22 パンツ一丁の騎士団長
内壁に沿って続く階段を、ヴィルたちは必死に駆け上がっていた。
「はぁっ……はぁっ……! もう少しだ!」
先頭を走るヴィルが、息を切らしながら声を上げる。三人が目指しているのは、巨大な樹木と一体化するように築かれた城。その上層部には領主セシリアがいる。そして、タツヤもそこに捕らえられているはずだった。
タツヤ……待ってろよ。今、助けに行くからな!。
ヴィルは杖を握り締め、足を止めることなく階段を駆け上がる。リナも必死にその後を追い、ノノは二人に遅れまいと軽やかに足を運んでいた。
やがて、三人は城の中腹にたどり着いた。
「……うわ、なんだこれ」
ヴィルが思わず足を止める。
目の前には、中央の上層部へと続く一本の通路が伸びていた。その先には、さらに高い位置に建てられた城が見える。だが、通路の両脇には手すりがなく、足を踏み外せばそのまま奈落へ落ちてしまいそうだった。眼下には大樹の内部に広がる巨大な空洞があり、遥か下方には地面がかすかに見える。
「……落ちたら、まず助からないですね」
リナが恐る恐る下を覗き込み、顔を青くした。
「縁起でもねえこと言うなよ……」
「でも、事実でしょ?」
ノノは平然と答えると、通路の先へ目を向けた。
「この通路を渡れば、上のエリアに行けるわ。さっさと行きましょ♡」
「お前、怖くないのかよ……」
「怖がっても高さは変わらないもの♡」
「……それはそうだけどよ」
妙に説得力のある言葉に、ヴィルは返す言葉を失った。
「よし。行くぞ!」
三人が通路へ踏み出した、その瞬間だった。
「そこから先は行かせぬぞおおおおおっ!!」
「「「……え?」」」
下方から、空気を震わせるほどの怒声が響いた。次の瞬間――。
ドゴォォォンッ!!
凄まじい衝撃音とともに、一人の男が通路へと跳び上がってきた。着地した足元の石が砕け、破片が宙を舞う。
「なっ……!?」
三人は一斉に足を止めた。そこに立っていたのは、見覚えのある男だった。鍛え上げられた肉体に、鋭い眼光。短く刈り上げられた金髪。そして、その顔には見覚えがありすぎる。先ほど、騎士団長の部屋で気絶させたはずの男だった。ただし、一つだけ大きな違いがある。
「……おい」
ヴィルが男を指差した。
「なんでパンツ一丁なんだよ!?」
「ぷっ……!」
リナが口元を押さえる。次の瞬間、ノノが吹き出した。
「あはははっ! ちょっと、何その格好! 騎士団長ともあろう人が、下着姿で追いかけてくるなんて!」
「お、お前ら……!」
笑いを堪えきれない三人を前に、騎士団長の顔がみるみる赤くなっていく。どうやら、俺たちが制服を奪ったせいで、下着姿のまま追いかけてきたらしい。普通なら着替えてから追跡するところだが、怒りがそれを上回ったのだろう。
「貴様ら……! 人の服を奪い、気絶させた挙げ句、逃げおおせるつもりか!」
「いや、そもそも先に襲ってきたのはそっちだろ!」
ヴィルが即座に言い返した。
「それに、服くらい後で返してやるよ!」
「黙れい!!」
怒声が通路に響き渡る。騎士団長は恥も忘れたように拳を握り締め、三人を睨みつけた。
「俺はセレナードの騎士団長! この城を守る者だ! 貴様らのような不届き者を、領主様のもとへ通すわけにはいかん!」
「なるほどな……」
ヴィルは笑いを引っ込め、杖を構えた。
「だったら、力ずくで通るしかないってことか」
「当然だ!」
騎士団長が腰を落とす。鍛え上げられた脚に力がこもり、石の床がミシリと音を立てた。
「来るぞ!」
ヴィルが叫んだ直後――。
ドンッ!!
騎士団長が通路を蹴り、弾丸のように飛び出した。
「速っ……!」
ヴィルは咄嗟に杖を横に構える。
ガギィィィンッ!!
