29 塞がれた退路
タツヤは壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。邪眼洞魔との戦いで負った傷に加え、崩落から逃げるために無理をしたせいで、足にも力が入らない。周囲を見回すと、仲間たちも似たような状態だった。ミレイヤは地面に座り込んで息を整え、ヴィルも壁にもたれかかっている。ノノに至っては、いつもの余裕たっぷりな笑顔を浮かべる元気すらないらしい。
「リナ、悪いんだけど、みんなを回復してくれないか?」
タツヤはリナの方を向いた。
しかし、返事がない。
「……リナ?」
見ると、リナはうつむいたまま、両手をぎゅっと握りしめていた。その肩は小刻みに震えている。
「……私のせいです」
「え?」
「私が……私が、おじいちゃんを助けたいなんて言ったから……!」
リナの目から涙がこぼれ落ちた。
「私がお願いしなければ、みんながこんな危険な場所に来ることもなかったのに……! 騎士さんたちだって、死なずに済んだかもしれないのに……!」
声が震え、最後の方は言葉にならなかった。
邪眼洞魔との戦いで命を落とした騎士たち。彼らが命を懸けて戦ってくれたことを、リナは誰よりも近くで見ていた。だからこそ、自分の願いが彼らを死なせたのだと思い込んでいるのだろう。
「リナ……」
タツヤは声をかけようとした。だが、何を言えばいいのか分からなかった。気にするな、と言えば簡単だ。しかし、実際に仲間を失った彼女に、そんな一言で納得しろというのは無理がある。タツヤ自身、騎士たちが目の前で命を落とした光景を忘れられそうになかった。だからこそ、軽々しく慰めることはできなかった。
「……そんなことはない」
静かな声が洞窟に響いた。顔を上げると、騎士団長のゴリィがリナを見つめていた。
「お前が責任を感じる必要はない」
「で、でも……!」
「もしタツヤたちがセレナードの街に来てくれなければ、我々どころか、アルディア王国全土がどうなっていたか分からん。あの魔王軍の脅威を考えれば、街ひとつの被害で済んだことすら、幸運だったと言えるだろう」
ゴリィは一度、言葉を切った。
「それに、我々は自分の意思でタツヤたちへの同行を志願した身だ。この先に危険があることなど、承知の上だった。今さら、この身を投げ出したくないなどと言うつもりはない」
彼は周囲の騎士たちを見渡した。
「我々は誇り高きアルディア騎士団なのだからな」
その言葉を聞いた騎士たちが、力強く頷いた。
「団長の言うとおりだ!」
「俺たちだって、覚悟を決めてここまで来たんですよ!」
「亡くなった仲間の分まで、俺たちが進まなきゃならないんです」
次々と声が上がる。中にはまだ顔色の悪い者もいた。それでも、誰一人として自分たちの決断を後悔しているようには見えなかった。ゴリィはそんな騎士たちを見てから、リナへ視線を戻した。
「……ほらな。皆、同じ気持ちだ」
「みなさん……」
「我々は、この先に進む。そして、魔王軍を一匹残らず排除する。そのためにも、今ここで立ち止まっているわけにはいかん」
ゴリィの声には、確かな決意が込められていた。
「リナ。お前が負い目を感じている場合ではない。亡くなった騎士たちのためにも、今は前へ進もうではないか」
「……っ、はい……!」
リナは何度も頷いた。それでも涙は止まらなかった。顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくりながら、彼女は震える手を前に出す。
「《ハイヒール》……!」
