30 アイスドラゴンとカフェの店主
前方の道は、崩れ落ちた岩によって完全に塞がれている。そして後方には、青白い鱗をまとった巨大な竜が立ちはだかっていた。
アイスドラゴンは、俺たちを逃がすつもりなどないらしい。冷気をまき散らしながら首をもたげ、その口を大きく開いた。喉の奥に、白銀の光が集まっていく。
「……おいおい、冗談だろ」
俺は思わず息を呑んだ。
あのブレスをまともに食らえば、ただでは済まない。適応によって冷気への耐性を得られる可能性はある。だが、それ以前に生き残れる保証がない。
「全員、伏せろ!」
俺が叫んだ、そのときだった。
――ゴゴゴゴゴゴッ!!
突如、アイスドラゴンの背後から轟音が響き渡った。
「な、なんだ!?」
天井が激しく揺れ、無数の岩片が降り注ぐ。俺たちが顔を上げると、外へとつながる天井の裂け目から、土煙が勢いよく吹き込んできた。
いや、違う。何かが、外から無理やり入り込もうとしている。巨大な黒い鱗が岩肌を削り、裂け目を押し広げていた。岩が砕け、天井の一部が崩落する。その隙間から、巨大な頭部がゆっくりと姿を現した。
「グルルルル……!」
低い唸り声が洞窟に響く。黒竜だった。その巨体は、どう考えても、この狭い裂け目を通り抜けられる大きさではない。それでも黒竜は、岩を砕きながら強引に身体をねじ込んでくる。そして、その背中には――。
「……お前ら、こんなところにいたのか」
聞き覚えのある声が、土煙の向こうから響いた。黒竜の背に乗っていたのは、頭の禿げ上がった眼鏡のおっさんだった。口元には、左右にぴんと伸びた立派な髭。こんな状況だというのに、髭には乱れ一つない。
「……は?」
俺の口から、間の抜けた声が漏れた。
いや、待て。なんで、あのカフェのおっさんが黒竜に乗って、こんなところにいるんだ?
「なっ……! あの黒竜を従えているというのか!?」
ゴリィも目を見開いていた。騎士として数々の魔物を見てきたであろう彼でさえ、目の前の光景が信じられないらしい。俺たちが呆然と見上げていると、おっさんは黒竜の背からひょいと飛び降りた。
「ったく、探したぜ。まさか、こんなところにいるとはな」
おっさんは地面に着地すると、腰に差していた刀へ手を伸ばした。鞘から抜き放たれたのは、細身の刀だった。飾り気はなく、刀身も驚くほど薄い。目の前にいる巨大な竜と比べれば、あまりにも頼りなく見える。だが、その刀を見た瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
アイスドラゴンが、ゆっくりと首を回した。標的を俺たちからおっさんへと変えたらしい。喉の奥に集まっていた冷気が膨れ上がり、周囲の空気を巻き込みながら、巨大な氷の塊を形作っていく。
「グオオオオオオッ!!」
轟音とともに、氷の奔流が放たれた。
「おいおい。そんな攻撃じゃ、俺には届かねえよ」
おっさんは、まるで世間話でもするような気軽さで呟いた。そして、地面を蹴った。その身体が宙へと舞い上がる。迫り来る氷の塊に向かって、おっさんは細い刀を一閃させた。
「――《万象断ち》」
次の瞬間、世界が静止したように見えた。いや、実際には止まっていない。氷の奔流が、真っ二つに裂けていたのだ。巨大な氷塊も、そこから放たれる冷気も、まるで見えない境界線を越えたかのように左右へ分かれていく。砕けた氷が洞窟の壁を削り、轟音を響かせながら俺たちの脇を通り過ぎていった。
「…………」
誰も、声を出せなかった。
「……あんな攻撃を、斬った……?」
ミレイヤが呆然と呟いた。彼女の視線は、おっさんの持つ細身の刀に釘付けになっている。
「氷の塊だけじゃない……ブレスそのものまで……」
その声には、騎士としての驚きが滲んでいた。
おっさんはそのままアイスドラゴンの頭上を飛び越え、俺たちの前へと着地した。着地の衝撃すら、ほとんど感じさせない。
「いい氷だったぜ。うちのアイスティーにもってこいだな。まあ、用事があるから持って帰れないんだけどよ。それはそうと、おう。お前ら、大丈夫だったか?」
まるで道端で知り合いに会ったかのような気軽さだった。
「……いや、大丈夫かって……」
俺は思わず言葉を詰まらせた。目の前にいるのは、セレナードの裏通りでカフェを営んでいた、あのおっさんだ。間違いない。現に店に行ったし、ノノと親しげに話している姿だって見ている。そのカフェ店主が、今、アイスドラゴンのブレスを真っ二つに斬った。
……どういうことだよ。
「おじさま!?」
ノノが目を見開いた。
「やっぱりおじさまだったのね!」
「おう、ノノ。久しぶりじゃねえか」
「もう! どうしてこんなところにいるのよ!」
「それはこっちの台詞だっつーの」
おっさんは苦笑した。そのやり取りを見て、俺はようやく息を吐いた。
いや、本人なのは分かっている。分かっているんだが……。
あのカフェのおっさんが、どうしてこんな規格外の強さを持っているんだ?