騎士団長の蹴りと杖が激突した。だが、衝撃を受け止めきれず、ヴィルの身体は後方へ吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
「ヴィルさん!」
リナが駆け寄ろうとした、その時だった。
「邪魔だ!」
「きゃあっ!?」
騎士団長の蹴りがリナの身体を捉えた。彼女は抵抗する間もなく、通路の外へと弾き飛ばされる。
「えっ、ちょっ――!」
さらに騎士団長は、呆然としていたノノにも蹴りを放った。
「きゃあああっ!?」
二人の身体が、通路脇の空洞へと消えていく。
「リナ! ノノ!」
ヴィルが目を見開いた。
ほんの一瞬の出来事だった。騎士団長は、三人を相手にするどころか、二人をまとめて通路の外へ蹴り落としたのだ。
「お前……何してくれてんだあああああっ!!」
ヴィルの怒声が、巨大な空洞に響き渡った。
騎士団長は涼しい顔で答える。
「邪魔者を排除しただけだ」
「ふざけんな! 絶対に許さねえからな!」
ヴィルは杖を握り直し、通路の縁へと走った。
「来い! シャドウスパイダー!」
足元に魔法陣が広がる。その中心から八本の長い脚が現れ、黒い外殻を持つ巨大な蜘蛛が姿を現した。
「シャドウスパイダー! 下のリナとノノを殺せ!」
ヴィルが叫ぶと、シャドウスパイダーはすぐさま通路の縁へと走り寄り、外壁に向かって糸を放った。
ビュルルルッ!
強靭な糸が壁に絡みつく。蜘蛛はその糸を伝い、空洞の下へと降りていった。
「……殺せだと?聞き間違いか、行かせるものか!」
騎士団長が動く。
「させるかよ!」
ヴィルは杖を伸ばし、騎士団長の首元へと引っかけた。
「ぐっ!?」
騎士団長の動きが止まる。
「リナとノノを助けるまで、邪魔させるか!」
ヴィルは必死に杖を引き寄せ、騎士団長を押さえ込んだ。だが、相手の力は想像以上に強い。じりじりと押し返され、ヴィルの腕が震え始める。
「……ちっ。城を壊すつもりはなかったんだがな」
「……は?」
騎士団長は、ふと足元へ視線を落とした。
「仕方あるまい」
次の瞬間――。
ドゴォォォンッ!!
騎士団長が足を思い切り叩きつけた。石造りの通路に亀裂が走る。
「……おい、まさか」
ヴィルの顔が引きつった。
バキッ、バキバキバキッ!!
亀裂が一気に広がり、通路の床が崩れ始める。
「うわあああああああっ!!」
ヴィルの叫びとともに、床が砕け散った。騎士団長とヴィルは、崩落する石片と一緒に空洞へと落ちていく。
「なんでこうなるんだよおおおおおっ!!」
ヴィルの声が、空洞の底へと遠ざかっていった。一方、落下しながらも騎士団長は冷静だった。
ドンッ!
空中を蹴り、落下速度を調整する。まるで見えない足場が存在するかのように、騎士団長は空中で体勢を変えた。そして、下方へと視線を向ける。
壁に糸を張りながら、シャドウスパイダーがリナとノノへ近づいていた。
「……あの蜘蛛か」
騎士団長は再び空中を蹴り、進路を変える。
「好きにはさせん!」
その頃、シャドウスパイダーは二人に向かって糸を伸ばしていた。強靭な糸がリナとノノの身体に絡みつき、落下速度を少しずつ緩めていく。
「こ、この蜘蛛……もしかして、ヴィルの召喚モンスター!?」
ノノが叫ぶ。
「そ、そうだと思います! でも、どうすれば……!」
リナは必死に体勢を整えようとした。糸に支えられているとはいえ、足元には何もない。少しでもバランスを崩せば、再び落下してしまいそうだった。そこへ、騎士団長が迫る。
「そこまでだ!」
「……っ!」
ノノは片手を突き出した。
「これでもくらいなさい! 《雷鳴轟界》!」
手のひらに魔力を集めようとする。
パチッ。
「……あれ?」
何も起きなかった。
「もう一度! 《雷鳴轟界》!」
パチ、パチッ。
小さな火花が散っただけだった。
「こんな時に、どうして発動しないのよおおおっ!」
ノノが焦りの声を上げる。その隙に、騎士団長がシャドウスパイダーへと接近した。
「鬱陶しい!」
ドゴッ!!
強烈な蹴りが蜘蛛の胴体に直撃する。
「キシャアアアッ!」
シャドウスパイダーの巨体が横へ吹き飛ばされた。
「きゃあっ!」
「うわっ!?」
リナとノノの身体が大きく揺れる。二人を支えていた糸が引っ張られ、再び落下速度が増した。しかし、その瞬間だった。
シャドウスパイダーの口先から、細い糸が二本、音もなく伸びていた。一つは騎士団長の身体へ、もう一つはヴィルの身体へ。それぞれの糸は、鎧や衣服の隙間にしっかりと絡みついていた。騎士団長は、そのことに気づいていない。
「鬱陶しい蜘蛛め! 貴様も落ちて死ぬがいい!」
騎士団長は、落下してきたヴィルの腹部に蹴りを叩き込んだ。
「ぐはっ!」
ヴィルの身体が弾き飛ばされ、外壁へと叩きつけられる。そのまま重力に引かれ、下へと落ちていった。
「これで一件落着!」
騎士団長は空中を蹴り、体勢を立て直す。だが――。
「……なにっ!?」
突然、騎士団長の身体が横へと引っ張られた。
ピンッ!