柔らかな光が広がり、タツヤたちの身体を包み込んだ。邪眼洞魔との戦いで受けた傷や、崩落から逃げる際に負った怪我が少しずつ癒えていく。痛みが引き、重かった身体にも力が戻ってきた。
「……ふぅ。助かったぜ、リナ」
タツヤが礼を言うと、リナは涙を拭いながら小さく頷いた。
「……はい」
まだ完全に気持ちを切り替えられたわけではないだろう。それでも、彼女は自分にできることをやり遂げた。タツヤはそれ以上、何も言わなかった。今は無理に励ますよりも、彼女が少しずつ前を向けるよう、そばにいることの方が大切な気がした。回復を終えた一行は、改めて周囲を確認することにした。
「さて……これからどうするかだな」
タツヤは荷物から地図を取り出した。しかし、地図に描かれているのは、俺らが通ってきた道の途中までだった。どうやら未開拓の道のようで、この先の道筋が分からなかった。
「……この先、何があるか分からないってことか」
「そういうことになるな」
ゴリィが険しい顔で地図を覗き込んだ。
「我々も、この辺りの詳しい構造までは把握していない。洞窟の奥へ進むほど、地形も複雑になっているはずだ」
「マジかよ……」
タツヤは地図を見つめた。来た道は塞がれ、先の道は不明。正直、あまり嬉しくない状況だった。
「まあまあ、王子様♡ そんなに難しい顔をしないの。眉間にしわが寄っちゃうわよ?」
ノノが横から顔を覗き込んできた。
「今そんなこと気にしてる場合じゃねえだろ」
「そう? 難しい顔をしても道が開けるわけじゃないし、笑っていた方が楽しいじゃない♡」
「お前はもう少し危機感を持て......」
「えー? ちゃんと持ってるわよ♡」
ノノは胸元を押さえ、わざとらしく怯えた表情を作った。
「洞窟の奥に何がいるのかしら。怖いわぁ♡」
「絶対怖がってねえだろ、それ!」
思わずツッコミを入れると、ノノは楽しそうに笑った。そんな二人のやり取りを見て、ヴィルも小さく吹き出した。
「まあ、タツヤの言うとおり、ノノはもう少し緊張感を持つべきだな」
「あら、ヴィルまでそんなこと言うの? ひどいわねぇ♡」
「いや、だってお前、さっきまで魔法を撃つのに必死で……」
「ヴィル?」
「……なんでもない」
ノノの笑顔が妙に怖くなったため、ヴィルはそっと口を閉じた。その様子に、今度は騎士たちからも笑い声が上がった。もちろん、失った仲間のことを忘れたわけではない。誰もが胸の奥に重いものを抱えている。それでも、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
「……ふっ。お前たちは、本当に妙な連中だな」
ゴリィも苦笑を浮かべた。
「褒め言葉として受け取っておくぜ」
タツヤは肩をすくめた。
「よし。いつまでもここにいるわけにもいかない。休憩が終わったら、慎重に先へ進もう」
ゴリィの言葉に、一行は頷いた。地図にない道を進む以上、何が起きてもおかしくない。全員が周囲を警戒しながら、ゆっくりと洞窟の奥へ歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからしばらく進んだ頃。
「……ここなら、おそらくモンスターとは出くわさずに休めそうだな」
タツヤは足を止めた。そこは、洞窟の壁にできた大きな割れ目の奥だった。人が数人並んで座れる程度の空間があり、天井も比較的高い。入口から少し奥まっているため、外からは中の様子が見えにくくなっていた。
「今日はここで野営にしよう。これ以上無理に進むのは危険だ」
ゴリィも周囲を確認し、賛同した。全員が疲労を抱えているうえ、先に何が待ち受けているか分からない。万全の状態で進むためにも、一度休む必要があった。