俺が頭を抱えそうになった、そのときだった。
「グオオオオオオオオッ!!」
耳をつんざく咆哮が洞窟に響き渡った。
アイスドラゴンだ。
自分の攻撃を斬られたうえ、目の前で完全に無視されたことが気に食わなかったのか、巨体を揺らしながらこちらへ突進してくる。
「お、おい! 後ろだ! あいつが来てるぞ!」
俺が叫ぶと、おっさんは面倒くさそうに振り返った。
「ん? ああ、まだいたのか」
「……まだいたのか、じゃねえよ! あいつ、さっきから俺たちを殺そうとしてたんだぞ!?」
俺は呆れた顔でツッコミを入れた。
アイスドラゴンが鋭い爪を振り上げ、目前まで迫る。だが、おっさんは避けようともしなかった。ただ、刀を持つ手をわずかに動かした。
キンッ。
乾いた音が、一度だけ響いた。それから数秒後、アイスドラゴンの巨体がぴたりと止まった。
「……え? なんだ?」
俺が目を凝らした瞬間、竜の身体に一本の線が走った。頭から胴体、そして尾の先まで。
次の瞬間、アイスドラゴンの巨体が左右に分かれ、轟音とともに地面へ崩れ落ちた。洞窟全体が揺れ、砕けた氷と土煙、そして光の粒が舞い上がる。やがて煙が晴れると、緑色の大きなジェムだけがその場に残されていた。
「……もう倒したぜ」
おっさんは刀を鞘へ戻し、何事もなかったかのように言った。
「…………」
俺は、もう何も言えなかった。
適応がどうとか、勝てるかどうかとか、そういう次元の話じゃない。こいつ、何者なんだ?
「……信じられない。あれほどの竜を、一太刀で……」
ミレイヤは倒れたアイスドラゴンを見つめたまま、しばらく動かなかった。それから、ようやく息を吐く。
「これほどの実力者が、どうして街でカフェなどを……?」
「おじさま、会いたかったわ!」
そんな俺たちの困惑などお構いなしに、ノノはゴリィの背中から降り、おっさんへ駆け寄ろうとした。
「おい、ノノ。膝は大丈夫なのか?」
ゴリィが声をかけると、ノノは一瞬だけ足を止めた。
「あら、そうだったわね。ちょっと痛むけど、もう平気よ♡」
「それならいい」
「乗せてくれてありがと♡」
おっさんは二人を見て、呆れたように笑った。
「なんだ、お前ら。ずいぶん大変な目に遭ったみてえじゃねえか」
「おじさまこそ! どうしてここにいるのよ!」
「それはこっちの台詞だっつーの」
ガルヴァンはノノの頭にぽんと手を置き、呆れたように笑った。
……本当に、いつものカフェの光景みたいだな。目の前に倒れたアイスドラゴンさえなければ。
俺はようやく気持ちを切り替え、改めておっさんに向き直った。
「……それで、どうしてここに?」
「おう。そうだったな」
ガルヴァンは腕を組み、俺たちを見回した。
「お前ら、セレナードの街の闇を暴いて、街を救ってくれたんだろ?」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
「俺も感謝してるぜ。実際、あんなことになってたなんて知らなかったからな。まったく、笑えねえ話だよ」
ガルヴァンはそう言ったものの、表情は真剣だった。
「それで、お前らが古代竜のいる山に向かったって聞いてよ。いても立ってもいられなくなっちまった。カフェは休業だ。少しの間は、店は開けられねえな」
「……いや、ちょっと待ってくれ」
俺は片手を上げた。
「どうやってここまで来たんだ? そもそも、あの黒竜は何なんだよ?」
「ん? ああ、こいつか?」
ガルヴァンは、背後の黒竜を親指で示した。黒竜は首を伸ばし、こちらの様子を窺うように低く唸っている。
