28 邪眼洞魔
異形の化け物は、六つの眼をぎょろりと動かしながら、俺たちを見下ろしていた。巨大な胴体から何本もの脚が伸び、黒ずんだ皮膚の隙間からは、粘着質な液体が絶え間なく滴り落ちている。地面に落ちたそれは、じゅううう、と嫌な音を立てながら岩肌を溶かした。
「お、おい……なんだよ、こいつ……!」
騎士団員の一人が声を裏返らせた。直後、化け物の口元が大きく開いた。その奥に並んでいたのは、鋭い牙。獲物を逃がすつもりなど、最初からないのだろう。
「うわああああっ!」
騎士団員たちが一斉に後ずさる。しかし、逃げ切れるはずもなかった。化け物は何本もの脚を地面に突き立てると、次の瞬間には騎士団員たちの目の前まで迫っていた。
「速っ――!」
鋭い脚が一閃する。数人の騎士団員がまとめて宙へ放り出され、別の脚が逃げ遅れた騎士たちを捕らえた。
「ぐあああっ! 離せ、離せえええっ!」
騎士たちの身体が宙吊りになる。だが、彼らもただ捕まっているだけではなかった。
「くそっ、離せ! 《限界突破》!」
一人の騎士が能力を発動させ、出力を一気に引き上げる。化け物の触手を引き剥がそうと力を込めるが、びくともしない。
「なら、こっちはどうだ! 《雷刃 》 !」
別の騎士が剣に雷をまとわせ、触手へと斬りつけた。青白い閃光が走り、触手の表面が焼け焦げる。しかし、化け物は怯むどころか、騎士たちをさらに強く締め上げた。
「ぐああっ!」
「こいつ、硬すぎる……!」
それぞれが自らのチート能力を発動させ、必死に抵抗する。だが、化け物の力は圧倒的だった。
化け物は抵抗する騎士たちを口元へと引き寄せると、牙の間へ一人ずつ押し込んでいった。
鈍い音が洞窟内に響く。
「……っ!」
目の前で仲間が食われた。その光景を目撃した騎士たちの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「全員、下がれ! いや、待て! 無闇に動くな!」
騎士団長のゴリィが声を張り上げた。彼は化け物の姿を凝視したまま、腰の剣を抜く。
「こいつは……モンスター図鑑に載っていた魔物、邪眼洞魔だ! 六つの眼、それぞれが異なる状態異常を引き起こすチート能力を持っている! さらに、巨体に見合わぬ速度と怪力、硬い外殻まで備えている化け物だ!」
「邪眼洞魔……!」
俺は思わず息を呑んだ。
「赤眼は麻痺、青眼は石化、紫眼は恐怖、黄眼は幻惑、緑眼は衰弱、そして黒眼は魔力封印! 目を合わせるな! 能力を受ければ、まともに戦うことすらできなくなるぞ!」
ゴリィが剣を構え直す。
「だが、ここで逃げれば全員食われる! 戦うしかない! 全員、攻撃を仕掛けろおおおっ!」
『おおおおおっ!』
騎士たちが恐怖を振り払うように雄叫びを上げ、一斉に動き出した。
「俺たちも行くぞ、タツヤ!」
「ああ!」
ゴリィが正面から足で地面を蹴り上げて斬りかかり、俺も剣を握り締めて駆け出した。だが、邪眼洞魔は俺たちの接近を気にも留めなかった。
その身体が、横薙ぎに振るわれる。
「なっ――!」
視界を埋め尽くすほどの巨体が、まるで鞭のように脚を振り抜いた。次の瞬間、俺たちはまとめて吹き飛ばされていた。
「ぐはっ!」
背中から壁に叩きつけられる。肺の中の空気が一気に押し出され、呼吸が止まった。
「ぐっ……!」
隣ではゴリィが壁にめり込むほどの勢いで衝突している。騎士団員たちも次々と地面へ転がり、立ち上がることすらできずにいた。