「それじゃ、さっそく準備するか」
タツヤはログを開き、セレナードの街で支給されたキャンプセットを取り出した。すると、地面に置かれた荷物がひとりでに展開し始めた。
「おおっ!?」
折り畳まれていた布が広がり、骨組みが組み上がる。あっという間に簡易テントが形作られ、寝具まできれいに並べられていった。さらに、食料や調理器具までもが次々と宙を移動し、整然と地面に並んでいく。
「す、すげえ……! 何だこれ、勝手に準備してくれるのか!?」
タツヤは目を輝かせた。
「これがあれば、野営の準備で苦労しなくて済むじゃねえか!」
「……まあ、セレナードの街は魔法の街だから当然よね」
ミレイアが呆れ半分に答えた。
「当然なのか、これ!?」
「魔法を利用した道具は珍しくないわ。これは、あらかじめ組み込まれた魔法で自動的に準備をしてくれる道具なんでしょうね」
ミレイアは展開されたテントや物資を見回した。
「ただ、あたしたちみたいな王都から派遣された騎士団員は魔法を使える者がほとんどいないの。こういう道具に慣れていない者も多いと思うわ」
「へえ……魔法の街ってのは、ずいぶん便利なんだな」
「便利なのは認めるけど、感動しすぎじゃない?」
「いや、だって見てみろよ! 俺が何もしなくても準備が終わってるんだぞ!?」
「お前、さっきまであんな化け物と戦っていたとは思えない反応だな……」
ヴィルが呆れたように言った。
「いやいや、戦闘と便利道具は別腹だろ!」
「何だよ、その別腹って……」
ヴィルは肩を落とした。
「ふふっ。タツヤらしいですね」
リナも、ようやく少しだけ笑顔を見せた。
その笑顔を見て、タツヤは内心ほっとした。まだ、リナの心の傷が消えたわけではない。それでも、さっきよりは少しだけ表情が和らいでいる。今は、それで十分だった。
野営の準備が整うと、一行は食事を取ることにした。用意された食料を分け合い、温かい食事を口に運ぶ。豪華な料理とはいかなかったが、疲れ切った身体には十分ありがたいものだった。
「……生き返るな、これ」
タツヤは食事を頬張りながら、しみじみと呟いた。
「さっきまで死にかけていたんだからな。そう感じるのも無理はない」
ゴリィが苦笑する。
「いや、ほんとに。もうあんな化け物とは二度と戦いたくねえよ」
「それは同感だな」
ヴィルも深く頷いた。
「でも、王子様ならまた何とかしちゃうんじゃない?♡」
「おい、勝手に期待を背負わせるな!」
「だって、これまで何とかなってきたじゃない♡」
「それは結果論だろ!」
ノノはくすくすと笑い、周囲の騎士たちもつられて笑った。食事を終えた後も、しばらくは他愛のない話が続いた。誰かが王都での失敗談を話せば、別の騎士がそれに負けじと自分の失敗を語る。ヴィルも負けずに話を盛り、ノノが横から茶化しては笑いが起きた。
リナも時折、控えめながら会話に加わっていた。やがて疲労が限界に達すると、皆はそれぞれ寝床に入り、交代で見張りを立てることにした。
こうして、その夜は大きな問題もなく過ぎていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。タツヤが目を覚ますと、洞窟の中は昨日よりも明るくなっていた。
「……ん、朝か」
身体を起こし、寝ぼけ眼をこすりながら周囲を見回す。見張り役のノノは入り口付近の壁に横たわり寝てしまっており、洞窟の壁は、ところどころ氷柱のように尖った岩肌になっていた。その先端からは水滴がぽたり、ぽたりと垂れ落ちている。ふと顔を上げると、岩の裂け目から朝日が差し込んでいた。