「この山を少し登ったところにいたんでな。ちょいとボコして、言うことを聞かせたんだよ」
「…………は?」
「で、乗せてもらって探してたってわけだ」
「いやいやいや!」
俺は思わず声を張り上げた。
「ちょっとボコしてって……! 竜だぞ!? しかも、こんなにデカい!」
「そうだな。デカかったな」
「感想が軽いんだよ!」
ガルヴァンは、ははは、と豪快に笑った。
「まあ、落ち着けって。ほら、この山には炭鉱の洞窟があるだろ? あの中を歩いて探してたら、地図もねえし、迷っちまうだろうが」
「それは……まあ、そうだけど」
「だから外から探すことにしたんだよ。そしたら、ここの天井の隙間から音が聞こえてきてな。何かと思って近づいてみたら、お前らがいたってわけだ」
「いや、近づいてみたらって……」
俺は天井を見上げた。黒竜がこじ開けた穴から、ぱらぱらと小石が落ちている。
「……めちゃくちゃじゃねえか」
「そうか?」
「そうだよ!」
このおっさん、感覚がおかしい。いや、もしかすると俺たちの感覚が普通なだけなのか? ……いや、普通なんだな。うん。
俺が一人で納得していると、ガルヴァンはふと思い出したように手を叩いた。
「おっと、そういや自己紹介がまだだったな」
ガルヴァンは背筋を伸ばした。さっきまでの気さくな雰囲気が、ほんのわずかに変わる。
「俺の名前はガルヴァン・クロイツ。昔はアルディア王国の近衛騎士団に所属してたんだ」
「近衛騎士団……?」
ゴリィが反応した。
「ああ。昔の話だけどな。実力を買われて、王冠の三剣に入らないかって誘われたこともある」
「王冠の三剣に!?」
ミレイヤが驚きの声を上げる。
王冠の三剣といえば、アルディア王国でも指折りの実力者に与えられる称号だ。そんな連中から声をかけられるということは、ガルヴァンも相当な剣士だったのだろう。
「けど、断ったんだよ」
「……断った?」
「おう。俺には堅苦しい仕事は向いてねえからな。王様の護衛だの、会議だの、面倒な仕事が増えそうだったしよ。俺にも金を貯めて、カフェの店主をやるっていう夢があったしな」
「それでカフェを始めたのかよ……」
「そういうことだ」
ガルヴァンは満足げに頷いた。
いや、話の規模がおかしいだろ。
王冠の三剣に誘われるほどの実力がありながら、それを断ってカフェを開く。しかも、今も国王に探されているらしい。
「それに、俺には息子もいるからな。そいつを一人前に鍛えるのも、俺の仕事だったんだよ」
「息子さんがいるのですか?」
ミレイヤが尋ねる。
「ああ。一人息子だ。昔から剣の才能があってな。俺が直接鍛えてやったんだが……あいつ、今じゃ俺より真面目に騎士なんかやってやがる」
ガルヴァンは、どこか誇らしげに笑った。
「名前はクラウス・クロイツ。今は近衛騎士団に所属していてな。王冠の三剣の一人にも選ばれてる。剣聖なんて呼ばれてるらしいぜ」
「…………え?」
ヴィルが固まった。
次の瞬間。
「ええええええええっ!?」
洞窟に響き渡るほどの大声だった。
「な、なんだよ、急に」
ガルヴァンが眉をひそめる。
「いやいやいや! ちょっと待て! 今、クラウスって言ったか!?」
「おう。クラウス・クロイツだが?」
「王冠の三剣で、人類最強の剣聖って呼ばれてる、あの!?」
「そうそう。金髪の青年な」
「やっぱり、あの方なのかよ!?」
ヴィルは信じられないという顔で頭を抱えた。
……なんだ? どうしてこいつは、そんなに驚いているんだ?
