根元へ鋭い蹴りを叩き込む。
バキッ!
「ぐおっ!?」
触手が大きく弾かれた。
続けて母さんが踏み込む。伸びてきた触手を両手で掴み、その勢いを利用して身体をひねった。
「そこよ!」
ドンッ!
魔物の身体が横へ大きく傾く。
「な、何だと!?」
「まだまだ!」
父さんが距離を詰め、胴体へ拳を叩き込む。母さんも続けて足元へ踏み込み、体勢を崩した魔物をさらに追い込んだ。魔物の触手が二人をまとめて薙ぎ払おうとする。だが、父さんは低く身をかがめ、母さんは触手の軌道を見切って受け流す。二人は息の合った動きで、次々と攻撃を仕掛けていた。
「小賢しい人間どもが!」
魔物が身体を大きく震わせた。
ドンッ!
全身から触手が一斉に伸び、父さんと母さんをまとめて弾き飛ばす。
「ぐっ!」
「きゃあっ!」
二人の身体が宙を舞い、床に転がった。
「父さん! 母さん!」
「……いてて。なかなかやるじゃないか」
父さんは腰を押さえながら立ち上がった。
「全国大会の決勝で戦った相手を思い出すぜ……!」
母さんも服についた埃を払いながら、ゆっくりと起き上がる。
「ええ、そうね。でも、家事の方がもっと大変よ!」
「……母さん、それ今言うことか?」
「何言ってるの。家事は毎日が真剣勝負なのよ!」
こんな状況なのに、いつもの母さんだった。
女神もようやく触手から解放され、地面へ着地する。
「お二人とも、無事ですか?」
「ええ、大丈夫よ。女神ちゃんこそ、首は平気?」
「はい。ご心配ありがとうございます」
「よし。まだまだいけるぞ!」
父さんが再び構えを取った。女神も両手を広げ、迫る触手を弾き返す。三人は互いに位置を変えながら、魔物の攻撃を受け流していった。だが、魔物も黙ってはいない。触手を振り回し、三人を近づけまいと攻撃を繰り返す。父さんと母さんも、女神も、額に汗を浮かべ始めていた。
「くっ……しぶとい奴ね!」
「ははっ! まだまだ若いもんには負けんぞ!」
「お父さん、無理しないで!」
「母さんこそな!」
俺も加勢しようとしたが、目の前に伸びてきた触手に阻まれ、後方へ弾き飛ばされた。
「ぐっ!」
床を転がり、壁際まで吹き飛ばされる。
「達也さん!」
「大丈夫だ!」
俺は床に手をつき、身体を起こした。全身に痛みが走り、足元もふらつく。それでも、歯を食いしばって立ち上がる。
目の前では、女神と両親が魔物の触手を相手に必死に戦っていた。父さんが攻撃を弾き、母さんが隙を突いて魔物の体勢を崩す。女神も魔法で触手を迎撃している。
俺も加勢しなければ。
俺は迫ってきた触手を身をひねってかわし、懐へ踏み込む。全身の力を込めて拳を叩きつけた。
「おおおっ!」
だが、魔物の身体はびくともしない。反対側から伸びてきた触手に弾かれ、俺は再び後方へ吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
それでも、すぐに立ち上がる。
異世界に来てから、少しは強くなったと思っていた。以前の俺なら、目の前の光景に立ちすくんでいただけだっただろう。今は違う。勝てるかどうかなんて関係ない。ここで戦わなければ、何も変わらない。
「……まだまだだな、俺も」
俺は拳を握り直し、再び魔物へと向かっていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その少し前、俺たちとは別の場所でも、異変が起きていた。
ヴィル、リナ、ノノの三人もまた、それぞれ別の精神世界に閉じ込められていたのだ。
ヴィルの前には、かつての冒険者仲間の姿をした偽物が立っていた。リナの前にはリナの祖父の姿をした偽物が、ノノの前にも彼女の記憶を利用した妹の偽物が現れ、三人を惑わせていた。しかし、三人は次第に違和感を覚え始める。
「……違う。お前は、俺の知っているあいつじゃない」
ヴィルが偽物を睨みつけた。
「私の大切な人は、そんなことを言いません!」
リナもはっきりと告げる。
「もういいわ。そんな安っぽい幻で、私を騙せると思わないで♡」