「みんな、大丈夫か!」
痛む身体を起こし、俺は周囲を見回した。何人かは呻きながらも動いている。だが、返事をする余裕すらない者もいた。そのときだった。頭上から、巨大な影が落ちてきた。
「タツヤ、上だ!」
ゴリィの叫びに顔を上げる。だが、遅かった。邪眼洞魔の脚が俺の身体を捉え、逃げる間もなく宙へ持ち上げられた。
「ぐっ、離せ!」
もがく俺の目の前に、六つの眼が並んだ。赤、青、紫、黄、緑、そして黒。それらが一斉に、俺を見つめる。瞬間――身体の内側を、異様な感覚が駆け抜けた。
「がっ……!?」
筋肉が強張り、指先が動かなくなる。恐怖が脳裏を満たし、目の前の景色が歪んだ。地面が揺れているのか、自分が揺れているのかもわからない。さらに、身体から力が抜けていく。指先に目を落とすと、皮膚が灰色に変色していた。
そのとき、目の前に通知が現れた。
《麻痺耐性+6を獲得しました》《石化耐性+6を獲得しました》《恐怖耐性+6を獲得しました》《幻惑耐性+6を獲得しました》《衰弱耐性+6を獲得しました》《魔力封印耐性+6を獲得しました》
「一気にこんなに……!」
六つの能力を、一度に叩き込まれたのか。麻痺、石化、恐怖、幻惑、衰弱、魔力封印。まともに受ければ、抵抗することさえできない。
だが、【適応】はすでに働き始めていた。ほんのわずかとはいえ、指先に残る感覚が戻り、身体を蝕む状態異常の進行も、さっきより遅くなっている気がする。それでも、まだ足りない。
「……こんなところで、終われるかよ!」
俺は残った力を振り絞り、邪眼洞魔の脚を両腕で掴んだ。全身が悲鳴を上げる。指先は石になりかけ、筋肉は思うように動かない。それでも、俺は腕に力を込めた。
「おおおおおおっ!」
ミシリ、と嫌な音が鳴った。
邪眼洞魔の脚が、俺の力に押されて開いていく。
「まだだあああっ!」
両腕を強引に押し広げ、拘束を振りほどく。その反動で、俺を捕らえていた脚の先端が弾け飛んだ。
「ギィィィィッ!?」
甲高い悲鳴が洞窟内に響く。俺はそのまま地面へ落下し、肩から転がりながらも、どうにか着地した。
「はぁっ……はぁっ……!」
呼吸が乱れる。視界はぐわんぐわんと揺れ、景色がぼやけていた。身体に力が入らず、指先は小刻みに震えている。それでも、俺は立ち上がった。
「タツヤ!」
駆け寄ってきたリナが、俺の身体を支える。
「大丈夫ですか!? すぐに状態異常を解除します!」
リナが両手をかざし、魔法を発動させようとした。しかし――。
「ギャリリリリッ!」
邪眼洞魔の脚が、横から薙ぎ払われた。
「きゃあっ!」
「リナ!」
リナの身体が吹き飛び、ゴリィたちがいる壁とは反対側の岩壁へ激突した。
「ぐっ……!」
彼女はその場に崩れ落ち、動かなくなった。
「くそっ……!」
助けに行きたい。だが、今の俺にそんな余裕はなかった。邪眼洞魔が、ゆっくりとこちらへ向き直る。六つの眼が、再び俺を捉えた。
逃げなければ。そう頭では理解しているのに、身体は思うように動いてくれない。
……待て。
俺は、ふと考えた。こいつの能力は、六つの眼から放たれる状態異常だ。そして俺の能力は、実際に受けた攻撃や状態異常に適応することで、耐性や能力を獲得する。ならば――。
「……こいつの能力を、俺自身のものにできるんじゃないか?」