「おい、ヴィル。誰なんだよ?」
俺が尋ねると、ヴィルは俺を見た。
「お前、グランツの街で会っただろ? 近衛騎士団の金髪の青年だよ。剣聖だって教えた方だ!」
「ああ……!」
ようやく思い出した。
グランツの街で出会った、あの金髪の青年。確かに迫力は相当なものだったし、近衛騎士団らしき集団と歩いていた。まさか、目の前のおっさんの息子だったとは。
「マジかよ……」
俺は思わずガルヴァンを見た。
あの剣聖の父親が、まさかこのおっさんだったなんて。確かに、これだけの剣の腕があるなら、息子が強くなったのも納得できる。いや、むしろ納得するしかない。
「はははっ! なんだ、クラウスと会ったことがあるのか!」
「あるけど……まさか親父さんが、こんな人だとは思わなかったよ」
「こんな人とは失礼だな。俺は普通のカフェ店主だぜ?」
「どこが普通なんだよ……」
俺は深くため息をついた。
普通のカフェ店主は、ドラゴンのブレスを斬ったりしないし、竜をボコして乗り物にしたりもしない。
……いや、もうこの世界の普通が分からなくなってきた。
「まあ、クラウスの話はそのくらいにしようぜ。あいつも今は忙しそうだしな」
ガルヴァンは穴の空いた天井の方向をみた。
「それより、お前ら。山頂まで行くんだろ?」
「ああ。聖命草を取りに行くつもりだ」
「なら、ちょうどいい。こいつに乗っていこうぜ」
ガルヴァンが黒竜の頭をぽんぽんと叩いた。
「歩いて登るより、ずっと早いからな」
「……この竜に?」
「ほかに何がいるんだよ」
俺は黒竜を見上げた。
黒い鱗に覆われた巨体。鋭い爪。人間なんて簡単に丸呑みにできそうな口。ついさっきまで、こんな竜が山にいたなんて知らなかった。それをボコして従わせた?
……もう考えるのはやめよう。
俺たちは、まず凍りついたスライムを助けることにした。アイスドラゴンのブレスを受け止めた場所は、少し離れた通路の先だ。黒竜が俺たちの通れるだけの空間を確保すると、ガルヴァンはスライムのいる方を指差した。
「そいつが、さっき言ってたスライムか?」
「ああ。俺を助けてくれたんだが、アイスドラゴンのブレスで凍っちまって……」
ヴィルが申し訳なさそうに答える。
「悪い。すっかり忘れてた」
「いや、忘れるなよ……」
俺が呆れていると、ガルヴァンは黒竜に合図した。
「なんだ、そんなことか。おい、ちょいと頼むわ」
黒竜が首を伸ばし、氷漬けのスライムへ向かって口を開いた。次の瞬間。
ゴオオオッ!