ノノも偽物を見据えた。
その瞬間だった。
「な……どうして……」
三人の目の前にいた偽物たちが、同時によろめいた。身体が大きく歪み、周囲の景色が波打つ。空間そのものが引き裂かれるように揺れた。やがて、それぞれの精神世界が音を立てて崩壊していく。そして――。
「――達也さん!」
突然、俺のいる空間の向こう側から声が響いた。
「……え?」
振り返った先で、暗闇が大きく歪んだ。そこから三人の人影が飛び出してくる。
「おい、達也! 聞こえてるか!?」
「ヴィル……!」
「おう! ようやく合流できたぜ!」
続いて、リナが駆け寄ってくる。
「達也さん! ご無事でよかったです!」
「リナ!」
「王子様ぁ♡ ずいぶん派手にやられてるじゃない♡」
「ノノ!」
三人とも、間違いなく本人だった。声だけでも、幻でもない。今、俺の目の前に立っている。
「みんな……!」
そうか。三人もそれぞれの精神世界で、偽物と向き合っていたんだ。そして、その正体を見破ったことで、ここまで戻ってこられた。俺だけじゃない。みんなも自分の力で、この場所へたどり着いたんだ。
「こんなクソ野郎、さっさとぶっ飛ばすぞ!」
ヴィルが拳を鳴らす。
「達也さん、私たちも一緒に戦います!」
「そうそう♡ いつまでも王子様だけに頑張らせるわけにはいかないものね♡」
「……ああ!」
俺は拳を握りしめた。
もう一度、魔物を見る。女神と両親が、必死に攻撃を防いでいる。魔物は触手を振り回しながら、三人を押し込んでいた。
「しぶとい奴らめ……!」
魔物は余裕を装っていたが、その額には汗が浮かんでいる。
「だが、押しているのは俺の方だ! このまま全員まとめて――」
「そうはさせねえよ!」
ヴィルが一気に距離を詰めた。
「なっ!?」
ドゴッ!
「ぐおっ!?」
魔物の身体が、突然横へ弾かれた。
「何だと!?」
「まだまだです!」
今度はリナが反対側から踏み込み、魔物の脇腹へ攻撃を叩き込む。
「この程度で倒れると思わないでね♡」
さらにノノの飛び蹴りが、魔物の頭部を大きく揺らした。
「ぐっ……! 貴様ら、いつの間に……!」
「ついさっきだよ。お前の作った偽物が突然消えたから、それでここまで戻ってきたんだ!」
ヴィルが不敵に笑う。
「な、何だと……!?」
「もう、あなたの幻には惑わされません!」
リナが魔物を見据える。
「ふふっ♡ 残念だったわね。私たちを閉じ込めておけなかったみたいよ?」
ノノも余裕の笑みを浮かべた。
「……よし!」
俺も地べたから起き上がり飛び出した。女神がこちらに気づき、目を見開く。
「達也さん!」
「俺も行く!」
魔物は触手を振り回し、今度は俺たち全員を相手にしなければならなくなった。だが、数が増えたことで、先ほどまでのように一方的に攻めることはできなくなっている。
「今だ! みんな、一斉にいくぞ!」
「おう!」
「はい!」
「任せて♡」
俺は魔物へ向かって駆け出した。
「何度でも立ち上がってくるな……!」
魔物が触手を伸ばす。俺は身体をひねって一本をかわし、もう一本を腕で弾いた。そこへ、女神が横から飛び込む。
「お父さん、今です!」
「おう!」
女神が触手を払い、父さんが正面から拳を叩き込む。母さんが足元を崩し、魔物の身体が大きく傾いた。
「おらあっ!」
そこへヴィルが追撃を加える。
「これ以上、好きにはさせません!」
リナの攻撃が魔物の側面に叩き込まれた。
「くらえっ!♡」
ノノのハイキックが炸裂する。
四方からの攻撃が重なり、魔物の身体が激しく揺れた。
「なっ……! 馬鹿な! なんだ、この連携は!」
俺は魔物の懐へ踏み込んだ。
「こっちには、お前と違って仲間がいるんだよ!」
「うおおおおおおっ!」
俺の拳が、魔物の腹部へ叩き込まれる。直後、女神と両親、そして仲間たちの攻撃が一斉に重なった。
「ぐわああああああああっ!!」
魔物の身体が大きく吹き飛び、床へ叩きつけられた。触手が力なく垂れ下がる。
「ば、馬鹿な……この俺が……人間ごときに……!」