麻痺への耐性。石化への耐性。恐怖への耐性。それらを獲得できれば、少なくとも次からは同じ攻撃が通用しなくなるはずだ。さらに、俺の【適応】は耐性だけでなく、能力やステータスの上昇も引き起こす。この化け物の能力そのものまで獲得できるかはわからない。だが、試す価値はある。いや、試すしかない。ここで俺が倒れれば、全員が食われるかもしれないのだから。
「タツヤ! 何をしている! そいつの目を見るなと言っただろうが!」
ゴリィの怒声が飛んできた。
「わかってる!」
「わかっている奴の動きではないぞ!」
「俺には策があるんだよ!」
俺はポーションを取り出し、口に含んだ。傷の痛みが和らぎ、身体の震えが少しだけ収まる。状態異常そのものを完全に治せるわけじゃない。それでも、動ける時間を稼ぐことはできる。
邪眼洞魔が脚を振るう。俺は地面を蹴り、横へ飛んだ。直後、鋭い脚が岩肌を砕く。
「っぶねえ……!」
避けた勢いのまま、俺は化け物の懐へ潜り込み、剣を振るう。しかし、刃は硬い外殻に弾かれ、浅い傷を刻むだけに終わった。
「硬すぎるだろ……!」
反撃の脚が迫る。
俺は身を捻って避けようとしたが、麻痺した筋肉が動きを鈍らせた。
「ぐあっ!」
《《《《斬撃耐性+7を獲得しました》》》》
爪が脇腹をかすめ、血が飛び散る。
痛みを堪えながら距離を取ると、すぐさまポーションを飲んだ。傷を癒やし、また走る。逃げ回りながら、六つの眼を見続けた。
赤眼が光れば、身体が痺れる。青眼が光れば、石化が進む。紫眼が光れば、足がすくむ。黄眼が光れば、敵の位置がわからなくなる。緑眼が光れば、身体から力が抜ける。黒眼が光れば、魔力が封じられる。
それでも、俺は走り続けた。ポーションを飲み、傷を癒やし、何度も攻撃を受けながら、少しずつ耐性が生まれるのを待った。だが、邪眼洞魔の攻撃は苛烈だった。避け切れない爪が腕を裂き、脚が地面を抉り、状態異常が重なっていく。
そのたびに、俺の身体には小さな変化が起きていた。ポーションを使わずとも、最初は指先がわずかに動くようになり、次には足の震えが少しだけ収まる。恐怖で固まっていた思考にも、ほんのわずかな余裕が生まれ始めていた。そして、俺の変化はそれだけではなかった。
邪眼洞魔の六つの眼が俺を捉えるたび、身体を蝕んでいた状態異常が、ほんのわずかに弱まっていく。それと同時に、邪眼洞魔自身の動きも、一瞬だけ鈍ることがあった。
最初は気のせいかと思った。だが、何度も繰り返されるうちに、偶然ではないと気づき始めた。俺の【適応】が、受けた状態異常への耐性を育てるだけでなく、その影響を相手へ返し始めているのかもしれない。ただし、まだ完全ではない。六つの状態異常を防ぎ切れるわけでも、相手の動きを確実に止められるわけでもなかった。耐性が生まれ始めても、重ねて受ければ身体は再び蝕まれていく。
「はぁっ……はぁっ……!」
息が続かない。ポーションを取り出そうとした指先が、石になって動かなくなった。
「くそ……もう少し、なのに……!」
視界が暗くなる。身体が重い。恐怖が思考を塗り潰し、麻痺した足がもつれる。とうとう俺は、地面に膝をついた。
「タツヤ!」
ゴリィの声が聞こえた。だが、顔を上げることすらできない。邪眼洞魔の巨大な影が、俺の頭上を覆った。鋭い爪が振り下ろされる。その瞬間――。
「させるかあああああっ!」
ゴリィが剣を捨て、足で地面を蹴って跳躍し、俺の前に飛び出した。足を構え、真正面から邪眼洞魔の攻撃を受け止める。
ガギィンッ! ドゴォッ! バキィッ!