炎が吐き出され、スライムを包み込んだ。
「うおっ!? ちょ、待て! やりすぎじゃないかそれ!?」
「大丈夫だろ。加減しろって言ってあるからな」
「いつの間にそんな命令を!?」
炎が消えると、スライムを覆っていた氷は跡形もなく溶けていた。そして地面に転がったスライムが、ぷるん、と身体を震わせる。
「……よかった。無事だったか」
ヴィルは安堵したように息を吐き、スライムへ声をかけた。
「悪かったな。助かったぜ」
スライムは、ぷるぷると身体を揺らした。
……会話が成立しているのかは、よく分からない。
「おい、ヴィル」
「なんだ?」
「お前、あのスライム、これからどうするんだ?」
俺が尋ねると、ヴィルは少し困ったように頬を掻いた。
「まあな。俺って正規の召喚士じゃなくて、チート能力で呼び出してるだけだからな。元の場所に戻す方法とか、そういうのがねえんだよ」
「……お前、召喚した後のこと何も考えてなかったのか?」
「ははっ。まあ、なんとかなるだろ」
「ならねえよ!」
俺のツッコミが洞窟に響いた。
……このパーティー、まともな奴が少なすぎないか? いや、俺も人のことは言えないのかもしれないが。
「……後はまあ、あれだな」
誰かがそう呟くと、騎士団員とヴィルたち全員が示し合わせたように俺へと視線を向けた。
「……おい。なんで全員、俺を見るんだよ」
そして騎士団員とヴィルたちが再度全員が目を合わせ、無言で頷いた。その後、俺はミレイヤの鞭を何度も受け、痛みに耐えながら耐久値を上げていった。やがて全員が満足したところで、ようやく訓練は終了した。
「騎士団員とタツヤ達、共にしっかり掴まっておけ、振り落とされたら、助ける余裕はないぞ」
「おうよ!」
俺は慌てて黒竜の背にしがみついた。
「よし、全員乗ったな?」
ガルヴァンが人数を確認する。
「おう、頼むぜ」
黒竜が低く唸り、翼を広げた。崩れた天井の裂け目を抜け、俺たちは再び外の世界へと飛び出した。
眼下には、果てしなく続く山岳地帯が広がっている。山頂は、まだ遥か彼方だ。その先には聖命草があり、古代竜が棲んでいるという。
「……なあ、ガルヴァンさん」
「ん?」
「もう騎士団には戻らないのか?」
「ああ、戻らないだろうな。カフェの店主やってる方が居心地がいいし、カフェも再開しなきゃならねえしな。あんまり休むと、常連に怒られちまう」
「…......そうなのか」
俺は少し意外に思いながらも、どこか納得したような顔でそう言った。
黒竜は山肌すれすれを飛び、俺たちを乗せて高度を上げていった。だが、山を登るにつれて、周囲の様子が変わり始めた。岩場の影から、次々と竜が姿を現したのだ。
「グオオオオッ!」
「ギャアアアアッ!」
翼を広げた竜たちが空へ舞い上がり、俺たちの進路を塞ぐ。巨大な爪が黒竜へと迫り、鋭い牙がその首筋を狙った。
「おいおい、歓迎されてねえな」
ガルヴァンは呑気に呟いた。
「歓迎されてる場合か! 襲ってきてるぞ!」
「分かってるって」
その瞬間、一匹の赤い竜が大きく口を開いた。喉の奥で膨れ上がった炎が、轟音とともに吐き出される。
さらに、青い鱗を持つ竜が翼を羽ばたかせると、無数の氷柱が空中に出現した。逃げ道を塞ぐように、俺たち目がけて一斉に飛来する。
「うわっ、今度は氷かよ!」
別の竜が咆哮を上げた直後、周囲の空気が激しく震えた。目に見えない衝撃波が黒竜を襲い、巨体が大きく揺れる。
それだけではない。紫色の鱗を持つ竜が口を開くと、紫電が迸り、稲妻の束が空を駆け抜けた。さらに、黒い霧を吐き出す竜まで現れ、毒々しい煙が俺たちを包み込もうと迫ってくる。
炎、氷柱、衝撃波、雷撃、そして毒霧。
竜たちはそれぞれ異なるチート能力を使い、逃げ場を奪うように多彩な攻撃を仕掛けてきた。
「おいおい、随分と芸達者な連中じゃねえか」
ガルヴァンは口元を緩め、刀を抜いた。
「感心してる場合か! このままじゃ巻き込まれるぞ!」
「だから、分かってるって」
ガルヴァンは迫り来る炎へ向かって、刀を軽く振った。
空気が裂けた。
次の瞬間、炎は左右に真っ二つに割れ、黒竜の両脇を通り過ぎていった。続けざまに襲いかかる氷柱も、紫電も、毒霧さえも、刀の一閃によって切り裂かれ、俺たちに届く前に霧散していく。
「なっ……!?」
思わず声が漏れた。
チート能力による攻撃を、まとめて斬ったっていうのか?