「なんで見張り役が寝てんだよ、それはそうと……天井は外に繋がってるのか」
光の差す方へ近づいてみると、そこは崖の上だった。眼下には広い谷が広がっている。崖のずっと下には川が流れ、朝日を反射した水面がきらきらと輝いていた。
「へえ……こんな場所だったんだな」
思わず見入ってしまうほどの景色だった。しばらく眺めていたタツヤだったが、やがて別の生理現象を思い出した。
「……っと、そういえば」
タツヤは周囲を見回した。まだ仲間たちは眠っている。わざわざ起こすのも悪いし、少し離れた場所で用を足してくるくらいなら問題ないだろう。
そう考えたタツヤは、崖の端から少し距離を取った岩場へ移動した。足元を確認し、下に人影がないことを確かめてから、用を足し始める。
「ふぅ……」
朝の冷たい空気を吸い込みながら、タツヤはのんびりと息を吐いた。そのときだった。
『グルルルル……』
「……ん?」
下の方から、低く唸るような鳴き声が聞こえてきた。
タツヤは動きを止めた。嫌な予感を覚えながら、そっと崖の下を覗き込む。そして――固まった。
「…………マジかよ」
崖下の川沿いを、一匹の巨大な生物が歩いていた。全身を覆うのは、淡い青白色の鱗。背中から尾にかけては鋭い氷晶のような突起が並び、頭部には枝分かれした大きな角が伸びている。四本の脚は岩場を踏みしめ、長い尾が動くたび、周囲の水面に波紋が広がった。どう見ても、この山に住むドラゴンだった。しかも、かなりデカい。
「な、なんでこんなところにドラゴンが……!?」
タツヤは慌てて身を伏せた。ドラゴンは川沿いを歩いていたが、やがて足を止めた。頭を持ち上げ、何かを探すように鼻をひくひくと動かしている。
タツヤはそっと自分の足元を見た。ドラゴンは、ちょうど自分が用を足していた場所の真下にきていた。
「…………」
タツヤは無言でズボンを整えた。一方、ドラゴンは上から降ってくる、黄色くキラキラと光る液体に気づいたのか、しばらく崖の上を気にするようにうろついていた。
タツヤは、これ以上ないほど静かに後ずさった。ドラゴンが再び歩き始めたのを確認すると、仲間たちのもとへ戻る。
「……おい。みんな、起きろ」
タツヤは仲間たちのそばにしゃがみ込み、小声で呼びかけた。
「ヴィル、リナ。ノノも。ゴリィさんたちも、ちょっと起きてくれ」
「ん……? どうしたんだ、タツヤ……」
ヴィルが眠そうに目をこする。
「声がでけえぞ……何かあったのか?」
「声がでかいのはお前だ。いいから、静かにしろ」
タツヤは人差し指を口元に当てた。
「……ドラゴンがいる」
その一言で、ヴィルの眠気が吹き飛んだ。
「は?」
「崖の下だ。すぐ真下まで来てた。今は離れたみたいだけど、見つかったら面倒なことになる」
ゴリィも静かに起き上がり、タツヤの表情を見て事態を察した。
「全員、物音を立てるな。荷物をまとめて、ここを離れるぞ」
騎士たちは声を出さずに頷き、手早く荷物をまとめ始めた。幸い、キャンプセットのおかげで片付けも早い。テントや寝具が自動的に収納され、食料や道具も次々とログへ戻されていく。
「……王子様、ドラゴンってどんな子なの?♡」
ノノが小声で尋ねた。
「青白くて、角があって、とにかくデカい。たぶん氷属性だ」
「ふぅん……氷のドラゴンねぇ♡」
「だから、のんきにしてる場合じゃねえって」
全員が荷物をまとめ終え、一行は足音を殺しながら崖沿いの道へ向かった。ところが、その直後だった。
「きゃっ!」
ノノの足が滑った。地面には薄い氷が張っていた。洞窟の冷気で岩肌が凍りつき、表面がつるつるになっていたのだ。ノノは体勢を崩し、膝を岩にぶつけて転倒した。
ゴンッ!