衝撃が足を駆け抜け、骨が軋む。
「ぐぬううっ……!」
ゴリィの膝がガクンと折れかける。それでも、彼は退かなかった。
「ゴ、ゴリィ……!」
「馬鹿野郎……! お前が何を考えているか知らんが、死んでしまったら元も子もないだろうが!」
怒鳴りながらも、彼は俺を庇うように立ち続けた。だが、邪眼洞魔は攻撃を緩めない。右から、左から、そして頭上から。鋭い爪が次々とゴリィの身体へ襲いかかる。
「ぐっ……!」
肩を裂かれる。
「がはっ!」
脇腹を抉られる。それでもゴリィは倒れなかった。剣を握る手が震え、血が地面へ滴り落ちても、彼は俺の前から動こうとしなかった。
「団長……もう、無理です……!」
遠くで騎士団員の声が聞こえた。
「黙れ! まだ立てる者は剣を構えろ! こいつをタツヤに近づけるな!」
ゴリィの叫びが洞窟に響く。
俺は歯を食いしばった。
動け。動けよ、俺の身体……!。
しかし、指先から広がった石化は手首を越え、腕へと進んでいた。ポーションを飲もうにも、口元へ手を運ぶことすらできない。視界の端で、ゴリィが膝をつくのが見えた。
「団長……!」
彼はそれでも立ち上がろうとした。だが、限界だった。膝が地面へつき、ゴリィの巨体がゆっくりと崩れ落ちる。
邪眼洞魔が、その巨体を乗り越えるようにして俺へ近づいてきた。
もう、駄目なのか。
俺はリナの姿を探した。壁際に倒れた彼女は、まだ動かない。
頼む……。もう一度だけでいい。起きてくれ。じゃないと、みんなやられてしまう。
異世界に来て、仲間ができて、ようやく自分にも何かできるかもしれないと思えたんだ。こんなところで終わりたくない。仲間を、失いたくない。
石化が首元へ迫る。意識が途切れかけた、そのときだった。
「――《状態異常全解除》!」
澄んだ声が洞窟内に響いた。温かな光が俺の身体を包み込む。指先を覆っていた石化が砕け散り、筋肉の強張りが消え、歪んでいた視界が元に戻った。
「……リナ?」
顔を上げると、リナが震える足で立っていた。額から血を流しながらも、彼女は両手をこちらへ向けている。
「間に合って……よかった……!」
「リナ、お前……助けてくれたのか……!」
「お話は、あとです……! まだ、終わっていませんから……!」
リナは息を切らしながらも、俺に微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
「……ああ。ありがとう、リナ」
俺は彼女に礼を告げ、ゆっくりと立ち上がった。その瞬間、身体が思いどおりに動くことに気がつき、思わず目を見開いた。
「身体に異変がない!」
これまで何度も状態異常を受け続けたことで、少しずつ生まれていた耐性。それが、限界まで追い込まれたことで、ようやく完成に至ったのか。
リナの魔法で残っていた状態異常が解除されたこともあり、今は身体に何の異常も感じない。俺は自分の手を握ったり開いたりしてみた。さっきまでの痺れも、石化の違和感もない。身体の奥に残っていた恐怖も、嘘のように消え失せていた。
そのとき、俺の目の前にいくつもの文字が現れていたことに気づいた。
《状態異常耐性が一定値に到達しました》
《麻痺耐性+100》《石化耐性+100》《恐怖耐性+100》《幻惑耐性+100》《衰弱耐性+100》《魔力封印耐性+100》
《耐性値が上限に達したため、該当する耐性を100%発揮できます》
《耐性値が+100に到達しました。耐性に応じた形態モードへの移行が可能です》
「……は?」
目の前に次々と浮かび上がる文字を、俺は呆然と見つめた。
「なんだこれ……形態モード? 耐性を100%発揮できるって、どういう意味だ?」
意味がわからない。そもそも、そんな機能があるなんて聞いていない。
俺の【適応】って、ただ攻撃を受けるたびに対応した耐性がついてそれに伴って俺の体の能力値も変化する能力じゃなかったのか……?
「……っ!」
「まあとにかく、これまで受け続けてきた状態異常への耐性が、ついに完成したんだ。これなら……!」
顔を上げると、邪眼洞魔がこちらを見つめていた。
六つの眼が不気味に光る。しかし、先ほどまでのような恐怖は感じない。俺はその眼を真正面から見返した。すると――。
「ギ……?」
邪眼洞魔の動きが止まった。六つの眼が一斉に瞬き、巨体がぐらりと揺れる。
「ギィィッ!?」
化け物は突然、苦しそうに脚を振り回し始めた。麻痺したように脚が痙攣し、外殻の一部が灰色に変わっていく。さらに、何もない空間へ向かって牙を剥き、存在しない敵に怯えるように後ずさった。
「……まさか」
俺は自分の眼に触れた。こいつの目を見続けたことで、状態異常への耐性を獲得した。そして今、こいつもまた、俺の目を見て状態異常に陥っている。
そういえば、戦いの途中から、こいつの動きが一瞬だけ鈍ることがあった。あれは、耐性が育ち始めたことで、俺が受けた状態異常の影響を少しずつ返し始めていたからなのか。そして今、耐性が完成したことで、その反撃がはっきりと現れたのだろう。つまり――。
「俺の目を見た相手にも、状態異常が発生するようになったのか……?」
確証はない。だが、邪眼洞魔の反応を見る限り、そう考えるのが自然だった。こいつの能力を完全にコピーしたわけではない。それでも、【適応】によって得た耐性が、相手に状態異常を返す力へと変化したのかもしれない。邪眼洞魔が、怯えたように後ずさる。さっきまで圧倒的な強さを誇っていた化け物が、今では俺の視線を避けるように動いていた。
「……これならやれそうだが、こいつの外殻は打撃攻撃通るんだろうか?」
そもそも、俺が獲得した打撃耐性は、受けた衝撃に対する耐性だ。硬い外殻を持つ相手に打撃を与えるなら、別の手段が必要になる。
「なら、こいつで試してみるか!」
俺は横へ飛び退き、振り下ろされた脚を剣で受け流した。
ギィンッ!