ガルヴァンは驚く俺たちを気にすることもなく、次々と迫る竜たちへ視線を向けた。
「ったく、山頂までの道のりくらい、ゆっくり楽しませてくれよ」
そう呟くと、ガルヴァンは刀を振るった。
空を駆け抜けた斬撃が竜たちの翼を切り裂き、体勢を崩した巨体が次々と山肌へ落ちていく。
「……このおっさん、本当に何者なんだよ」
俺の呟きは、風の音にかき消された。
「この距離から、あれほど正確に……」
ミレイヤは、ガルヴァンの刀さばきを目で追っていた。
「しかも、黒竜の背を揺らさずに攻撃している……。並の剣士にできることではありません」
「おう、揺らしたら危ねえからな」
「いや、そういう問題では……」
ミレイヤは言いかけて、口を閉じた。たぶん、何を言っても無駄だと思ったのだろう。
それからも、竜たちは次々と襲いかかってきた。
だが、そのたびにガルヴァンが刀を振る。ときには翼を斬り、ときには爪を弾き、ときにはブレスそのものを切り裂いた。黒竜もまた、ガルヴァンの指示に従って巧みに飛び、俺たちを背中に乗せたまま山頂を目指していく。
その光景を見て、俺は改めて思った。
……こいつが王冠の三剣に誘われた男。なるほど、あの剣聖を鍛え上げたというのも納得だ。
だが、当の本人はそんな事情などどこ吹く風だった。
「おーい、そっちの竜、もう来ねえのか?」
「煽るなよ! 余計に来るだろ!」
「そうか? じゃあ、もうちょっと静かにしとくか」
そう言って、ガルヴァンは欠伸をした。
……頼むから、少しは緊張感を持ってくれ。
結局、俺たちは三日かかると言われていた山頂までの道のりを、わずか一日半で踏破した。時刻は昼を少し過ぎた頃だった。
「……早すぎだろ」
俺は思わず呟いた。
眼下には雲海が広がり、黒竜はその雲を突き抜けて飛んでいた。やがて、雲の切れ間から山頂が姿を現す。そこにあったのは、巨大な城だった。
黒い石造りの城壁。天を突くような尖塔。山頂という場所に不釣り合いなほど巨大な建造物が、堂々とそびえ立っている。
――魔王城。そんな言葉が、自然と頭に浮かんだ。だが、俺の視線はすぐにその奥へと吸い寄せられた。
魔王城のさらに向こう。山頂の一角を覆うように、黒い何かが集まってできたような、四角形の結界が張られていた。黒い物体同士の境目にはわずかな隙間があり、そこから内側の景色が断片的に見える。巨大な岩々がそびえ立つ岩場。その奥には、淡い光を放つ草が一面に広がっているようだった。
「とうとう来たな、山頂……そして、あれが聖命草か?」
隙間から見える光景を目で追いながら、俺は呟いた。探し求めていた薬草が、あの奥に群生している。間違いない。だが、どうにも気になることがあった。
結界の奥。聖命草が広がっていると思われる場所のさらに中央に、何か巨大なものが横たわっているように見えた。
「……なんだ、あれ?」
黒い結界に視界を遮られ、全体像までは分からない。それでも、岩場の向こうに見える輪郭は、周囲の岩々とは明らかに異なっていた。まるで、巨大な生き物がそこに身を潜めているかのようだった。
その正体を確かめようと目を凝らしたとき、隣にいたミレイアが静かに口を開いた。
「……あれが、古代竜でしょうか」
「やっぱり、そう思うか?」
「ええ。はっきりとは見えませんが……あの大きさは、普通の竜とは思えません」
俺は改めて結界の向こうを見つめた。
古代竜を捕えるように張られたような、異様な黒い結界。そして、その内側に潜む巨大な何か。あれが古代竜なのだとしたら、今まで戦ってきた竜とは格が違う相手なのかもしれない。
「……すげえ場所だな」
俺は思わず呟いた。だが、結界の向こうにいる存在の姿をちゃんと確かめることは、まだできなかった。ミレイアもまた、古代竜の姿を見つめていた。
俺は結界の向こうに眠る巨体から、目を離せなかった。だが、次の瞬間。
ドォォォォンッ!!