張り詰めた糸が、騎士団長とヴィルをつないでいたのだ。
「……いつの間に!?」
騎士団長の身体が傾く。その一瞬を、ヴィルは見逃さなかった。
「へっ……! 俺の蜘蛛の糸を舐めんなよ!」
ヴィルは落下しながら杖を構え、全身の力を込めて振りかぶる。
「これでも食らえええええっ!」
ゴォンッ!!
杖が騎士団長の頭部を直撃した。
「ぐっ……馬鹿な……!」
騎士団長の目が大きく見開かれる。そして、そのまま意識を失った。
「……よし!」
ヴィルは安堵の息を吐いた。だが、すぐに現実へと引き戻される。
「……って、喜んでる場合じゃねええええっ!!」
そう。二人はまだ落下していた。しかも、遥か下には地面が迫っている。
「シャドウスパイダー! リナ! ノノ! 全員無事か!?」
「無事なわけないでしょおおおおっ!」
下からノノの悲鳴が返ってくる。
「もう落ちるのは嫌ですううううっ!」
リナの叫びも続いた。
「くそっ……! こうなったら!」
ヴィルは杖を掲げた。
「来い、スライム!」
ポンッ!
落下地点の少し上に魔法陣が浮かび上がり、青いスライムが現れた。
「頼む! 全員まとめて受け止めてくれ!」
スライムは、まるでヴィルの言葉を理解したかのように身体を大きく膨らませる。
ボヨォォォンッ!!
巨大な青い塊が地面の上に広がった。そして――。
ドゴォォォンッ!!
まずヴィルが落ちてきた。続いて、気絶した騎士団長。さらにリナとノノ、そしてシャドウスパイダーが次々とスライムの上へ落下する。
ボヨンッ!
ボヨヨヨンッ!!
スライムの身体が大きく沈み込み、全員をまとめて跳ね返した。
「うわあああああっ!」
「きゃああああっ!」
「ちょっと待ってぇ! 跳ねすぎよおおおおっ!」
全員が何度も弾み、空中へと放り出されてはスライムに受け止められる。ようやく勢いが弱まり、最後には――。
べちゃっ。
全員が地面の上へ転がった。
「…………」
「…………」
「…………」
しばらく、誰も口を開かなかった。やがて、ヴィルがゆっくりと上半身を起こす。
「……生きてる」
隣ではノノが、震える手で自分の身体を確かめていた。
「……よ、よかった……。もう二度と、空なんて飛びたくないよ……」
リナも地面に仰向けになったまま、深く息を吐く。
「いや、別に飛んでたわけじゃないだろ……」
ヴィルが思わず突っ込んだ。
「そんな細かいこと、どうでもいいでしょ……!」
「細かくねえよ……!」
ノノは反論しようとしたが、結局、力なく地面に座り込んだ。ヴィルたちは苦笑しながら、少し離れた場所に倒れている騎士団長へ目を向けた。
「……こいつ、また気絶してるな」
「今度こそ、起きないでほしいですね……」
リナが心底疲れた様子で呟く。ヴィルは大きく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「……とにかく、全員生きてる。それだけで十分だ」
ノノは服についた埃を払いながら、頭上を見上げた。崩れた通路の向こうには、まだ城の上層部がそびえている。そこには領主セシリアがいる。そして――タツヤも。
「……でも、どうするの?」
ノノが真剣な顔で尋ねた。ヴィルは杖を握り締めた。先ほどまでの軽い調子は、もうどこにもなかった。
「……決まってるだろ」
彼は、再び城を見上げる。
「もう一回登って、タツヤを助けに行く」
ノノは小さく頷いた。
「そうね♡ 王子様をいつまでも待たせるわけにはいかないもの」
「……タツヤさん、待っていてください。今度こそ、必ず助けます」
リナも立ち上がり、決意を込めた眼差しで城を見つめた。ヴィルは、気絶したままの騎士団長を一瞥する。
「……その前に、こいつをどうするか考えねえとな」
目の前には、まだ長い道のりが残っていた。