金属音が洞窟内に響いた。今までなら、剣が弾かれて終わっていたはずだ。だが、今回は違った。刃が外殻を捉え、深々と食い込んでいる。
「通る……!」
俺はそのまま剣を振り抜いた。
ズバンッ!
邪眼洞魔の脚が、先端に近い部分から切断された。
「ギィィィィィィィッ!?」
切り落とされた脚が地面へ転がり、緑色の体液が飛び散る。邪眼洞魔は悲鳴を上げ、残った脚をばたつかせながら後退した。
「よし……!」
俺は剣を構え直し、邪眼洞魔を睨みつけた。状態異常への耐性。そして、斬撃耐性。ここまでの戦いで、俺は確実に強くなっている。だが、邪眼洞魔もただではやらなかった。六つの眼が不規則に動き、幻覚に惑わされたように暴れ回る。巨体が洞窟の壁へ激突し、崩れた岩が周囲へ飛び散った。
「くそっ、まだ暴れるのかよ!」
俺が身構えた、そのときだった。
「タツヤー! 大丈夫かー!」
背後からヴィルの声が響いた。振り返ると、ヴィル、ノノ、ミレイアがこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
「お前ら! 無事だったのか!」
「そっちこそ、何があったんだよ! って、うわっ、なんだよあの化け物!」
「王子様、ずいぶんボロボロじゃない♡」
ノノが俺の姿を見て目を丸くした。
「……って、感心してる場合じゃないな。お前ら、今は近づくな!」
俺が叫んだ直後、邪眼洞魔が大きく身を震わせた。幻覚に惑わされているのか、俺たちの位置さえ正確に把握できていないらしい。だが、無差別に振り回された脚が、俺たちの背後に張り巡らされていた糸の巣を引き裂いた。
ビリビリビリッ!
大量の糸が弾け飛ぶ。その隙間から、邪眼洞魔がヴィルたちへと向き直った。
「まずい……!」
巨体が跳ねる。何本もの脚が地面を蹴り、ヴィルへ向かって一気に迫った。
「ヴィル、避けろ!」
「なっ――!」
ヴィルが杖を構えるよりも早く、巨大な口が彼を覆い隠そうとしていた。その前に、一人の少女が飛び出した。
「王子様の仲間に、手を出すんじゃないわよっ!」
ノノだった。
彼女は両手を前へ突き出し、魔力を解き放つ。
「《焔獄崩星》!」
――何も起きなかった。
「……あれ?」
ノノの表情が固まる。
「《焔獄崩星》! 《焔獄崩星》! 《焔獄崩星》!」
魔法を連呼するが、発動しない。
「ちょっ、嘘でしょ!? こんなときに限って失敗する!?」
邪眼洞魔の牙が、目の前まで迫っていた。
「ノノ!」
ヴィルが叫ぶ。ミレイアも駆け出そうとするが、間に合わない。ノノは歯を食いしばり、最後の力を振り絞った。
「お願い……今度こそ、成功してええええっ!」
瞬間。ノノの杖の先に、凄まじい熱量を秘めた炎が生まれた。膨れ上がった炎が洞窟内を真っ赤に染め上げる。
「いっけええええっ!」
放たれた炎の塊は、邪眼洞魔の顔面へと一直線に飛んでいく。
「ギィッ!?」
邪眼洞魔が大きく口を開き、鋭い牙を剥き出しにした。だが、炎の塊はその牙の隙間をすり抜け、開かれた口の奥へと飛び込んでいった。次の瞬間――。
ドゴォォォォォンッ!!