轟音が響き渡った。魔王城の一角が爆ぜ、黒煙が空へと立ち上る。
「な、なんだ!?」
城壁には大きな穴が開き、そこから無数の魔法や斬撃が飛び交っていた。爆発。衝撃波。砕け散る石壁。どう見ても、激しい戦闘が繰り広げられている。
そして、その戦場の中心にいたのは――。
「……あいつ、グランツの街で会った……!」
金髪の剣士だった。
あのときグランツの街で出会った剣聖が、魔王軍の兵士たちを相手に戦っていた。辺りには近衛騎士団と思われる者たちが倒れており、その中で立っているのは剣聖ただ一人だった。剣が閃くたびに敵が吹き飛び、魔法が炸裂するたびに城壁が崩れていく。その圧倒的な戦いぶりを目の当たりにし、俺は思わず息を呑んだ。
……いや、ちょっと待て。
あいつ、こんな場所で何をしているんだ?
「……おい、ガルヴァンさん」
「あん?」
俺が声をかけるより先に、ガルヴァンが身を乗り出した。
「……おいおい。あいつ、クラウスじゃねえか!」
ガルヴァンの声が、風を切って響いた。
「あいつ、なんであんなところで戦ってやがる!?」
ガルヴァンは目を丸くしたあと、魔王城を見つめた。
大勢の魔王軍兵士に囲まれながらも、剣を振るい続けている。敵の攻撃をかわし、隙を見つけては斬り返す。その動きに迷いはない。
「……おい、ほんとにあの人がガルヴァンさんの息子なのか?確かに見た感じは、グランツの街で見た青年と同じだが」
俺が尋ねると、ガルヴァンは頷いた。
「そうだ。間違いねえ。あの剣筋、俺が叩き込んだもんだからな」
そのとき、クラウスがふとこちらを見上げた。
遠く離れているはずなのに、俺たちの存在に気づいたらしい。クラウスは一瞬だけ目を見開いたあと、すぐに表情を引き締めた。そして、剣を握っていない方の手を胸元へ持っていき、指を二度動かした。
それは、言葉ではなかった。
指の形と動かし方を組み合わせた、何かの合図だ。
「……おう。なるほどな」
ガルヴァンは、その合図を見るなり、同じように片手を上げて返した。指を折り、手首を傾け、最後に親指を立てる。
クラウスはそれを確認すると、再び敵へ向き直った。
「……今の、何?」
俺は思わず尋ねた。
「ん? ああ、昔から使ってる合図だよ。声が届かねえ場所でも、互いに伝えられるようにな」
「親子専用の暗号みたいなものか?」
「まあ、そんなところだな」
ガルヴァンは軽く答えたが、その目はすでに魔王城の向こうへ向けられていた。
「……まずいことになったな」
「え?」
その声に、俺たちは一斉にガルヴァンを見た。
「どういうことだ?」
俺が尋ねると、ガルヴァンは紫色の結界を指差した。
「あの結界だ。どうやら魔王軍の幹部が張ったらしい。クラウスからの合図じゃ、そいつが結界を維持してるって話だ」
「魔王軍の幹部……?」
ミレイヤが表情を引き締める。
「ああ。あいつを倒さねえ限り、あの内側には入れねえ。無理に突っ込めば、こっちが弾かれるか、下手すりゃ結界に焼かれるかもしれねえな」
「……つまり、あの幹部を倒さないと聖命草を取れないってことか?」
「そういうことだ」
ガルヴァンはあっさり頷いた。
俺は魔王城を見下ろした。城壁の一部は崩れ、あちこちから煙が上がっている。クラウスは圧倒的な剣技で敵を押し返しているが、周囲にはまだ大勢の魔物がいた。そして、俺たちが必要としている聖命草は、あの結界の向こう側だ。取りに行くだけなら、古代竜が眠っている隙に近づけばいいと思っていた。だが、結界がある以上、そう簡単にはいかない。
「……まさか、薬草を取りに来ただけで魔王軍の幹部が倒れなければ、あの結界が解けないとは」