「人間ごとき、ねえ」
母さんが腕を組んだ。
「自分の世界に閉じこもって、人を苦しめることしかできないあなたに言われたくないわね」
「くっ……!」
魔物が血反吐を吐きながら起き上がろうとした。だが、その身体は光の粒に覆われ始め、少しずつその存在が消えかかっていた。そして、精神世界そのものも崩れ始めていた。
「な、何だ……これは……!」
床が割れ、壁が砕け、天井が崩れ落ちていく。周囲を覆っていた闇が剥がれ、その向こうから眩い光が差し込んできた。
「私の世界が……! 俺の精神世界があああああああっ!」
魔物の叫び声が響く。そして――世界は、光に包まれた。気がつくと、俺たちは魔王城の内部に立っていた。目の前には、先ほどの魔物が倒れている。もう触手を動かす力も残っていないようだった。
「……終わったのか?」
俺が呟くと、女神が静かに頷いた。
「そうですね。精神世界は解除されたようです。皆さんも、もう大丈夫ですよ」
「……よかった」
俺は大きく息を吐いた。その時、父さんが俺の肩に手を置いた。
「達也」
「……父さん」
「よく頑張ったな」
父さんは、いつものように少し不器用な笑顔を浮かべた。
「お前は昔から、どうしようもないところがある。すぐに落ち込むし、面倒なことから逃げたがるしな」
「……うるさいな」
「でも、今は違うんだろ?」
父さんは俺の顔をまっすぐ見た。
「だったら、そのまま進め。ダメ息子でも、俺たちの息子には変わりない。いつか世界を救って、ちゃんと戻ってこい。父さんも母さんも待ってるからな」
「そうよ。いつか帰ってきたら、いっぱいお話を聞かせてね」
母さんが俺の頭を撫でた。
「ママは、達也が頑張っていることを知れて嬉しかったわ。だから、もう自分を責めすぎないこと。いい?」
「……うん」
俺は二人を見つめた。
ここは異世界だ。魔物の能力によって、父さんと母さんも一時的にこの世界へ来ているにすぎない。きっと、もうすぐ別れの時が来る。
そう思うと、悲しくて寂しかった。それでも、今こうして二人が目の前にいて、俺に言葉をかけてくれている。だからこそ、最後くらいはちゃんと自分の本心を伝えようと思った。
「ありがとう……父さん、母さん」
声が震えた。頬を伝う涙を拭うこともできず、俺は感謝を述べた。
「俺……頑張るよ。やっと俺が生きている意味が分かったんだ。だから、この世界を必ず救って、いつか必ず帰るから……!」
最後まで言い切る前に、涙がこぼれ落ちた。
「おう! 期待してるぞ、ダメ息子!」
「ふふっ。頑張ってね、達也」
二人はいつものように笑っていた。
その姿が、少しずつ光に溶けていく。
「……あっ」
思わず手を伸ばした。けれど、指先は二人に届かない。
「父さん……母さん……!」
もっと話したいことがあった。伝えたいことも、たくさんあった。それでも、もう時間がない。
「達也さん」
隣にいた女神が、優しく微笑んだ。
「私も、いつでもあなたを見守っています。どんな時でも、あなたは一人ではありませんから」
「……女神」
涙で滲む視界の中、俺は女神を見つめた。
「だから、これからもあなたらしく進んでくださいね」
「ありがとう女神、きっと俺の使命を果たしてくるよ」
俺は何度も涙を拭いながら、感謝を述べた。
女神の姿も、父さんと母さんの姿も、やがて光の中へ消えていった。頬にはまだ涙が伝っていた。けれど、不思議と悲しさと寂しさだけではなかった。父さんと母さんに会えた。女神にも、もう一度会えた。そして、仲間たちも無事だった。
俺は涙を拭い、ゆっくりと顔を上げる。視線の先には、まだ進むべき道が続いている。
「……よし」
まだ終わっていない。クラウスが戦っている。ガルヴァンも、ゴリィたちも、まだ戦っているはずだ。俺たちには、まだやるべきことがある。
「みんな、行こう」
俺は、魔王軍と思わしき紫色の大量のジェムと近衛騎士団の亡骸の先にある上へと続く階段へ視線を向けた。
今度こそ、魔王軍幹部を倒す。そして、聖命草を手に入れるんだ。