思いのほか大きな音が、洞窟に響き渡った。
「いったぁ……! ちょっと、何なのよこの道!」
「ノノ、声がでかい!」
タツヤが慌てて注意した、そのとき。
『グオオオオオオオッ!』
谷底から、先ほどよりもはるかに大きな咆哮が響いた。
「……あ」
タツヤは顔を引きつらせた。やってしまった。
崖の下から巨大な影が舞い上がる。青白い翼が大きく広がり、空気を叩いた。ドラゴンは一度羽ばたいただけで崖の高さを越え、タツヤたちの姿を捉えた。
「見つかったぞ! 全員、走れ!」
ゴリィが叫んだ。
「えっ、私のせい!?」
「今は反省してる場合じゃねえ! 走れ!」
タツヤたちは一斉に駆け出した。ゴリィは膝を痛めたノノをひょいと背負い上げる。
「ちょっと! 自分で歩けるわよ!」
「お前がまたコケて、あいつに食べられたら見捨てた俺らのメンツがないではないか!」
「……はいはい♡」
ノノは不満そうにしながらも、ゴリィの背中にしがみついた。ドラゴンは翼を広げ、彼らを追ってくる。飛行速度は凄まじく、距離がみるみる縮まっていった。
「くそっ、速すぎるだろ!」
「タツヤ、前を見ろ!」
ヴィルの声に、タツヤは慌てて視線を戻した。道は狭く、左右には岩壁が迫っている。立ち止まれば追いつかれるのは明らかだった。
「団長! あのドラゴンは一体何なんですか!?」
騎士の一人が叫んだ。ゴリィは背負ったノノを支えながら、後方を確認した。
「あいつは間違いない……アイスドラゴンだ!」
「アイスドラゴン!?」
「氷属性の中でも極めて危険な魔物だ! 奴のチート能力は、《絶対零度》!」
ゴリィの声に緊張が走った。
「周囲の温度を急激に下げ、近づく者を凍結させる能力だ! 奴の発する冷気にさらされれば身体の自由を奪われ、最悪の場合はそのまま凍死する!」
「近づくだけで危険ってことかよ……!」
タツヤは背筋が冷たくなるのを感じた。
「さらに、奴のブレスは極めて強固な氷を生み出す!一度凍らされたものは、1年経っても溶けないとすら言われている!」
「1年!? いや、そんなの食らったら終わりじゃねえか!」
「だから、絶対に奴には近寄らず直撃を受けるな!」
ゴリィが叫んだ、その直後だった。ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。口の奥に、青白い光が集まっていく。
「来るぞ! 避けろ!」
次の瞬間、ドラゴンの口から凄まじい冷気が吐き出された。氷のブレスが、一本道を呑み込むように押し寄せてくる。
「うおおおおっ!」
タツヤたちは必死に左右へ飛び退いた。 直後、ブレスが通り過ぎた地面が一瞬で凍りつく。岩肌は白く染まり、道の一部が分厚い氷に覆われた。空気まで凍りついたかのような冷たさが、肌を刺す。
「……っ、今のをまともに食らってたら……!」
タツヤは言葉を失った。
適応で冷気への耐性を獲得できる可能性はある。だが、あのブレスを受けても生き残れる保証など、どこにもない。まずは生き延びること。それが最優先だった。
「くっ……ノノ、反撃できるか!?」
ゴリィが背中のノノに尋ねた。
「やるだけやってみるわ♡ 王子様たちばっかりにいい格好させられないものね!」
ノノはゴリィの背中にしがみついたまま、片手をドラゴンへ向けた。
魔力を練り上げる。普段なら詠唱から発動までに時間がかかる彼女の魔法だが、今はそんな余裕もない。
「お願い……間に合って!」
ノノの手の先に、赤い光が集まり始めた。
「《焔獄崩星》!」
高密度の炎が一直線に放たれ、ドラゴンへと迫る。
しかし、アイスドラゴンは迫り来る炎を見ても慌てなかった。翼をわずかに傾け、身体を横へ滑らせる。炎はドラゴンの身体をかすめることすらなく、背後の岩壁へ激突した。轟音とともに岩肌が砕け、赤い光が洞窟の奥を照らす。
「うそ……避けられた!?」
「ノノ、惜しかったぞ!」
「惜しいだけじゃ意味ないでしょう!?」
ノノは悔しそうに唇を噛んだ。ドラゴンは無傷だった。それどころか、攻撃を受けたことに怒ったのか、低い唸り声を上げて再び口を開いた。
「また来るぞ!」
青白い光が、ドラゴンの口内に集まっていく。
「くそっ、今度は避けきれねえ!」
タツヤたちの前にあるのは、一直線に伸びる細い道だけだった。横へ避けるにも限界がある。そのとき、ヴィルが前へと飛び出した。
「みんな、伏せろ! 俺が防ぐ!」
「ヴィル!?」
ヴィルは片手を地面にかざした。
「出番だ! 頼むぞ、スライム!」
地面に魔法陣が浮かび上がり、その中央から一匹のスライムが姿を現した。ぷるん、と身体を揺らす小さな魔物。いつもなら可愛らしいとさえ思える姿だが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。
「小さくなれ!」
ヴィルの指示に応じ、スライムの身体が急激に膨れ上がった 拳ほどの大きさだった身体が、人の背丈を超え、さらに横へと広がっていく。やがて道を塞ぐほどの巨大な壁となり、タツヤたちの前に立ちはだかった。
「うおっ、でかっ!」
「感心してる場合か! 後ろに隠れろ!」
ヴィルが叫ぶ。
直後、アイスドラゴンのブレスが放たれた。猛烈な冷気が押し寄せ、巨大化したスライムの身体に直撃する。
バキバキバキッ!