俺は頭を抱えた。聖命草を手に入れるために山を登ってきたはずが、どうしてこんなことになっているんだ。
「でも、クラウスさんが戦っているなら、助けに行った方がいいのでは?」
リナが心配そうに魔王城を見つめる。
「そうだな。あいつを放っておくわけにもいかねえ」
ガルヴァンも頷いた。
「まずは魔王城の近くに降りて、状況を確認する。幹部の居場所さえ分かれば、俺が――」
「待て待て待て!」
俺は慌ててガルヴァンの言葉を遮った。
「こっちは聖命草を取りに来ただけなんだぞ!? 魔王軍の幹部と戦うなんて、完全に予定外だろ!」
「そうだな」
「そうだな、じゃねえよ!」
あまりにもあっさり頷かれ、思わず声が大きくなる。
しかし、ガルヴァンは気にした様子もなく笑った。
「まあ、こうなっちまったもんは仕方ねえだろ。それに、息子もいることだしな」
「いや、息子がいるからって、俺たちまで戦う必要はないだろ!」
「はははっ! 細けえことは気にすんな!」
「気にするわ!」
俺は叫び、再び魔王城へと目を向けた。
……本当に、どうしてこうなるんだ。
俺たちはただ、聖命草を取りに来ただけだ。それなのに、山道ではドラゴンに襲われ、地下では化け物に追い回され、ようやく山頂にたどり着いたと思えば、今度は魔王軍の幹部が待ち構えている。
しかも、聖命草が生えている場所には、あの巨大な古代竜まで眠っているのだ。
目的を果たすだけでも一苦労だというのに、これ以上厄介事を増やしてたまるか。
「……なあ、ヴィル」
「ん?」
「俺たち、聖命草を取りに来ただけだよな?」
「お、おう。そうだな」
「……なんで魔王軍と戦う話になってんだろうな」
「俺に聞くなよ……」
ヴィルも困ったように顔を引きつらせた。俺たちはそろって魔王城を見つめ、深いため息をついた。
――そのときだった。
グルルルルル……。
足元から、低い唸り声が響いた。
「……ん?」
俺は首を傾げた。
黒竜の背中が、わずかに揺れている。
最初は風のせいかと思った。だが、違った。黒竜の身体が大きく震え、翼の動きが乱れ始めたのだ。
「おい、どうした?」
ガルヴァンが黒竜の首を叩いた。
「おい、落ち着け。どうしたってんだ?」
しかし、黒竜は答えるように唸るどころか、さらに激しく身体を揺らした。
「グオオオオオオオオッ!!」
「うおっ!?」
突然、黒竜が大きく身をよじった。
背中が傾き、俺たちの身体が一斉に浮き上がる。
「な、なんだよ!?」
俺は慌てて鱗にしがみついた。だが、黒竜は容赦なく翼を振り、背中を激しく揺さぶった。
「お、おい! こいつ、暴れてるぞ!」
ヴィルが叫ぶ。
「分かってる! っていうか、なんで急に!?」
騎士たちが悲鳴を上げ、リナが必死に俺の腕を掴んだ。ノノも目を見開き、ゴリィは騎士たちをかばおうと手を伸ばす。
「おい、黒竜! 何のつもりだ!」
ガルヴァンが怒鳴った。
だが、黒竜は聞く耳を持たなかった。次の瞬間、巨大な尾が大きく振られ、俺たちの身体がまとめて宙へ放り出された。
「うわあああああああっ!!」
空が回る。雲が迫る。そして眼下には、はるか下まで続く山肌が見えていた。
……嘘だろ。俺たち、今から落ちるのか!?
黒竜は俺たちを振り落とすと、翼を大きく広げて慌てて、上空へ舞い上がった。その眼差しには、もはやガルヴァンに従っていたときのような従順さは欠片もなかった。
――黒竜が、反旗を翻したのだ。
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