邪眼洞魔の口の中で、炎が大爆発を起こした。
「ギャオオオオオオオオオォォッ!」
凄まじい爆音とともに、化け物の頭部が大きく揺れた。口から炎が噴き出し、六つの眼が激しく明滅する。内側から焼かれた巨体は激しく痙攣した後、支えを失ったように地面へと崩れ落ちた。鋭い脚が一つ、また一つと動かなくなり、やがて六つの眼からも光が消えていく。化け物の身体は光の粒となって消え、その場には緑色の大きなジェムだけが残された。
「……や、やった……?」
ノノがへなへなと膝をついた。
「ノノ、無事か!?」
「な、なんとか……。」
ヴィルが慌てて彼女を支える。俺は大きく息を吐いた。
「はぁ……。マジで死ぬかと思った……」
ゴリィも騎士団員たちも、まだ倒れたままだ。リナも満身創痍で、立っているのがやっとの様子だった。それでも、俺たちは生き残った。そう思った瞬間――。
ミシリ。
「……ん?」
頭上から、小さな音が聞こえた。嫌な予感がして、俺は反射的に天井を見上げた。
ミシミシミシ……!
次の瞬間、天井に亀裂が走った。
「おい、待て……!」
邪眼洞魔が暴れ回った影響で、洞窟全体が限界を迎えたのか。天井だけでなく、壁にも亀裂が広がっている。足元まで揺れ始め、あちこちで岩が崩れ落ちていた。
まずい。このままじゃ、この空間全体が崩れる!。
「全員、ここから逃げるぞ!」
俺はすぐさまゴリィのそばに駆け寄った。騎士団長はまだ意識こそあるものの、自力で立ち上がるのも難しそうだった。
「ゴリィ、悪いが少し我慢してくれ!」
返事を待たず、俺はゴリィを背負った。さらに、近くで倒れていたリナも抱え上げる。
……くそっ、二人でもかなり重いな。
だが、文句を言っている場合じゃない。二人を担いだまま、俺は周囲を見渡した。騎士団員たちも動けそうにない。全員を運ぶのは無理だ。かといって、このまま置いていけば、崩落に巻き込まれるのは目に見えている。
「ヴィル! ノノ! ミレイア! こっちだ! 頼む、手を貸してくれ!」
俺は声の限り叫んだ。砂埃の向こうで、ヴィルたちがこちらを振り向く。
「タツヤ!?」
「騎士団員たちが動けないんだ! こいつらを運ぶのを手伝ってくれ!」
俺の言葉を聞いたヴィルは、すぐに状況を理解したらしい。
「分かった! ノノ、ミレイア、そっちは任せた!」
「はいはい、分かってるわよ♡」
「分かりました!」
三人はすぐさま倒れている騎士団員たちのもとへ駆け寄った。ヴィルは二人を担ぎ上げ、ノノとミレイアも、それぞれ一人ずつ背負う。その直後、頭上から轟音が響いた。
ドゴォォォンッ!
巨大な岩が落下し、三人がさっきまでいた場所を押し潰した。
「急げ! こっちだ!」
俺はゴリィとリナを担いだまま、少し先にある洞窟へ向かって走り出した。ヴィルたちも、それぞれ騎士団員を背負いながら後を追ってくる。
揺れる足元。降り注ぐ岩。舞い上がる砂埃。一歩間違えれば、全員まとめて生き埋めだ。
「あと少しだ! 走れ!」
俺たちは必死に足を動かし、タツヤたちに近い洞窟へと飛び込んだ。その瞬間――。
ドゴォォォンッ!
背後で耳をつんざくような轟音が響いた。巨大な岩が次々と落下し、俺たちが走ってきた通路を塞いでいく。
「はぁっ……はぁっ……!」
俺はゴリィとリナをそっと地面に下ろし、その場に膝をついた。あと数秒遅れていたら、全員どうなっていたか分からない。
「ヴィル……ノノ……ミレイア……みんな、無事か?」
「なんとかな……」
ヴィルも騎士団員たちを下ろし、荒い息を吐いていた。ノノとミレイアも背負っていた騎士団員を地面に寝かせる。俺は全員の顔を見渡した。
ここにいる全員はなんとか助かったのか、良かった。
だが、崩落によって来た道は完全に塞がれてしまった。ここから先へ進めるのか、それとも別の出口を探す必要があるのか。まだ、安心できる状況ではなかった。