スライムの表面が一瞬で凍りついた。
白い氷が広がり、巨大な身体を覆っていく。スライムは激しく震えたものの、全身を盾にするように踏みとどまり、ブレスの直撃を受け止めた。
「ぐっ……耐えてくれ!」
ヴィルが歯を食いしばる。スライムの表面にひびが走った。それでも、氷のブレスがタツヤたちへ届くことはなかった。やがて冷気が途切れた。
「今だ! 走れ!」
ヴィルの叫びに、タツヤたちは再び走り出した。背後では、巨大なスライムが凍りついたまま動きを止めている。ヴィルは一瞬だけ振り返ったが、すぐに仲間たちを追った。
「スライムは大丈夫なのか!?」
タツヤが尋ねる。
「今は心配してる場合じゃない! 後でどうにかする!」
「……分かった!」
タツヤは前を向き直った。道の先に、狭い岩の割れ目が見えた。人が一人ずつ通るのがやっとという幅だが、ドラゴンの巨体なら簡単には入り込めないはずだ。
「あそこだ! あの割れ目に入れば、少しは時間を稼げる!」
タツヤが叫んだ。全員が最後の力を振り絞って走る。あと少し。もう少しで、あの狭い割れ目にたどり着く。だが、背後から響いた音に、タツヤは思わず振り返った。
アイスドラゴンが、再び口を開いていた。
今度は、先ほどとは様子が違う。周囲の冷気がドラゴンの口元へ吸い寄せられ、空気中の水分が次々と凍りついていく。青白い光が一点に凝縮され、拳ほどの大きさだった氷の塊が、みるみる巨大になっていった。
「……何だ、あれ?」
タツヤは足を止めかけた。まずい。本能がそう告げていた。
「全員、走れ! あれをまともに食らったら終わりだ!」
ゴリィが叫ぶ。
アイスドラゴンは、凝縮された氷を狙い定めるように頭を傾けた。そして――放った。凄まじい速度で飛び出した氷の塊が、一直線に岩の割れ目へと突き進む。
「うわっ!?」
次の瞬間、轟音が洞窟を揺らした。
ドゴォォォンッ!!
氷の塊が割れ目の入口に直撃し、岩壁を粉砕した。巨大な岩が砕け散り、破片が周囲へ飛び散る。天井の一部まで崩れ、大小の岩が次々と落下していった。
「くっ……!」
タツヤたちは頭をかばいながら、その場に身を伏せた。しばらくして、ようやく崩落の音が止んだ。
タツヤは恐る恐る顔を上げた。先ほどまで逃げ道だった割れ目は、跡形もなくなっていた。そこには、崩れ落ちた岩が山のように積み重なり、向こう側へ続く道を完全に塞いでいる。
「……嘘だろ」
タツヤは呆然と呟いた。あと少しだった。あと少しで、逃げ込めたはずなのに。
背後では、アイスドラゴンがゆっくりと翼を広げていた。青白い鱗が、洞窟の薄明かりを受けて冷たく輝く。前方の道は岩で塞がれ、後ろからはドラゴンが迫っている。
タツヤたちは、またしても逃げ場を失ってしまった。




